ロマン主義アニメ研究会

感想、考察、等。ときどき同人誌も作ります。ネタバレ注意。

宝塚雪組『ボイルド・ドイル~』『FROZEN HOLIDAY』感想(朝美絢さん中心)

2023年末〜2024年2月にかけての雪組公演について。宝塚大劇場東京宝塚劇場、それぞれで何度か観劇することができましたので、私の大好きな朝美絢さんのことを中心に、感想を簡単に記しておきます。

(もくじ)

 

公演全体について

お芝居『ボイルド・ドイル・オンザ・トイル・トレイル』は、コミカルで軽快に楽しめる内容ながらも、鑑賞後は強く心に残る作品でした。大袈裟かもしれませんが、見ている自分自身も、もう一度原点に立ち返って(例えば子供の頃の自分を思い出して)、人生を歩もうというような気分にもなりました。ドイルや編集長たちが、自分の夢を追いかけて、物語を紡いで生きていったように。

また、ショー『FROZEN HOLIDAY』は、とにかく楽しく、しかも感動的な、まさにこういうのが観たかった!というような完璧なレヴュー作品でした。「ホテル」という設定のおかげで、ちょっといつもの現実から離れた素敵な場所で、楽しい時間がこれから始まるんだ!というような没入感もありましたね(冒頭の映像も、テーマパークのアトラクションのようでした)。

朝美絢さんの多面的な魅力

待ちに待って、朝美さん登場

朝美さんファンの私としては、『ボイルド~』は朝美さんのいろいろなお姿を拝見できる場面が多く、とても嬉しかったです。最初、登場までなかなか時間がかかり、朝美さんはまだかな?と思っていたら、まさに魔法のように登場します。焦らしに焦らされて、待ちに待った朝美さんの登場は、おかげでより一層嬉しく感じました。「シャーロック・ホームズだ!」とスポットライトが当たる瞬間がとても記憶に残ります。

そして登場したと思ったら早速、例の「パイプ」をハンドマイクに見立てて、朝美さんホームズ・オン・ステージといった感じの、歌って踊る場面に入ります。「ナンバーワン、ナンバーツー、……」と順番に「ホームズズ」が現れ、深夜の寂しい診療所から一転、賑やかなステージになって、自然とウキウキしてきます。これからなんだかとっても面白いこと、とんでもなくワクワクするようなことが始まるんだ、と思わされます。

これってつまり、ドイルの人生が、ここから大きく動き出す、そういうワクワク感なんですよね。だってあの歌って踊るホームズ(たち)もまた、ドイルの想像力が生み出したものなのですから。

ドイルが昔書いた(あまり売れなかったらしい)小説(『緋色の研究』)に登場した「ホームズ」というテーマを再発見したとき、これならいけるかも?という直感、そして、これから始まることへの予感、ワクワク感があったのかもしれません。そういう心情を、あの歌って踊る場面は表しているのでしょう。「最初の一文字」、そこから始まる「冒険」。

よく「霊感が降りてくる」(インスピレーション)と言いますが、まさに「降霊」の瞬間ですね(in-spiration は、spirit 霊 とも同語源ですね)。インスピレーションが浮かんだときのワクワク感が擬人化されて、煌びやかな歌や踊りとして表現されているのだと思います。「研究協会」での降霊術のシーンを、ドイルの「想像力」の中で反復しているとも言えます。

もう一人の主役?

ここから朝美さん演じるホームズ(「シャーロック・ホームズ000」)はまるでもう一人の主人公のように活躍します。

おかげで、かなり様々な角度から朝美さんの魅力を拝見することができて、ファンとしてはとてもありがたい(?)作品だと思いました。今の朝美さんがお持ちの様々な魅力、種々の能力を、まるでコレクション・カタログのように次々と拝見できるようになっていて、これからの朝美さんのご活躍への期待が込められているようにも感じます。

また実際、ホームズは、主人公であるドイルの感情を表現する、もう一人のドイルとしての側面もあります。「君(ホームズ)は、僕(ドイル)なんだから」というセリフもありました。また、ホームズの視点からすれば本人は「物語」の主役であり、そのつもりでドイルに「ワトスンくん」と語りかけています。自分の活躍を記録させているつもりなのですから。

知的、かつチャーミング

私は以前から、朝美さんの知的な人物の演技がとても好きです。

これはある意味で(逆の意味の)偏見なのかもしれませんが、あんな端正なお顔立ちの方は、きっと知性も備えているに違いない、となんとなく思ってしまいます。(実際、朝美さんが番組や雑誌などでお話しされているとき、ところどころでふとさりげなく、一段階抽象化したものの見方や、俯瞰的な観点からお話しをされている場面を見かけることが時折あり、知的なものを感じます。)

過去にも朝美さんはインテリなお役を演じられていて、それらは私はとっても大好きでした。今回も探偵役ということで、そういった感じが見られるのでは?と、とても期待していたのですが、さらにそれを上回っておられました。

考えてみればそうなのですが、「シャーロック・ホームズ000」は、本の中から飛び出した「妖精さん」のような存在ですよね(朝美さんは「ランプの精」のようだとおっしゃっていましたね)。なので、「本」の中のロジックで本人は思考し、行動しているわけです。だから、微妙に現実の世界のロジックとズレている──非常に微妙なズレですが。

ドイルを「ワトスンくん」と呼んでいたりするのもそうです。本に「私はワトスンだ」と書いてあった──ところでこの本はあなたが書いた──ゆえにあなたはワトスンだ、という、非常に(形式的には)すっきりとした三段論法に基づいて、ドイルを「ワトスンくん」と呼び続けているのですが、現実の世界からすればそうじゃないわけです。そういう「設定」だとドイルは言っても聞いてくれません。だってホームズは世界一の探偵で、世界一頭脳明晰の〝はず〟だから、間違うはずがない、本人もそう思い込んでいる。

(ちなみに私は、この三段論法をベースにした形式的な論理学(古典論理学)が、現実と奇妙にズレていく不思議さは、お馴染みあの『アリス』を思い出しました。朝美さんの「ホームズ000」が、他のホームズ「たち」に運ばれて退場する時、ひひひ~と笑っているシーンがありましたが、まるでチェシャ猫のようでした。)

こんなふうに今回は、知性がある方の、知性があるゆえのズレ、またそのコミカルさ、といったものが表現されていると思いました。ただ知的で素敵だというだけでなく、さらにちょっとおかしみやコミカルさまで加味されてきていて、私なんぞが勝手に期待していたことをさらに上回ってこられたと思ったのです。

またそもそも、朝美さんは役作りのためにホームズの原作小説を手に取られたとお話しされてましたが(『歌劇』やスカステなど)、その原作のホームズにも実はちょっと抜けているところがあったようだと仰っていましたね。(ちなみに朝美さんはいつも役作りのために勉強熱心で、いろいろ調べたり努力をなさっていることがエピソード・トーク等からわかるりますよね。私はそういう朝美さんの、いつも努力なさっていて尊敬できるところがとても好きです。)

2024年カレンダーの表紙

そういえば余談ですが、朝美さんって、毎回毎回、本当にいつも期待を上回ってしまう方だと思うのです。2024年の劇団カレンダーの表紙を見た時も、まさにそう思いました。朝美さんのお写真では、これまでにも何度も「これぞ朝美さんの最高のお写真だ!」と思うものが(本当に何度も)ありました。今回のカレンダーのお写真は、さらにそれをまた更新してしまうような美しさで、本当に驚愕しました。

もう初めて見た時には、息が止まるかと思ったほど。こんなに美しい人がいるのだろうか、と。「影までカッコイイね……」と知人とも話しました(〝影〟の効果が印象的なお写真でした)。

また以前から思っていたことですが、お歌や演技なども、私のようなただの素人が見てもはっきり違いがわかるくらい、ずっと常にご上達なさっているように感じます(もっとも上達されているだなんて上から目線で失礼な言い方かもしれませんが。またもちろん、元々が悪いということではありません。元々がとても素敵で心底感動してそう思っていたのに、さらにはっきりわかるくらい、過去を上回ってしまうということなのです)。

そうやって毎回、あらゆる点でつねに自らを更新し続けて、過去を上回っていってしまうのが朝美さんだと思います。

拗ねちゃうホームズ

チャーミングといえば、ドイルが、ホームズの契約を更新しない、そして郊外に家を建てる、という話をする場面。

僕を一人だけ置いていっちゃうんだね……って、プイッと拗ねちゃうところは、何だかとても可愛らしいようにも感じました。

朝美さんって、ありえないくらい超絶的にカッコいいんですが、どこかふとした瞬間に、ほんの少しだけ、愛嬌というか、可愛げのようなものがあり、ここが独特の魅力にもなっていると思います。

ドイルと握手もしないで、プイッと向こうを向いて、スタスタ~と立ち去ってしまう場面は、あの後ろ姿の「スタスタ」という足取りからも、僕はもう拗ねちゃったんだからね!という感じがとてもよく出ていました。毎回オペラグラスで、朝美さんの後ろ姿のシルエットが消えて無くなるまでじっくり見てしまいました。なんだかとても愛おしくて。

そういえば、朝美さんホームズは、お芝居の中で退場する姿にいろんなバリエーションがあり、どれも心情をよく表していて面白かったです。

ウキウキとスキップしながら立ち去る時。プイッと拗ねてスタスタと立ち去る時。その違いがはっきりしていましたね。そういう感情がわかりやすいところも、今回のホームズの魅力だと思います。そういえば、お芝居の一番最後の最後では、朝美さんホームズさんはパイプを振って「バイバイ」をしてくれていました。

悪魔の「ラップバトル」

そんなどこか可愛げのあるホームズから一転して、今度は悪魔のお姿で登場されます。ちょっと拗ねちゃっただけかと思ったら、いつの間にか拗らせちゃって、けっこう怒ってた……みたいな。

この変化、ギャップに、またゾッとするような魅力を感じました。あのワルそうで怪しげな朝美さんの表情の、なんとも美しいこと。そういえば前回の大劇場公演『Lilacの夢路』でも、冒頭で「メフィストフェレス」を演じられていましたね。こういう「魔」な雰囲気の朝美さんも、本当にとても美しくて大好きです。

そういう意味でも、今回はいろんなタイプの朝美さんの魅力が次から次へと引き出されていて、ファンとしてとてもありがたい(?)構成でした。

悪魔の「ラップバトル」(スカステでそらさんがそう呼んでいたと思います)もとてもかっこよかったですね。朝美さん悪魔ホームズがグイグイとドイルに迫りながら、ジリジリと語りかけていき、そのセリフが徐々にリズムに乗ってラップに変化していくところがとってもクールでした。*1

デーモンと「人生の主」

書かせている(最初の一文字を~)→書いている(一人の作家として生きていくと決める~)→また書かせる(悪魔の契約~)。人生の「主」という歌もありましたが、まるで「主と奴」の弁証法のように、ドイルとホームズ、作るものと作らせるものとの関係が反転しながらお話が進み、最終的には両者は〝和解〟します。「だって君は、僕なんだから」。

悪魔は「デーモン」ですが、「daemon」は人を導き突き動かす〝精霊〟でもあります(ソクラテスのダイモーンもこれですね)。何かを作ること、創作することって、どこかデーモンに突き動かされているとしか思えないような、そういう不思議な部分があると思います。技巧的に意識的に作る部分もたくさんあると思いますが、ノリにノって創作している瞬間、つい夢中になって我を忘れているようなこともあるのではないでしょうか。

そしてこのことをもう少し広い話に繋げれば、この作品の「『自分らしくとは?』というテーマ」(『歌劇』)もここにあるのかな、と思います。与えられた才能や向いていること(ドイルの場合、ホームズ作家。これは「編集長」や読者たちといった、他者から見出される場合が多いでしょう)と、本人がやりたいこと(ドイルの場合、歴史小説など。昔からの夢)。この両者(向いてること/やりたいこと)の間でうまくバランスを取って、どうにかこうにか奮闘することの中で、「自分らし」い生き方が見つかる。「Boild Doyle on the Toil Trail」というタイトルも、そんな奮闘する人間の姿を表しているのではないでしょうか。

モテモテ朝美さんシーン&ウインク

それから、これはいつも好きなのですが、朝美さんの〝みんなからモテモテ状態〟(?)のシーン。『ボイルド~』でも、ホームズファンの人たちが押し寄せる場面などがそうでしたね。

こういうときの朝美さんの、ちょっとチャラチャラとしながら、少し上を向いて、口角を上げて、どこか得意げに〝僕がモテるのは当然!〟といったような表情が、なんだかとっても好きなのです(もちろん当然ですが)。

『FROZEN HOLIDAY』の「サンタクロースJr.」さんも、トナカイちゃんたちに囲まれたそんなシーンがありましたね。これこれ!と思いながら楽しませていただきました。

ちなみに、「サンタクロースJr.」の朝美さんは、何回か観劇した中で毎回私の座席の位置は色々でしたが、最低一度は、こちらに向かってウインクしてくれた!と思える(と、勘違いできる)瞬間があったような気がします。おそらくいろんな方向にバラけて目線を送るように工夫してくださっているのかなと思います。

本当に嬉しいですよね、朝美さんのバチバチのウインク。もともと目力のある方は、ウインク力(?)も強いのではないでしょうか。心を撃ち抜かれてしまいます。毎回バチバチと幸せを感じられました。

 

和希そらさん

和希そらさんはご存知の通りご退団の公演で、そのことを想起させる場面もいくつかありました。

特に『FROZEN~』では、「大晦日」のシーンと重ねて、「蛍の光」の原曲となったメロディーを使いながら、旅立たれるそらさんご自身のことを表現されていましたね。歌詞の内容も感動的で、毎回毎回、ついつい涙を流してしまいました。

特にあの場面の和希そらさんは、本当にダンスが美しくて感動しました。今回に限らず、そらさんのダンスを見ていつも思うことなのですが、全身の大きな動きが、指先の小さな部分の動きにまで、全て一つに繋がってしなやかに動いている、そんなふうに見えるのです。遠くから見ても、それがはっきりとわかります。素人ながらにも、本当にハイレベルで美しいダンスだなあといつも思っています。

余談ながら、和希そらさんの「ディナーショー」は配信でしっかり拝見いたしました。テーマソングから素晴らしかったですし、他にもかなりたくさんの曲数を詰め込んで歌ってくださり、どれもこれも素晴らしかったのですが、なんといってもすごかったのは中盤の圧巻のダンス。非常にハイレベルなパフォーマンスだと感じました。鳥肌が立ち、ただひたすらじーっと見入ってしまいました。こんなすごいダンスがあるんだ──というより、「ダンス」ってこんなにすごいんだ、というように思ったほどです。

そういえば、お芝居『ボイルド~』でも、「探しにいくんだ!第二の夢を!」と飛び出そうとするそらさん編集長をみんなで引き止めるシーンがありましたが、こちらもついご退団のことを重ねて見てしまいますね。

「第二の夢」。きっとこれからも、ますますご活躍なさるのではないかと思っています。和希そらさんの大劇場のご挨拶(スカステで拝見。こちらは用事で配信は見られず……)も、非常に心に響きました。最後まで男役の美学を貫くというようなことをおっしゃっていて、清々しくキッパリとした強い意志を感じます。ご挨拶そのものにも「男役の美学」が貫かれていましたね。なんてかっこいいんだろう!と思いました。ちなみに東京での千秋楽のご挨拶は配信で拝見できたのですが、ちょっと楽しい仕掛けというか「引用」があったりして、非常にポジティブな気持ちで次のステップに向かわれるのだなと思いました。

夢白あやさん

前回の『Lilac~』でも感じたことですが、今回いっそう、夢白あやさんがとっても素敵だなあと思いました。本当にお人形のように白くて、お美しい方ですね。そして明るく、力強く、どこかコミカルな演技がとても素敵でした。「ストランド・マガジン」編集部へ乗り込むシーンや、〝ホームズ暗殺〟に張り切るシーンなどは、見ていて思わず笑顔になります。

また、夢白さん演じるルイーザとドイルのお父さんのシーンは一転してシリアスでした。お父さんは、ドイルの本(ホームズ)を読んでいたのですね。この場面は毎回、観るたびに泣いてしまいます。ドイルは直接にはお父さんに会いに行っていないのですが、本に書かれた「ホームズ」というドイルの分身が、ドイルの代わりになるような形で、お父さんたち家族を少しだけ繋いだと言えるのかもしれません。

次の雪組全国公演(『仮面のロマネスク』)では、夢白さんは今回とはまた違ったタイプのお役を演じられることと思いますが、また異なる魅力を見せてくださることでしょう。とても楽しみにしています。

縣千さん

お芝居のメイヤー教授、『FROZEN HOLIDAY』の「Winter Jazz DJ」と、全体を通じて縣さんは今回、少し面白い役回りを担っておられましたね。

しかしショーでは途中、「DJ」の縣さんがサングラスを取られて登場し、銀橋で歌ってらっしゃる場面では、あのドレッドヘアにも関わらず(?)端正なお顔立ちが輝いていて、とてもカッコよかったです(そういえば『シティーハンター』でも、サングラスを取ったら~……という場面がありましたね)。

またアイドルユニット風(?)の「超越雪祭男子 HSFB」では、心底、これが観られてよかった!!と思いました。映像になったら絶対ここ何回も観よう!と、早くも思っています。「新時代の雪組」(『歌劇』)というイメージもあるようですが、本当に、そらさんがもう少し残られて、朝美さん、そらさん、縣さんたちが中心になって、こうした場面をもう少し見られたら良かったのに……とちょっと思ってしまいました。

書きやすいペン

また縣さんといえば、私が大劇場で観劇したある日に、公演の中断がありました。しばらくの間、少し不安な気持ちで座席で待機していましたが、またこれから再開しますよ~という際、まず真っ先に縣さん演じるメイヤー教授がお一人で舞台に現れて、あのとってもコミカルな調子で、少しアドリブ的なお芝居をなさったのです(中断した直前がメイヤー教授のこの場面でした)。

「お待たせしました、私、ずっとこの書きやすいペンで書いていたんですよ~」(うろ覚え)といったような楽しい演技に思わず笑ってしまい、おかげでホッとして、また一気に元の世界に連れ戻してもらうことができました。

予期せぬ状況でも人を笑わせるようなことがサッとできる、プロとしての度胸や気概に、とても感動いたしました。

 

それでも物語/宝塚が必要だ

初日、彩風咲奈さんご挨拶

また、この公演は、たまたま初日(結果的に初日になってしまった日)にも大劇場で観劇していました。冒頭で理事の方(?)のご挨拶もあったりして、少し緊張感のある中で幕が上がったのですが、音楽が流れ、人々が行き交うロンドンの慌ただしい街並みの場面が始まると、あっという間にあのお話の世界へと連れて行かれてしまいました。朝美さんもあの冒頭の部分が好きだ、とおっしゃっていましたね(「NOW ON STAGE」)。

彩風さんの初日のご挨拶では、会えない時もずっとお客様はともにいてくれたのだと今日わかりました、といったようなことをおっしゃっていました。コミカルなお芝居での笑い声や、ショーでの観客も巻き込んだ振り付けなどもあり、客席からの反応がはっきりと感じられたこともあったかもしれません。

もちろん私にしてみれば、彩風さんがおっしゃるように中止期間中に宝塚のことを忘れてしまうなんて、絶対にありえないと思ってしまいます。生きるのに必要なものの一つですから。

宝塚が必要だ

「パレード」のとき、いつも思います。

素敵な人たちが、次々と歩いてくる様子。こんな夢の世界は、他では絶対に味わえない。やっぱりどうしても、宝塚でしか得られないものがあると思うのです。

もう終わってしまう、また元の世界に戻ってしまう……という寂しさと共に、しみじみといつもそう思います。*2

あくまでカスタマー体験としてというか、観客・ファンの立場から経験したこと、感じたことに限って言っても(劇団の内部でのことについては、実際には私は直接知ることができないため、あまり憶測でものを言ったり口を出すものではないと思っています)、宝塚ないし宝塚歌劇という文化や概念ではなくて、宝塚歌劇団ないしそれを運営する阪急電鉄に対しては、ちょっとそのやり方はどうなんだろう?と疑問に感じることは時々あります。もちろん、アイドルでもなんでも「運営」や「公式」というものはファンから嫌われやすいものだと一般的に言えるのかもしれませんが、やはり宝塚は歴史がとても長いだけに、現代には合わなくなっている部分も何かとあるのではないでしょうか。

それでも、この宝塚にしかない輝きは、やはり(少なくとも私には)必要だ、と思います。だからこそ、「運営」に問題があるならどんどん改善していって欲しいと思いますし、それによってこの文化をこれからも存続できるようにして欲しいと、一ファンとして願っています。*3

物語を生きる

ホームズ「生きていくのは、時にとても困難だ」
ルイーザ「けれど、だからこそ」
ドイル「世界には、それでも物語が必要だ」

*4

ちなみに、あの「物語が必要だ」という言葉は、単に現実逃避して、物語の世界に閉じこもるというようなことではないでしょう。ホームズが「ワトスンくん」(ドイル)に語っていたように、「想像力」は、現実に生きる人間の中にある。

ホームズは「想像力」によって作られた「物語」の存在ですが、実は私たちも同じ。少なくともそう言える側面がある。というのも、私たちもまた「想像力」から現実の行動を始めるからです。〝こうしたいな〟と未来を思い描き、そのために行動する。その意味で、私たちが生きるということは、「物語」を作るということでもあります。

もちろん、完全に思い描いた通りに現実に生きるなどということは、ほとんど滅多にできないでしょう。現実の荒波に絡め取られて、あらぬ方向へ引っ張られたりしながら、どうにかして少しでも自分の行きたい方向へ、ジリジリと進んでいくしかない。自分と世界との相互作用の中で、どうにかこうにか奮闘しつつ、「自分らし」い「物語」を紡いでいく。ドイルの奮闘はまさにそれでした。

バルフォア卿や、メイヤー教授も、ホームズの「物語」を読んで影響を受けて、彼らの現実の人生を歩んでいましたよね。ファンの読者が編集部へと押し寄せるシーンもありましたが、ホームズの「物語」が彼らの人生の大事な一部になっているからこそなのでしょう。私には宝塚が必要だというのも、そういうことなのです。

 

*1:ちなみに、この世ならぬもの感漂う静かに喋るようなラップは、あの某新宿の先生を想起しました。もちろん直接には何も関係ありませんが、個人的にあのコンテンツでは私はあの「先生」が一番好きでしたので、何となく嬉しかったです。

*2:また、その夢の世界の続きで、帰り道でもそんなことをしみじみ思います。特に、東京ではなく宝塚大劇場で観劇したときに。あの宝塚の、少しのどかな風情のある景色。川が流れていて、阪急電車が鉄橋を渡っていて、花の道があって、そんなところをのんびり歩いていると、あの夢の世界の続きにぼんやり浸ったまま、緩やかにグラデーションを描くように現実に戻っていくことができます。観劇後はいつも、さっきまでのお話やショーの世界がぐるぐると頭の中を渦巻いていて、少し感情が高まっているのですが、宝塚ののどかな景色の中をのんびり歩いていると、非常にスムーズに現実へとクールダウンできます。その意味で、私にとっては公演だけでなく、大劇場やその周辺の美しい景色も含めて、「宝塚」の体験です。

*3:ついでに。全く余計なお世話だとは思いますが、いつも個人的に思うこととしては、ビジネスの将来性という観点からすると、若い層と海外をもっと取り込んだ方が良いのではないでしょうか。観客のボリュームゾーンは、やはり国内のある年齢層に固まっているように見えます。特に今後の人口減少や日本経済の衰退などを考えると、海外──おそらく東アジアが展開しやすいと思いますが──にもっとファンを広げていくことが必要だと思います。海外公演だけでなく、配信やメディアを今よりも積極的に使うなど、少しでも早く手を打っておくべきだと思います。

*4:『ル・サンク』vol.239, 宝塚クリエイティブアーツ, 2023年, p.63.