ロマン主義アニメ研究会

感想、考察、等。ときどき同人誌も作ります。ネタバレ注意。

天体の持つ美しさと冷たさ──『フラガリアメモリーズ』のクラークステラについて(サンリオ)、またキキララの貴族的解釈

『フラガリアメモリーズ』。まだ私もほとんどこのコンテンツのことをわかっていません。公式ホームページを見ただけです。でも、もうそれだけでいろいろな想いが溢れてしまいました。

このコンテンツの世界観や設定には、サンリオの理念のようなものがちゃんと反映されているように思えますし、キャラクターたちもとても良い形で、見た目のみならず内面的にも、その特徴が「騎士」たちに落とし込まれているように感じました。

けれども、私の場合、なんと言っても「キキララ」(リトルツインスターズ)です。特に、キキくんのキャラ。「クラークステラ」さん。(敬称は何がいいのかな。「クラく〜ん!」とか気楽に呼んだら怒りそう──というか、怒りもせず、ただ目線も合わせずに無視して立ち去りそう。そしてそこが良い。)

もう、最高です。一言で言えば。本当にまだ公式ホームページを見ただけなのですが、いろんなことがブワ〜っと頭の中を駆け巡りました。

サンリオ男子』の時も、やっぱりキキララの男子(西宮諒ちゃん)が一番好き、とはっきり言えるレベルで好きでした。キキララの男子かどうかわからない段階で、どう見てもこの子が好きだ……!と思っていて、後からキキララの男子だと分かったとき、キキララファンとして、非常に運命のようなものを感じました。

今回もやはり、公式ホームページをぱ〜っと見ていて、キャラクター一覧をスクロールしながら、もう、一瞬で目に止まりました。え、明らかにこの子が好き……と思いました。そしてその直後に、この子が「キキくん」のキャラクターだと知りました。やはり今回も運命を感じます。この「クラークステラ」さんに。そして、キキララに。*1

(詳しく調べたり、また展開が進むとどうなるかわかりませんが、とにかく、今の感じでは本当に最高です。でも、もしこのコンテンツが元のサンリオの理念やキャラクターをきちんと反映させているのであれば、この感動は、今まで私が「キキララ」、特にキキくんに対して思っていたことが掘り起こされたものだとも言えます。なので、ファーストインプレッション的な感想とは言っても、必ずしもまったくの的外れということにはならないのではないかとも思っています。)

 

もくじ

 

★冷たさ──高貴、かつ、知的

☆冷たい

色白で、知的で(「占星術」などとある)、繊細そうで最高なのですが、でもなんと言っても良いのは、〝冷たさ〟です……よね!!

「アンタの言ってること、理解できないし、

理解するだけ時間の無駄。

…僕には、ルタだけいればいいから。」*2

はあ〜……たまらない。本当にたまりません。

冷たい。この冷たい目つき。

完全に見下したような……。というより、もはやこれは〝見下して〟すらいないと思います。双子のお兄さん(ルタールステラ)と、「キキララ」以外、最初からいっさい無視しているような。いっさいの交通をあらかじめ謝絶しているような──そういう態度にも見えます(かなり私の妄想も入ってますが)。こうしたことの全てが、本当に本当に、とても最高です……。

☆美しく知的で高貴なものにしか許されない冷たさ

美しく、知性があり、高踏的で超越的で、色白で線が細くて──そして、冷たい。

この〝冷たさ〟というのは、このように美しさと知性、意志の強さ、高貴さなどといったあらゆる属性を全て備えた者だけに許される特権だと思うのです*3

占星術の力で人々を導いている。」*4

この超然とした、まさにこの世界から超越しているような態度──「占星術」・知性によって、世界の全てを見透かしてしまっているような……。世界の全体を見る者は、この世界に足をつけていないこと(超越)が必要ですが、そうした高次の足場から「アンタ」に対して、ごく当然のように〝低い者〟として認識しているような感じがする*5

こういう冷たさは、個人的にものすごくツボです……。

 

★〝無機物〟の高踏

もう少し具体的に言えば、この〝冷たさ〟は、もしかすると、無機物から見た有機体の愚かしさ──のようなものがあるのかもしれません。

「アンタの言ってること、理解できないし、

理解するだけ時間の無駄。」*6

このセリフの「アンタ」が、私たち人間を指すのだとすれば。

例えば人間である私たちが、美しい鉱石に触れたときに感じるひんやりとした冷たさ、その独特の心地よさのようなものがある。

☆キキララは無機物

今回の『フラガリアメモリーズ』は、「サンリオが人型キャラクターで贈る、新世代の本格ファンタジー*7と説明がありました。

でも「キキララ」って、元から「人型」のキャラですよね。サンリオの人気キャラクターの中では、そもそも「人型」は実はかなり珍しい方だと思いますが(うろ覚えですが、一般的に人間タイプのキャラは受けない、というような話もあったような気がします)、でもよくよく考えてみたら、人間「型」というだけで、キキララは「人間」ではありません。彼らは「お星様」(天体)だ、というのが正確です。

つまりキキララは、動物でもなく、また人間でさえなく、もっと異質な──すなわち「無機物」のキャラなのです。

それゆえ、今回のコンテンツでは一見、元々「人型」のキキララが、また再度「人型」にデフォルメされたように思えますが、厳密には、無機物(お星様)→人間的な表象(キキララ)→「人型」デフォルメ(クラさん、ルタさん)、という変換のステップを踏んでいるのです。

☆距離、高貴さ

サンリオでも、無機物(っぽい)キャラといえば、KIRIMIちゃん.やこぎみゅんは(有機物ではあるものの)〝食材〟ですから、少し近いかもしれません。また、新幹線や車のキャラ(シリーズ)もありましたよね。でも、いずれも食材やはたらく機械たちであり、人間に親しみやすい生活の相棒のようなところがあります。(またもちろんいうまでもなく、猫やウサギや犬たちは、私たち人間の相棒として長らく馴染み深い存在者たちです。)

それに対して、キキララは〝天体〟です。天体は、私たちを見守ってくれてはいるけれども、しかしつねに私たちと〝距離〟がある。近いようで、とても遠い存在です。ここには何か〝高貴さ〟があると思うのです。

キキララたち「お星様」はシュッととても速く動くので、私たち人間からは姿が見えないのだ、という設定もありました。時間の流れが我々と違うのです。だから、あの可愛らしい双子の姿のイラストは、本来人間が見ることができない姿、いわば、宇宙やお星様の視点での映像なのですね。

姿を見ることができない、でも、いつもそこにいる。こういう距離感が、キキララの魅力なのです。

☆キキララの崇高さ

私はかねがね、この「無機物」というものが持つ、無言の崇高さみたいなものにずっと惹かれています。(例えば「もの派」の美術、巨大なモダニズム建築、異様な形態の鉱石、等々には、崇高の美、ある種のエクスタシーのようなものさえ感じます。)

そして、キキララは、星。「天体」です。

キキララにもまた、私たちの「あまりに人間的な」世界を超越するような、そういう崇高の美があると思うのです。「極上の美、永遠の命……」と言えば『ポーの一族』ですが、キキララたちにも、ちょっとあの一族にも似た美しさを感じます。(キキララも一族というか、きょうだいだけで閉じられて暮らしていますよね──この閉じられた関係というのもたまりません。)

もっとも、キキララにこのような崇高さを感じている人が世の中にどれほどいるのかわかりませんが、私の中でのいわばキキララ解釈──キキララの世界に吸い寄せられて、もう二度と元の世界に戻りたくない、と感じてしまうようなこの独特の引力は、こうした崇高さや超越と切り離せません。少なくとも、私にとってはキキララはそういうものです。

キキとララは、私たちには見えないけど、そこにいる。親しみやすいけれども、超越している。あま〜いキキララの世界観を根底で規定しているのはこういう超越的なハードさであり、このダブルの魅力、いわば甘辛ミックス(?)的なところが病みつきになるのだと思います。

そしてだからこそ、この『フラガリアメモリーズ』の「キキララ」のキャラクター(クラークステラ&ルタールステラ)、特に「クラ」さんの無機質な冷たさを見たときには、ゾっとするほど心に響きました。そう、キキララの根底にあるものはこれよ、と深く納得したのです。

だからもしかすると、逆に、あま〜いふわふわの世界のはずのキキララなのに、どうして『フラガリア〜』だとあのような冷たいキャラなのか? と疑問に感じた人もいるかもしれません。ここはもともとのキキララの捉え方、解釈によって感じ方が分かれるでしょう。

☆たとえば鉱物が喋り出すとして

例えば、〝鉱物〟と会話できる、と言うとかなり異常な感じがすると思いますが、もし仮に、岩、鉱物、天体などが、喋り出したとして、一体何をしゃべるでしょうか? たとえ正しく言語(例えば、日本語)を喋ってくれたとしても、それでもなお、言っていることが理解できない、そういう事態が生じるのではないかと想像します。並の人間には理解できない言葉であり、かつ、それは全くの宇宙の「真理」を語っている──きっと、そういう崇高さがあると思うのです。

サボテンと会話する、と言うと、やはりかなり異様に感じるかもしれませんが、とは言えサボテンはやはり生きている。例えば、ガラス温室を備えた大きな植物園などに行くと、何十年に一回だけ花を咲かすなどというとんでもないタイムスパンで生きているサボテンに出会うことがありますが、ともかくやはり彼らも生きている。長い長い時間が経てば死ぬこともあるでしょう。わずかであれ、生老病死といった点で、人間と「共感」できるかもしれない。しかし、鉱物は、天体は、どうでしょうか。人間はそれらと何を共有しているだろう。

「理解できないし、

理解するだけ時間の無駄。」*8

つまりこれは、「無機物」から見たときの有機体(生命体)の異様さ──愚かさ、効率の悪さ、有限性──のようなものなのかもしれません。

(クラさんのセリフの「アンタ」とは、たぶん、このコンテンツのプレイヤー?のような(実際にはまだどういう形態のコンテンツなのか分かりませんが)、彼らを見ている主観のような人物(キャラクター)のことなのかな?と想像します。例えば、ごく普通のこの世界の人間(「私たち」)が、何かをきっかけにこの世界(「フラガリアワールド」)に行って……といったような設定でしょうか。この世界で「人々」とは「妖精」を指すようです。「騎士」も妖精ですが、特に「ロード」と「契約」した、特別な妖精なのでしょう。(公式サイト「INTRODUCTION」, 同前))

 

★天体たちの白い〝病み〟

これと関連して、もう一点。〝病み〟について。

「…僕には、ルタだけいればいいから。」*9

これを恐ろしく冷たい目つきで言っている……もう本当に最高ですよね(何回も言ってますが)

このセリフにあるような、双子の閉鎖的な関係──たった二人だけの、ともするとやや共依存ぎみな関係──は、言うまでもなく極上に素晴らしいものですが、また同時に、ここにはなんとなく少し〝病んでいる〟ような感じがあります。

けれども、それは〝病み〟であっても、〝闇〟ではない。暗くドロドロしていない。明るく真っ直ぐで、ごく健全に病んでいる。そういう感じがするのです。

☆キキララと〝病み〟

そもそも元々の「キキララ」は、〝病み〟と実は結構相性が良いと、かねてから思っています。

というのもこれは公式設定ですが、キキララちゃんたちは、この酷い地獄のような地球に(「つらいことや かなしいこと」でいっぱいの)、あえて「修行」のために来ているのです。二人はもともとはお父さん星・お母さん星と一緒に「ゆめ星雲」で楽しく暮らしていたのですが、ちょっとわがままな子たちに育ってしまったので、これはまずいということで、ご両親によって、このひどい場所である地球へ送り込まれたのでした。

要するに、天のお星様にとっては、地球(地上)は子どもたちにお灸を据えるにはちょうどいい場所、いわば〝荒療治〟的な感覚なのですね。

確かに〝天体〟から見れば、生命体(特に人間)は、宇宙の砂時計の一粒がするりと下に落ちる、その一瞬の時間よりも、さらにはるかに短い間しか存在することができません。その短い短い生涯の中で、宇宙の全体についてほとんど何も理解できないまま、右往左往して死ぬだけです。どうせ何もできないのだから、その短い間くらい黙って静かにしていればいいのに、それすらもできずに余計なことばかりをして、「つらいことや かなしいこと」を増やすだけです。

(キキララグッズの「砂時計」がかつてあったのですが、私はすぐさま手に入れました。宇宙の砂時計をひっくり返して弄び、人間はこの砂粒の一つよりも小さい……と俯瞰している、そんな〝天体〟のイメージが浮かびます。──キキララちゃんたち自身はそんなこと言わないと思いますけどね。キキララを崇拝する者、例えばこの「クラ」さんならそんなことを言うかもしれません。)

このような地上=地獄という捉え方は、非常に〝病み〟と相性がいいと思います。

☆地上的で、あまりに人間的な、黒くて暗い闇・病み

実際、少し前に、ちょっと黒のモチーフを使った、〝病み〟的な方向性のデザインのキキララのコラボのグッズが出ていました(「リトルツインスターズ DOLLY MIX」シリーズの「EMO」の方ですね。2023年の夏頃)。これはレアだと思ったので私はコレクション的な意味で入手しておきました。

グッズは確かに可愛かったですし、手に入れてよかったと思って大事にしています。けれども同時に思ったのは、キキララは確かに〝病み〟とは相性がいいけれども、やはり暗くて黒い〝闇〟とはあまり合わないかもしれない、ということです。

こういう黒くて暗いイメージは、ドロドロとした体液の循環する有限な肉体を持つ人間の〝病み方〟です。トラウマ、経済的困窮、肉体的苦痛、等々に由来する──そういう物質的=肉体的な、地上的であまりに人間的な〝病み〟です。

それに対して、キキララに感じる〝病み〟は、明るくて白い〝病み〟。

☆白い〝病み〟

「天体」はあまりに明るくて、宇宙の全てを照らし出すくらい明るいがために、まっすぐに宇宙の全てを一挙に〝直観〟できてしまう。もし「天体」が、ものを見たり、思考したり、また喋ったりすることができたとするならば、おそらくこういうことになるだろうと思います。

そしてもしそのような存在者が、一時的にでもあれ、地上で生活することになったとしたらどうでしょうか。必ずそこには〝病み〟が生じます。無限の真理をつねにすでに知っている者が、有限な世界を与えられたら、やはり病むと思うのです。

こうした〝病み〟において、肉体的=物質的な解決策は、一切全く無意味でしょう。観念的な病みに対しては、観念的にしか対処できない。いじけたり自傷したりしても全く無意味です。そんなことも〝明晰判明に〟判ってしまうでしょう。*10

☆知的な階級特有の苦悩

白く明るく眩しすぎるほどの真理。その〝明晰判明な〟出口のなさ。

こういう病み方は、ちょっと高等遊民的と言ってもいいかもしれません。例えば漱石『行人』の「一朗」のような、全てが明晰判明にわかってしまったがゆえの──正確には「全てがわからない」(=出口がない)ということが明晰判明にわかってしまったがゆえの──「神経衰弱」ですね*11

こういう〝病み〟において、その苦悩は、それを共有できるごく限られた一握りの者どうしでしか分かり合えません。例えばあの天体の双子のように。それは当然、二人きりの閉鎖的な関係にならざるを得ないでしょう。

「クラークステラ」たちも「占星術」と言ってるし、宇宙の全体を見透かしているような雰囲気があります。「占星術」は、我々人間の世界でも(ルネサンスごろまで)、まさに宇宙の全体に関する学問そのもののことでした。

こうしたことからも、彼らは間違いなく、知的でインテリなタイプなのだということがわかりますが──個人的に、知的でインテリなキャラクター・人物が大好きなので、この設定はとてもありがたいのですが──、ともかく、彼らのどこか〝病んだ〟ような雰囲気というのも、いわば高等遊民的なそれであって、体液の循環する物質的な黒い病み・闇ではなく、観念的な白い〝病み〟なのではないかと思うのです。(もちろん、現段階での非常に少ない情報からの勝手な妄想にすぎません。少ない情報だからこそ妄想が広がって楽しいとも言えますが。)

キキララは、公式グッズでも雲の上の図書館で読書をするようなデザインもありましたし、読書好きだと思います。キキくんは「くも製造機」なる発明をしたりもしていました。「クラ」さんもまた、「機械に強い」と設定されていますね。

 

★衣装、体型、名前など

それと、衣装のことなども。お衣装もとても素敵ですよね。

個人的なことですが、ちょうど少し前から、キキララを擬人化した半分創作的なコスプレをしてみたいなあと話をしていたところでした(すでにお話ししたように、そもそもキキララはお星様なので、あの子供のような姿がすでに「擬人化」されたものなのですが)。その時、衣装はあの白いスモック?的なシンプルな衣装をベースに、でもよく見ると細かくレースとかが使われていて凝ってるというような、そういう感じがいいかな……などと漠然と妄想していました。ただ可愛いというよりもむしろ、やや退廃的で病んだ雰囲気も出しながら。

もちろん、私たちの妄想していた衣装は漠然しているうえに、特に良いものではなかったと思います。それよりもはるかに良いのが今回のこのイラストの衣装で、とてもしっくりと来ました。

☆お袖

不思議なラッパ型のお袖ですね。元々のキキララたちのお洋服(白いスモック風の服)も、お袖があんなふうに広がって描かれていますね。

単に姫袖のようなものかと思いきや、星座早見盤か占星術の魔法陣のような、円形のモチーフが連なった繊細なレースのような作りになっています。魔法陣袖とでもいうべきでしょうか。

☆襟、首元

首から胸元の部分にも、やはり同じ円形のモチーフが連なった特注レース?が用いられています。美しいです。「ルタ」さん(ララちゃんのキャラ、お兄さん)は白なのに対して、「クラ」さん(キキくんのキャラ、弟さん)は黒になってますね。この白と黒というのは、何か対照的な意味合いがあるのかもしれません。

☆優雅で繊細

こうした繊細な作りのお袖や襟は、まず第一に、ちぎれそう……とつい思ってしまいました。もしこの衣装を、通常の人間が日常生活で着ていたら、どういう暮らし方をしているかにもよりますが、大体たぶんあっという間にどこかに引っ掛けたりして、伸びたりちぎってしまいそうです。また何かをひっくり返したりしてしまうかもしれない。

もちろん、日頃から着慣れていたらそうでもないのかもしれませんが(例えばロリィタファッションを着慣れると、割といろんなところへも着て出かけられるようになっていくように)、どう見てもかなり繊細な作りだということは明らかです。他のキャラに比べても、特に壊れやすそうな作りの衣装だと思います。

ここから私が妄想したのは、彼(ら)は、おそらく日常の動作などもとても繊細で、優雅で、美しいのだろう……ということです。

(もちろん、今の段階では彼らの「日常」とか「生活」といったものがそもそもどういうものなのか、なんとも言えませんが。「妖精」ですし。ただ、繊細で優雅で高貴で……といったようなキャラクター・人物が私は個人的にとても好きなので、そうだったら良いなと期待を込めてこう想像しています。)

そもそも「キキララ」にも、やはり常にそういう繊細さ、優雅さを感じていました。

☆知性

また、キャラクター紹介では、「クラ」さんは、「兄[ルタ]を守るためなら自ら矢面に進んでいく」と書かれていました。

このコンテンツの世界観がまだよくわからないのでなんとも言えませんが、「騎士」と言うくらいですから、おそらく何かバトル的なこともするのではないでしょうか。

世界観の説明では、「シーズ」なる、なんらかの「不安」な要因がいる(ある)ようです。「矢面に」というのも、きっとこうした存在者に対する、なんらかのバトル的なものを指しているのかもしれません。

しかしながら、こうした壊れやすそうな繊細な衣装で、かつ〝バトル〟をする──これは一体どういうことなのでしょうか。少なくとも、殴る蹴るなどの素朴な戦い方ではないのだと思います。

妄想するに、彼(ら)はこのちぎれそうな繊細な衣装をお召しになったまま、涼しい顔をして、いっさい汗もかかずに、何か魔法的な力によって戦うのではないでしょうか(無機物は汗をかかない)。「占星術」はもともとやはり魔術的なものです(ルネサンスまで、魔術と学問は一体のものでした)。

(汗をかくのは嫌いだな、とか言ってほしいですね……。潔癖症とまでいかないけど、ややその傾向があってもいいな。──潔癖症や神経質さもまた、こういう超越的に美しい少年の特権だと思います。)

☆ズボン、身長など

「ルタ」さんは長いズボンで、「クラ」さんはショートパンツです。

特に「クラ」さんは、膝上丈、とても良い長さのおズボンですね……。これはもちろんいうまでもなく(?)、こうした繊細な色白インテリ美少年が着るべきものだと思います。

お膝の美しい骨格、そしてそこから伸びる細くて美しいおみ足。とても素晴らしいのですが、やはりまた、キックやらパンチやらが得意な感じはしません。

それにしても、イラストを見る限り、けっこうスラリとした体型ですね。身長はどのくらいあるのでしょう。というか、「妖精」さんなので、身長とか体重とか、そういう概念があるのかどうかもわからないのですが。

(元のキキララちゃんは、月に腰掛けたり星を釣ったりといろんなことをしているので、おそらく通常の人間的感性における「空間」の概念が適用されない存在なのかなと思っています。キキララの「超越」はここにも感じられます。)

ただ「クラ」さんは、たとえ身長が高くても低くても、どちらの場合も、それぞれの「良さ」があるなと思っています。

☆名前について ラテン語、ドイツ語

「クラークステラ」Klarkstella さんの、お名前について。

まず「stella」は、ラテン語の「星」ですね(音がかっこいいからかなんなのか、なぜか割と日本のサブカルチャーで使われがちですね)。英語でも stellar (星に関する)という形容詞に残っています。

ラテン語なのは、「フラガリア」と同じでしょう(後述)。また、普遍的な(universal 宇宙の)知恵に基づいているであろう「占星術」とも相性が良いです。

この「stella」(お星様)は、お兄さんの「ルタールステラ Louterstella」とも共通ですから、ふたごのファミリーネームのような感じでしょうか。

そして「Klark」。「Clark」は、あの「少年よ、大志を抱け」の人のように、ヨーロッパ人の名前として普通にあるものですが、「C」ではなく「K」から始まる綴りがドイツ語っぽいですね。この感じもよくわかります。単なるイメージの問題ですが、やはりインテリで「占星術」を使うような人の名前は、「C」より「K」がいいな……。細かすぎるところですが*12

それと、「主」である「Kiki Lala」と、二人の名前の頭文字が同じの方がいいですしね。

 

★世界観、サンリオの理念

「クラークステラ」さんたちのことばかりをお話ししてしまいましたが、最後にこのコンテンツの全体についても、少し思ったことを書いておきます。

☆「いちご」の「記憶」

世界観の設定を見ていると、やはりサンリオの根本的な理念のようなものを伝えようとしていると感じました。例えば毎号の『いちご新聞』を開いてすぐのところに書かれている、いちごの王様からのメッセージに見られるような、根本的な理念です。

(その理念はこの『フラガリアメモリーズ』では「純真と愛と友情」と表現されていますね。また「ミラクルギフトパレード」の「3つのハート」(KAWAII, OMOIYARI, NAKAYOKU)にも対応するものだと思いますし、そのほかのサンリオのさまざまなコンテンツ等でも、これらは少しずつ形を変えて表現されていると思います。)

「Fragaria」はいちごの学名のようですね。「フラガリアメモリーズ」は、「いちごの記憶」と直訳できるでしょうか。

普通に「ストロベリーなんたら〜」としてもよかったのでしょうが、ラテン語由来の語の響きを取り入れることで、「ファンタジー」らしい、少し時空を超えたような感じを出したかったのかもしれません。

またさらに深読みをすれば、そもそもラテン語とは、ヨーロッパの各地域の諸語とは区別された学問のための普遍的な言語でした。サンリオの理念(=「いちご」)を、時代を超えて、世界を超えて、より普遍的な形で伝えて、歴史に刻もう(=「記憶」)としている、とも言えるかもしれませんね。

この「メモリーズ」(記憶)という言葉からも思い浮かんだことですが、サンリオ創業者で前社長の「いちごの王様」も、人間のお姿としてはかなりのご高齢かと思います。今でも『いちご新聞』では素敵な言葉を伝えてくださっていますが、今のうちにきちんと何か記憶に、歴史に、残しておきたい、という気持ちもあるのかもしれません。最近『いちご新聞』には、サンリオ創業からの歴史を振り返る記事も連載されています。

私は以前から、サンリオにはしっかりとした理念があるからこそ、ただ可愛いというだけでなく、時代や地域を超えて愛されているのだと思っています。私は一介のサンリオファンとして、そういうサンリオの核となるべき理念がこれからも失われないでほしい、忘れられないでほしい、と願っています。(現社長に交代するとき、実はそのような不安を少し持ちました。しかし今のところ、それは杞憂だったと思い直しています。)

「memory」は記憶、そして、思い出す、というような意味合いでも使われますよね。だから、「不安」な時代にこそ、本来のサンリオの理念(いちごの〜)を思い出そう(記憶・想起)という、そういうメッセージもあるのかもしれません。*13

☆「シーズ」

「シーズ」というのが「不安」をもたらす、いわば敵のような存在のようですが、おそらく『ミラクルギフトパレード』の「闇の女王」のような存在なのかなと想像しました。

「シーズ」とは、「種」のことかなと思うのですが、おそらく、思いやりとか、友情とか、サンリオ的な理念の「種」なのではないでしょうか。つまり「いちご」の種ですね。

また「種」といえば、「知恵の樹」の種かもしれません。ピューロランドの真ん中に生えてるあの大樹です。あれも昔々、「いちごの王様」が植えたものです。*14

*1:一目惚れには、その背後に運命があると思っています。大袈裟に言えば、何か宇宙論的な因縁があるからこそ一瞬で心惹かれるのだと思います。

いわゆる「推し」は、私の場合、すべて一目惚れです。言うなればパッと見の外見からなのですが、そのキャラクター・人物のことを知れば知るほど、内面的にも好きになっていきます。ここが不思議なのですが、やっぱり一目惚れには、何か運命の力があるのかなと思うのです。

ちなみに、これは本当に直接には何も関係がないのですが、この「クラ」さん、私の大好きな『あんスタ』紫之創くんの「サロン・ド・テ」のお姿に似ているな……とも思いました。髪の色や髪型のみならず、目つきなども似ています。衣装の感じも少し。あのイラストの創くんは、珍しく少しクールな目つきをしていて、それがとても美しくて最高でした。やはり、何か運命があるのかもしれません。よくわかりませんが。

*2:公式サイト「クラークステラ」, https://fragariamemories.sanrio.co.jp/character/klarkstella/ [2023/11/01閲覧]

*3:そうじゃない人が冷たかったら、単に感じが悪い、対人関係がまともにできない、というだけです。才能や美しさを完全に備えた者の〝冷たさ〟にだけ、独特の価値があるのです。

*4:公式サイト「クラークステラ」, 同前

*5:もはや取り立てて見下すとか憎むとか、そういうことすらなく、ただ粗野な人たちだと思って、距離をとって別物のように思っているような。böse ではなく schlecht というか。

*6:公式サイト「クラークステラ」, 同前

*7:公式サイト「INTRODUCTION」, 
https://fragariamemories.sanrio.co.jp/introduction/ [2023/11/01閲覧]

*8:公式サイト「クラークステラ」, 同前

*9:公式サイト「クラークステラ」, 同前

*10:哲学者は意外と自殺していません。文学者は自殺しますが。つまり、観念的な悩みは、やはり観念的にしか取り扱えないのです。肉体的な死は何もたらさない──というより、それが何をもたらすのか?あるいは何ももたらさないのか?ということすらわからない。そしてそれ自体が悩みの種だったりする。

*11:ちなみに一郎は学者で職についていますから、定義的には高等遊民とは違いますが、知的な階級特有の悩みという意味で、ちょっとまとめてこう言っています。

*12:おそらく日本の近代化の過程でドイツ由来のものが多いため、ドイツ語はどこかインテリなイメージがあるのでしょう。また、ドイツそのものの近代化の事情としても、政治や産業の近代化の遅れから、かえって内面的・精神的な方面へ比重が置かれた結果、ドイツ観念論などが生まれましたが、そうした観念的で思弁的なイメージもあるかもしれません。

*13:また、外的な事情として、ポストカードやサンダルなどから始まったことからもわかる通り、雑貨を作って売るというのがサンリオの元々の本業ではありますが、しかしこうしたリアルの商品・グッズを売り続ける・買い続けるのは、いろいろな意味で限界があります。サンリオが大好きな方のお部屋などで、グッズがびっしりと並んだ様子などを時々お見かけすることがありますが、一般的に多くの方はそういう生活をしにくいでしょう。かといって大量のグッズを買って、またどんどん捨てるというような生活スタイルもあまり良いものではないかもしれません。そういう意味で、サンリオとしても、これからはコンテンツという形でのビジネスをもっと拡大したいのかなと思いました。

*14:ちなみに余談ですが、あの大樹、昔は上に登れたと思うのですが(今もまた登れるようになったかな)、そこに「相性占い」的なコーナーがあって、「私たち心からの大親友で、まるで運命の双子みたいよね」などと盛り上がっていた友人(当時)とそれをやったら、「相性が最悪」などと診断されました。その場は気まずいだけで終わりましたが(というか、そういう診断が出るような仕様にするなよ……と思いましたが)、その半年後、実際にその友人とは様々なトラブルが生じて、いまや完全に絶縁状態になっています。さすが「知恵の樹」ですね。全てが見えていた。