ロマン主義アニメ研究会

感想、考察、等。ときどき同人誌も作ります。ネタバレ注意。

仮面の下の「マジ」──宝塚雪組全国ツアー『仮面のロマネスク』『Gato Bonito!!』感想(朝美絢さん中心)

 朝美絢さんの、ちょっと悪くて、ワイルドなお姿。私はこれまで、意外とあまり拝見したことがなかったような気がします。

 ”悪い”感じの朝美さんはやはりとても美しくて、うっとりと陶酔してしまいました(『仮面のロマネスク ~ラクロ作「危険な関係」より~』)。陶酔してご覧になっていただければ、というようなことを、確かご挨拶などでもおっしゃっていたと思いますが、まさにその通り。朝美さんヴァルモンには、本当の心がいつも”ここではないどこか”にあるような、気だるくてデカダンス、かつロマンティックな”悪さ”がありました。ある種の”寂しさ”も感じさせるような……。非常にうっとりとすることができました。

 また後半のショー(『Gato Bonito!! ~ガート・ボニート、美しい猫のような男』)では、美しくもワイルドな猫さんに変身(?)されていました。お芝居での抑制された演技から一転、感情がストレートに溢れ出る熱いショーへという展開は、一種の魂の浄化作用のようなものがありました

(もくじ)

 

”悪い”朝美さん

 私が本格的に熱心に朝美さんを拝見するようになってから、実はあんまり、”悪い”朝美さんというのを観ていないのです。スカステ等で過去作品ではお見かけすることもありましたが。そういう意味でも、今回のお芝居はドキドキと楽しみでした。
 私にとって朝美さんは、誠実で、優しくて、知的で……というような印象です。ご本人とお役をごっちゃにするのも良くありませんが(またご本人のことを本当のところは単なる一ファンである私は存じ上げないのですが)、私が朝美さんを見るようになってからのお役は、そういうイメージのお役が多かったように思います。そして、そういうイメージの朝美さんが私はもともと大好きでした。

 それに対して、やはり今回の『仮面のロマネスク』は、少なくとも表面的には、確かにかなり、全然違います。かなり”悪い”です。

 まず、わかりやすく要所要所で、すごく”悪い顔”をします。ニヤリ、としたり。たとえば冒頭、メルトゥイユ邸の夜会で、トゥールベル法院長夫人に目をつける瞬間。最初に拝見した時は、もういきなり早速、とっても”悪い”朝美さんが!!と、衝撃、興奮、感動……等々の感覚を得ました。その宴の後のシーンでも、フランソワーズと二人でお話ししながら悪い顔をされますね。「闘志が湧いてきた」とか。

 けれども、朝美さんだからいわゆる”クズ”にならなくていいというか、朝美さんなら悪くてもいいか、と思わせるところがある気がします。

 それはもちろん、まず第一に、美しさです。これだけお美しいなら、まあいいか、と思わせてしまう。とっっっても、美しかったですものね。というか朝美さんはつねにすでにお美しいので、今さら言うまでもないことではあるのですが、しかしそれにしても本当にお美しかった。一番最初に登場する際の、あの白い軍服姿。パッとこちらを向いた瞬間。やっぱり素晴らしかったです。これほど美しい人が現実にいるのか、と。そういえば、スカステ「NOW ON STAGE」でも、トゥールベル夫人役・希良々うみさんが、「この『美』」が顔の近くの距離に来るので緊張する……といったようなことをおっしゃっていましたが、もはや朝美さんは「美」という名で呼ばれてしまうほどなのです。「美」自体、「美」そのもの、もはやイデアのような存在……。

 

”ヴァルモンを演じる”ということの3つの意味

 ただ、やはり私があまりこれまで見慣れてこなかったタイプの朝美さんのお役だということもあってか、ほんの少しだけ、朝美さんがヴァルモンを”演じている”という感じが目立つような気もいたしました。それは、これまで私が拝見してきた朝美さんとあえて比較すれば、少しそういう気がする、という程度のことなのですが。また、もちろんこれはお芝居なので、”演じている”のは当たり前のことではあるのですが。

 とはいえ、この”ヴァルモンを演じている”という印象が、何か妙で不自然あるかといえば全くそんなことはなく、むしろ、あのお芝居全体の中では、非常に”自然なもの”に感じられたのです。それというのも、おそらく今回のお話で”ヴァルモンを演じる”ということには、あえて分解すれば少なくとも3つの意味があるのではないかと思います。

 

 まず第一に、当たり前の話ですが、これはお芝居なので、朝美さんがお役を”演じている”のは当然です。特に今回、いくつかの会場で何度も拝見する機会を得たのですが、特に最初の方の公演では、そのような”ヴァルモン子爵を演じている”という感じが強く、そして回を追うごとに、ヴァルモン子爵はこういう人なんだろう、とピッタリと板についたような印象を得ました。こんなふうに回を追うごとにこなれていく、自然なものになっていく、というのは、もちろんあらゆるお芝居の公演でよくあることです。また加えて、観る側の私も、幾度も拝見するうちに、このやや”悪い”お役の朝美さんを見慣れていったという部分も大きいかもしれません。

 

 また第二に、この『仮面のロマネスク』は過去に何度も上演されてきたいわば宝塚の名作・古典のようなものであり、そういった伝統的に形成されてきた”型”のようなものを継承する意味合いも当然あるでしょう。とりわけ、朝美さんのこれからのご活躍などを見据えると、おそらくそういった”型”を学ぶ・継承するということが、部分的には伝統芸能のような側面も併せ持つ「宝塚」においては、今の段階で必要だったのかもしれません。次に控える雪組大劇場公演のお役「オスカル」様も、言うまでもなく古典的な”型”となっているお役ですね*1

 朝美さんは、大阪での最後の日のご挨拶でも、宝塚歌劇の素晴らしさを全国に広めていきたい、といったようなことをおっしゃっていました。お芝居だけでなく『ガート・ボニート』も再演ですし、そういった過去から形成されてきたものを受け継ぎ、伝えるという姿勢が、先ほどの”演じている”というような印象に繋がったのかもしれません。そしてそれは、「宝塚」を日本各地に届ける──兵庫県宝塚市のあの空間をいっときでも別の場所で再現する、そんなチャレンジの中では全く不自然ではなく、むしろそれどころか必然的で、非常に自然なものだと言えるのです。

 もちろん、文字通りの伝統芸能である能や狂言でもそうであるように、いわんや現代劇である「宝塚」ならなおさら、単に伝承された”型”の再生産にとどまるのでなく、新たな創造を加えていくべきであるのは言うまでもありません。実際今回も、これは朝美さんのヴァルモンだと思われる部分もたくさんあったと思います(後述します)。また、次の『ベルばら』や「オスカル」様に関しても、すでに公開されているビジュアルイメージや色遣い(とても綺麗なピンク──古典的な『ベルばら』は、赤い薔薇のイメージが強いと思います)を拝見するだけでも、伝統の再解釈と創造の姿勢が、とても明確に感じられますよね。

 

 そして第三に非常に重要な点として、「ヴァルモン子爵」という人物が、そもそも”演じている”存在である、ということもあるのではないでしょうか。すなわち、このお話はそもそも、「ジャン・ピエール」が「ヴァルモン子爵」を演じている、そういうお話ではないかと思うからです。『仮面の〜』というタイトルからも分かるとおり。

 貴族の社交界において、さまざまな人たちが見せかけの役割を演じ、幾重にも思惑が交錯し、それらがおり重なって複雑な人間模様をなしている、それが「仮面のロマネスク」だと思います。

 夢白あやさんも「NOW ON〜」で、あえて「悪役」感を出すというような演技の方針をお話しされていたかと思いますが、これもまさに「悪役」を”演じる”ということであり、「仮面の〜」ということだと思います(夢白さんについては後述)。

 

滲み出る優しさ、誠実さ

 つまり元々、「ジャン・ピエール」という人物自体が、「ヴァルモン子爵」を演じている──そういう人物であるとすれば、ちょっと”演じている”感じが出ている方がむしろ自然だということになります。

 そしてそういう「ヴァルモン子爵」(=仮面)を”演じ”つつも、その合間合間に「仮面」の下に隠された本当の「ジャン・ピエール」が、徐々に透けて見えてくる。また同時に、朝美さんご自身の元来の誠実な魅力も滲み出てくる。そこが重要なポイントなのではないかと思うのです。

 そういえば、「NOW ON〜」でも、朝美さんが本来持ち合わせていらっしゃる優しさ、誠実さ、といったものが常にどこか滲み出ている、そんなふうに他の方から指摘されていましたね。朝美さんの元来の優しさが出てるんだろう、って。──しかしまあ、”悪いけど優しいイケメン”とか、これって……現実では近づかない方がいい人だと思うのですが。でもこういうお話や妄想なら、やっぱり素敵なものですよね。

 私が鑑賞したある回(大阪の二日目の昼)では、これから全国ツアーを誠実にやってまいります、といったようなことを、ご挨拶で仰っていたのを思い出します。また、スカステ「95期生トーク*2でも、朝美さんに対しては、同期の皆さんもやはり真面目な性格だという印象をお持ちの様子が伺えましたね。とっても優しくて、真面目で、誠実。私は誠実な人がとても好きです。朝美さんは、見た目と同じくらい、内面も美しい人なのだろうと思っています。

 朝美さんも、その場その場では、お相手の女性に真っ直ぐ向き合っているつもりだというようなことをおっしゃっていましたね(「NOW ON〜」)。その場その場で〜というような言い方に皆さんやや苦笑されていましたが……。お役のことなのに、朝美さんが(やや冗談ぽくも)謝る羽目になったりしていましたが、今回の作品に限らず、こんなふうにちょっと迷惑をかけたり悪事を働くようなお役の場合、「NOW ON〜」などで皆さん若干気まずそうにされることがあったりして(冗談も混じっていると思いますが)、見ている側としては少し面白く感じます。おそらくそれくらい、役作りを進める中でお互いの関係や感情が出来上がっていくのだろうと推察します。

 ただ実際にお話の中でも、ヴァルモンは気まぐれのゲームのようなつもりでトゥールベル夫人に向かっていたはずが、本当の恋に落ちかけてしまいます。そこで彼は戸惑い、フランソワーズに呼びかけるように歌うのですが、この辺りにも、ヴァルモンの仮面の下の誠実さのようなものが滲み出てしまっている。そんなふうにも思います。

 ”恋の名手ヴァルモン”という「仮面」を、ジャン・ピエール自身がうまくコントロールしきれなくなっていく。ここに人間味がありますし、ある意味での素直さ、「誠実さ」のようなものがあると思います。そういう意味では、やっぱり朝美さんご本人が元来持っていらっしゃる(と私が思っている)誠実さが生きていると思いました。

 そして最後の場面(「二人だけの舞踏会」)に向けて、徐々に彼のこの誠実さが対フランソワーズという形で、滲み出るどころかどんどんはっきりと表に出てくるわけです。

 こういう対比を表すためにも、「ヴァルモン子爵」は、部分的にやや”演じている”という感じがある方が、かえって自然なのではないかと思うのです。

 

瞳の奥に”寂しさ”を見た(妄想)

 そしてまた、この「ヴァルモン子爵」を演じているジャン・ピエールという人間には、ある種の”寂しさ”のようなものがあると思いました。これこそが、彼の虜になってしまう、離れられなくなってしまう魅力なのではないかと思います。

 見せかけの演技や恋のゲームに興じるうちに、本当の自分をどこかに置き忘れてしまったような、いつも何かが満たされなずに空虚でいるような、そういう寂しさです。

 『公演プログラム』のお写真は、毎度のごとくどれもこれもお美しすぎなのですが、特に私が一番好きなのは、ソファに腰掛け、気だるそうに目線を外しているお写真!!……もう、あまりに良すぎて、ヒエッ、と息を呑んでしまい、そのまま呼吸が止まりそうになりました(朝美さんの超絶美麗お写真ってこういう作用があって、本当に危険なんですよね……)。まさにこのお写真のような朝美さんの表情も、何かを企み、獲物を狙っているようにも見えますが、他方で、どこかそんな”寂しさ”を漂わせている気がします。

 これは結局トゥールベル夫人にしかわからないことではありますが(彼女はいわゆる「絡む」シーンが多かったわけですが)、彼女が彼と向き合ったとき、その瞳の奥に、本当の心を探し求めて彷徨っている、そんな”寂しさ”のようなものを、もしかすると垣間見てしまったのかもしれない。──少なくとも観客の私は、その場面をオペグラで覗き込みながら、トゥールベル夫人視点になって、朝美さんヴァルモンに妄想の中で対峙したとき、そういう彼の瞳の奥の”寂しさ”を見たような気になりました。──もちろん、全て単なる妄想かもしれませんが。ただ、今見ているものと妄想とが入り混じって、夢見心地になるのが宝塚の魅力だと思っています。

 またそれゆえ、この人をなんとかしてあげたい、というような、ある種の庇護欲のようなものも少し掻き立てられる。トゥールベル夫人は、普通に考えたら巻き添えの被害者ということになるのかもしれませんが、でも本当の恋をしたかったということに彼女自身が気づいてしまいましたよね。真剣な恋を求めて彷徨う、この寂しい魂(ヴァルモン)に、自分と似たものを感じたのかもしれません。同情、共感、そして自分なら彼と本当の恋をすることができるかもしれない、この寂しい魂を助けてあげられるかもしれない──そんなふうに一瞬、思ってしまったのかもしれません。……全て推測、妄想ですが。

 それにしても。そうだとすれば、強気な、また実際に強い男の、瞳の奥にある弱さ、寂しさ──こういったものは、非常に人の心を惹きつけてしまう魅力……というより、魔力があると思います。そこに吸い込まれてしまって、帰って来れなくなるような力がある(トゥールベル夫人も、自分自身を閉じ込めてしまわれました……)。そこに朝美さんのあの”目力”が重なります。

 

「仮面」と「真剣さ」(マジ)

 貴族の社交界で見せかけの演技に興じるうちに、本当の心がどこにあるのか、自分でも忘れてしまいそうになる。とりわけ当時は、表面的に華やかな貴族の社交界も徐々に終わりが近づいていて、退廃的な雰囲気にも包まれています。時代が移り変わる混沌の中で、”本当のこと”、確かなものが、ますますわかりにくくなっている(=「今何時?」)。

 そんな中で、ジャン・ピエールにとって、おそらくフランソワーズとの関係だけが揺るがない”本当のこと”で、すなわち「真剣さ」(=マジ)を確認できる唯一の拠り所だったのでしょう。

 「真剣に恋したことはありますか」という印象的なお歌がありますが、「真剣」と書いてマジと読むのだとすれば、まさに「お前にマジ」ということですよね(?)。

 フランソワーズもまた、トゥールベル夫人への気持ちが少しでもあるうちはダメよと、ジャン・ピエールに言っていました。いくらでも片手間の恋をしてきたのに(例えば、ダンスニーがセシルに恋しつつ自分とも関係を持っても、何とも思わない)、ただジャン・ピエールにだけはそういう態度を絶対に許さない。

 真剣さ、マジ。これが、「仮面」との対義語です。「仮面」は、虚栄の社交界、貴族の世界。仮面舞踏会が象徴的ですね。この中で、いかにして「マジ」の領域を確保するか。それが、ジャン・ピエールとフランソワーズとの、たった二人だけの秘密の領域だったのでしょう。まるで命綱のように、お互いがお互いを、なんとか結びつけていた。この世界に。「あなたがいたから 苦しくて」、「哀しくて」、「生きていられた」。「あなた」だけが、哀しさ、苦しさ、といった人間的な感情の拠り所だった。

 見どころは、物語が進むにつれ、どんどん二人がそのことに気がついていくプロセスでしょう。フランソワーズの言う、心にまで仮面をつけてしまった、というのは、要するに、”ゲームに勝ったらご褒美に〜”とか回りくどいことを言わないで、普通に”あなたが好き”と言えばよかった、ということですよね。けれども、こうした「仮面」をつけたお芝居の大前提にあった貴族社会も崩壊に向かいつつある。そして、恋のゲームに興じすぎた結果、「決闘」などという事態にまで至ってしまい、もしかしたらジャン・ピエールは死んでしまったかもしれない。こうした死の予感というものが、徐々に自分の本当の心に気づかせることになります(まさに死への先駆、本来性)。

 もともと彼・彼女らが心にまで仮面をつけてしまったのは、貴族社会で生き延びるために身につけた(そうせざるを得なかった)処世術のような部分がありますが、これをもう少しスケールを小さくしてみると、要するに、“なかなか素直になれなかったけど、だんだん自分の本当の気持ちに気付いていった“という、割と普遍的な(よくある)モチーフにもなります。その点で、おそらく貴族でもなければ社交界とも無縁な、現代の私たちにも響くものがあるのだと思います。

 本当の恋をしたい、真実の愛を求めて……といったテーマは、実は割と一般的なものですよね。彼・彼女らが求めているものは、実はよくわかる。だから、表面的には共感しにくいかもしれませんが(ちょっと周囲に被害を及ぼしすぎですからね……)、実はやっぱり心に響くものがあるのだと思います*3


「おっとり」・「悪役」、二重の「仮面」──夢白あやさん(メルトゥイユ侯爵夫人)

 夢白さんは、あえて「悪役」っぽくする、という演技の方針を「NOW ON〜」でお話しされていましたが、まさにそうでした。セリフの語尾なども、もともとお芝居であるのが、さらに輪をかけてお芝居っぽく、やや大袈裟なほど「悪役」感を出して演じておられるように感じました。過去の上演については花組さん全国ツアー*4をスカステで拝見しただけですが、それと比べても、そういった「悪役」感が強調されていると思いました。

 そしてこれはもちろん、すでにお話しした通り、『仮面のロマネスク』というテーマにピッタリのやり方だと思います。ちょっと非現実的で芝居がかった感じこそ、むしろ自然であると言えるのです。「悪役」、すなわち計算づくで策略をめぐらすような振る舞いもまた、「仮面」だったと最後に気がつくのですから(=心にまで仮面をつけてしまっていた)。

 しかもさらに複雑なのは、フランソワーズには「悪役」という仮面のその上に、「おっとり」な侯爵夫人という「仮面」もある。だからフランソワーズはいわば二重の仮面をつけていることになるのです。

 例えば「散歩道」「教会前」などのシーンでは特にそれを感じます。ヴァルモンと策略をめぐらしているのにも関わらず完全にすっとぼけて、セシルのお母さんと会話していたり。その後、”侯爵夫人、おでかけに参りましょう”と貴族の青年・娘さんたちから誘われ(=慕われている様子)、「ミモザの花盛り〜」とくるりと回ってダンスするシーンは、いかにも「おっとり」な侯爵夫人を”演じている”ようで、とても面白く感じました(いつもこの場面を楽しみに拝見していました)。

 しかし次第にラストの「二人だけの舞踏会」に向けて、だんだんと夢白さん・フランソワーズの「悪役」っぽさがなくなっていきます。最後の場面では「おっとり」も「悪役」も、どちらの「仮面」もとって、剥き出しの真実のフランソワーズが現れる。それというのも「公爵夫人」を演じていた舞台=貴族社会が、終わりを告げるからです。そしてその直後、このお芝居『仮面のロマネスク』自体も終わります。

 

市民の恋とダンス──使用人たち

 「舞踏会」というのは、貴族社会を維持するための作法であって、政治的なものだったと言えます。

 ひるがえって、ジャン・ピエールとフランソワーズの二人だけの「最後の舞踏会」は、あくまでも貴族の舞踏会の作法を踏襲していますが、より二人が密着し、個人と個人の関係を結んでいます。

 この後、市民革命を経て、ダンスというものが市民のものになっていく。ちょうど同時期に上演されていた花組アルカンシェル』も、そういう時代のダンサーが主人公ですね(柚香光さん、マルセル・ドーラン)。同じくフランス・パリが舞台でした。 そこではもはや、ダンスは貴族社会を維持するための作法などではなく、個々人の感情の発露になっている。音楽も「ジャズ」の時代になりますが、それもやはり市民・大衆の音楽だと思います。

 そこで翻って『仮面のロマネスク』で思い出されるのが、使用人たちや、一般の市民たちの歌い踊る場面です。全体として優雅にしっとりと進行するお話の中で、ところどころに彼・彼女らのコミカルで快活な場面が入り、とても良いアクセントになっていましたね。

 市民たちが、集会場へ急げ!とぴょんと飛び跳ねて去っていくシーン(第5場)や、「三人組」(ルイ、ジル、ジャン)が盗品を持って歌い踊るところなどは、野生的な力がみなぎっています。後半の『ガート・ボニート』を予感させるようでもありました。

 主に足のステップ(のみ)に重点を置いた貴族たちのダンス(いわゆる社交ダンス)と、全身を大きく使って踊る市民のダンス。こういうダンスの様式の違いからも、はっきりと対照的に描かれていますよね。仮面をつけて、いつも難しい貴族の社交界。それに対して、市民たちのストレートで素朴な感情表現。

 使用人たちの恋模様(アゾラン&ジュリー、ロベール&ヴィクトワール)も描かれていましたが、非常にストレートでわかりやすく愛情表現をしていましたね。彼・彼女らには最初から「仮面」がないわけです。彼・彼女らの登場する場面は、緊張を和ませるものであると同時に、あんなふうに簡単に恋ができなくなってしまった、がんじがらめになっている貴族たちの運命を、対照的に浮き立たせています。執事ロベールとヴィクトワールの歌は、そんな貴族たちの運命を、どこか少し憐れむような、そんな響きすら感じられました。

 

「仮面」の戯れ、アイロニー

 けれども、さらにひっくり返すようですけれども、面倒臭いと同時に、やっぱり少し楽しそうでもありましたよね。「仮面」をつけて、演じて過ごすのって。

 とってもイジワルな感性かもしれませんが、例えば何食わぬ顔でセシル母とおしゃべりして、あなたおっとりしてるから、などと言われているシーン(散歩道)などは、すごく世間を欺いてるみたいで、やっぱりつい楽しい感じもいたしました。しかもそんな秘密をヴァルモンなんていう美青年とだけ共有してるだなんて……!のちの場面で「教会前」にヴァルモンが登場した時なんか、これ公爵夫人の立場だったら楽しいだろうな〜と思ってしまいました。もちろん、かなりイジワルな楽しみなので、どこかで帳尻が合うというか、やっぱり苦しんでしまう部分があるのですが(すでにお話しした通り)。

 ただ、”演じる”ことが、単に無理しているというよりも、ちょっと楽しそうな印象も受ける。そうやって、虚飾に満ちた社交界や貴族のしきたりを、うまく乗りこなし、使いこなして、楽しんでしまう。まさに、そんなアイロニーの態度も見られるような気もいたします。そうやってどうにか本当の自分というものを別の場所に確保しておこうとしたのでしょう。

 観客の我々は現代人で普通に市民なので、市民の時代の感覚はやはり分かりやすい。けれども同時に、こういった貴族的な複雑さやアイロニーにも、なにか郷愁のような、失われた時代への憧れのようなものも抱いてしまう。「宝塚」って、この微妙なところを狙って一挙両得ができるような、そんな時代設定をしていることが多いように思います。

 

一転して、野生の『ガート・ボニート

 このような抑制された貴族の世界、大人の世界から一転して、後半のショー『ガート・ボニート』では野生的な感情が自由に発露します。抑制の社交界から、弾ける野生へ。仮面や”演じる”といったあまりに人間的な世界から、動物的な世界へ。

 夢白さんの「にゃ〜お!」というとっても思い切りのいい鳴き声は、毎回拝見するたびに思わず笑顔になってしまいました(前回の大劇場公演『ボイルド・ドイル〜』ルイーザ役でも、思い切り感情を表現されている場面がありましたが、少しそれを思い出しました)。

 前半と後半とで、少しびっくりするような鮮やかな対比で、皆さんこの転換が少し大変な部分もあったかもしれません(「NOW ON〜」でも少しそんなお話があったような気がします)。けれども、こういう構成になっているおかげで、かえってバランスが取れているとも言えます。「真剣に恋したことがありますか」から、「熱く熱く熱く」へ。前半では抑制されていた素直な感情、野生のパワーが、猫ちゃんたちの姿をとってブワ〜っと溢れ出してきます。続けて観ることで、何かカタルシスのような快感が得られるような気がしました。

 

「獲物」を狙う朝美さんの”目力”

 また、前半から後半へ、朝美さんがヴァルモン子爵から美しい猫(のような男)へと変身することになるわけですが、全く勝手な解釈ではありますが、ここに一つのつながりも見出してしまいます。

 すなわち、あの目。猫のような、大きくて、好奇心のある目。”目力”とよく言われるように、まさにこれは朝美さんの魅力だと思います。

 少し舞台から遠いお席であっても、裸眼ではっきりと目の表情、目線が伝わってきました。目がぎろっと動く、視線の動きまでもが、それこそ大きな目をされているので、すごくよくわかります。「狙った獲物は離さない」という歌詞もありますが、あの獲物を狙う目つきは、『仮面のロマネスク』でもありましたよね。

 遊び人の男というのは、ある意味、好奇心が強いということでもある。ヴァルモンが、トゥールベル夫人に目をつけるときや、フランソワーズに「闘志が湧いてきた」と言うときなども、まさに「獲物」を狙う目つきのようでした。貴族の抑制された世界で、時折、本当の心=「マジ」が見える瞬間があって、そのマジな目つきは、「獲物」を狙うハンター・猫の目つきと重なります。

 また、ブエノスアイレスの「キャット・スプル」の場面は、ちょっとだけ『仮面のロマネスク』っぽかった気もします。次々と寄ってくる女性たちを払い除けながら、「真剣」な相手である、夢白さん・アビシニアンのところへまっすぐ、「マジ」な目つきで向かっていく。ある意味で、お芝居ラストの「二人だけの舞踏会」の続きというか、一層ヒートアップした続き見ているようにも思いました。

 ちなみにこの場面で、蝶ネクタイを解いて、本気になっていく姿は定番ながらやっぱりとってもカッコよかったのですが、そういえばお芝居の方でもトゥールベル夫人とのシーンでそういう仕草がありましたね。ネクタイは抑制された大人の世界、仮面の世界の象徴とも言えます。獲物を狙った瞬間、それを解いて、鎖に繋がれていない野生の猫になるということなのかもしれません。

 

その他──アドリブ、客席降り、ご当地グルメ、等

 それにしても、美しい猫のような男、朝美絢さんは、確かに本当に美しかったです。

 例えばまず冒頭の、白と黒のメインのお衣装。ファーやフリルのついた裾の長いジャケットは、白猫っぽくて可愛く、またかっこよくて、特に好きです。『公演プログラム』で藤井先生もおっしゃっているように、猫って、美しくて可愛いけど、獲物を狙う鋭さ、クールさもある。そういう魅力は本当に朝美さんですよね。ちなみに、このお衣装で朝美さんが登場される際に歌うテーマ曲は「来てしまったよ」と歌い出すのですが、これはいろんな地方に朝美さんが「来てしま」う全国公演にピッタリだと思いました。

 それから印象的なのは、サバンナの「キャット・ヴィオレンタ」。今日裏切られても、明日いいことがある、って、とっても良い言葉ですよね。希望が持てる。猫って、そういう野生的な、非常に前向きなエネルギーを持っていると思います。あんまり根に持ったりしないし、気持ちの切り替えが早いのです*5。そういうポジティブなところは見習いたいなといつも思っています。

 またこれに続く、男役さんたちのお帽子の姿が印象的な「ガート・セルヴァジム」も、まさに王道という感じでカッコよかったですし、そのほかの場面も含めて、全体的に見どころ満載のショーでした。前回の望海風斗さん主演の公演はスカステでしか拝見したことがありませんが、そちらもとても素晴らしかったのですが、今回はまたそれとは違った、別のショーのように新鮮に楽しむことができました。

 「黒ネコのタンゴ」を歌う「ガート・ド・ディヴァティメント」のアドリブは、ずいぶんこだわっていらしたようで、毎度、ご当地にちなんだ内容を考えておられたようですね。私も、拝見するごとに違っていました。また、ガート・ボニートさん(朝美さん)のお話しの運び方は、はじめは今回どのようにご当地の話題につながっていくのだろう?と思ってふんふんと聞いているうちに、あ、そういうこと〜!?と途中でひらめくような、そんな楽しみがありました。さすがは朝美さん。お話しの構成が上手い。

 客席降りでは、サービス精神旺盛で皆さん本当に楽しませてくださいました。地方によっては比較的、出演者の皆さんを身近に感じられるようなスケール感の会場もあり、とても貴重な機会となりました。

 私が印象に残っているのは、縣千さんがかなりお近くまで来ていただいたときです。とってもお優しい性格のためか、かなり時間ギリギリまでファンサービスをなさっていて、少し時間が足りなくなったのか、急にものすごい速さで走って舞台に戻って行かれたのがとても印象に残っています。あの、背中に羽をつけたような全身のお衣装で、ちょこちょこ〜っとすごい速さで走っていく後ろ姿がなんだかとっても可愛かったです。そしてスポッと元の立ち位置に収まって、ちゃんと踊っておられました。

 ちなみに縣さんのアドリブといえば、『仮面のロマネスク』で、ヴァルモンに恋の相談をする場面。「そして、歌います!」のあたりを少しずつ変えて演じられてましたね。それに対して朝美さんが、ちょっと想定外だったのか、おおっと一瞬反応していたりしたのが面白かったです。あのワンちゃんの番組(「あにまるハウス」*6)でも思いましたが、改めて、とても良いコンビが作られているように感じました。

 また2階以上のお席の場合でも、客席降りの場面では朝美さんがしっかり目線を送ってくださり、嬉しかったですね。朝美さんを一生懸命オペラグラスで見ていたら、急にこちらに目が合ったような気がして、ドキッとしいたしました。目線が合うというだけで近くに感じることができますし、本当にすぐそこにいらっしゃるんだなと思えます。大袈裟に言えば、朝美さんとちょっとしたコミュニケーションをとれたような、そんな気にさせてくれます。

 また今回、私は初めて全国公演をあちらこちらで拝見する、という体験をしたのですが、それほどたくさん回ったわけではありませんが、それでも結構スケジュールが密になりました。初めて行く土地で、ローカルな電車に乗ったり、駅から結構歩いたりして、会場に向かいました。

 とはいえ私はただ追いかけて、座って観ているだけですから、それ以上にたくさんの場所を回って公演もなさっている朝美さんのことを考えると、私なんかが疲れたなどと言うのは甘っちょろすぎるよな〜とは思います。

 それに、あまり普段行かない土地に行く以上、せっかくだからと旅行も兼ねた予定を入れたのもあります。とっても美味しいご当地の料理をいただいたりもでき、そういう部分でもとても楽しかったです*7。自分からはなかなか行かなかったであろうような土地にも、朝美さんが連れて行ってくれた──そんな気にもなります。

 もしかすると、朝美さん、かなりお疲れになったのではないだろうか?と少し(勝手ながら)心配ではありましたが、朝美さんも、個人的に(?)楽しまれた部分もあったようでしたので、少し安心いたしました。

 これから少しだけ、お休みが取れるのかもしれませんね。もう次のお稽古も控えているのかもしれませんが。次の大劇場公演、とっても楽しみです。

 

*1:スカステ「夢の音楽会」で、朝美さんは、杜けあきさんとご一緒に『ベルばら』を歌っていらっしゃいましたが、まさに伝統の継承と創造と言うべきような場面を拝見できました。

*2:タカラヅカニュース」(4〜5月ごろ)内、および「柚香光サヨナラ特別番組」内。95期生のトークは本当に素晴らしい企画で、トーク内で話題に出ていたように、ドームでもなんでも借りて、何かやってほしいと思ってしまうほどでした。

*3:例えば少女漫画などでも、本当に自分の心が求めていたのはこの人だったんだ……!と、だんだん自分の気持ちに気付いていく、というようなパターンはありますよね。また「真実の愛を求めて」というのは、『バチェラー・ジャパン』のようです──この番組に喩えるのもどうかと思いますが。お金も持っていて散々遊んできたけど、俺もそろそろ”最後の女”を見つけたい……みたいな。ヴァルモンはまさに「バチェラー」(独身男性)ですよね。

*4:明日海りおさん主演。明日海りおさんも私は大好きで、明日海りおさんの出られた作品はいつもスカステをチェックしています。

*5:例えばうちの猫ちゃんたちも、シャワーや爪切りなどをされて怒って隠れてしまったかと思えば、おやつが出てきたらひょこひょこと出てきてくれます

*6:ワンちゃんの番組!!「TAKARAZUKAあにまるハウス」の朝美絢・縣千さん回!(#23) もう、完全にファンにとってご褒美のような番組でしたね。画面に映るものの全てがかわいい、全てが愛おしい。お二人の服装も、さわやか青年(?)といった感じで素敵でした。Booちゃんも可愛すぎましたし、Booちゃんに話しかけてる動画の朝美さんも可愛いです。もう私、すでに何回見たかわかりません。録画したものを、見終わったらまた再生、また再生、と繰り返し見続けています。全ての発言を暗記してしまうほど──ちょっと異常かもしれないと自分でも思うのですが、それくらい何度も見たくなるほど癒し効果があるのです。後編も今から本当に楽しみで楽しみで、仕方ありません!

*7:例えば、岐阜では絶対に飛騨牛が食べたい!と思って入ったお店で、「色おとこ」という地酒を発見し、これしかない!と注文しました。「美しい(猫のような)男」を見た後にいただくにはピッタリのお酒です。甘くて華やかな香りの、まさに色男な(?)お酒でした。飛騨牛の甘味のある霜降りと非常によく合いました。