ロマン主義アニメ研究会

感想、考察、等。ときどき同人誌も作ります。ネタバレ注意。

「かわいい」というユートピア──Ra*bitsイベント「再開*成長見せてハイタッチ」感想(『あんスタ』)

『あんスタ』のイベント「再開*成長見せてハイタッチ」(2020年6〜7月)について。イベント・ストーリーと、新曲「Love it Love it」の歌詞について。過去のハロウィンイベントとも比較しつつ。

新しい「Ra*bits」の、新しい「かわいい」は、多様なものが肯定されるユートピアだけど、それはどんよりした日常に生じる裂け目、ほんの一瞬のものとしてしか成り立たない。けれどもそれは「未来」への「宝物」にもなるといいな、というようなお話し。

 

(もくじ)

 

《過去としての現在》という視点

「覚えてる? 始まりの日」で始まる、この新曲の歌詞*1

まず、時間の視点の移り変わりが面白いなと思いました。過去、現在、未来、と短い歌詞の中で、視点がどんどん移っていきます。

この、過去→現在→未来、を、歌詞に即せば、

 「始まりの日」→「今」→「いつの日にか」(「未来」)

・・・・・・・・「この日々」

 

そして、ここで「未来」にあたる視点は、単なる未来の視点ではなくて、《未来から現在を過去として振り返る視点》という複雑なものになっています。

サビ(「どんなときも〜」)の前では、「夢追いうさぎ 未来へ jumping high!」とあるが、この「未来」の内実は、特に具体的には語られません。けれども最後に、それがどのような内容の未来であれ、ともかく「この日々」を愛おしく振り返って思い出している、そういう「未来」であることが明らかになる。

「いつの日にか 思い出して この日々を愛せるように」

 

さてここで、「過去としての現在」という視点とか、「瞬間を」という言葉などを見つけると、どうしても、今だけの少年の刹那的な美しさとか、はかなさの美、といったものと結びつけて捉えてしまいそうになるけれども、しかしながら、イベントストーリーを読んで、必ずしもそういうものではない、と思いました。

ご存知のように、『あんスタ』は、ループから抜け出して、『!!』になって、時間が進んでいます。そういう変化に呼応しているのが、今回のイベントストーリーの内容だったのではないでしょうか。

特に、Ra*bitsにとっての「かわいい」の概念をめぐっての変化が見られました。

過去のイベント「お化けがいっぱい☆スイートハロウィン」のストーリーでも、「かわいい」の概念が問題とされていました。「美少女先輩」のように、「他の要素をぜんぶ切り捨てて」追求するものとしての、かなり狭い意味で「かわいい」の概念もあるけれど、「怖いけどかわいい」みたいな、オリジナルなRa*bitsらしい「かわいさ」を追求しようよ、というようなお話だったと思います。(このことをめぐって、友也くんと創くんとが少しだけギクシャクしてしまいましたね。創くんは、夢ノ咲に入るまでは自信がなかったけれども、ここに来ると「かわいい」と褒められるようになった、そのことが嬉しい、と思っているようです。かわいいの追求は、自信を持って生きるために必要なことでもあったのかもしれません。)

それに対して、今回、なずなくんが、《かわいさの多様性》といったようなものに、しみじみと思いをはせている。

「『かわいい』って、もっと奥深くて千差万別で、色々あるってわかったんだ」(なずな)

生きている人間なんだから、いろんな側面があっていいし、しかもそういういろんな側面も含めて「かわいい」と言ってしまえるんだ、って。

確かに、今回のストーリーでも、みんなのいろんな側面が描かれていました。

例えば光くんは「かっこいい」活躍もし始めています。でもそれも、「かわいさ」に通じる部分があるかもしれない、となずなくんは考えている。また創くんも、案外友也くんには「雑」なことをするとか、家では兄弟たちに対してはちょっと違った顔を見せているみたいだ、とか、そういうエピソードお印象的でした。

f:id:miusow:20200718010602j:plain

 

《多様なものの肯定》としての「かわいい」=Ra*bits

なずなくんは大学に行って、それを自分勝手だとかいう人もいるかもしれないけれども、おれたちは人間で「人形」じゃないんだ、いろいろ小さな汚れとかシミとか、シワとか、たくさんの凸凹があるけれども、そういうものも全部含めて肯定してほしいし、できるはずだ──というようなことを、話していました。

「…人間なんだから足りないところがあって当然!/むしろ、それは愛嬌[=かわいい]だって言い張るぐらいの気概を見せろ♪」(なずな)

そしてそういう、《多様なものの肯定》の一つのやり方として、「かわいい」があるんだ、そしてRa*bitsは、そういう「かわいい」を目指すんだ、って。(これは私なりのまとめだけど、合ってるかしらね。)

(なずなくんがこんなことを思うのは、彼の言う「『Valkyrie』時代の後遺症」・「完璧主義」を、ある程度克服した、っていうことなのかもしれません。そのためにも大学進学は効いたということなのでしょう。「視野狭窄で、ちっちゃな世界で生きてたおれは、大学でいろんな価値観に触れて考えを改め始めてる」(なずな)。──確かに、勉強するというのはそういうことなのだろうと思います。例えば、遠い昔の、遠い場所で記された書物を読んだりするのって、絶対に自分が直接出会うことのできないはずの人たちの価値観にさえも触れられる、ということなのだから。)

だから、ここで「かわいい」を「綺麗」と対比してもいいのかもしれません。友也くんが大学でなずなと話している時、思わずなずなを「綺麗」と言ってしまいます。でも、おれは「綺麗」なんかじゃないよ、となずなは言っていましたね。それは、おれたちは人形じゃないんだ、っていうお話につながります。つまり、おれたちは「綺麗」じゃないけど、「かわいい」かもしれないよ、と。──過去の「ハロウィン」での「かわいい」の狭い捉え方は、「綺麗」に通じている、と解釈できるかもしれません。

つまり、多様なもの、「差異」。そういう無数の差異が戯れるアリーナのような──デコボコした多様なものたちを受け止めて、盛り付けて、素敵にしてしまえる、そういう《器》のようなものとして、「かわいい」があって、「Ra*bits」があるんだ、っていうことなのかもしれません。

「おれたちは、決して何ひとつ否定しない──」(なずな)

f:id:miusow:20200718005703j:plain

 

・・・というユートピア

でも、さらに、その「かわいい」(そしてそれを表現する「Ra*bits」)という《器》は、《ユートピア》である、ということも、忘れてはいけない観点かもしれません。

いま言ったような、《多様なものの肯定》としての「かわいい」というのも、話としては綺麗にまとまりそうだけど、実際のところ、そんなにうまくいく場合もあれば、うまくいかない場合もある。(「かわいい」と思っていたものだって、一歩間違えると気持ち悪くなったりするかもしれない。「かわいいかわいい」と思って近づいた動物が、猫じゃなくてネコ科の怖い生き物だったりするかもしれない。)

それから、いかにRa*bitsがステージで一生懸命に、そのような、《多様なものの肯定》のような実践を繰り広げていても、その一歩外では・・・災害、疫病、暴力、抑圧、裏切り・・・等々が、世界中で日々発生している。これは現実でもそうだし(というか、かなり現実を意識したシナリオかもしれません)、『あんスタ』の中でもそうです。「ES」は、権謀術数渦巻く世界。──ほんと、かつて私も、Ra*bitsをよしよししたいがために『あんスタ』を始めたら、「メインストーリー」が予想外に壮大な内容で・・・ちょっとびっくりもしました。けど、そういうものがあってこそのRa*bitsのキラキラなのかもしれません。例えば、創くんの「涙」があってこその、『!』第一部結末での「輝きたかったんだ〜♪」ですものね(アニメでは、ここを創ちゃんがソロで歌い始めるという演出になっていてとてもよかった)。──で実際、英智くん、紅月、Trickstar、Valkyrie、ALKALOIDなどだけでなく、そのほかのたくさんのアイドルたち、Crazy:Bまでも*2、このRa*bitsのライブ「ポップンパーティ」に手を貸したというように、そんな権謀術数の世界の中でも、ここRa*bitsのライブがちょっとした停戦地帯というか、ユートピアのようなものとして機能している様子がわかる*3

それに、ライブに来ているお客さん達だって、今は笑顔でサイリウム振っているかもしれないけど、その24時間後には、あ〜やだな〜と思いながら労働していたりするかもしれない。そういう24時間後の”予感”を打ち消したくて、いま、いっそう一生懸命サイリウムを振るということもあるでしょう──「『辛いことや苦しいことは今だけ忘れて、おれたちと同じ可愛いウサギになって飛び跳ねよう!』」(なずな)。Ra*bitsのライブは、うんざりな毎日における、ほんのつかの間の休息なのかもしれない。

 

そんな中で、つかの間の、はかない《ユートピア》を見せる・・・。

「世界には戦争や飢餓、災害や疫病──しんどくて哀しいことがいっぱいあるけど/せめて。おれたちの、『Ra*bits』の舞台の間だけは」(なずな)

あれ、結局、やっぱり「はかなさ」に戻ってきた。でもそれは、それにうっとりべったり憧れてしまうような、現実逃避的なものとは違うのではないでしょうか。再び、歌詞を見てみましょう。

いつの日にか 思い出して この日々を愛せるように

鮮やかに 刻んでいくよ

宝物みたい 瞬間を Ah!

この歌の最後の部分で(少なくとも「Game Edit」の歌詞の最後)、「今」を表す言葉は、「この日々」から「瞬間」へと、より鋭く尖って、点のように凝縮されて、小さくなっています。そしてそれが、「宝物」と呼ばれているのです。

「始まりの日」→「今」→「いつの日にか」(「未来」)
・・・・・・・・「この日々」
・・・・・・・・「瞬間」

つまり、どんよりしたものが渦巻く世界のただ中で、ほんの束の間、ほんの一瞬だけ生まれた”裂け目”のような場所。それが、このRa*bitsのライブであり、「かわいい」という《ユートピア》なのでしょう。そのような「瞬間」としてしか、この地上の世界では、ユートピア的なものは成り立たない。

夢追いうさぎ 未来へ jumping high!

でも、そういう「瞬間」が結晶になったような「宝物」は、ぎゅっと握っているだけで、「未来へ」とジャンプしていく勇気づけにはなるかもしれません。

──うんざりすることばかりで、どんよりしたこの世界の中でも。ぜんぜん多様なものが肯定されてなんかいない、差異の抑圧が繰り返される、ユートピアとは程遠い、ディストピアのただ中でも。

だから、ユートピアは一瞬だけど、一瞬で終わらない。それは結晶になって宝物になって、ずっと残る。だから、いつもそれを大事に握っていれば、「未来」に進んでいく勇気づけにはなるのだと思います。

 

*1: Ra*bits「Love it Love it(Game Edit)」(作詞:こだまさおり

*2:あのCrazy:Bまでもが…と光は言っているが、ユーザーは、彼らなら手伝うだろう、と納得できる…しかし光は、「メインストーリー」を最後まで読んでいないけれども(ユーザーじゃないから)、話してみたらいい人たちだった、と気が付いていましたね。

*3:「戦争ごっこ」。MDMが終わっても、「リストラ」など、まだまだ落ち着く様子がない。