(※妄想です。)
もくじ
☆
キキくんが背中に大きな星を背負っていて、ララちゃんがステッキを持っている。キキくんの星の力で空に浮かぶことができて、ララちゃんのステッキで方向をコントロールできる。
つまりね、2人で協力しないとお空を飛べないような設定になっているの。
どうしてこういう設定にしたのかといえば、その方が可愛いから*1。…うん、確かにそれは本当に可愛い。
いつも2人で、小さなおててをつないで、力を合わせていっしょに暮らしている姿──あぁ…愛らしすぎて、純粋すぎて、考えるだけで胸が苦しくなります(…愛おしすぎてつらい…)。
小さな二人の小さな手
四つあわせて おまじない
(Little Twin Stars「ふたご星」、作詞:八坂裕子、作曲:惣領泰則)
こういう2人を見ると、心の奥底から、愛おしい気持ちが溢れてくる。苦しいくらい。どうして昔から私は、こんなにキキララに惹きつけられるのだろう…。
…そう、これはまるで他人事とは思えない。
もしかすると私は、このふたご、キキとララのどちらかだったのではないだろうか。──そう、実は私は、ずっとそう思って生きてきたような気がする。
空を みあげると
なつかしい きもちになるね。
なんでかなあ?*2
私もきっと、この「つらいことや かなしいことが たくさんある」地球*3に元々いたのではなく、もっと遠い遠いお空の向こう、お星さまの国から、やってきたのではないかと思うのです。──なぜなら私は、たぶん人間ではないから…(私は、大人になっても全然大人にならないし、いつまで経っても立派な人間になれない。立派なお星様ならなってみたい気もするけれど…。人間の世界がいまでも珍しくて不思議で、いつも、そっと窓の外からただ眺めているような気分でいて、溶け込めないままでいるから…)。
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ふたご星は、1人では生きていけない。でも、他の「人間」と協力して生きていくこともできない。お星さまの力を2つ合わせて、ようやくお空が飛べる。
だからずっと、ふたごのもう1人を探している。この地球には、遠い昔一緒にやってきたはずなのに、ある日雲からうっかり落ちて、バラバラの場所に落ちてしまったんだ*4。
だから、あのとき以来、きょうだいをずっと探している。でもきっといつか、きょうだいを一目でも見かけたら、すぐにわかるはず。おたがい「人間」ではなく、星の子だったのだから。そして私たちの仲間はたった2人しか、地球にいないのだから。
☆☆
ふたご星は、2人で協力しないとお空を飛べない。
このキキララの設定を知ったとき、なんと愛らしい設定なのだろうと思った。けれどもまた、同時にこうも思った。もし2人が、何かのアクシデントで離れ離れになっちゃったら、どうするんだろう…って。
そしたらお空が飛べない。ふたりとも。
お空を飛びながらお互いを探すこともできないし、いったんお星さまの国に帰るということもできない。地上を、地べたを、他の人間たちと一緒に、足で歩きながら、探してまわるしかない。
「つらいことや かなしいこと」でいっぱいの、この地球で…雲の下の地上を、人間たちのあいだを歩き回って、もうひとりのきょうだい星を探さなければならないのです。
それはとってもつらいだろうな、と思います。
そう簡単には見つからないかもしれません。何十年もかかるかもしれない(それでも2人の見た目はほとんど変わらない、いつまでも幼いまま…お星さまは、とっても長生きだから)。そうして何十年も、あたかも人間のふりをして、人間たちのあいだで暮らしているうちに、魔法の力も忘れていってしまったりするかもしれない。──魔法は、2人のおててを「四つあわせて おまじない」するものだから。いくら人間とおててを重ねても、魔法は使えないからです。
それどころか、そうこうするうちに、自分がお星さまの子どもなんかではなくて、ほんとうはただの人間の子どもだったような気がしてくる…かもしれない。地上では、お星さまの子どもだなんていうことは、誰も信じてくれないからです。そんな地上のことしか知らず、地上のことで頭がいっぱいの[earthy]人間たちといっしょに暮らしていくうちに、自分が星の子どもだったなんていう記憶をもっていることの方が、なんだかばかげた空想のように思われてきてしまうかもしれない(あなた、それはきっと、サンリオキャラクターのようなものにハマりすぎなのよ、って…[ガチすぎんのよ、限界サンリオ男子・女子(新語)なのよ…って。])。
そうこうするうちに、ふたりはお星さまとしての輝きをも次第になくしていってしまう…。もともと「立派に輝くお星さまになる」ために地球に修行に来ていたというのに、この「つらいことや かなしいこと」でいっぱいの地上を這いずり回っているうちに、キラキラと輝く純粋さはにごり、汚れていって、お星さまとしての美しさがだんだんと失われていってしまう…。
そして最悪なことは、自分にはふたごのきょうだいがいたということまでも、忘れていってしまうことです。もしそうなってしまったら、もうなにもかも手遅れ。こんな地上で這いずり回っているのは、ただ一つ、もう1人のふたごのきょうだいを見つけるためだった。その唯一の目的さえも忘れてしまったら、この地上で生きる意味はもう何もなくなってしまいます…。
それだから、なるべく早く見つけなければなりません。全て手遅れになる前に。遠い昔、一緒にお星さまの国(ゆめ星雲)からやってきたはずの、もうひとりのふたごのきょうだい星を、見つけなければならない。
☆☆☆
・・・運が良ければ(お星さまの子供なのだから、運がいいに決まっている)、何十年かかっても、ふたりのふたご星は、きっといつか偶然にでも地上ですれ違うでしょう。そしてそのとき──もうどんなに記憶がかすかになっていようとも、どんなにふたりの輝きが”人間らしく”[menschlich]すすけていようとも──、すぐにおたがいのことを見分けて、思い出すでしょう。
まるでほとんど見分けがつかないくらい、ただの人間のようにしか見えなくなってしまっていても、ふたりの目と目があって、ほんの少しお話をすれば、きっとまたすぐに思い出します。ああそうだった、わたし/ぼくは、遠い昔、このひとと一緒に地球にやってきた、ふたごのきょうだい星だった、って。
そしてすぐにふたりは、「4つのおてて」を重ねて魔法をくりだし、とても久しぶりだけれどもちゃんとお空を飛んで(やっぱり、お星さまは足で地上を歩くより、このほうがだんぜん似合っています)、「雲の上にたっている雲のお家」へ帰って行きます。そうして、再びふたりで仲良くくらしはじめる。星型のフライパンも、ふたつに並んだかわいいイスも、元のまま。くも製造機から出てきたあの動物のおともだちも、ずっと待っててくれています。
それから、空気がきれいで星がとってもキラキラ光ってる夜、外をそっとみてごらんなさい。2人がタラッタラッタラなんてダンスをしている姿が見られるかもしれませんよ。・・・
いつもなかよしのふたりは、うれしいことも悲しいこともわけあうんです。・・・
きっと今夜もどこかのお空で、なかよく遊んでいることでしょう。*5
・・・と、どんどん妄想が湧いてきてしまい、勝手に感動してしまいました。ああ、泣ける。セルフ感動製造機(くも製造機)を私は頭の中に持っている。便利。
(私が時々口走る、「ああ、雲のうえに帰りたいなぁ…」というセリフは、これのことです…特に疲れた時なんかに…)
(ちなみに公式設定的に言えば、まあそういうピンチの場合は、お母さま星あたりが遠くから見ていてくれて、「バラ色雲」を助けに遣わしてくれたりするんだろうなあ、と思います。)
*1:「そうすれば、ふたりはいつもいっしょにいられるし…」(『’70s&’80sサンリオのデザイン』、グラフィック社、2019年、38頁)という、「愛しかないアイデアによるもの」(竹村真奈『サンリオデイズ:いちご新聞篇』、ビー・エヌ・エヌ新社、2013年、35頁)。また、例えば次を参照。サンリオ『リトルツインスターズ アートブック』、パルコ、2014年、50-51頁。
*2:「きっと おとうさま星と おかあさま星が いつも みまもってくれているからよ」──サンリオ『Little Twin Stars Love Stories』、玄光社、2016年、24頁。
*3:「おとうさま星も おかあさま星も あまり かわいがりすぎたため すこしあまえんぼうで わがままになってしまいました」「このままではいけないと思った おとうさま星は おかあさま星と 相談して 地球という星に 旅にだすことにしました」「地球には いろいろ つらいことや かなしいことが たくさんあることを いつも雲のうえから ながめて 知っていたからです」(「リトルツインスターズ物語」絵本、『Little Twin Stars 70's プレミアムBOX』、学研教育出版、2014年)──昔の『いちご新聞』(19号、1976年)の記事や、それを元にした1976年のブックレットをもとに再構成された、小さくて綺麗で、素敵な絵本。ボールペンやブックカバーなどのグッズ類と一緒に、この『BOX』の中に収められていた。元々の『いちご新聞』の記事は次を参照:前掲『’70s&’80sサンリオのデザイン』、36頁。
*4:「ドスン!」と、キキくんが雲から落っこちてしまうエピソードが、昔々の『いちご新聞』にあるみたい(65号、1977年)。例えば次の本で見ることができる:前掲『’70s&’80sサンリオのデザイン』、39頁(←この本が一番おすすめ、詳しい);前掲『サンリオデイズ:いちご新聞篇』41頁(←この本、昔の『いちご新聞』が部分的に載せてあってとても面白い良い本なんだけど…「ぎゅ〜っと縮小して」(3頁)あって、読みたいのに読めないのがつらい…最初に著者のおことわりにもあるんだけど…);『KiKi&Lala Dreamy Diary』、アメーバブックス新社、2011年、70-71頁(←この本はパラパラと気楽に読めるように編集してある…かつてのキキララのブログをまとめた本だが、『いちご新聞』65号のエピソードも載っている)。ちなみにこのエピソードでは、低い距離だったからすぐ戻ることができているけど…もっと高い距離から、2人ともバラバラに落っこちちゃったら…とか考えちゃった…。
*5:『いちご新聞』44号、1977年。前掲『’70s&’80sサンリオのデザイン』、37頁。