ロマン主義アニメ研究会

感想、考察、等。ときどき同人誌も作ります。ネタバレ注意。

神様を信じる強さを私に──「ハローキティのきえたサンタさんの帽子」(とマイメロのクリスマス)

神様を信じる強さを私に。「信じてくれなくてもいいわ。でも、私たちはサンタクロースを信じるわ」。サンリオ製作のアニメ「ハローキティのきえたサンタさんの帽子」(1992年)について。

もくじ

「キティもミミィも、まだサンタクロースが本当にいるなんて信じてるの?・・・サンタクロースなんてお話の世界の人なのよ。本当はいないのよ」(フィーフィー)

「サンタクロースというのはね、本当はお話の世界の人なんだ。実際にはいないんだよ。」(パパ) 

こんなことを何度言われても、キティとミミィは、サンタさんを強く信じ続ける。

だから2人は、「サンタさんの帽子」を追いかける。暗くなったら帰りなさいという大人たちや、森のリス(ローリー)の注意も聞かないで。もうあきらめよう、と言うお友達の言葉にも耳を貸さないで。

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森を駆ける、オーバーオールの2人

「サンタさんの帽子」(みんなの集まる「教会」に飾られたサンタさんのお人形に被せられていた帽子)は、風に吹き飛ばされ、追いかけても追いかけても、不思議となかなかつかまえることができない。追いかけようとすればするほど、サンタさんがいると信じる気持ちも、遠くへ逃げて行ってしまいそうな気がする。けれども、キティとミミィはそれを上から塗り潰すようにして、「サンタさんの帽子」を追いかけ続ける。寒くて暗い森の中へ、割れそうな凍った湖の上へ、2人は「帽子」を追いかけていく。

「しょうがないなあ。思い込んだら一生懸命なんだから」とくまのトーマスが言うように、キティとミミィは強い意志を持った子たちなのです。信じたことは、きっと貫こうとする。そして行動する。森を走る。お揃いのオーバーオール*1は、そんな2人によく似合っている(他のお話でも、真夜中、2人は暗い森の中を、勇気を出して駆け抜けていきました。「止まった大時計」)。

こうやって森を駈ける2人の姿の、なんと愛らしいこと。

夜、お揃いの寝間着を着た2人が、ベッドに入って、

キティ「サンタさん来てくれるかな…」

ミミィ「来てくれるわよ。きっと。」

キティ「そうね、来てくれるわよね」 

と確認し合っている様子の、なんと可愛らしいこと。

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そして何と言っても外せないのが(感動してしまうのが)、キティとミミィが2人でトナカイのソリに乗って夜空を飛ぶ場面です。サンタクロースを信じる可愛い2人の強い気持ちが、こうして報われ、暗い夜空に光り輝く。2人の純粋な魂が、流星のように流れていく(泣いちゃう)。

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暗い夜空と2人の姿とは、「お話と実際との区別」に固執する周囲の人たちと、サンタさんを信じ続けるキティ・ミミィの純粋さとの、鮮やかなコントラストを示しています。

子供だましの「夢」を超えて

キティとミミィに、サンタさんを信じる「夢」を持ち続けて欲しいと考えた「パパ」は、サンタさんに変装して、プレゼントを置きに行きます。

キティちゃんパパの優しさ、思いやり。まだまだ「お話の世界」のことを、「実際」の世界のことのように信じて、「夢」を見たままでいて欲しい……というような、大人の優しさ。

けれども、パパの優しさ(優しい嘘)に包まれて、2人は「お話の世界」にまどろんだまま、「夢」を見て優しく(従順に)、育ちました……っていうような、生易しいお話ではないのです。キティとミミィの2人の強い信念は、そんな大人たちの芝居がかった優しさや思いやりが描く、子供(だまし)の「夢」の領域なんかを、超え出て行く。 

──そういえば、これと同じことを、私はアニメ『サンリオ男子』を観たときにも感じました。「サンリオ」が見せてくれるものは、子供のための、大人が作った、(子供だましの、子供じみた……)”優しい世界”……などではないのです(変装するキティパパ≠サンリオ)。子供の領域どころか、大人の領域(既存の枠組みに縛られた、つまらない大人たちの)をも、軽々と超え出て行く。──サンリオの段ボールに、地球の絵とともに印刷された「世界中がみんな”なかよく”」という言葉は、「世界」という視野から、あらゆる小さな枠を超え出て行こうというような意味も含まれているかもしれません。──『サンリオ男子』でも、小さな枠の中に閉じこもろうとした「男子」を、仲間が引き止めて(「そんなのただのガキじゃないか」by 水野祐)、キラキラと広がる「世界」へとつなぎとめて行くストーリーがありました。

キティとミミィは「帽子」を追いかけて、もうじき暗くなるというのに森へ入って行く。これはたぶん、ふだん大人たちから、やってはならないことと言われていることでしょう。実際、他の子供たちはその言いつけ通り、「もう帰りましょう」などと言って、「帽子」を追いかけるのをあきらめてしまいます。けれども、キティとミミィの信念、強い気持ちは、そういう大人たちの作った安全圏、柵の中の箱庭を、超え出て行く。 キティちゃんアニメの別のお話でも、キティたちは夜中にこっそり家を抜け出したり(「止まった大時計」)、信念に基づいて、サーカスの団長(「サーカスがやってきた」)や、地主のヴィンセントさん(「青い蛍」)などの大人たちにも対抗し、また大人たちを動かそうともしていました(いずれのお話も、ちょっとシリアスというか、大人の世界の薄暗い部分が描かれている)。

要するに、この「きえたサンタさんの帽子」では、キティちゃんパパが変装する(作り物の)サンタさんは、付け髭が風で取れてしまい、キティとミミィがいるその場で、その正体が明らかになってしまうのです。子供だましのつくられた「夢」は、簡単に見破られてしまう。

パパ「はっ……」

キティ「パパ……」*2 

この後、無言の時間がしばらく続きます(気まずい時間……この演出なんなの、効く……)。そして、「パパだったのね……」「クリスマスプレゼントはパパが持ってきてくれてたのね」「プレゼントありがとう」(←いい子たち)。そしてここで、「サンタクロースというのはね、本当はお話の世界の人なんだ。実際にはいないんだよ」と、パパがゆっくり語りかけます。これは、ちょっとしたショッキングな場面のようにも思われるかもしれません。けれども、キティとミミィは、すぐにこう答えます。

「ううん、[サンタさんは]いるわ。パパ、プレゼントはパパだったけど、サンタさんはちゃんといるのよ。」 

キティとミミィは、子供だましの夢が破れたところで、ほとんどショックは受けない。2人の信念、強い気持ちは、もっと遠くにまで届いているから。パパが思っている以上に、2人は大きくなっているのです。

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私たちもまた試される

もう一つ言えるのは、この作品は、見ている私たちもまた試されている、ということです。

先ほどお話しした夜空の場面で、キティとミミィは、サンタさんがくれたトナカイのソリに乗って、みんなの集まる「教会」に到着します。そこでは、フィーフィーたちから、サンタさんがくれたトナカイのソリに乗ってやってきたというキティとミミィのお話が、ウソ……というよりも、2人の集団幻覚のように扱われてしまいます。

フィーフィー「あなたたち、サンタさんがいるって思い込んでいるから、変な夢でも見たんじゃないの?」

キティとミミィの2人だけが、集団幻覚を見ているかのよう。「ほら、サンタさんが笑ったわ。」「ほんとでしょ?」 と、教会の飾りの人形を指差して2人で話す場面なども、フィーフィー*3たちには、少し不気味にすら思われたかもしれません。また、森でサンタさんに会ったとパパに話す2人に対して、パパは、「……[無言]。……いつまでも夢を捨てないのは素敵なことだね。……じゃ、おやすみ」と、静かに立ち去ります。

こんなふうに何度も、サンタさんがいるという信念は、揺らぎかける。劇中のキティとミミィはすぐに信念を強く持ち直すのだけれど、こうした演出は、見ている私たちの信念を揺さぶりにかかってくる。やっぱりこの2人だけがおかしな夢を見ていたのではないか(要するに、そういう夢オチ的な構成なのではないか)、という疑念が浮かびかける。つまり、私たちが、どこまでキティちゃんとミミィちゃんを信じてあげられるのかが、試されるのです。(それにしても、一体どうしてこんな、ある種のサスペンスのような演出をしたのだろうと考えてしまうのだけど、例えば、親と子供が一緒に見るというような場面を想定しているのかもしれない。一緒に見ている大人にも何かを気づかせようとしているようにも受け取れる……。)

そして、最後のセリフ。 *4

「サンタさんはいるのよね」

「そうよ、サンタさんはいるのよ」

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ついでに、マイメロディのクリスマスのお話とお歌について

同じサンリオ関連のアニメで、これよりもずっと後の作品ですが(2005年)、『おねがいマイメロディ』の「お母さんに会えたらイイナ!」も、素敵なクリスマスのお話です。

お話自体が、それこそ涙なしでは見られないような感動ストーリーなのですが、私としてはむしろ、クリスマスの特別な魔法で変身し、お揃いのあったか衣装に身を包んだマイメロクロミちゃんの2人の姿が、もう本当に可愛くて可愛くて……そこに感動して泣いてしまいました。

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(見て、この2人。クリスマスの特別なお洋服を着たマイメロクロミちゃん。なんて可愛いの…。お揃いのケープマントみたいなのを羽織ったりして。)

こんな天使のような、いえ、天使そのものである「ぬいぐるみ」の2人が、「奇跡」を起こすのですよ。あの二頭身の小さな体から、大きな魔法、奇跡が、繰り出されるのです。

それから付け加えておくと、このエピソードの劇中で流れる、マイメロディが歌う「おねがいクリスマス」という曲も、とてもとても素晴らしいので、ぜひお聴きになってみてください。神様を信じる強さ、が与えられるかもしれません。福音、と書いて、マイメロディ、と読む……。

 

*1:この最も原初的な形態における2人の衣装──サンリオの女王に、特にキティの方が上り詰めていくなかで、こんなふうに無邪気に森を駈ける2人の姿は、あまり見られなくなっていくようにも思われるけれど……。──ピューロランドでは、セレブのキティのお家というコンセプトのアトラクションがある(レディ・キティ・ハウス)。ゴージャスなドレスに身を包んだキティは確かに素敵だった。けれども、金魚鉢と牛乳瓶を横に並べて座っている、オーバーオール姿のキティちゃん(そしてミミィちゃん)も私は好き。

*2:はずかしい~~パパ~!恥じらい乙女の表情を見せるキティパパ。かわいい。──クロミちゃんパパとか、キティパパとか、パパシリーズが結構好き。髭なんかはやしてパイプ吸ったりして、いかにも紳士といった雰囲気を出そうとしているのに、あくまでも二頭身でかわいいから。↓クロミちゃんパパ&ママ。

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*3:このキティちゃんアニメに登場する、ひつじさんのお友達。声優さんがマイメロの方と同じ。おしゃべりの速度は全然違うけど、マイペースな感じはマイメロとちょっと似ている気がする。

*4:ちなみに、キティちゃんアニメのエンディング曲「MOON TALK」というバイオリンの曲もよい。けれども、この楽曲を普段からiPhoneとかで聴くのは、かなり困難そう。手に入れる方法がわからないし。