ロマン主義アニメ研究会

感想、考察、等。ときどき同人誌も作ります。ネタバレ注意。

【C96】新規ミニミニ冊子『鏡の国/すてきなセカイ〈補遺〉』頒布します【8/10(土)南ヨ39a】

皆さま、ごきげんよう

当サークルロマン主義アニメ研究会は、今度の夏コミにも参加いたします。

2019年8月10日(土曜日)、南館・ヨ-39a です!

https://webcatalog.circle.ms/Perma/Circle/10371368/

↑おしながきは、ウェブカタログをご覧ください♪ (既刊4冊全て+新規ミニミニ冊子)

(南館って…きっと新しいから涼しいに違いない。)

 

【更新】今回の新しい頒布物

ミニミニ冊子『鏡の国/すてきなセカイ〈補遺〉』

B5判4ページ(B4二つ折り)──無料配布。

(主な内容)最近のごちうさ「旅行」編の連載分について/ルイス・キャロル『アリス』シリーズとの関係/今後の展開、さらに新学期編以降について/etc...!

前回のコミケで頒布した、『鏡の国/すてきなセカイ』(『ご注文はうさぎですか?』の「旅行」編に関する考察・評論・随想本です)を作る際には(時間軸的に)扱えなかった、「旅行」エピソードを描く新たな『MAX』連載分(2019年2月号〜9月号)を取り上げて、前回の本の「補遺」とします。
B5判4ページ(B4二つ折り)で、内容的にも、デザイン・大きさ的にも、前回の本の最後のページにちょこんと挟んでおいてもらえればちょうど良さそうな感じのものになっていると思います♪(既刊をお持ちでない方は是非この機会にご一緒に。)

また今回の「補遺」では、前回の本でタイトルに入れておきながら、わざわざ今さら言わなくてもいいかな…と思って特に触れなかった『鏡の国のアリス』との関係についても割と多く触れています。*1 ちなみにこの点に関して、細かすぎるのでペーパーにも書かなかったことをここに書いておきます(補遺の補遺って感じ):
・トランプとチェス。それぞれ、「不思議の国」編、「鏡の国」編のテーマになっているのかもしれません。1期アニメのオープニング・エンディングでは、トランプが登場します。この「旅行」編ではチェスで遊ぶ場面がありますし、何より「輝きの都」は細かい運河で区切られたチェス盤のようにも見えます(『鏡の国のアリス』の舞台となる場所も、土地が運河などで区切られてチェス盤のようになっている)。

・列車に乗る場面。列車の中で、双子と出会う。

・道に迷い、道を尋ねる、といった場面に「双子」が登場する点(ダムとディー)。

・ホテル支配人の2人は、赤の女王・白の女王、っぽい。ズレた会話(これは前からごちうさの特徴だけど…けど特にあの2人のおかしさ・狂い方は、初期ごちうさを思わせるズレ方)。

無料ペーパーと言いつつ、案外、悪くない出来になったと思います。…そうね、将来、今回のこの「補遺」と、さらにこの先の連載分についての記述を合わせて、完全版の「旅行」編の本を作りたいですね。いつか。

そのほかの頒布物

新規ミニミニ冊子(上記)&既刊4冊全てを持っていきます(本によって在庫数はまちまちです)。既刊についてはこちら↓をご覧ください!

(しっかりとした本の)新刊はありません。すみません…。*2  無料ペーパーか、うす~いコピー誌かなにか、つくれたらつくる、っていうつもりです(いま、ちょっと頑張ってます)。作りました!

過去の既刊はすでに書店委託もしているので…まだお持ちでない方は、それが私から直接、書店委託手数料なしで買える場所、というような感じになると思います(でも入場料が取られるらしいんだよね~、今回のコミケ)。何かのお買い物のついでにでも、お立ち寄りくだされば幸いです。

 

みえるよみえる ──美しい世界の法則

でもちょっと既刊の宣伝をしておくと、前回のコミケ冬コミでの新刊『鏡の国/すてきなセカイ』は、ただいま『まんがタイムきららMAX』で連載中の「旅行」エピソードについての本だったのですが、もちろんその時点で読める連載分についてだけを手掛かりに書いて、「出発編」と称したのですが、──自画自賛みたいで恐縮ですけれど、最近の連載を読んでいても、ああ、やっぱりそういうことが起こるよね…というように、考えていた通りに展開している部分がたくさんあったりして、それなりに自信を持ちました(特に痛感したのは、チノが道に迷って、ココアとココア父にたまたまたどり着く回、など。この辺りの詳細をペーパーに書こうと思ってます…間に合えば…)。

・・・より正確に言えば、「ごちうさ」という世界の法則性をあらためて確信しました。

私たちの世界でも、自然法則を逸脱したことは起こらないですよね。それと同じく、『ごちうさ』の世界でもそうなのだ、と確認できた気がしました。美しく一貫した法則にしたがって、世界は動いている。あらゆる細部が、そのようになっている(あらゆる細部に至るまで、世界の中に無駄なものは一つもないそれは救いであり優しさでもあります=「優しい世界」)。

だから改めて、『ごちうさ』は、まるで私たちの住む自然のようであるし、またKoi先生は神のようである、と思いました(「まるで」「まるで?」「第2の自然だねっ!」)。といっても、このときの「神」概念を誤解しないようにしてください、Koi先生は、あくまでも「時計職人」のような神です、美しく精巧な機械式時計である世界を組み立て、そのゼンマイを最初に巻いたひと──そのような「神」です。個々の出来事に恣意的に介入し、そのつどの奇跡を気まぐれに生ぜしめる、そのような意味での「神」ではありません(=だから「法則」からの逸脱した事象は起こらない、したがってまた、そのような意味での「奇跡」も起こらない)。「神」といえども、組み立てた時計は、一度ゼンマイを巻いたなら、あとはただ見守るだけなのです。私たちと一緒に。

けれどもやっぱり、「ごちうさ」のセカイはキラキラとした「奇跡」で満ち溢れています(「煌めきに満ち溢れている」)。「ごちうさ」の世界に生じている「奇跡」とは、個別の出来事の一回きりのものなのではなく、むしろ、おそらく次のような種類の「奇跡」、すなわち《世界が美しく組み立てられている》ことそのものの「奇跡」なのだと思います。存在論的なレベルでのもの、と言ってもよいかもしれません。

それほどまでに深くて包括的な奇跡。世界そのものの美しさ。──ごちうさが伝えたいメッセージもまた、ここにあると思います。世界の「美しい法則」こそが、著者=神からのメッセージなのだと思います。私がこれからもっと詳しく知りたいのは、この点です。

(ていうか、だから本当に深い深い愛ですよね、『ごちうさ』が、Koi先生が、もたらしてくれているのって。Koi先生のイラストの不思議なくらいのキラキラ感って、結局はこの深い愛に発しているものだと思います。──「愛が詰まっている」…速水奨さん)

「構造萌え4コマ」──私にとっての『ごちうさ

原作はまだまだ続きますし、新作OVA、3期というアニメの展開も控えています(楽しみですね)。

またこれらのアニメの展開の真っ只中で原作の連載が終了するということは、(芳文社のビジネス的にも)ちょっと考えにくいことだと思います。ということは、原作はあと数年は連載が続くということになるでしょう。

このような規模でごちうさ物語の全体を想像してみると、やっぱり私としては、いま手にできている原典──それはまだほんの切れ端かもしれない──だけを手掛かりにこれ以上論じるよりも、もう少し先が見えてからまとめて議論したい、という気持ちです。

 

──そもそも私、『ごちうさ』への取り組み方が、おそらくマイノリティーな方に属するのだと思います。細部より全体、構造、法則、といったものにばかり着目してしまいます。

もちろん細部も大事で、大好きです。けれども、細部はすべて全体に通じている。むしろ、細部そのものよりも、細部に宿っている全体(「神さまはちっちゃいに宿る、とか?」)の方ばかりを見ようとしてしまう。

そして私のごちうさの楽しみ方は、特に最近ますます、このことだけに集中してきているのです。

こう言ってもいいでしょう、すなわち、『ごちうさ』が何らかの意味で「萌え4コマ」であり、「萌えアニメ」だとするならば、私がこの作品に「萌え」ているポイントは、その物語の「構造」なのです。

これはもう、ほとんど異常といってもいいような楽しみ方なのではないかと思いますが、少数派ながらこういう人たちもいると思います(そういう私と似た人たちを発見したり、そういう人たちに私の考えを伝えたりしたくって、本を作りました)。・・・そうですね、「萌え」の細分化を突き詰めるのがコミケの文化であるとするならば、まあそんなに間違ってはいないですよね、私のやっていることは。──チマメ隊はかわいくて大好きだけれど・・・。毎日画像を眺めたくなるほど好き、っていう感じでも、ないのです。リゼ先輩の肉体美といったものにも興味はないのです*3

そういったわけで、細部や、次々更新される情報(あるいはファンアート)を追いかけて、盛り上がり、萌え上がる、といった楽しみ方に関しては、『ごちうさ』については、私はもう完全にその輪の外にいるのです。

そしてこのように、細部萌え、ではなく、構造萌えに限定されてしまっている私の独特の関心の持ち方のせいで、おそらく、マジョリティの人々よりも、もっとスピードがゆっくりなのです、私の『ごちうさ』の楽しみ方のスピードが。──細部は次々現れますが、構造は次々更新されては構造の意味をなしません。基本的に大きく変わるものではないのです。その姿は、ゆっくり、ちょっとずつ、細部を通じて積み上げられるようにして現れる。

 

こういうわけで、現段階で私にできる限りで、ごちうさの「構造」についてはそれなりに把握し、考え、また既刊に書き記すことができた、と思っています。ただ先ほども述べたように、物語はまだまだもっと大きな全体像を隠し持っているのだとすると──もう少しお話の展開が進んで、まとまった原典が得られた段階で、改めて「構造」に関して考えたいと思います。きっと、わわ!また新しい構造が見えてきた!!萌える(燃える)!!!ってなると思いますので・・・(あるいは、既存の構造がより一層はっきりくっきりと見えてきた!!やばい!!とか)。

このようなわけで、いつの日かそのようなときに、また「新刊の私」でお会いしましょう。・・・ひとまず、勢い余って申し込んでしまったこんどの夏コミには、「既刊を売りに行く人」(&無料ペーパーを配る人)の私がいることでしょう。

 

改めまして、今度の夏も、よろしくお願いします♪

 

*1:うん、そんなの知ってるよ、わざわざ指摘するのは野暮だよ…って思う人もいるかもしれませんが(私もちょっとそう思うのですが)、伝わってない感じもしなくもなかったので…今回お話ししてみました。

*2:新刊がないならコミケに申し込まなくても良かった、という感じもしないでもないのですが・・・コミケの申し込みって、前のコミケが終わって割とすぐ後なんですよね。コミケが終わった後って、気分がちょっとハイになっていて、最もコミケとか同人活動へのモチベーションがキラキラMAXになっているときなのです。だから「申込書セット」があればつい買っちゃうし、つい申し込んじゃう。どうせ落選することもあり得るしね~、みたいなのも後押しします。ちなみにありがたいことに今まで一度も落選したことないですニッチなジャンルだから落ちないのかな、とか思ってるのですが。「ごちうさ」ジャンル自体は全然ニッチじゃないですが、「ごちうさ×評論」となるとニッチなのかなって。で、なんとなくコミケット準備会って、「評論」っていう創作形態に理解があるというか、そういうのも割と大事にしようという姿勢があるのかな、って思ったりしています…。──ちょっと話逸れましたが、なので(?)、申し訳ありませんが、今回は新刊はなしなのです。

*3:ごちうさ』で少しそういういわゆる「美少女」の、「男性向け」(と一般に称されるような…実際に「男性」だけが楽しんでいるとは限らないし、逆に「男性」と言われる人なら誰でも楽しめるというわけではない、言うまでもなく)な性的な目線の表現に接すると、ちょっと萎えてしまうそういうのじゃなくていいのに、って思ってしまう──あくまでもこれは私のごく個人的な勝手な気持ちなのですけどね(個人的な・生理的な、感覚の問題、性癖の問題です…個人サークルの個人ブログなのでそういうことも書きます…それらが好きな人を責めているわけでは決してありません──ってちゃんと言っておかないと怒っちゃう人がいるかもしれないから…)。なので、申し訳ないのですが(?)、『ごちうさ』のファンアート系はほぼ全く見なくなってしまいました。──念のため付け加えておきますが、すでに申し上げている通り、このような私の見方のほうが一般的に言って異常なのです。「美少女萌え4コマ」というジャンルに一般的には分類されるもの(それはきっと本来、読者の性的興奮を喚起する意図が少なからずあるはず)に接しておきながら、おかしなことを言うやつ、と思ってください。──たとえるなら、天ぷら屋さんで「天丼の天ぷら抜き」とかを注文しておきながら、ちょっとでも天かすが残ってたら嫌な顔をする人、みたいな感じでしょうか。そして、天丼の器の形だけを鑑賞して満足して帰る人(「構造」が良いよね~みたいなわけのわからないことを言って)、みたいな……つまり変態ですね。天ぷら屋さんからしたら出禁にしたいような客かもしれません……でも、ねえ、こんな私でも『MAX』買わせてよ、お願い。1冊だけどこれからも売り上げに貢献するし……アニメの円盤ももちろん買うよ