ロマン主義アニメ研究会

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『サンリオ男子』アニメをようやく観た

(※一応、ネタバレ注意。また、記事の途中から気持ち悪くなるかもしれません。)

むしろ当事者のために

これは、想像をはるかに上回る素晴らしい作品でした。

なんでもっと早く観なかったんだろう。・・・というか、なんかね、サンリオのお店に行くと、これの歌が時々流れてたんですよ。コミックスも売ってたり。それで気にはなっていたんですけど・・・なんとなく、敬遠していたのよね。サンリオ好きの男性というものを、当事者の外の視点から、微妙に小馬鹿にするというか、面白がる感じかな〜とか、ちょっと思ったりもして(だいたい、わざわざ男子とかつけなくていいじゃん、っていう気持ちもあって…私、あんまり○○女子・○○男子っていう言い方好きじゃないのよね…単に○○好き、○○ファンでいいじゃん、って思う)*1

けれども、そういう感じじゃなかったですね。これは、当事者の外から見て楽しむためというよりも、むしろ当事者のためのものである、とすら言っていいんじゃないかな。当事者が共感しながら見るという見方も、かなり考慮されているような気がする。

第1話で(ショタ康太可愛かったね…)、プリンちゃんを抱えている康太くんがお友達にバカにされている場面とかあったけど、…そして、一度捨てられてしまったプリンを探し出して抱きしめる場面とか…。もう、すべて自分のことを描いているんじゃないかと思ってしまった。

サンリオじゃないのでちょっと違うかもしれないですけど、私も小学生の時、りぼんマスコットコミックスを持っていただけで、塾でからかわれた…塾が始まる前に読んでいたら、あざとく見つけてきて…ってか、これがりぼんマスコットコミックスだってわかるってことはお前らも知ってるんじゃん、って思ったけど。まあ表紙の絵柄などが、少女漫画ですからね。しかも帰り道でもまだ言っていて…、そんなに言うことなのか!っていう、少し新鮮な感じさえして、驚いた記憶がありました。

男の子って、異常にそういうのに敏感なんですよね。他の男の子が、何に趣味を持っているかに対して。放っておいてくれたらいいのに…(君らの好きな、怪獣とか闘ったりするような怖そうなコンテンツ私は嫌いだけど、何も口出ししないよ?)、なんなら君も読んでみる?っていう感じなのですが…。

けれども、一方でさらに複雑なのは、こういうからかう側の男の子の気持ちまで描かれているっていうことですね。この『サンリオ男子』アニメは。諒ちゃんが康太たちに突っかかったのは、要するにこの子もまた、本当は好きなんですよね、キキララちゃんが。キキララちゃんが好きなのに、それを抑えている・・・こうして自分は我慢しているのに、あいつらはあんなにオープンにしてやがる!っていうのが、許せない、っていう、この構造。(塾のあいつらも本当は『りぼん』読みたかったに違いない、何となくわかるんだ私…) *2 

何となく、そういう気持ち悪い構造があるんですよね…些細な趣味、下手をするとシャープペンや筆箱の色のような、とっても些細な趣味にさえ口出しして、ちょっとでも「女の子的なのではないか?」と疑われるような方向(はっきり言って、私にはこれがすでに謎なのですが…)に、「仲間の」男の子たち(…ただ、私にとって彼らの大半は仲間ではない)が傾いていかないように、お互いに監視し合い、牽制し合って、架空の「男の子の帝国」を必死で守ろうとしている、崩壊を食い止めようといている・・・しかもそれを無意識の内にやっている・・・というような感じがします。・・・ああいう子たちは、小さいうちから、どこでそういうの学ぶんだろうね…。たぶん家庭なのでしょうか。

(…余談ながら私の家庭は世間からズレていたので、私が何で遊んでいようと、男の子なのに…みたいなことを言われたことは一度もなかった*3。──うん、というか、逆に、うちの家庭は、そういう区別はよくないんだ!!という考え方に過剰に傾いていたと思います。だから、かえって必要以上に私は「男の子的なもの」嫌悪になってしまったのかもしれないです。そして、それを埋め合わせるかのように、今になって、二次元世界の「クリーンな」男の子たちのなかに「男の子的なもの」を追い求める(それも、ただ見守り憧れる対象として)ようになってしまい──そして例えば今こうして『サンリオ男子』のようなものを鑑賞している──…というような、奇妙な因果連鎖がここにあるのかもしれません…というような個人的な話はこれくらいにしておきます。)

作品の本質

キキララが好きだー!

ピューロランドで、俺、見つけたんだ、やりたいこと!

──など、いろいろな名言?がある。

最初の方では、サンリオ好きなことが、まるで機密事項のように扱われているところも(まあ、やっぱり)面白い。

あとは、ガタイのいい男の子(俊介)が「キティさん」を大事にしているとか(さん付けにしないと怒る)、そういう面白さも、(やっぱり)もちろんある。 

・・・けれども、私が言いたいのは、このようなたぐいの面白さは、この作品のほんの入り口にすぎないです、ということです。この手の面白さはキャッチーだから(なぜキャッチーなのかといえば、それが常識的な偏見に沿っているからです。多数派の、常識的な偏見が「わかる〜」と思えるからです)、たぶん、それが作品への入り口になるように作られているんだろうと思う。でも、少なくとも私にとってこの作品の本質は、そこにはなかったです。

続けて見ていると、だんだんその手の面白さは二の次になってくる──むしろ、こう言うべきでしょう。そういうのが面白く感じてしまう常識的な感性(=康太をからかった少年たちのような感性)そのものに、反省を迫る作品である…のかもしれない。

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おみみのついたみんな

こういう場面も、たぶんこれだけ見たら、笑ってしまう人も多いでしょう。けれども、本編を見ていると、全然、笑う感じじゃないんですよ。むしろ、感動的ですらある(私は感動した)。

この画像で笑ってしまったような人ほど、本編を見て欲しいです。

(ただ、繰り返しになりますが、私は逆に、こういう面白さが先に目についたために、まさに「入り口」で敬遠してしまっていたのです。けれども、いざ見てみたら全然そうじゃなかった、ということです。)

迷わないで
茶化さないで Fun! Fan!? Fun!
2人一緒に
ホントに ダイスキなもの 見つけよう

サンリオ男子「Fun! Fantastic girl!」)

・・・これはアプリ版「サンリオ男子」主題歌の歌詞の一部ですが(私は未プレイ。ゲームのジャンルは「恋愛ゲーム」なので、「2人一緒に」といった歌詞があるのでしょう。なおアニメでは恋愛要素はほぼ全くなし。ただしアニメの「アイキャッチ」では、主人公ふう視点による主観映像が入る…サンリオ男子たちが話しかけてきたりして、ドキドキした)、ここでの「茶化さないで」、「ダイスキなもの」を、といった歌詞には、今お話ししたような意味合いを読み込む余地があると思います。

後半の急展開

お話の後半は、文化祭での「ミュージカル」づくりがメインになっていきます。

サンリオは、単に癒しを与えてくれて、現状維持に貢献してくれるだけではなく、さらに前に進む力、新しいものを作るエネルギーを与えてくれる、というようなことが描かれているように感じました。

ただし終盤、特に康太が仲間と揉めてしまうあたりのお話は、なんとなく、ちょっと、無理があるというか…急展開に感じなくもなかったです。

特に11〜12話にかけてのお話、とりわけ、閉園後のピューロランド前でのやり取りは、なんといいますか…なんだか、急に?こんな感じになっちゃったの?という感じが、ちょっといたしました。

ただ、ああいう展開にした意図は、推測ながら、よ〜くわかる気がします。

つまり、『サンリオ男子』は、「サンリオ」と「男子」を単純にくっつけるだけでなく、「ベン図」のように、交差させてみたかったのだろうと思います(伝わる…?)。その重なる部分には「友達」が入る、というような…(ベン図描けばよかったね…)

要点を言えば、

・「サンリオ」概念の中に、かっこよさ(甘えた感じではなく)、成長すること(幼児退行ではなく)、大人になること(子どもではなく)、といったものを、見つけようとした。

・その手がかりとして、「友達」というキーワードを、特に後半、強調した。

・・・こういうことなのだろうと思います。

そもそも、「サンリオ」概念には、可愛さ、楽しさ、あたたかさ、癒し・・・といったものに加えて、「友達」というキーワードも、重要なものとして含まれていると思われます。(たまに『いちご新聞』などを読んでいても、強くそれを感じますし、またそもそもサンリオショップは「ギフトショップ」と言われるくらいですから、それはお友達にプレゼントを買いに行く場所であって、つまり「サンリオ」は、お友達とお友達とをつないでくれるものとして最初から位置付けられていると言えます。)

 

12話前半、祐が、ピューロ閉園後の〝鎖の柵〟(あれ正式になんていうの?)を超えて、康太のところに近づきます。これは、康太の自分一人の世界(=閉園後のピューロランド=閉ざされた心)を、(ちょっと強引に)こじ開けて、踏み込んでいく、ということを表現しているでしょう。

そして、自分一人の世界(=誰もいない、一人だけしかいない、夜のピューロランド)に閉じ籠ろうとする康太に対して、「そんなの、ただのガキじゃないか」と、祐は指摘するわけです。

つまりこの場面で、ただの「ガキ」・「子ども」のままでいることが、価値観としてはっきり否定されているのです。要するに、『サンリオ男子』においては、{ サンリオ・ピューロ 〜 子どもっぽさ }という結びつきを断とうという意図があるのだろうと思います(そしてそれは、この作品の意図であるばかりか、おそらくこの作品の「原作者」である「サンリオ」社の意図でもあるでしょう)。 *4

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(↑オープニングは、このような全然違う色使いを交互に使っているのが、面白かったです。)

サンリオ男子』アニメのオープニングでは、甘いパステルカラーと同時に、ビビッドな色や黒っぽい色使いの場面が交互に差し挟まれていました。まさにこのことに表現されているように、この「サンリオ男子」という概念が、子どもっぽいものに甘えた、幼い、頼りない男子たちのことを指すのではなくて、むしろ、可愛げがあるけれども、同時にやっぱり強くてかっこいい男子たちとしてきちんと描かなければいけない!という強い意図があるのだろうと思います。

そして、そのような、「男子」たちがサンリオやピューロランドに、ひたすら単なる癒しを求めて、べったりと子供っぽく一人の世界に閉じこもっていくようなお話だとは思われたくない!という、制作者たちの強い意図、恐れのようなものが少し強すぎたあまり、アニメの後半では、展開が焦りぎみと言いますか、なんとなく「急な」感じになってしまったのかもしれません──もちろん、こうしたことはあくまでも単なる推測ですが。 

りょうちゃんかわいい、かわいいりょうちゃん

・・・と、いろいろもっともらしいことを書きましたが、まあ、はっきりって、この作品を楽しんだ要因の大半は、諒ちゃん(&キキララ)です。

ずっと、りょうちゃんかわいい、かわいいりょうちゃん、はああ〜〜〜♡ って見ていました。(それなのにアニメ終盤に近づくにつれて、冷静な「考察」をし始めてしまった私が、ちょっと嫌になりました。)

とにかく、諒ちゃんかわいい、かわいい諒ちゃん♡♡です。

ひたすらかわいいので、諒ちゃんのためだけに見てもいいレベル。もう、ほんっとうにかわいいから。

家族から溺愛されすぎているが、それもわかる。私が家族なら絶対溺愛する(したい!)。…家族でなくても溺愛する。

一人称「俺」。これもいい(↓こういう見た目で、俺、って!きゃわわわゎゎゎ…やばい)。 

推しの推し

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会長(誠一郎)と諒ちゃんとの回(第5話)が最高によかった。二人ともかわいすぎる。

・・・ごめん、可愛いって言うと怒っちゃうんだよね、でも可愛いよ、諒ちゃん。だから心の中で言うね。

ずっと諒ちゃん回はまだかな〜と思って楽しみにしていた。(あの色白金髪で読書好きの美少年はまだなの!?まだなの!?ってずっと待ってたから。)

しかも!!この一番好きなキャラが、私が一番好きなキキララちゃん好きだったというのが、とってもうれしかった!のです!! 推しの推しが推しだったっていうことですよね(??)、これ。

こういうのって、幸せなことのはずですよね!?(よくわからないけど!)

(でも現実に諒ちゃんがいたら仲良くなれるきっかけになりそうですよね!だからやっぱいいでしょ!!)

会長もかわいい

会長がキキララなのかな〜、とか思っていたら、違ってた。(会長も好きだからそれでもよかったけど!)

それにしても、会長・・・

諒ちゃんかわいい、諒ちゃんかわいい、は、ず〜っと、絶叫しながら見ていましたが、

 

会長が第5話にきてこんなにかわいいとは・・。

LINEのアイコンが飼い犬と思われる柴犬の写真・・・。会長がこの犬をかわいがっている姿を想像するだけで、きゅんとする。(その後犬も出てきた。)

会長もかわいいよ。会長。ピューロランドで癒される会長。

会長はそれまで一切そういうそぶりが描かれずに、ひたすら質実剛健、文武両道、といった感じの描かれ方が徹底していたところがよかった。その会長が、会長が〜〜!シナモンちゃんと握手している姿・・・かわいすぎる・・・。シナモンよりかわいいくらい。

 

ちなみに第5話、会長と諒ちゃんとが向かい合って話す場面で、二人の飲み物のチョイスも、りょうちゃんがロイヤルミルクティーだっていうところとか(紅茶花伝っぽい)・・・やっぱり、という感じで細かい(諒ちゃん好きそう〜。イギリス生まれ?の、色白で可愛い諒ちゃんは、やっぱりロイヤルだし、ミルクですよね!)。

 

会長が好きすぎる諒ちゃんが可愛すぎる

諒ちゃんは、会長が好き過ぎる(あ〜かわいい)。

せんぱい!って呼んでるの(かわいい)。会長に対してだけ素直とかって・・・もうやばいですよね。 

毎朝、先輩が練習するところを、弓道場のフェンスから見てる。これもう可愛すぎないですか!? しかも、別に弓道に特に興味があるとか、入部したいとかじゃないんですよ? 先輩が見たいからって…は〜かわいい。

諒ちゃんは、自分に体力がないことをなんとなくコンプレックスに感じていて、だから、たくましい男の先輩に憧れちゃうのかな・・・可愛すぎる・・・。そして、「よし、じゃあ俺も鍛えよう(入部しよう、先輩筋トレを教えてください…)」とかってならないところが可愛すぎですよね。 憧れるから毎朝見に行く、って・・・。

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諒ちゃんが、会長が卒業するとき泣いちゃう様子なども想像した(泣いてる顔もさぞかし美しいことだろう…。長い睫毛に涙が掛かって…詩的な美しさ。まさに美少年。──それで思い出作りに2人だけで(制服で)ピューロに行ったり…。その様子を一部始終物陰から見守りたいですね…あ、ええっとこの辺りはまったく本編にはない妄想です…) とまあ、こんなふうに妄想が広がるくらい、会長が好きすぎる諒ちゃんが可愛すぎる、ってことです。

その他

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お泊りのとき、いつも一人だけ、パジャマ!っていう感じのを着ている(パジャマ姿やばい)。お祝いされて喜ぶりょうちゃん・・・。16歳なんだ〜。ああ、かわいい。(このお風呂上がりのほわんとした感じも良さすぎる…気のせいじゃないよね、明らかにせっけんの香りがしてきた…いや、お金持ちの家の高級なハーブとかが入ったシャンプーの匂いだこれは……ええっと、これ以上は控えておきます…)

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エンディング映像。良い。王子様感。この後、会長と諒ちゃんの間に一瞬ハートができる。

 

*1:そもそも『サンリオ男子』は恋愛シミュレーションゲーム版もあるので、そのことを考えれば、一応ゲーム上は恋愛対象であるのだから、小馬鹿にする、というようなことにはなりえないと言えばなりえないのですが…タイトル以外、あんまりよく知らなかったのです。 

*2:とっても大げさに言えば、「男子」に与えられている抑圧の構造っていうものを描いていると言えるかもしれません。引用符付きの”立派な”成人男性という「主体」を形成する「権力」が(主体の間で)作用しているさまを描いている・・・っていうような、大きな話に広げてもいいのですが、ちょっと今は疲れるのでやめておきます・・・それよりそもそも、諒ちゃんかわいい、キキララかわいい、諒ちゃんがキキララ好きで嬉しい、っていうことが言いたかったから、この記事を書いたのです。見てよかった。

*3:だが靴やお洋服の類だけは(やんわりと)許してもらえなかった記憶があり、少し恨んでいる(さすがにそこが限界だったのだろう)。

*4: 広い背景まで視野に入れるならば、少子化などの社会背景も踏まえて、企業としての「サンリオ」は、子供だけでなく、大人にもサンリオ商品をこれからもっとたくさん売りたい、という意図などもあるかもしれません。そしてそのためには、サンリオは甘ったれていて子供っぽい、というイメージではなくて、むしろ大人こそサンリオ、大人こそピューロ、というイメージをもっとつけたい、というような、企業としての意図もあるかもしれません。そんなわけもあって、ピューロやサンリオは、会長が一度そうしようとしてためらっていたように、自分一人の世界に入り込んで、甘やかされるようなもの、としてではなく、むしろその逆に、自分たちを成長させてくれるものとして、描きたいのだろうと思います。子供の心に戻してくれるだけでなく、さらにそれを通じて、むしろ「大人」にしてくれるものとして、描きたいのでしょう。