ロマン主義アニメ研究会

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本物のニセモノ──サイリウムチェンジについて(『プリパラ』)

サイリウムチェンジしなくなっちゃった・・・」

って思った人は多いかもしれませんが、

「プリズムジャンプしなくなっちゃった」、ってかつて思った人もいたはずで、そういうもの、とだけとらえればいいのかもしれませんが。

 

「チェンジ」しない

すでに『アイドルタイム〜』の時点で、プリパラの色使いは、原色使いの過剰な装飾主義(「ビビッド」)から、ゆめかわいい色使い、いわゆるユニコーンカラーにシフトしていました。とはいえ、サイリウムチェンジは残っていて、実は、なんとなく、ゆめかわな色使いとの差が感じられなくもなかったです。

パステビビッド

素敵だもん なやんじゃう

(ゆい&らぁら「ブランニュー・ハピネス!」)

とはいえ、にの *1 )

 

「おひめさま」の「どれす」

そしてこういうのは、確かに子供は好きだろうな、と思います(また、私も好きです…((装飾の過剰性という点で、プリパラはロリィタ・ファッションと通じるものがある…と何となく思っています。)。

子供にクーピーとか色鉛筆とかを渡して絵を描かせると、だいたいああいうてんこ盛りな色使いの、上品とは言えない絵を描きす。

それから、「おひめさま」の「どれす」みたいな絵を、子供はよく画用紙に描いていますが、これもまた、スカートが過剰に何段にもフリルが付いていたり、リボンが過剰だったりするような、決して上品とは言えないデザインです(=「野生のサイリウムコーデ」、と呼ぶことにしましょう…)。

 

*1:にののブランドは「Neon Drop」でしたが、考えてみれば、そもそもサイリウムコーデはたいてい、ネオンカラーであったと言えると思います。わざわざにののブランド名にネオンなどという言葉が入っているのは、明らかにゆいの色使いを踏まえてのものです。やみちるといったアイドルたちの色使いは、はっきりとしたものですし、無印プリパラのアイドルもたくさん登場しますから、サイリウムチェンジはそれほど浮いたものではありませんでした。

むしろ、どちらかといえば、ゆいの色使い(「パステル」)だけが、唐突に挿入されていた、とすら言えるかもしれません。

 

しかし『プリチャン』に入ると、全体の色使いが、一層淡くなっていきます。

もうこうなると、サイリウムチェンジの居場所はなくなります。

 

──そもそも、プリチャンでは、サイリウムチェンジに限らず、「チェンジ」をしないのです。

 

プリパラチェンジもしない。

 

なぜなら、なんでもない日常の中に、キラッと輝くものを見つけ出す、というのが趣旨ですから。

まさに文字どおり、インスタ映えSNS映えの価値観です。

 

「メイキングドラマ」も、確かに、日々の中で感じたことがベースになっているべきものです。

しかし、あくまでも日常は単にベースになっているというだけであって、それを精神的な世界で「ドラマ」へと練り上げていかなければなりません。

 

もはや日常から、非日常へと「チェンジ」しないのです。

  

プリチャンでは、ほんとうであることが、プリパラではニセモノであることが、大事にされている、という言い方ができるかもしれません。

(お花は買わずに花屋で撮影して終わりにする。流行の服はインスタにあげたらメルカリで売る。──先日、お花屋さんでお花を選んでいたら、お花をじっくり選んで買うのかと思いきや、写真だけを撮ってそのまま去っていく、という人を、短い滞在時間の中で、それこそ本当に何人も何人も、見かけました。一人や二人ではなかったので、かなり驚きました。…確かに画像が欲しいだけなら、お花は「邪魔」だものね。お水換えたりしなきゃいけないし。) 

 

リアルライフの記録たるSNSも、結局のところ、SNS映えする絶妙なポイントをけんめいに探して撮られた写真に、さらにフィルター加工を施してアップしているわけですから、もうちっとも本物ではない・・・のですけれども(それもお互いみんな知っているのだけれども)、やはり、それは本物ですよ、リアルライフですよ、という建前がたえず生きています。

 

私はどちらかというと、ニセモノであることを楽しむほうが好きかもしれません。

(初めから盛大に、ニセモノですよ!と宣言して、ニセモノ世界で思いっきり泳ぎ回るほうが楽しいのではないか、というような気いたします。)

 

サイリウムチェンジの色使い

サイリウムチェンジって、はっきりいって、下品なんですよね。

服がサイリウムになって、光ってしまって。 

けれども、こういうのが、見たいんですよ。

 

うすーい色・味付けの、生活クラブ生協的なお菓子もいいけれど、

時には、外国とかの、カラフルな色使いの着色料てんこもりなお菓子とか、食べてみたいんですよ。

駄菓子だって食べてみたいんです。赤とか緑のゼリーみたいなやつとかね。

 

紫京院ひびきが、芸術とか、ほんものとか、と言っているけれども、それもまたどう考えたって、ニセモノなのです。アイドルは、どう頑張ったって、本当の芸術には到達できない。そして、そんなものに到達しなくていい、ということなのです。

(むしろ、そこには到達したくないんです。「本当の美」といったものから目を背けたまま、宙づりのまま、ふわふわとそこらを漂っていたいのです。伝統、歴史、真実、といった「重さ」は、勘弁して欲しいのです。…そういえばひびきが『存在の耐えられないアホ』という表現を使っていたのが印象に残っています。)

 

「本物」を知る人物として紫京院ひびきが登場しますが、

その紫京院ひびき自身が、所詮は、あんな色使いのサイリウムコーデを好んでいるのです。語尾が嫌いなら、おそらくあんな色使いも嫌いなのではないかと思うのですが、そうではないのです。

(「本物」の味を知る人がネスカフェを飲むわけがないだろう!というツッコミを入れてはいけないのです。あくまでも「本物のネスカフェ」、本物の駄菓子、本物のサイリウムチェンジ、でとどまる世界なのです。)

(おそらく、最も本物ぶっているひびきが最もニセモノである、ということにこそ、意味があるのではないかと思います。レオナとの会話を思い出してみましょう。「すべては演技」、なのでした。それゆえ、「私とひびきさんとはちょっと違うみたい」とレオナは結論付けます。──レオナは、それゆえ、もしかするとプリパラの中で唯一「本物」なのかもしれません。「私はあるがままです」。((これは完全に、レオナ教の私の、偏った意見です。レオナのみが本当の本物なのだ、と、思いたいのです。──しかもそれは、SNS的リアルライフ、という意味でのそれではありません。・・・レオナ君はインスタ[ないし、プリスタグラム]なんかやるだろうか…自分からはあんまりやらなさそうです。ウサギとかドロシーに言われて、ようやく始めそう(いまどきアイドルならみんなやってるウサ!とか)。…あ、それはいいね。すっごい癒されそう、レオナのアカウント。