ロマン主義アニメ研究会

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プリパラが完璧なファンタジーであった理由の一つ──渦巻く欲望

◆中毒性

 『プリパラ』は、本当に、強力な依存性のある、コンテンツでした。

(比喩表現です。個人の感想です。)

 

『プリパラ』は、見ていると・遊んでいると、酔ってくるし、天国に連れて行ってもらえるの。

 

(例えば、前にも言いましたが、プリパラ・アニメは、まず、ストーリーの部分が、絶妙な仕方で可愛く狂っているのです。でも、終始その調子で進むので、だんだん狂っているとかどうだとか、ということ自体が、どうでもよくなってくるのです。気持ちよくなってくる。そして、そうやって気持ちよく、ふわっと地上から足が浮いているような、夢見心地になっているところへ、強烈なライブシーンが始まるのです。プリパラの、あのめまぐるしいライブシーンは、もう暴力的とも言っていいほどの輝き、煌めきに満ち満ちているのです。

 歌が中毒性のあるキャッチーなメロディーであるのはもちろんのこと、振り付けも素晴らしいのももちろんのこと、さらに、舞台セットがかなりカラフルで目まぐるしく、さらにメイキングドラマなどのぐるぐると目まぐるしいシーンが入り、その上、サイリウムチェンジといったように、過剰な演出に演出が重ねられていく。衣装も舞台装置も、装飾に次ぐ装飾、色彩の上に色彩が重ねられていて、この過剰さに、クラクラとしてしまうのです。

 ──要するにまとめると、ストーリー部分のフワフワ感ですっかり下ごしらえができたところへ、強烈なライブ部分が直撃することで、完全に出来上がってしまう、というわけです。)

  

◆この中毒性の背後にあるもの 〜じゃぶじゃぶ 

  「プリキュア」などもそうなんだけれども、要するにこういう女児向けアニメの多くは、ジャブジャブお金を使わせるための宣伝アニメで、おもちゃをじゃんじゃん買わせたり、ゲームをどんどん遊ばせようとするために、一生懸命考えて作られているわけです。

(補足)例えば「プリキュア」に関して、『まほプリ』では「ヨクバール」が「敵」になっていたのが面白いですね。作っている側の「欲」を隠す意味もあるだろうし、また消費者が、あのおもちゃもこのおもちゃも、って、ちょっと欲張りすぎかしら、私たちをヨクバリにするようなアニメなんじゃないのかしら、などと罪悪感を抱くのをあらかじめ防いでいるようにも思えます。「欲張る」こと(ヨクバール)はこの世界では敵なのだから、ヨクバールを倒すためにあれもこれも買い揃えることは、ヨクバリじゃない、というわけです。・・・だから、かえってこういう裏返した形で、実ははっきり、この女児向けアニメの底にある欲望・ヨクバリが具現化されているいう見方もできます。

 

 長い時間をかけて、だんだんとその世界に引き込んでいって、プリパラはいかに素晴らしいものか、・・・しかも、お勉強やお手伝いともきちんと両立できるし、不良のお友達ができるわけでもなく、かえって、人間として成長できる、というような、反論に対するあらかじめの反論も織り交ぜながら、ゆっくりと、プリパラはいかに素晴らしいものかを、刷り込んで行くわけです。 

(女児向けアニメについて、大人でも楽しめる!とかってよく驚きとともに言われたりするけど、こういう女児向けアニメってそもそも大人が楽しめるように作ってあるんじゃないでしょうか。結局、テレビつけてあげて見せたり、子供を映画館に連れて行ったり、おもちゃをジャジャブ買ってあげるのは大人なんだから。むしろ本来のターゲットは大人のお財布なのだから、最初から実際には大人向けに作られていると言ってもいい。これは素晴らしいわ、これならうちの娘(息子)にも勧められるわ!と思わせなければいけないのだから。)

  

・・・で、私が言いたいのは、だから良いんだよね!ということです。

 売りつけたい、売りつけたい、というギトギトした脂ぎった欲望に突き動かされて、大人たちが計画して必死で作り上げるからこそ、これほど完璧なファンタジーが作られたのだろうと思います。

 

◆たとえば『アリス』

  例えば、詳細は分かりませんが、『不思議の国のアリス』は、ロリコン数学者の、アリスちゃんを何とか振り向かせたい、写真を撮りたい、とかっていうようなギトギトした欲望が、生み出したものとも言えそうです。(平凡社ライブラリー、キャロル『少女への手紙』を読むと、これは面白いんですが、こう解釈するのはあまり間違っていない、という気になると思います。)

 つまり、ギトギトした欲望が、見ているものを誘い込んで、閉じ込めて、もう二度とここから出られなくても良い、と思えるような、完璧なファンタジーを、生み出すのではないでしょうか。

(これを、文章、ファンタジーでやるのではなく、物理的に行うと犯罪です。彼もそんなことはしなかった。そうではなく、絵本を作って読ませたり、お手紙を送ったり、という方法で、つまり言葉を使って、それを行おうとしたのです。)

 

 プリパラに感じる、中毒性、どうすることもできないほどの、あっち側に連れて行かれるような感じというのも、こういうのに少し似ているんじゃないかと思います。

 もうすっかりやられてしまった私としては、そういうファンタジーで手篭めにされたいし、もっと催眠術をかけられてしまいたいと、自ら思うようにすらなりました。(そして、じゃぶじゃぶとお金を使ってしまいたいです。)