ロマン主義アニメ研究会

アニメに関する考察・・・というより、アニメ等を契機に私が思考した事柄、随想的なものを載せています。またここは評論・随想サークル「ロマン主義アニメ研究会」のHPでもあり、たまに告知等も載せます。

あじみちゃんに見るプリパラの偉大さ──他者とトモダチ

 今日は黄木あじみちゃんのお誕生日だということなので(いま、ふと書きたいことがでてきましたので)、あじみちゃんについて。

 また、あじみちゃんにその栄光が如実に現れているところの、プリパラの「偉大さ」について。*1

 

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安易に流されないアイドルたち :みかんの例

  例えば、みかん。割とシリアスな場面でも、みかんは相変わらず食べ物のこと(あと、あろまのこと)しか言っていなかったり、ムシャムシャと肉まんを食べ続けていたりするのがいいですよね。徹底している。そういう安易な方向に流されない。みかんはあくまでもみかん。簡単に、ありがちな方向に流されない。

 

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アイドル終了ぷり、で、深刻な場面。みかんはひたすら食い続けている。このむしゃむしゃ音は、もう犬とかそういう可愛さ。

 

 

そして、あじみちゃん

 あじみちゃんもそう。

 ああいう「ぶっ飛びキャラ」と総称されるようなキャラクターは、しかし大抵の場合、たいしてぶっ飛んでいなくて、割と安易に、「実は周りをよく見ている」「実はまともな人で、わかった上でそうしている」とかっていうような、「実は~」みたいなのが、割と簡単に出てきたりしてしまって、はっきり言うと私はそうなってきた途端に、スッと興味が減退するタイプの人なのですけれども、あじみちゃんはスゴイ。というか、プリパラは本当に偉大である。

 

 そういううんざりするような、中小企業の事業所とかの人望厚いおもしろ課長さんみたいな──ああ嫌だ、今ちょっと言及するだけでうんざりだ、そういうつまらない・つまらなすぎる、常識的な、表面的なぶっ飛びキャラ(ちょっと変わって見えるけど、実は周りをよく見ている・・・みたいなね、なんだよ、「周りを見てる」って、キョロキョロすんな!!)、なんかじゃ、全然ない!!のです。

 

 あじみ先生は、そういう安易なつまらない、「世間」の「平均的日常性」に回収されないのです。だから「芸術家」なのです(にわかにハイデガーっぽくなってきた)。・・・個性的、個性的、って言うけど、その程度の丸く収まるような「個性」なんかじゃないのです。

 

 そして、だからプリパラは偉大なのです!そういうあじみちゃんが、当然のように存在している世界がプリパラなのです。プリパラの「偉大さ」は、こういうところに如実に現れている。

 

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このスーツケースの運び方。いつでも絵を描けるように、でしょうかね。

 

「くるくるちゃん」とのエピソード(シーズン2・第45話)

 あじみちゃんは登場の時点から、様々に「逸脱」し続けてきましたが、特に決定的だったのは、やっぱり「くるくるちゃん」とのエピソード。すでにフルーツ泥棒&フルーツ語尾がヤバイのですが(その時点で既にプリパラタウン内の服みたいのを着ている)、あれは、つまらない平均的日常性に則れば、ひびきとお友達になって、ひびきが元気付けられました、というような流れになるところですよ。違う。そんなくだらない展開にはならない。ひびきは徹底してシャットアウトしつづけて、結局ヨーロッパラに旅立つ最後の最後まで、シャットアウトし続けました。そしてあじみちゃんはあじみちゃんで、一切それに、一瞬たりとも動揺することなく、くるくるちゃんとお友達になりたいダヴィンチ~と言い続け、異常な執拗さで追いかけ続けました。──素晴らしい!!と思いました。

 

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 「友達恐怖症」に陥ったひびきを少しでも助けようとして、あじみちゃんはくるくるちゃん、くるくるちゃん~~~と駆け寄っているのですけれども、その意図が全く成就していないどころか、むしろ逆に、ひびきの「友達恐怖症」を加速させているのです(そしてあじみはそのことに気づかず、また一切無頓着)。語尾嫌い、友達恐怖症、というひびきが現在苛まれている一種の精神的な問題の原因は、実はかなりの部分、あじみちゃんが作っていたのです。さすがにこれには、ほかのメインキャラ達もドン引きというか、え~~!!と、総ツッコミを入れていました。

 

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心優しいレオナちゃんも、「や、やりすぎ…」とこんな表情に。

 

 常識に支配されたカボチャ頭なら、あの話は、ひびきとあじみの幼少期の心温まるエピソードになるに違いない、と考えてしまいます。そういう安易な発想に、強烈なパンチをお見舞いするのがプリパラなのです。

 あじみちゃんの一方的な「意図」は、全く成就しておらず、むしろ逆の作用を及ぼし続けている。そしてあじみちゃんは一切そのことに気づいていないままであり、しかも、最後の最後までそのままである(少なくともシーズン2までの段階)。

 安易に和解したり、融合したりしない。このズレは放置されたままである。放置されたまま大団円を迎え、「み~んなトモダチ!」と総括される。

 

差異のポリティクス

 他者が他者として存在し続ける世界。プリパラの「み~んな友達」、というのは、こういう次元でのものなのではないか、と思わされます。差異を持った者どうしの友愛。一つのものに同化して、溶け合ってしまうような、全体主義的な「友達の友達の有機体」ではないのです。

 

 だから、プリパラは偉大なのです。

 

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 はい、改めて、あじみ先生、お誕生日おめでとう!

 

 

*1:<注:私は今『プリパラ』アニメシーズン2までを見ており、その内容に基づいている。その内容については、ネタバレが含まれる。また、ゲームのことはまだ詳しくない。>