ロマン主義アニメ研究会

評論系?サークル「ロマン主義アニメ研究会」のブログ(および主の完全に個人的な雑記帳)です🌟「ごちうさ論」しりーず新刊&既刊書店様委託販売中🐰よろしくお願いします♪♪♪(※なお当ブログの記事は全て「ネタバレ注意」となっております)

プリパラとの出会い──トリップ、エクスタシー、中毒症状

なんで今まで『プリパラ』アニメ、見てなかったんだろう。本当に後悔しかない。これほど自分の求めているもの、自分の好みに、どハマリ・どマッチングしているものは、滅多にない。

 (今、アニメの第1シーズンの、真ん中くらいまで見ています。この段階ですでにもう、いろいろ思うところがあるので、書き記します。この後を見たら、ゲームをやったら、またいろいろ考えも変わるかもしれないけど、とりあえず。)

笑える

おかしくなるくらい大爆笑しながら見ている時もある。あんまりに大爆笑してしまった時なんかは、あれ、ちょっと精神的に不安定な状態にあるのかな、などと心配になる。

こんなの、子供向けのありがちなギャグ、よくある面白展開にすぎないんじゃないだろうか、そんなに卓越した面白さがあるんだろうか、他の作品のこういうギャグ要素とどこがどう違うんだろうか、・・・とかって考え始めると、なんで自分はこんなに笑っているのかが不思議で、少し心配になったりする。

だけれども、どうしようもない。考えたら理由は全然わからないけど、抑えられずに大爆笑してしまう。おそらく意識できない細部に至るまでが、全体的に、私にとって愉快に感じられるのだろう。また私にとって絶妙にマッチしたテンポなのだろう。とにかくいつも大爆笑してしまう。

ふわふわと浮遊しながら進むやり取り

誰もが個性的で、無自覚なうちに我が道を行ってる感じで、マイペース。そんな子達がズレた感じやり取りする様子は、ふわふわと心地よい浮遊感がある。全体的にトボけていて、終局的なツッコミが不在で進んでいく。ズレていくコミュニケーションを正気に戻すような、一方的に常識を押し付けるような、絶対的「ツッコミ」がいない。

感動する

と同時に、うっかりすると割とすぐ泣かされてしまう。結構感動的な場面があるのだ。そふぃとレオナの密かな絆とか。みれいの1周年のお話とか。

でも、感動的なシーンでも、さっき述べたように、いつもどこか抜け感があるので、笑いが残るようになっている。なんというか、諧謔のようなものが常にあるんですよ。真剣なんだけど、むさ苦しくならない。こういうのが好きなんです。「抜け感」あってこその爽やかな感動。 

何もかもが異常に可愛い

 ──お洋服

あらゆる場面でみんなが着ている服、それはプリパラタウン内やライブ時のコーデはもちろん、日常シーンの私服なども、いちいち着ている服がみんな可愛くて、どの子もどの子も、いつも本当に可愛い。(可愛いしか言っていない)

──らぁら

キャラクターもいろんなタイプがいて、絶妙。

主人公らぁらはこういう女児・少女向けコンテンツのヒロインの王道なのでしょうけれども、なんだか、らぁらは特別に好きになりました。最初のオープニングの、街を歩いている途中で立ち止まり、少し首をかしげてこっちを見るカット、そしてそのリフレインで変身後らぁらが重なっていく、というところがあるのですが、多分あの時、一目惚れしたんでしょう。 「オシャレなあの子、マネするより~♪」のところ(ここの歌詞もいいしね!)。 

f:id:miusow:20171023021501p:plain

f:id:miusow:20171023021509p:plain

──レオナ、ドロシー :「ボクはレオナとしかパキらないの!」というセリフの魔力 

「パスタVSにんじゃ」の回あたりから、レオナ&ドロシーが劇的に可愛いですね(既に冒頭のシーンから可愛い。二人の部屋も可愛い)。

ライブ後、らぁらがトモチケ交換を申し出ると、「ボクはレオナとしかパキらないの~~!」と言ってドロシーは逃げ出してしまう。かっ、かわいすぎる!・・・そして、何と素晴らしいセリフなんだろう。何度も口の中で繰り返したくなる。「ボクは レオナとしか パキらない」。私は誰々としかパキらない、というこのセリフの、何とも言えない甘さ、かわいさ、そして想像力をかきたてるその背後にあるいろいろな含み。ああ、『プリパラ』っていいなあ。

「仲良しさん」の関係

あの、ちなみに、あんまり鼻息荒く楽しむ感じじゃないですけど、「お友達」というのがテーマになっているくらいだし、お友達どうしの「仲良しさん」の関係を随所に見出して、にこやかに見守る、ということはできるようになっています(オブラート)。

 要は、「ロリで百合」だなんて良いことしかない!ということですが(結局はっきり言ってしまってるけど)、でもそんな鼻息荒い感じの態度ではダメです。この優しい世界は、そーっと楽しまないと。壊してはいけないのです。

うふふ、素敵なお友達ね、というくらいで、微笑んでおきましょう。

「ありがとう、みれぃ、だーいすき!」とかね。らぁらちゃん、すぐ無邪気に抱きついたりするから、委員長はちょっと戸惑っちゃうのですよ。

優しい世界

女児向け作品は、トータルで「優しい世界」だから、とても良いですよね。現実世界が全然優しくないんだから、娯楽においてくらい「優しい世界」が見たいです。

・・・けど、「マスコットの墓場」の話はちょっと怖かった。第1話の時点で言及があって、実はずっと気になっていたけど。なんというか、そういうアイドル業界の薄暗いものが、チラ見えすることもなくもない。

でもこの優しい世界が「優しい世界」であることには変わりはない。「優しい世界」が優しくあるためには、ちょっと「優しくないもの」が出てきて、それが最終的に「優しさ」に回収されていく、という展開が必要なのです。「優しい世界」とは、そういう世界のことを言います(定義)。 

と、同時に、「高貴なもの」の価値観

アイドルランクとか、天才とか、「高貴なもの」の価値観が、随所に見られるのは確かです。少女漫画などに典型的ですけれども、少女向けコンテンツには、たいてい「高貴なもの」の価値観が含まれています。あんまりリベラルじゃない。(そういう「高貴なもの」の価値観が鼻につくという人は、少女趣味的な世界に入り込めないのではないかと思います。) 

けれども現実は、建前上リベラルである、というかそうあらねばならないことになっている。そこで、「好き」という気持ちとか、「笑顔」とか、何かそういった、どうにもならなくもなさそうで、やはりどうにもならないものを、その物差しに使うのです。

だけれども、やっぱり全てを「優しい世界」が包み込んでくれます。優しい世界とはつまりプリパラの世界のことです。  

サイリウムチェンジでトリップできる──過剰な装飾、異常な多幸感

アニメのライブ映像の、圧倒的なキラキラ感。装飾に継ぐ装飾。色、光、音が過剰な演出。ドキドキ、トキメキ、そしてさらにそれを通り越して、失神しそうになる。

まずストーリー部分ですでにトリップ感があります。全体的にふわふわとトボけたやり取り、終局的なツッコミが不在で進んでいくやり取りが、本当に愛らしくて、心地よくて、ふわふわとトリップしていく。ズレていくコミュニケーションを正気に戻すような、一方的に常識を押し付けるような、興ざめな「ツッコミ」がいない。この、正気に戻してくれる人がいないトリップ感というか、浮遊感が、ストーリーのあらゆるところにあふれている。

そしてこのようなストーリー部分での浮遊感が下地となって、そこへ追い討ちをかけるようなライブシーンで、失神しそうになるのではないかと思います。色、光、音が、てんこ盛り盛りのデコデコ演出なライブに突入していきます。もちろん、そこで歌われる曲も中毒性があり、頭から離れない。ダンスも何もかも素敵です。

特に、ライブ途中、時々笑いかけてくれたり、手を振ったり、という場面があって、その瞬間、時間を永遠にを止めてしまいたいと思うくらいにみんなキュート。

f:id:miusow:20171023032022p:plain

 (↑ここのレオナね、しゅき…。毎回絶対画面に手を振る。)

そしてライブはどんどんクライマックスへと向かっていく。(プリパラTVの場合、)ランウェイ、メイキングドラマ、そして、その時点ですでに多幸感で瀕死な状態なのに、さらに追い打ちをかけるように、フィナーレのサイリムチェーンジ!

色、音、光、何もかもが過剰な演出。ここでエクスタシーに到達します。恍惚。脳内麻薬物質で昇天。呼吸するのも忘れている。まさに「多幸感」と表現するべき感覚。豪華絢爛、天国への階段。

f:id:miusow:20171023032112p:plain

(↑ねえ、もう見てよこれ。すごいでしょ。)

プリパラのこの過剰な装飾・演出がもたらす、失神しそうな多幸感、絶頂感というものが、もう本当の麻薬のように、病み付きになってくる。もうやめられない。次第に、プリパラ以外のことがすべてつまらなく思えてくる。プリパラを見ている時間だけが幸せで、それ以外のときは、何をしていても、どこにいても、早く帰ってプリパラを見たいと思うようになる。 

そこで、プリパラを見ていない時間もプリパラで埋め尽くそうと、『プリパラシールブック』(第1弾、第2弾)を何冊も買ってきて、生活のあらゆる日用品にプリパラシールを張るようになる。[昔は大事にしていたアップル製品の「リンゴマーク」の部分(要はこのマークに対してお金を払っていたのだが)も、上から覆い隠すように、レオナきゅんのシールを貼る(今や、こんな陳腐なマークよりレオナだ)。]

家中プリパラ、外でもプリパラ、まさに「今日もプリパラ、明日もプリパラ、そういえば昨日もプリパラ~」(第53話冒頭)という状態になる。

中毒症状

こんなふうに、呼吸困難な状態で見ながら死にかけている。・・・だから、私にとって大変身体に悪いアニメでもあるのです。

ちなみに私の以上のような状態は、プリパラの「アニメ」の、シーズン1の半分くらいを見ている時点でのお話。すでにこの段階で、この「天国」状態に陥った。

当然、「元々のプリパラ」のことだってやっぱり知りたくなる。プリズムストーンというところにも行ってみたくなる。ウサギやユニコンのぬいぐるみも買いたいよ。

これだけ心を掴まれているけれども、まだ「プリパラ」という元々のゲーム?をやったことがない。やりたいけど、それが「何」だかもよくわかっていない。あの子たち、何をスキャンしてるの?どこで?という基本的なことも分かっていない。

うちにはまだプリチケ届いていないな~と思いながら見てたんですけど(碁笥の中にもなかった)。待ってたら来るんですかね。──プリパラいいなあ、自分もプリパラに行きたいなあ・・・。女の子だけ?男の子にはレオナきゅんみたいに可愛くないと来ないの?じゃ可愛くなる努力をしよう・・・というのもいいけれど、こっちの世界のプリパラは、プリチケが届かなくても、おかねでなんとかなりそう・・・?

(後日追記)お店のプリパラやってみた。確かにこれはおもしろい、けど、アニメで見ていて期待したほどのゲームではないかも・・・(女児向けだからね)、けど、プリパラファンならこれもマスターせねば!!という使命感が燃えてくる。

そうか、ニンテンドーDSのソフトがいくつかある、こっちも並行してやって、感覚をつかもう、ニンテンドーなど本体すら持ってない、[だいたい昔からゲームをほぼやらない人だから、任天堂製品を所持したことがない、]けど、このためだけに「本体」から買う。買ったらすぐプリパラシールでデコる。ドレッシングパフェの「テーマ」も、箱から開けたその日にダウンロードする。

ちょっと遅かったけど、これは運命の出会い

出会うべきものに出会うのが、世間のタイミングとずれているなんてことは、よくある。私はシーズン1を、ついこのあいだ初めて見たのだ。

たまたまなのか運命なのか、何とはなしに、動画配信サービスでシーズン1の第1話を見た。その後、あっという間にハマって、すぐブルーレイボックスを全て買った(ライブ映像はやっぱり高画質がいい。通常のアニメの部分は、そんなに繊細な感じの描画じゃないから別に画質にこだわらなくてもいい気もするけど、やっぱりオープニングなんかの多幸感が、高画質だと違う)。CDも全部すぐ手に入れた。そして今、このありさまだ。 

まだ「アイドルタイムプリパラ」まで追いついてない(女児向けは長い)。だがどういうわけか不思議なことに、「アイドルタイムプリパラ」が全てレコーダーに録画されている。プリパラにハマる前の放送分から、なぜか。何か「予感」があったのだろうか、あるいはレコーダーが私の何らかの動きを察知していたのだろうか(勝手にお好み録画?的な機能が付いている)。

で、まだ追いついていないにもかかわらず、公式サイト「お知らせ」を見れば12月に千葉でアイドルタイムプリパラのライブが行われるとある。「渡りに船」とばかりに、即座にそのチケットも入手。ライブの日までには追いつくであろう。

とりあえず今は、こういう状態です。