ロマン主義アニメ研究会

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プリパラとの出会い(前半)

 なんで今まで『プリパラ』アニメ、見てなかったんだろう。本当に後悔しかない。

  これほど自分の求めているもの、自分の好みに、どハマリ・どマッチングしているものは、滅多にない。

 (今、アニメの第1シーズンの、真ん中くらいまで見ています。この段階ですでにもう、いろいろ思うところがあるので、書き記します。この後を見たら、ゲームをやったら、またいろいろ考えも変わるかもしれないけど、とりあえず。)

  

◆笑える

  おかしくなるくらい大爆笑しながら見ている時もある。あんまりに大爆笑してしまった時なんかは、あれ、ちょっと精神的に不安定な状態にあるのかな、などと心配になる。

 こんなの、子供向けのありがちなギャグ、よくある面白展開にすぎないんじゃないだろうか、そんなに卓越した面白さがあるんだろうか、他の作品のこういうギャグ要素とどこがどう違うんだろうか、・・・とかって考え始めると、なんで自分はこんなに笑っているのかが不思議で、少し心配になったりする。

 だけれども、どうしようもない。考えたら理由は全然わからないけど、抑えられずに大爆笑してしまう。おそらく意識できない細部に至るまでが、全体的に、私にとって愉快に感じられるのだろう。また私にとって絶妙にマッチしたテンポなのだろう。とにかくいつも大爆笑してしまう。

 

◆ふわふわと浮遊しながら進むやり取り

 誰もが個性的で、無自覚なうちに我が道を行ってる感じで、マイペース。そんな子達がズレた感じやり取りする様子は、ふわふわと心地よい浮遊感がある。全体的にトボけていて、終局的なツッコミが不在で進んでいく。ズレていくコミュニケーションを正気に戻すような、一方的に常識を押し付けるような、絶対的「ツッコミ」がいない。

 

◆感動する

 と同時に、うっかりすると割とすぐ泣かされてしまう。結構感動的な場面があるのだ。そふぃとレオナの密かな絆とか。みれいの1周年のお話とか(あのときばかりはクマになりたいと思った)。

 でも、感動的なシーンでも、さっき述べたように、いつもどこか抜け感があるので、笑いが残るようになっている。なんというか、「諧謔」のようなものが常にあるんですよ。真剣なんだけど、むさ苦しくならない。こういうのが好きなんです。「抜け感」あってこその爽やかな感動。

 

◆何もかもが異常に可愛い

 ──お洋服

 あらゆる場面でみんなが着ている服、それはプリパラタウン内やライブ時のコーデはもちろん、日常シーンの私服なども、いちいち着ている服がみんな可愛くて、どの子もどの子も、いつも本当に可愛い。(可愛いしか言っていない)

 

 キャラクターもいろんなタイプがいて、絶妙。

 

──らぁら

 主人公らぁらはこういう女児・少女向けコンテンツのヒロインの王道なのでしょうけれども、うまく言えないのですが、そういう、元気・にこやか・ややドジ少女主人公というものが、私は、嫌いではないけど、とりわけて関心を持つこともないのですが、らぁらちゃんに関しては特別ですね。なんだか、らぁらちゃんは特別に好きになりました。

  最初のオープニングの、街を歩いている途中で立ち止まり、少し首をかしげてこっちを見るカット、そしてそのリフレインで変身後らぁらが重なっていく、というところがあるのですが、多分あの時、一目惚れしたんでしょう。

 

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「オシャレなあの子、マネするより~♪」のところ。

 

 ・・・いや、あれで一目惚れしない人がいるのだろうか。完全に射抜かれた。射抜かれたよ。──なるほど、これが天性のアイドルの素質ということか。

 

 

──レオナ、ドロシー :「ボクはレオナとしかパキらないの!」というセリフの魔力

 

 「パスタVSにんじゃ」の回あたりから、レオナ&ドロシーが劇的に可愛いですね(既に冒頭のシーンから可愛い。二人の部屋も可愛い)。

 

 ライブ後、らぁらがトモチケ交換を申し出ると、

 

「ボクはレオナとしかパキらないの~~!」

 

と言ってドロシーは逃げ出してしまう。

 

 かっ、かわいすぎる!・・・そして、何と素晴らしいセリフなんだろう。何度も口の中で繰り返したくなる。

 

 「ボクは レオナとしか パキらない」。

 

 私は誰々としかパキらない、というこのセリフの、何とも言えない甘さ、かわいさ、そして想像力をかきたてるその背後にあるいろいろな含み。

 

 ああ、『プリパラ』っていいなあ。

 

◆女児たちの「仲良しさん」関係

 あの、ちなみに、あんまり鼻息荒く楽しむ感じじゃないですけど、「お友達」というのがテーマになっているくらいだし、お友達どうしの「仲良しさん」の関係を随所に見出して、にこやかに見守る、ということはできるようになっています(オブラート)。

  要は、「ロリで百合」だなんて良いことしかない!ということですが(結局はっきり言ってしまってるけど)、でもそんな鼻息荒い感じの態度ではダメです。この優しい世界は、そーっと楽しまないと。壊してはいけないのです。

  うふふ、素敵なお友達ね、というくらいで、微笑んでおきましょう。

 

 「ありがとう、みれぃ、だーいすき!」とかね。らぁらちゃん、すぐ無邪気に抱きついたりするから、委員長はちょっと戸惑っちゃうのですよ。

 

◆優しい世界

  女児向け作品は、トータルで「優しい世界」だから、とても良いですよね。現実世界が全然優しくないんだから、娯楽においてくらい「優しい世界」が見たいです。

  ・・・けど、「マスコットの墓場」の話はちょっと怖かった。第1話の時点で言及があって、実はずっと気になっていたけど。なんというか、そういうアイドル業界の薄暗いものが、チラ見えすることもなくもない。

 でもこの優しい世界が「優しい世界」であることには変わりはない。「優しい世界」が優しくあるためには、ちょっと「優しくないもの」が出てきて、それが最終的に「優しさ」に回収されていく、という展開が必要なのです。「優しい世界」とは、そういう世界のことを言います(定義)。

  

◆と、同時に、「高貴なもの」の価値観

 アイドルランクとか、天才とか、「高貴なもの」の価値観が、随所に見られるのは確かです。少女漫画などに典型的ですけれども、少女向けコンテンツには、たいてい「高貴なもの」の価値観が含まれています。つまり、あんまりリベラルじゃないんです。

 (そういう「高貴なもの」の価値観が鼻につくという人は、少女漫画の世界に入り込めないのではないかと思います。・・・リベラルな市民社会の規範の埒外にあった少女という立場が、現代でも高貴なものの価値観を継承していた、みたいな分析はできるかもしれませんけど、興味がないです。(アンチ社会学かぶれ)。) 

 けれども現実は、建前上リベラルである、というかそうあらねばならないことになっている。そこで、「好き」という気持ちとか、「笑顔」とか、何かそういった、どうにもならなくもなさそうで、やはりどうにもならないものを、その物差しに使うのです。

 ーーだけれども、やっぱり全てを「優しい世界」が包み込んでくれます。優しい世界とはつまりプリパラの世界のことです。

 

◆まだプリチケ届かないけど…

  こんなふうに、最初から最後まで随所から常に溢れ出し続けている可愛さだけでも息絶え絶えなのに、そこへ大爆笑の要素とか、あるいは泣いてしまうような展開が来ると、ほとんど、呼吸困難な状態で、見ながら死にかけている。・・・だから、私にとって大変身体に悪いアニメでもあるのです。  

 それにしても、本当にどうして今までこれにたどり着かなかったのか。その存在は何となく知っていたけれども、これは自分は興味がなさそう~、と受け流してしまっていた。そして一度受け流したものに再び戻ってくるにはかなり時間がかかる。ともかく戻ってこれてよかったけど、ちょっと遅かった。 

 

 それと、これだけ心を掴まれているけれども、まだ「プリパラ」という元々のゲーム?をやったことがない。やりたいけど、それが「何」だかもよくわかっていない。「プリパラ」というものの宣伝で、それをやらせるためのアニメ作品だというのは何となくわかるのですけれども、単にアニメとして見ていて、その時点で少なくとも私は、これだけ楽しめている。

 

 こっちの世界のプリパラは、プリチケが届かなくてもできるんですよね? (おかね、で・・・?)  うちにはまだプリチケ届いていないな~と思いながら見てたんですけど(碁石の中にもなかった)。待ってたら来るんですかね。 ──プリパラいいなあ、自分もプリパラに行きたいなあ、どうやったら女児に生まれ変われるんだろう、リアル女児ウラヤマシス・・・と、私の年来の「女児転生願望」がムラムラと湧き上がり、ルサンチマンに火をつけ始めているところです。