ロマン主義アニメ研究会

アニメに関する考察・・・というより、アニメ等を契機に私が思考した事柄、随想的なものを載せています。またここは評論・随想サークル「ロマン主義アニメ研究会」のHPでもあり、たまに告知等も載せます。

『Aチャンネル』のなかの「故郷」──本筋と関係ない感想、けど作品と関係ある感想、BDボックスを観て

Aチャンネル。

BDボックスが出ました。

 

きららフェスタで宣伝を見てから予約して、この間届きました。やっと見ることができました。(あれは宣伝効果があるよね、ということを証明する一事例。)

 

う~む、やっぱりいい。

なんとなく直感的に、自分は今、これを、高画質で、じっくり見直したい気分に違いないという気がして購入したけど、やっぱりそうしてよかった。

 

これは原作はほとんど読んだことが、未だにないのです。

まれに『キャラット』を買うとき、掲載分を読む程度。

 

原作のカラーイラストが綺麗なようなので、原作と画集もそのうちゆっくり楽しみたいとは思っています。

 

(カラー絵のトオルを見たとき、これは確かに可愛いなと思った。何というか、名前からしても雰囲気からしても少年風だが、しかし女の子であるという子が、黒いニーハイソックスを履いている絵は、何とも言えない倒錯的な魅力があった。一種の少年愛的趣味の感情に近いが、しかしまだ少年愛的趣味そのものを直球で楽しめるほどのプロ・上級者でないというような人(私も含め)が、うっとりと眺めるのにちょうどよいと感じた。)

 

しかし、とにかくこのアニメは、アニメとして、本当にいい。

静かに、落ち着いた雰囲気の中、日常がゆっくり進む。ちょっと地味だけれども、やっぱりこういうのが「日常系」のよさでもあるよなあ、としみじみと感じた。

 

全然違うのだけど、

のんのんびより』なんかも確かに、静かに、落ち着いて進むお話なのですけれども、一方で、いわゆる田舎を故郷としない人にとっては、田舎という異世界を覗き見てまわる、ちょっとした小旅行のような気持ちで楽しむ部分がある。

 

なるほど確かに、親しんだことがないのに懐かしく感じるものというのは、時々あって、そういう側面もなくはない。だけれども、やっぱり、こういう典型的な「ふるさとの風景」は、人によっては、全然、その人の「故郷の風景」とは違っていたりして、心からくつろげる故郷の風景というよりも、やはり異世界アドベンチャー的な感覚で見る側面が大きい。

 

完全に個人的な話になるけれども(そもそも個人的な話以外を書くつもりもなければ、書くこともできないけど)、

 

もう、この作品(『Aチャンネル』アニメ)を見ていると、この作品で描かれている場所の空気とか、ちょっと雨上がりの湿った感じとか、落ち葉の散らかっている道路とか、そういうときに遠くの方で少し聞こえるバス通りの音とか(、ファーストフード店から出た直後の夕方の空気のシーンとした感じとか)、そういうもののすべてが、わーっと、伝わってくる。効果音として取り入れられていなくてもいても、勝手に聞こえてくる。

 

要するに、あんまりアニメの本筋と関係ないのですけど(といって何か大きな本筋などないのが日常系だと思いますけど)、こういう背景、空気、湿度のようなものが、本当に心に響いて、じわっとしみこんできて、気がついたらその世界の中に取り込まれて居る。そして、なにか居心地のいい、落ち着ける居場所で、くつろいでいる気持ちになる。要するに、故郷、ふるさと、ということなのだろうと思います。ホーム、と言ってもいい。そういう居心地のよさ、心地よさがある。

 

「故郷」の居心地のよさ。

 

つまりは、あのアニメの背景となっている町は、私の故郷によく似ているのですよ。よく見慣れた景色なのです。どうやら国立に取材しているようですが(アニメの背景はとても綺麗です)、もちろん国立は何度も行ったことがありますが、私の故郷と言うべき場所は、国立ではありません。けれども、国立にも比較的近い場所、東京の西側の(といって「西」すぎない)、密集した住宅街のような場所の、あの独特の居心地のよさです。

 

高級住宅街というほどでもないが、それほど殺伐としているわけでもない。住宅は割と密集しているが、ごちゃごちゃした感じでもなく、古くからある森、というより雑木林のようなものが、所々にあって、雨上がりなどには、湿った木の匂い?というようなものが、自然と漂ってくる。秋頃なら、キンモクセイの香りが、どこからともなく漂ってきたりもします。そんなに人通りがあるわけではないが、決して寂しくも感じない。基本的に静かだけれども、たまに遠くで犬が吠えているのが聞こえたり、バス通りの車の音が、遠くで少し聞こえたりする。

 

いわゆるニュータウンではない。道路は曲がりくねっていたりする。歩行者専用の細い散歩道のようなものが所々にあったりする。たまにマンションもあるが、そんなに高層ではない。一昔前の流行なのか、オレンジとか濃紺色のタイル張りの外壁の、古めのマンションがあったりする。

 

朝にはハトの独特の鳴き声が聞こえる。カラスも最近増えた。スズメは減った気がする。猫も多い(定位置なのか、餌が盛ってあることがある)。年寄りの自転車が、下り坂のブレーキで金切り声をあげている。道路にケンケンパのチョークの跡があったりする。赤色部分だけ日焼けして読めない、電話回線の権利売買の看板がある。

 

・・・これらは少し前のことだから、今でもそうとは限らないけど、そんなに大きくも変わってない気がする。

 

 

で、これらのすべてが、このアニメに登場するかどうかは、確認したわけではない。ただ、こういうもののすべてが、このアニメを見ている私のなかで一挙に想起され、押し寄せてきた、そしてその中で心地よくくつろぐことができた、という体験について記しているのです。

 

 

ストーリーとかに全然言及していないじゃないか、という感じがするかもしれないけど、それこそが今回記しておきたいことなのです。

 

今回、ブルーレイで買い、家に曲がりなりにも設置しているプロジェクターとスクリーンとで見たので、なかなかの大画面で見た。

 

だいたい、劇場公開用ではなくて、テレビ用に作られた作品を、こういう大画面で見ると、たいていの場合、不釣り合いな感じになる。大画面だからといって見やすいわけじゃなくて、むしろ見づらくなる。テレビ用の作品は、本来やはりテレビサイズで見るべきなのだろうと思う。

 

けれども他方で、テレビ用の作品をあえて不釣り合いな大画面で見ることの、特殊な体験の良さというのもある。つまり、見づらさそのものによる効果だ。大画面で見てしまうと、文字通り距離を置いて、ストーリーを抽象化して、筋を追いかけることが困難になり、作品の世界そのものの中に巻き込まれていってしまう。しかし、そもそも作品の中の人たち(登場人物たち)は、「筋」など分からないまま、先の展開の分からない日常を送っているわけだから、実はこういう見方は、作品に没入するにはいい見方である。そして、作品の「筋」よりも、背景の美しさとか、音楽や効果音の響きなどに、自然と注意が向かうことになる。実際の日常生活でも、相手の話を聞いているフリをしながら、そういう話の「筋」なんかよりも、案外、そのとき向こうの方で聞こえていた騒音とか、空気の湿度とか、かすかに流れていた音楽とかの方が、記憶に残っていたりするものだ。

 

 

エンディングも、映像・音楽ともにとてもいいですし(るんとトオルが帰り道が分岐する最後のところで、ハイタッチをして「バイバイ」と言い合う場面で終わる。アニメもここで終わりか、という少し寂しい気持ちとリンクする。また、日常には終わりがある、ということの予感も感じさせる。オープニングがMorning Archという曲で、まさに、一日の始まりと終わりに挟まれた日常を描いている)、

 

また、この作品は劇中の「挿入歌」というのが特徴的なのですけれども、それもいい。

 

そういう音楽も、ポップすぎず、キャッチーすぎず、穏やかで、さわやか。

 

こういうのをまさに日常系というべきなのかなあ、という気がしてきます。少し地味で、静かですけれども、何回でも繰り返し見たくなるような、綺麗な作品です。