miusow’s diary / ロマン主義アニメ研究会

アニメに関する考察・・・というより、アニメ等を契機に私が思考した事柄を中心に、私の個人的な雑記等も書き記しております。

「教訓」はいらない:ヴィトゲンシュタインの映画、平沢唯のおやつ

なんのオチもないとか、さらには何もここから教訓を引き出せない、などと、アニメなどの娯楽作品に不平を言う人が時々いるが、そういう人は、一休さんのとんち問答とか、悪いおばあさんが懲らしめられる昔話とか、何かそういうものを本来のアニメとしてイメージしているのかな、と思う。

 

ミュージカル映画

ヴィトゲンシュタインは、意外なことに(?)、ハリウッド映画を好んでいた。講義が終わると、まず映画を見に行き、それから彼の本来の「仕事」に取り組んだという。

ハリウッド映画、なかでも彼が好んだというミュージカル映画は、ヴィトゲンシュタインの哲学に何をもたらしたのか。──おそらく、まったく何ももたらしていないだろう。だが、ヴィトゲンシュタインという人間の、哲学的思索を含んだ生活のためには、欠かせなかったのだろう。

なるほど確かに、ハリウッド映画も、「言語ゲーム」の一種ではあろう。しかし、そこに「論理」の問題は、「神秘」の問題は、何か「示さ」れているであろうか。

「ばかばかしくて素朴なアメリカ映画は、そのばかばかしさにおいて、まさに、ばかばかしさゆえに教えられるところがある。」

ひとにはばかばかしいものが必要なのである。とりわけ、全身全霊で取り組まなければとうてい不可能であるような、高度な知的活動に従事しなければならないような人にとっては、いっそうそうであろう。

 

◆おやつ

これは言い換えれば、おやつの時間が必要だ、ということになるだろう。

「人はおやつがあるから頑張れるんだよ。頑張った後にはおやつを食べないと!」

平沢唯の言葉である。(※1)

 

プリキュアも、ごちうさも、ひとによってはばかばかしいと思われるかもしれない。甘すぎる、「意味」がなさすぎる、「教訓」がない、と不平を言うかもしれない。(※2)
 
だけれどもそれは、立派な「おやつ」なのであって、やっぱり欠かすことのできないものである。
 
それは、ショートケーキに対して、栄養バランスがおかしい、野菜が足りていない、と不平を言うようなものである。
 
──なるほど確かに、「ショートケーキだけを食べている人」に対しての不平ならば、真っ当であろう。
しかし、世の中の「ショートケーキを食べている人」の大半は、「ショートケーキだけを食べている人」ではないであろう。
 
ショートケーキは、野菜たっぷりカレーでも柿の種でもないから、野菜は入っていないし、辛くもない。
それは甘すぎるくらい甘いかもしれないが、それで良いのである。

 

 

◆注

(※1)2期番外編「計画!」より。また、次の言葉;

あずにゃんが予定表作るとおやつの時間がなくなるんだよなあ」

(『映画』) 

 翻って、あずにゃんに必要なのは「おやつの時間」だったのだ、と言えるだろう。

「梓ちゃんは真面目だから知識の吸収は早かったけど

音楽ってそれだけじゃないのよね

唯ちゃんみたいに最初から知識を凌駕する何かを持っている子もいたけど…」
山中さわ子、『highschool編』)

 

  
(※2)ちなみに言えば、これらの諸作品に、「意味」「教訓」を読み取ることは可能であるが、たとえ読み取れないとしても、何も問題はないと思う。

 
 
参考:野家啓一編『ウィトゲンシュタインの知88』新書館