miusow’s diary / ロマン主義アニメ研究会

アニメに関する考察・・・というより、アニメ等を契機に私が思考した事柄を中心に、私の個人的な雑記等も書き記しております。

【告知】C92『ごちうさ論その1<基礎編>』発刊のお知らせ(2日目東J-82a)

うっかりとしていて、遅くなってしまいましたが、コミックマーケット92で、『ごちうさ論 その1<基礎編>』なる新刊を頒布します。お知らせします。

ご注文はうさぎですか?』に関する考察…というより、随想のような内容です。

 

刊行物の概要

ごちうさ論 その1 <基礎編>』

三浦想(ロマン主義アニメ研究会)

 コミックマーケット92

2017年8月12日(土)

東地区 J-82a

 

A5、56ページ、300円(予定)

 

こちらがサークルカット

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こちらが本の表紙。

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 どちらがカットで表紙なんだか、という感じですね。

 

  

 どのような本であるのか?

 冒頭・「はじめに」から抜粋します。

 ◆本書について

 もともとアニメと原作とをじっくり読みながら、考えたこと、気がついたことなどを常にメモをとってきたのですが、そのメモ群のほんの一部を抜粋して、組み立て直したものです。・・・そのような作業の中で改めて思ったことは、私は『ごちうさ』をほとんどちゃんと観ていなかった、読んでいなかった、ということです。・・・特に原作で顕著にわかりやすいのですが、至る所に巧妙に様々な「仕掛け」のようなものが施されています。ストーリーの展開上欠かせないようなものもあれば、そうでもない細かいものもあり、また複数の連載分を順番に読んだとき初めて気がつくようなものもあります。・・・

 『ごちうさ』は、柔らかく美しいものに包まれていて気が付きにくくなっていますが、存外、その下には「理屈っぽい」骨組みが隠れており、形式的な美を重んじて組み立てられているのです。

 しかも重要なことは、それをいちいち意識しなくても楽しめるようになっていること、・・・というよりもむしろ、それを意識させないように「隠す」ための仕掛けもまた、同時に仕込まれている、ということです。・・・アラ、ということは、私のやっていることは、やらなくて良い、やらない方がいい、余計な試みなのでしょうか。──はい全くその通りだと思います。『ごちうさ』の骨組みのようなものをわざわざ指摘して露骨に見せるだなんていうことは、野暮、無粋そのもの。やらない方がいいことです。

 でもそれが同人誌。きれいな服を着ているのに、脱がせようとする。無粋で、やらない方がいいことだ。だけれども、それを見たくなる。

 あと、もうひとつ言えることは、こころぴょんぴょんの流行語に乗って、次々と派手なプロモーションが仕掛けられて、関連グッズも毎月発売され続け・・・という状況が今でも続いており、多くの人にとって、こうした動きに対処し続けるということが、ごちうさの楽しみ方の大きな部分を占めるようになっている。私もそれが大好きである!・・・のだけれども、しかしながら、少なくとも私に限って言えば、最近、そんなことに夢中になっているうちに、ちょうどドーナツの真ん中のように、原作・アニメをじっくり見返す、ということのための時間が、少々おろそかになってきているような気がしないでもない。もっとしつこく、ネチネチと、舐め回すように、原作・アニメを見返してみたかった。そして今回、そういう時間が取れたので、とても楽しかったです。・・・と、絵日記風にご挨拶を終わることにいたします。

 

 ◆本書の趣旨:「すべてがかわいい」の本当の意味

 絵が可愛い、何よりチノちゃんが可愛い。はっきり言って、私が『ごちうさ』を愛好するようになった理由は、まったくこのようなものです。今でもほとんどがこのようなものであるかもしれません。

 しかしながら、愛好する上でじっくりと原作を読んだり、アニメを繰り返し観ているうちに、『ごちうさ』の可愛さとは、単に絵が可愛い、チノちゃんが可愛い、ということ以上の理由がある、というような事に気がついてきました。

 ・・・と言って、シャロちゃんもリゼちゃんもココアさんも、あるときから千夜ちゃんも、それどころか、青山さん、凛さん、いや、タカヒロやティッピー、それにリゼ父まで可愛いんじゃないか、(最近では委員長だって・・・云々、等々々々・・・、以下無限に列挙可能)・・・ということが言いたいわけじゃないんです。いや、これはもちろんそうだと思います。こんなのは、大前提です。でもここで私が特に言いたいのは、このことじゃない。

 それはすなわち、物語の構造としての可愛さ、人間関係の構造としての可愛さ、とでもいうべきものなのです。──それだからまた、「すべてがかわいい」というのは、無理やり付けられたキャッチフレーズのような気もしないでもなかったのですが、このように考えるならば、むしろ当たっている、と思い直しました。

 『ごちうさ』が可愛く魅力的であるのは、絵が可愛いから、というだけではないのです。それは、物語の構造というレベルから、そうなのです。次第にその事に気がついてから、その点を意識して読み、観るようになりました。すると、それなりにいろいろなことが見えてきました。

 この本では、そのような構造について、私が読んだところを、お話ししてみましょうと思っております。

 

 ◆暗いもの、不安なもの

  また、本書でもう一つ言及することは、『ごちうさ』の暗い側面についてです。ごちうさを規定しているのは、やはり喫茶店です。それも、流行のカフェといったようなものではなく、いわゆる、薄暗い、静かな、古い喫茶店です。いわゆる喫茶店というものがイメージしている世界観が、そのまま喫茶店の中だけでなく外にまで広がっていったのが、あの木組みの街なのではないかと思いますが(「広く浅」い、昔ながらの日本人的ヨーロッパ趣味)、その喫茶店の世界というのは、カラッとした明るさとは、少し違うものを持っています。薄暗い喫茶店で人は何をするか。そこで人は読書をする、考えにふける、ゆっくりと静かに話し合う(「おしゃべり」というよりも)。その証拠に、文学者・青山さんが登場します。彼女は喫茶店というものの利用方法を示しているわけです。何か文学的なもの、少し陰のあるもの、内に抱えたもの、そういうものが、うっすらと常に背景で、この優しく楽しいお話を、規定している。

 それは特にチノちゃんという子を通じて、現れています。そもそもチノちゃん、というより香風家そのものが、カラッとした明るさとは違うものがあります。・・・それで、ココアの明るさがいっそう引き立つわけですが、このような明るさと対照的な暗さ、明るい世界を取り囲むように縁どっている暗い世界といったようなものに着目して読み解く試みも行おうと思っております。

 

 ◆ただし;ごちうさ論は、ごちうさ愛にとって諸刃の剣であるということについて

  ここですぐ、こう思われる方もいらっしゃるでしょう。すなわち、そもそも「ごちうさ論」なる試みに、どういう意味があるのか、その必要性があるのか、ということです。言い換えれば、「『ごちうさ』は考えるんじゃなくて、感じるものでしょ?」と大雑把にまとめることができそうな疑問です。

 こうした疑問については、私はもっともであると思います。正直に申しなすならば、私自身が、この疑問を抱いています。・・・ここで簡潔に結論だけ述べるなら、ごちうさを「論じる」という試みには、確かにかなり「非‐ごちうさ的」と言うべき側面があるけれども、「ごちうさ愛」の発現形態の一つとしてあり得る、というようなことになります。そして同時に、「ごちうさ愛ゆえのごちうさ論」であるとしても、「ごちうさ論」なる営みは、本質的に「非‐ごちうさ的」な要素を秘めているがために、「ごちうさ愛」の実践にとって危険なものにもなりうる、ということを常に意識しておかねばなりません。

 

目次から一部を抜粋してご紹介。

不調和における調和──誤解、伝わらなさ、循環、反復、アルキメデスの点の消失

ズレという問題提起──噛み合っていないけど嚙み合っている / ロリコン数学者のつもりが幼女になっていた問題

 

「もふもふ」とは何か

積み上がっていく「すれ違い」 / 自分のことに夢中である人たち / ドライ / ごちうさの「摂理」 / 見守ること / アルキメデスの点の不在

 

事例1:積み重なる誤解と調和、千夜とシャロ──「鬼と仏と無慈悲なボタン」(原作4-10, アニメ2-9)

事例2:非対称な関係・逆転する関係、リゼとシャロ──「Eを探す日常」(原作4-9, アニメ2-10)

事例3:ズレているけどズレていない、チノとリゼ──「さらばココア!蘇る地獄の記憶!」(原作5-3)

 

(試論)ココア存在論──魔法的なもの

意志と奇跡──なぜチノはそれを「願った」のか、なぜマヤ・メグは「笑った」のか / チノちゃんのお願い事と、メグのお導き / 魔法が浸透する世界 / ココアが遍在する世界

 

アニメと原作

OVA』について:原作5-3〜4、原作5-4、及び、これら以外の原作エピソードが使用される可能性 / アニメ3期があるとすれば / さらに今後のごちうさ

 

(付録)ごちうさ論の非‐ごちうさ性 / あとがき