miusow’s diary / ロマン主義アニメ研究会

アニメに関する考察・・・というより、アニメ等を契機に私が思考した事柄を中心に、私の個人的な雑記等も書き記しております。

リベラルなユートピア:『ARIA』「でっかい自分ルール」の回感想

 

ARIA The Natural』第13話「その でっかい自分ルールを…」

 

◆『ARIA』について

 これから時々、『ARIA』シリーズの感想を記したいと思います。

 

私はこの作品について、リアルタイムでは知りません。

──そもそも私は、ずいぶん長いこと、こうしたコンテンツの大半を小馬鹿にして生きてきたので、後悔しているところです。当時の自分にこれがあったことを教えてあげられたらいいのに、と思うことが、しばしばあります。

 

この作品は、何かと「おすすめ」に出てきます。また以前、『ごちうさ』が好きだと言う人が、是非見るように勧めてくれたことがありました。

 

そこでゆっくりと、配信サイトを使って、『ARIA』シリーズを見ているところです。

(→追記:その後、ボックスセットを買ってしまいました・・・。昔のアニメであるのに、どういう技術によるのか、画質がアップしているそうで、しかもやっぱり音が綺麗です。例えば、1期のオープニングの、はっとするような静かなイントロ、澄んだ歌声の入り方が、ドキッとするくらい綺麗でした。)

(→また:コミックス完全版『ARIA The Masterpiece』が順次出ており、こちらも追いかけているところです。)

  

──なるほど確かに、『ごちうさ』には色々な側面がありますが、その一側面については、確かにこの作品に通じるものがあります。そしてそれは私が好きな「一側面」です。

例えばそれは、二重の意味での「街」の美しさです。それは以下に記します。

・・・あと、動物のかわいさ、とかもありますかね。毎回社長たちが可愛いです。 

 

(でも、このように二つの作品を比較して語る場合、どちらか一方の作品のファンの方が、他方の作品について「それとは一緒にしないでほしい」というように、気を悪くされる可能性があります。そういう場合は、すみません、「この人(=私)の感覚がおかしいのだ」と思っていただければと思います。)

 

 

◆街の「影」の美しさ

このたび感想を記したいのは、アリスちゃんの「自分ルール」の回。これがとても美しく、素敵で、可愛かった。

 

彼女が「自分ルール」に従って街を歩くさま、そしてアテナ先輩をはじめとする周囲の人たちがそれを見守るさまが、描かれています。

 

とても良いと思ったのは、アリスちゃんの「自分ルール」そのものに対しては、誰も一言も、口を挟まない、ということ。

そうではなくて、周りのひと、特にアテナさんは、その彼女の「自分ルール」の敢行を見守り、手助けしようとするだけであるということ。

 

それも、アリスちゃんの納得のいくやり方で、手助けしようとすること。(一度、アテナさんが、これくらいならいいだろうと思って手助けをしたら、アリスちゃんは納得がいかず、やり直ししてしまいます。「もうついてこないで」などと言って。)

 

最後、アリスちゃんが「自分ルール」を「追加」して、アテナさんの影を使って移動するシーンの、なんとも美しいこと。

 

今回は「影」がルールの肝だったわけですが、ネオヴェネチアの街の「影」が、特に夕陽の時のそれが、もう一つの主役であるかのように、丁寧に描かれていて、この街の美しさが改めて体験できるようになっていました。

 

 

アリスちゃんの「自分ルール」は、「自分ルール」なので、その場で本人が決めさえすれば、変更することもできるのです。最終的にやめることだってできる。だけれども、周りの人たちは誰も、そのルールを変えるように諭したり、まして、「もうやめたら?(そんな意味のないこと)」などとは、決して言わないのです。

確かに最後の夕陽のシーンでは、自分ルールが「追加」されます。しかし、それはあくまでも彼女の自分ルールの根本部分を実践するための、小さな改定のようなものです。

 

──とはいえ、この小さな改定というのがこの回の最も重要なところなのであろうとは思います。

 

 

◆共同体としての美しさ

ネオ・ヴェネチアという街の美しさは、もちろんまずは街の造形にあり、今回は夕陽とその影によって特にそれが強調されていましたが、それだけではなく、こうした人間関係にある、ということがわかります。

 

その自分ルールは「でっかい」そうだけれども、本人以外には、そのルールの内容そのものに、どのような意味が、価値があるのか、よく分からないものです。ただ、どのような内容であれ、そのルールが本人にとって「でっかい」ものであるということ、このことについてだけは、周りの人たちは認めている、ということです。だからなんとか成功させてあげたいと思うのです。

そしてアリスちゃんも、周りの人たちのそうした意思に次第に気がつき、受け入れるようになります。それがルールの「追加」として表れます。──これはあくまでもルールの追加であって、ルール自体を廃止したり、今日はそのルールのチャレンジをやめる、というようなことにはならないのです。

 

ユートピア

ここには一つの理想的なリベラリズムのようなもの(・・・「リベラリズム」という言葉はここではあまりに無味乾燥なものに聞こえるかもしれませんが、それに近いもの。「リベラルなユートピア」と言うべきかもしれません)、何かそのような人間関係の理想が描かれています。

 

「街」のもつ、造形的な美しさ、そして共同体としての美しさ。