ロマン主義アニメ研究会

アニメに関する考察・・・というより、アニメ等を契機に私が思考した事柄、随想的なものを載せています。またここは評論・随想サークル「ロマン主義アニメ研究会」のHPでもあり、たまに告知等も載せます。

すべてが「日常」化される:『ガヴリールドロップアウト』感想【補足】

使命を失った天使。
使命がなく、行き場を失うのは、当然である。

 

(以下、前回記した「感想」への補足。

前回記した「感想」: 

miusow.hateblo.jp

[この記事を貼り付ける機能を初めて使ったので、うまくできるかな・・・]

これはさらにその補足で、もはや通常の意味での「感想」からは、だいぶ離れているような気もします。 )

 

 

「活きた自然」のない時代にあっては、

彼女たちは単なる概念としてのみ可能であって、健全な形で肉体を得ることは不可能であある。

(例えば、無機質な見滝原市においては、まどかは健全な仕方で、ほむらちゃんに会いに来ることができない、のと同じであろう。)

 

彼女たちの、悪魔的行為も、天使的な振る舞いも、

人間には理解されない。(大晦日の回・第9話など)

 

それは、何かの余興、コスプレ、といった形でしか、理解されない。

 

行事を好む悪魔(ヴィーネ)が、印象的である。
宗教的行事もまた、単なるイベントである。(第9話)
完全に現世的なものにすぎない。(クリスマス、お祭り、といった典型的な日常系作品的イベント)

 

全てが矮小化され、陳腐化される。現世的なものに変換されてしまう。聖なるものの、この無力さが描かれている。そしてその無力さすらも、彼女たち自身が、楽しんでしまっている。下界にいるうちに、彼女たち自身もまた、その使命を忘れかけて行く。(「本物の」天使姿は、いまやガヴにとって「仮装」である。〜ハロウィン回・第6話。)

 

というよりもむしろ、使命など、もうないのだ。何も彼女たちがすることなど、残されていない。

そもそも神が行うのは、現世的な救済ではなく、魂の救済であるが、もはや人々はそのようなことを求めていない。求める能力すらない。「社会」の中で完結してしまう、その程度の生である。

それゆえ、当然ながら彼女たちの現世における仕事など、いまやないのである。

天使や天使学校の校長は登場するものの、神が登場しない(ようにみえる)が、彼女たちが知らされていない、気がついていないだけで、もはや神はいないのではないか。

 

神の死亡宣告は有名であるが、正確には、最初から死んでいた、というよりそんなものなかった、というべきなのである。

 

天界の遊びが昭和で止まっている、古い、という描写がある(帰省の回・第10話)。そういうギャグなのだけれども、つまり、天界は、現実世界とずれているのだ。(実際には昭和どころか、500年以上、あるいは2000年ずれていると言ってもいい。)

もはや天使の居場所がない、ということに気がついていない。

それなのに毎年せっせと留学生を送り出している。それほどに、彼らは能天気なのだ。


おそらく、「つくった人たち」はそんなこと絶対に考えていない、という人がいるかもしれない。私もそう思う。作品の成立は、作品の理解と切り離せない。作品の理解は、著者の意図を超えることの方が、むしろ普通である。