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miusow’s diary / ロマン主義アニメ研究会

アニメに関する考察・・・というより、アニメ等を契機に私が思考した事柄を中心に、私の個人的な雑記等も書き記しております。

化粧から垣間見る世界の半分:『ハチクロ』山田さんを思い出して

ハチミツとクローバー コスプレ

化粧をする。だけれどもそれは、1日、半日、数時間で落としてしまう。

 

数時間後にはすっかり消してしまわなければならない絵を、毎日のように描く。これが、化粧をして生きるという事である。

[今日はアイラインがうまく引けた!とかって思っても、その成功を保存しておいてまた使う、という事はできない。もちろん技術としては蓄積されるかもしれないが、肌の状態やその他の条件で、最適なメイクは変わっていくだろう。いずれにしても「全く同じ」メイクは、二度と再現できない。]

 

従来、一般に女性がする事、とされてきた事柄というのは、こういう事が多いような気がする。──断っておくと、女性の役割とはこうだとか、そういう事を言いたいわけでは全くないし、そこにある様々な問題を無視したいわけではない。ただ事実として(一昔前までの事に過ぎないかもしれないが、いずれにしてもある時期まで)、女性はある一定の活動をする傾向が多かったかもしれず、その要因はいろいろあり、そこには問題があるかもしれないが、ともかく事実としてはそうだったかもしれない、そしてそれに対応して、ある種の生き方や人生観、または文化のようなものが生み出されてきたのではないか、ということを言いたいだけである。

 

母親がよく言っていた言葉を思い出す。洗っても洗っても、また汚いお皿が増える。やってもまた元に戻る事の繰り返しだ。──家事というのは、確かにそういう営みだ。料理というのも、そのようなところがある。食べたらあっという間に消えてしまう。もちろんだからと言って、無意味ではない。すぐ消えてしまうはかないものだが、無意味ではないものが、この世にはたくさんある。

 

なんというか、そういうことに多く従事するという事は、人生観や生き方、あるいは文化のようなものに、大きな影響を与えるだろうと思う。一つ一つ崩れないレンガのようなものを積み上げていって、何か巨大な「体系」=「大伽藍」のようなものを構築しようとする、それを生涯の仕事にする、というような生き方とは全く違う人生観、文化が、そこにはあるだろうと思う。どちらの生き方が優れているとかいないとかを言いたいわけではない。むしろ、どちらかといえば、「大伽藍」方式の生き方で見落とされてきた大切なものも多いんじゃないかと思う。

 

 

ハチクロ』の「山田さん」の事を思い出す。

みんなで花火に行くという事で、山田さんという女の子は、友達(はぐちゃん)と、親戚のおばさんのところに浴衣を借りに行く。こういう柄がいいんじゃないかとか、こういう着方をしたほうがいいとか、こんな髪型にしようとか、何時間もかけて、あれこれ悩んで、考えて、工夫して、浴衣を着る。そしてようやく夕方になって、仲間たちと、花火大会に行く。

そこへ、真山という男が、仕事か何かで、少し遅れて、花火大会にやってくる。山田さんは、真山の事が好きで、それは片思いである。到着した真山は、山田さんを見て、ほんの一言、こういう。「山田 ユカタ似合うな」と。──真山としては、どれくらい深い意味でこう言っているかわからない。軽い挨拶のようなことで言っているだけかもしれない。山田さんの気持ちを知っているから、気を遣って言っているのかもしれないし、恋愛感情ではなく山田さんの事は大切だと別の場面で彼は言っているので、そういう気持ちの表現かもしれない。どういう心理がそこにあるのかわからないが、ともかく、一言、到着後の挨拶のように、真山はそう言う。そして、山田さんの浴衣について、真山はそれ以上、特に何も話さない。花火を見上げているばかりである。

 

そして山田さんは、心の中で、こう言う。

 

「そのたったひと言がききたくて/ 髪を結って キモノを選んで 大さわぎして着付けして 慣れない下駄を履いて ………」

羽海野チカハチミツとクローバー』4巻, 集英社, 2003, 74頁.)

 

浴衣を選んで、あれこれ悩んで、髪型を考えて・・・、あれもこれも、すべて、この一言のため、たったこの一言のためなんだ、と。

 

 

ここから読み取れることがある。(この作品自体の趣旨、意図とは少し外れるかもしれないが。)

 

真山は、山田さんが、あれこれ悩んで、着付けをしてもらって、(直接見えない)下着はこういうのにしたほうがいいとか、そういう細かい工夫、努力、思案の事を、ほぼ何も知らない。知る事はない。そして、今後もおそらく永久に知らないままだろう。

 

もちろん真山だって、何も知らないわけじゃないだろうが、どういう詳細な努力があったかは、やはり知らないままである。

 

とはいえ、もちろん、山田さんも、真山に、こういう努力の詳細を知ってほしいわけじゃない。むしろ逆に、知って欲しくないだろう。あたかもナチュラルに、そこに、その可愛い姿で、初めから存在していたかのように、見てほしいだろうと思う。

 

ただ、ここに決定的なズレがある。男と女との間にあるズレ、大げさに言えば、世界の半分がすっぽり見えていないというような事態が、ここにある。