miusow’s diary / ロマン主義アニメ研究会

アニメに関する考察・・・というより、アニメ等を契機に私が思考した事柄を中心に、私の個人的な雑記等も書き記しております。

C91ごちうさ同人感想(1)全年齢

  このたび心に残った作品を、ほんの一例ですが、以下に列挙します。(基本的にココチノ、チマメばかりです。)

  

■さくらパレット『夢でもいっしょ!』

 

 キャンプでのココアさんの写真を見るチノちゃん。「キャンプ楽しかったな〜」とあり、そうです、チノちゃんは独り言の時は、だいたい丁寧語じゃないのです。細かいです。

 

 中盤、チノちゃんは、「ココアさんの夢なんか見たくないです」とツンと言ってしまう。そしたらココアさんは、意外と「そうだよね、勘違いだよね・・・」と言う。──確かに、ココアさんは、元気全開、打たれ強い人かと思えば、そうでもない。ココアさんはココアさんで、チノちゃんにどう思われているかな、と、実はいつも気にしている。ココチノ喧嘩シーンを思い出します。ココアさんは、時々、拗ねたりするのです。

 

 で、立ち去ろうとするココアさんを、後ろからギュッとつかんで、抱きつくチノちゃん。・・・これがもう、たまらない。この方の作品では、チノちゃんがココアさんの服の裾をギュッとつかむという場面が多いように思うが、それが良い。ココアさんの裾をギュッとつかむチノちゃん。きゃわわわわ・・・・キュンキュン。

 

 

 

■まっさら『ぷれみあむココアデイズ』

 

 すごく良い話でした。ココアさんが小さくなって、チノちゃんがお姉さんになってみる、というような話。ミニココア(幼少期ココアちゃん)が、ラビットハウスに来たらどうなるか、という設定。

 とにかく、ミニココアがかわいい。それから、お姉ちゃんをしているチノちゃんが新鮮でかわいい。

 

 また、イラスト集『KAWAUSA!!』も、表紙のチマメがかわいかったです。ポポロンパーカー。その他、全部かわいい。チノちゃんの表情が良い。

 

 

■EARTH RISER(あーすらいざー)『きんいろトロイメライ

 この方の作品は、ごちうさへの愛を感じる。本編にあってもおかしくない話が多い。

 

 

■きよシコの夜『ご注文はぱっつんですか?』

 かわいい。ぱっつんチノちゃんもかわいいけど、前髪をちょこんと結んだチノちゃんが本当にかわいい。おでこ。かわいい。

 後半は、童話をテーマにしたごちうさキャラのイラスト集。赤ずきんで、マヤが赤ずきん、メグが狼になっているところが良いですね。

 

 

 

■Fluffy×Fluffy『Fluffy×Fluffy vol.5』

 イラスト集。チマメがとにかく可愛い。

 メグ誕生日用のメグメグ丸が、かわいすぎる。

 ブランケット用のココチノ絵もいい。

 

 

■@ism『petit-lapin

 イラスト集。チマメ愛がある。表紙で、チマメ三人が魔法少女化。

 フルール衣装のメグが素晴らしい。本編でも、私は大喜びで見ておりました。よすぎる。

 コメントにもあるように、バレエ衣装チマメもよすぎますね。

 

 

■こねこぼたん『箱の中の子猫は』

 

 チノちゃんが、ココアさんに、嫌われているのではないか、と、いろいろ暗く考えているところへ、ココアさんがやってきて・・・というところは私の『ごちうさ』観と合致し、共感できた。

 

 ただ、この方の作品の傾向でもあるが、チノちゃんが、ココアさんの匂いハアハアというところからスタートする。確かに本編でも「安心する匂い、まだかな・・・」と言ったり、「匂い」的な要素はあります。だけれども・・・。

 

 とはいえ、前作『シュレディンガーのココアさん』の不安な終わり方に対して、続編であるこの作品では、読者としては安心できたのでよかったと思えた。ただ、千夜シャロが今度は心配になる。どこか不安定さを残す傾向がある、この方の作品は。

 

 確かに、『ごちうさ』においては一般に、優しく可愛い世界が強調されるために、不思議さ、不安、といったような側面は見過ごされがちであるけれども、じっさいには、間違いなく後者が常に根底にある。そういう側面が描かれているとは言える。

 

 

 

■みずいろチュートリアル『Marry Me?』

 ココチノ結婚ものは意外と、あまりないのではないか。

 

 

 

C91ごちうさ同人感想(0)完全に個人的なまとめ

  今回、少し欲張りすぎて買いすぎたので、なかなか読みきれなかったのですが、ようやく全部読めたので、個人的にまとめておきたいと思います。(基本的にココチノ、チマメばかりです。)

 

 まずは、全体的な感想。ごちうさ二次創作同人に私が求めるものについての(完全に個人的な)まとめです。

 

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■キスが見たい

 

 いろいろ見ていて気づいたが、結局、自分がごちうさ二次創作同人に求めているのは、キスだったのだろう。「キス」。キスくらいは、しているんじゃないか、していてほしい、という妄想に対応してくれるものを、好んで読んでいることに気がついた。

 (でも、決して、決して、本編では、映っているところでは、しないでほしい。せいぜい「おでこにキス」(cf. TP2016)くらいにしてほしい。むしろそれはしてほしい。)

 

 で、それ以上となると、ちょっと引いてしまうというか、自分の中で、途中から、『ごちうさ』とは関係のない別の、通常のエロい漫画、という感じで読んでいることに気がつく。名前がたまたまリゼとかマヤとか同じで、外見が似ているキャラが出てくる、というような。(それはそれで、独立したものとして楽しめるものもたくさんあります。)

 

(・・・と基本的には思っていますが、「あめうさぎ」さんの18禁本は、こういう自分の考えの例外となるものです。この違いはなんなのだろう。)

 

 

■結婚も見たい

 

 あとは、結婚とか婚約が見たい。

 

 今回、少数、見かけました。ココチノ、マヤメグ、など(ココチノ、チマメ関係の本しか探求していないので、ほかの子たちの組み合わせだと、あるのかもしれないです)。

 

 「キス以上は〜」とか言っているのになんですが、生々しい関係というよりも、「ケッコン」という抽象的な(子供どうしがよくわからずぼんやりと約束するような感じの)関係ならば、読みたいですね。まさに二次創作ならではのものとして。

 

 あんまり、ごちうさ二次創作で「ケッコン」はない気がする。見てみたい。(まどほむがケッコンする二次創作は好きでした。)・・・ない理由はもちろんあるのだろうけど、でも案外、空想的・抽象的な意味での「ケッコン」は、ごちうさ二次創作としては、なかなか良いのでは、と思います。

 

 

 

■二次創作を読んで気づかされること

 

 二次創作を読んでいると、『ごちうさ』には、そうだよね、こういう側面もあったね、というようなことに気がつく。目立つ方とは逆の、「もう一つの側面」というか。

 

例:

 

・ココチノ関係:チノちゃんが振り回されている、だけじゃなくて、逆にココアさんも振り回されている部分もある、とか。

 

・優しく安心できる側面、だけじゃなくて、不安・不思議・奇妙な側面もある。(そもそも、いつもチノちゃんの頭の上には「不思議」が乗っかっている。あの「不思議」は、なんというかカワイイのでごまかされているが、よく考えたら、「不安」ですらある。)

 

 

 

■(付記)ココチノ本におけるリゼの役割

 

 ココチノいちゃいちゃ系の同人誌でのリゼの役割はたいてい、最後の方のコマで、「あいつら遅いけど、なにやってるんだ・・・」とつぶやくとか、「二人とも、どうかしたのか?」と尋ねるとか。

 

 『ごちうさ』本編の世界から離れて二次創作的空間に迷い込んだあと、再び本編的世界へと戻ってきたことを読者に実感させる。これにより、先ほどまでの二次創作的世界の過激さとのギャップが強調され、余計に興奮する。(例えば社内恋愛を隠しているときの、平日日中オフィスにおける興奮に近いかもしれない。)

 

 

チマメ隊が「示す」世界:ごちうさ・チマメ隊AL『chimame march』感想(3)「みえるよみえる」

 『chimame march』収録のチノ・メグ曲、「みえるよ みえる」。

 

みえないものが みえるよみえる

急いでいたら知らない世界 おとなの落とし物なのかもね

みえてるものは ちがってみえる

雲のかたちがゆっくり変わり 美味しそう

あれは…クロワッサン!

 

自然と涙が出てきそうに、静かな感動を呼ぶ曲だった。

 

この子達の新鮮な、世界を見る目。

 

「スニーキングストーキングストーカーストーリー」(原作第3巻p.67以下、アニメ2期第8羽後半)を思い出す。この二人の、ゆっくりゆっくり進む、木組みの町の探検の風景が浮かぶ。

 

「ときめきポポロン」もそうだけど、

この子達の新鮮な世界を見る目、というのが、ものすごく感動を呼ぶ。

 

日常系は世界を描かない、世界系との対比にある、狭い世界だけを描いている。

こんな風に言われる。

 

しかし、世界とはなんだろう。「私は私の世界である」(『論理哲学論考』5.63)。

 

大風呂敷を広げず、小さな目の前の出来事を丁寧に描くことによって、むしろ日常系は、丁寧に「世界」を描いているのではないだろうか。

 

それは例えば、このチノ・メグたちの視点が描く世界である。

 

「とりの羽」が、「空からのお手紙」。

「雲」は「クロワッサン」。

 

こんな話は、我々も、子供の頃は、よくしていたのではないであろうか。

 

「世界」とは、その全体を描くことはできない。なぜなら世界は全てだから。世界を、世界として見たことのある人はいないはずである(「みえないもの」)。

従って「世界」とは、「語る」ことはできず、「示される」だけである。

 

「これをそれとしてみる」という「言語ゲーム」を、「子ども」はする。

 

一つの「箱」を持ってきて、それを「家」としてみる、というゲームを、例えばする。

子供だけでなく、「おとな」でも、ただの「箱」を指し、

「特別の表情をして『今それは家である!』と叫ぶ人──その人は、アスペクトひらめきに表現を与えているのであろう」(『哲学探求』II, xi)。

 

この、「アスペクトの変移」の瞬間にこそ、世界は「示される」のではないだろうか。

 

アスペクト盲」の人には、「これをそれとしてみる」という言語ゲームができない。

チマメ隊には、それができる。

 

 

 

「チマメ隊」とは何かを考える。「チノ・マヤ・メグ」との違い:ごちうさ・チマメ隊AL『chimame march』感想(2)

チマメ隊アルバム『chimame march』収録の、デュエット曲について。

従来は「チマメ曲」か、「単独曲」か、しかなかったところに、「チマメ内でのデュエット」という新たな試みがなされている。 チマメ隊というものを考える上で、新たな視点を与えてくれている。

 

まずは、 「リトル*トレジャー*ハント」(マヤメグ曲)について。

マヤメグ曲というものは、もちろん初めてであるし、そもそも、マヤメグという関係がクローズアップされる機会自体が珍しい。

 

実はマヤメグは幼馴染だから、チマメより、マメの歴史は長い。

多分、その頃の話を描いているのではないかと思われる。マヤメグで遊びに出かけるような場面から始まる。「今すぐ出発だ」。

 

ただ、最初の方の「何か忘れた気がする」というマヤ歌唱部分の歌詞は、チノを暗示させなくもない。

だから、チノと出会う前というよりも、厳密に言えば、「チノは喫茶店の仕事があるだろうから、誘うのをやめよう」というように遠慮していたい頃の、マメかもしれない。

 

宝物が「まだまだ増えてくよ」というところに、チノを迎え入れる余地、

さらに、ココアさん到来以降、チノを通じて広がる人間関係の輪というものを、予感させるものになっている。

 

チマメ隊」の命名者はリゼであり、リゼによって命名されるということ自体が、人間関係の輪の広がりを前提としている。

要するに、単なる「チノ・マヤ・メグの関係」と、「チマメ隊」とは、実際には大きく異なる概念である。前者(例えば上述のような「遠慮」のあった3人)と違い、後者にはリゼ、そしてリゼ以外のあらゆる人間関係が、前提として含まれている。

そしてさらにその根底には、ココアの到来というものがある(マメを家に泊めるなんてことが「うまくできるかな」などと考えていた頃のチノを想起せよ)。

──ごちうさの重要な人間関係の根底には、たいてい、ココアの影がある。魔法少女・サンタクロースとしてのココア。(その意味で、このアルバムでも、チノ曲はもちろん、あらゆる曲の根底に、ココアの気配がある。・・・『お風呂セット』(C89)のドラマCDも、モカ・チノ会話しかないにもかかわらず、ココアさんが「登場」していた。)

 

いずれれにしても、「3人」が、「チマメ隊」になるには、その3人以外の人間関係が必要なのである。「チマメ隊」には、すでに、ごちうさのあらゆる重要な人間関係が組み込まれている。 

 

・・・このように、「チマメ隊」とは何か、ということを考えさせられる曲。

(そしてココアさんとは、ということについても。)

 

 

チマメマーチ:ごちうさ・チマメ隊AL『chimame march』感想(1)

チマメ隊アルバム『chimame march』。

これもようやく、じっくり歌詞カード見ながら聴く、ということができました。

 

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◆装丁

まずKoi先生描き下ろし紙ケース、そして、同じ絵柄の一部店舗の特典でもらえるポスター。これが素晴らしい。Koi先生原作カラー絵は非常に繊細なので、ポスター大くらいに引き伸ばして鑑賞してちょうどいいくらいです。

 

その他、歌詞カード、ケース内側の印刷なども、あちらこちらが可愛く、凝って作られています。

 

歌詞カード内には、グッズ等いろんな機会に描き下ろされてきたチマメ絵が、各ページにある。

チマメ隊と一緒に、思い出を振り返るような感じがします。

まさにチマメ隊の「アルバム」という感じ。だけれども、「マーチ」というところに、単に振り返るだけではない、未来を感じさせるものがあります。

 

CDを取り外したところには、例の『ときめきポポロン』の「ハートもふもふ~」のシーンの3人が。かわいすぎる・・・。

特に、このときのこの眠たそうなチノちゃんの表情が、私は好きすぎます。

 

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 ◆重要な点

 チノちゃん曲については、とにかく大好きなチノちゃんの曲が増えて嬉しい、ということに尽きます。

 

しかしこのアルバムで、やはり今回特に注目するべきは、

(1)マヤ、メグの曲がさらに増えたこと、それから、

(2)従来は「チマメ曲」か、単独曲」か、しかなかったところに、「チマメ内でのデュエット」という全く新たな試みがなされている、ということ。

 

 特に、(2)後者の点については、チマメ隊というものを考える上で、新たな視点を与えてくれている。

 またこのこととも関連して、(1)前者の単独曲、特にこの『chimame march』収録の単独曲は、従来のものに比して、「一人が他の二人の不在において何を思うか」ということに力点が置かれている。単独曲といえども、あくまでも「チマメ隊」というものが前提になっている。

 

 

◆(1)マヤメグ単独曲

・メグ曲「すいーと・すきっぷ・すてっぷ」

 最近充実してきた、メグ曲。

 心が洗われます。

 

・マヤ曲「プレゼントレジャー♥」

 これは不思議な曲ですね。

 

「冷たい海の底 あったかい気持ち

/帰ったらすぐ会いに行かなきゃ」

 

マヤの、一人でできる、という冒険心と、

それでもやっぱり、みんなと一緒が楽しい、という気持ちとの、揺れ動きを描いているのだろうか。

 

「「ただいま」は内緒」 という歌詞の意味。

 夢の中ではちょっと一人で出かけていたが、これから3人で、実際に出かけるところで歌が終わっている。

 

 

◆(2)デュエット曲

 チマメのうちの二人だけで歌う、というのは初の試みではないでしょうか。

 

これらについては別途記します。

・「リトル*トレジャー*ハント」

・「みえるよみえる」

 

 

◆「Daydream café ~チマメ隊Ver.~」

これは既に『ごちうさDJブレンド』に収録されていたものでしょう。

とはいえ確かに、このアルバムには収録しないわけにはいかないでしょう。それに、ここまでの流れの中で聞くと、また違って聴けますね。

 

やっぱり、本当にいい曲です。しみじみと。

 

1期BD特典で各キャラバージョンがありますけど、セリフ調の部分も多いせいか、本当に、各キャラの個性がとてもよく反映される曲です。

 

「Daydream café」の持つ勢いみたいなものに、チマメの3人が微妙に追いつききれてない感じが可愛いですね。なるべく歌詞を間違えないように、元気に歌おうと頑張っている様子が思い浮かびます。

 

このアルバムの順番どおり聞いてくると、キャラソンは、それぞれの心の中のつぶやきのようなもので、割とナチュラルですが、それとは違ってこれは「お姉ちゃん」たちと共通の曲を歌っているわけで、その違いが楽しめます。 

ステラのまほう第10話:反復・取り戻し

ステラのまほう、第10話

この回のいいところは、
結局、せっかく先輩は学校に来たというのに、部長には会っていないということ。
それにもかかわらず、結局、先輩の気持ちが、部長に伝わっているということ。

それは間接的に、たまちゃんを通じて、なされているということ。

タイトルの「精密機器」。
壊れ物注意。

壊れた、と思ったら、壊れてなかった。
これは、部長とたまちゃんとの関係と、重なり合う。


冒頭で、たまちゃんが、先輩のように見えるという場面もあった。
このような、ある特別な「人間関係」の反復・取り戻し、とでも言うべきものは、日常系作品に時々見られる感動的な要素の一つ。

 

 

 

アニソンでいいやという気持ち:『ステラのまほう』「ヨナカジカル」を聴いて

アニソンでいいや

 
「ヨナカジカル」。サントラ収録で、サントラ未発売だから、配信で買ってしまいました。そうまでするくらい、この曲は気に入った。
もともとこういう電子音楽みたいなものは好きな傾向がありましたが。
 
ステラのまほう』のEDテーマです。配信では歌の方でしたが、インストゥルメンタル版がもしあるなら、それも欲しいです。
 
 
どうやらこれは、kawaii future bass というジャンルのようです。(配信サイトのレビューから、google検索によって知りました。私はそんな程度です。)
ただ、音楽、特に電子音楽のジャンル分けっていうのは、なんというか、次々と無数に生まれて、しかも、はっきり定義がよくわからず、しかもそのジャンル分けについて、人々はいっしょうけんめいに議論しがちである。
 
まあ、電子音楽っていう私の言い方が、すでにおかしいのかもしれないですけど。現在流通している音楽のうち、電子音を使っていない音楽のほうが少数派かもしれないですから。
 
だいたい音楽のジャンル分けっていうのは、単に客観的な音楽の特徴などからなされるような、生物学などの分類と違って、作り手の意志というか、作品に与えたいアイデンティティというか、そういったものも色濃く影響している。あいつらのような音楽とは一緒にされたくないから、我々はこっちのジャンルを名乗る、とか。一緒にされたくない、というような感覚っていうのが結構反映される。
それから、過去になかった音楽を作り出している、とアピールするがために、何か新たなジャンル名を名乗ったり、今ではあまり使われなくなったような古い音楽のジャンル名を突如改めて持ち出して、そことの系譜的連続性を主張したり、というようなことも行われるから、無際限にジャンル名が増えていき、また、ジャンル内容も無際限に多様化していきます。
 
というわけで、ジャンルというのは馬鹿げていると言いたいのではなくて、要するに、音楽の「楽しみ方」の一環であるということです。それは良いことです。だけれども逆に言えば、ジャンル分けというのは、「楽しむ」ためにはなっても、「理解」するためにはならない場合が多いということです。要するに、その筋の人、そのジャンルわけを楽しんでいるのではない人にとっては「理解できない」場合もあるでしょう。
 
 
◆アニソンでいいや
 
それで、昔の自分なら、「ヨナカジカル」から、kawaii future bass というジャンルを知った場合、わたしはこの曲が好きなんだから、この同ジャンルの他の曲たちも聴いてみなければならず、しかもそれらを好きにならなければならない、というような謎の発想・義務感で、おそらく同ジャンルの音楽の探求を始めていたことだろうな、と思う。
 
本当に私は、かつて、こういう発想で、かなり頑張って音楽の探求ということを行っていた、少なくとも行っていたつもりにはなっていた。CDにいくらお金をかけただろう。しかしながら、最近はそういったことをほとんどすることがなくなってしまった。
 
要するに、もうアニソンでいいや、という気持ちになったから。
J-POPがもともとそうだけれども、特にアニソンというのは、あらゆる音楽ジャンルの、いいところ、というか、キャッチーなところだけを切り出して、うまく並べてくれている。なるほど、音楽の深みとか良さは、キャッチーさにあるのではない、それはもっともだ。しかし、そういうことなら、私は音楽の深みを追求したいわけではなかったのだな、と気がついた。
 
ただ、アニソンは、自分が知りえなかったようなジャンルの音楽についても、その、聞きやすいところを取り出して紹介してくれるので、非常にありがたい。そして、私自身は、もう音楽に関してはそれで十分だと思うようになった、というだけのことです。
 
 
◆アニメサントラでいいや
 
 アニソンだけじゃなく、アニメのサントラというのも、そういうところがありますね。
 『ゆゆ式』サントラは、非常に素晴らしかった。これは、アニメを離れて聞いても価値があるんじゃないかなと思います。『まどマギ』並に、「生演奏で聴きたいアニメサントラ」です。唯ちゃんのテーマ「TekiPaki」が、最も有名なのではないでしょうかね。あれを聞くと、「あ、『ゆゆ式』だ」と思うような音楽です。けれども、他の曲も全て、本当に素晴らしい。
 たぶんあれらも、クラシックとか、何か様々なジャンルの音楽をうまく配合し、仕立て上げているのだろうな、と推察されますけれども、素人なのでどうなっているかよくわからない。
 
 アニソン、アニメサントラは、ジャンル横断的にいいところをピックアップして並べている。そこで、どこかで聞いたことがあるような曲の要素を取り入れたりしているから、聞き手の郷愁を誘ったり、というようなこともあるのかもしれません。