ロマン主義アニメ研究会

文章サークル「ロマン主義アニメ研究会」のブログ(および主の個人的な記事)です🌟「ごちうさ論」しりーずを時々出しています🐰(※ちなみに記事は全て「ネタバレ注意」です)

「私たち、闇の女王」──ミラクルギフトパレード(サンリオピューロランド)から

いちご、いちごいちご♪

 サンリオピューロランドのミラクルギフトパレードは、本当に本当に素敵なパレード。みんなが本当に可愛い。キティちゃんももちろんだけど、私の大好きなキキララも、お星様の車に乗っていて、手を振ったり、2人で手を繋いだり、何か時々お話し?していたり…。パレードが終わるころなんか、キキくんが「ぼく、お腹すいちゃった」とか言ってそうにも見えたりして、本当に可愛い。マイメロクロミちゃんも可愛かった。結構2人で助け合ったりしていて…クロミちゃんがマイメロを助けているように見える場面もたくさんあった。そうそう、クロミちゃんって、普段あれだけマイメロのこと悪く言っているように見えて、こういう時はさっと当然のように助けたりしてくれそうな、本当に素敵な子なんだよね…、って感動しちゃった。ピアノちゃんも、可愛いワンピースを着て、ぴょこぴょこ行進してて、ぎゃ〜って叫びたくなるくらい可愛かった…ほんとにもう、ピアノちゃん…。動き方も明らかにキャラに沿った動きをしていて、ピアノちゃんはやっぱり終始おっとりした動きに見えた。ウィッシュミーメルのメルちゃんは、ずっと優しい動き。本当に優しい心を持った子なんだなあ、って、しみじみと伝わってきた。敵とのバトルの時も(バトルとかあるんすよ)、積極的にバトルしに行ったりはしないで、なんかずっとおろおろとしてて…多分メルちゃんは、もうこうやって真っ暗になったり、みんながバタバタしているだけで、不安な気持ちになっちゃったりするんだろうな、って、そういう心が敏感で繊細な子なんだろうな、って、思ったりした。きっと周りの人たちの不安な気持ちとかを、すごく強く受け止めちゃったりする子なんだろうな、って…(だから反対に、みんなの嬉しい気持ちも、深く受け止めて、一緒に嬉しくなったりもするんだろうね…郵便配達のお仕事は、だからとってもメルちゃんに向いている。一緒にお手紙を読んで、一緒に喜んだりしてくれそうですものね)。

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 みんなが着ているお洋服も、とっても可愛いの。ああ、可愛い…って、ため息が出るくらい可愛い。キティちゃんのお洋服は袖がいちごだらけで、スカートの裾はドーナツだらけだったり。てんこ盛りでカラフルで、見ていると、私もみんなみたいにもっとおしゃれしたい!って思う。「おしゃれして出かけよう」っていう歌詞にもあるように。

 そうそう、音楽もとってもいいんだ。「KAWAII FESTIVAL」っていうメインのお歌*1も、なんか、涙が出てきちゃう。まだ何にも感動要素ないはずの段階で。──ミラクルギフトパレードは、パレードと言いながら、はっきり起承転結のストーリーを持ったミュージカルショーのような出来になっているんだけど、その最初の方の段階で、もう泣いちゃう。尊くて…他に表現する言葉がなくて、あれなんですが…尊いんです。歌が。「いちご、いちごいちご」の時点で泣きそう。「おしゃれして出かけよう クッキーを手作りしよう」。可愛さ楽しさいっぱいの日常の尊さが、ゆっくりとじんわりと伝わってくる。私もそうやって生きていきたいな、って思う。

 その他にも、何気に随所に盛り込まれている、サーカスとかアクロバティックな要素も、普段あんまり見るものではないから驚かされるし、とにかく、ありとあらゆる要素が融合して、結びついて、奇跡的に成立している、絶対に見る価値のあるパレードだと思うのです。何度でも。…DVDも、もちろん買った。

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闇の女王たちの言っていること、全部わかる…

 しかし何と言っても、後から後からとっても心に残るのは、ちょっと意外だけど、「闇の女王」たちのこと。一応、敵役、悪役、ってことになるのだろうけれど…起承転結に必要な…でも、私なんかが言うまでもないことですけど、そんな単純な話じゃないんです。

 だって、闇の女王たちの言っていることが、全部わかる。「昼間が嫌い 光が嫌い 笑顔が嫌い」って。

友達なんて欲しくない

真っ暗な夜こそ信じられる

(闇の女王歌唱パート)

孤独という名のベール身にまとって 全ての眼差しに背を向け

光なんて何も見えない 何も感じない

(闇の女王歌唱パート)

本当に私、こういう気持ちになることが、時々あるもの。それにこれは、私だけじゃないと思う。

「誰だって、暗い気持ちになることがある!

光を見たくないときも!」

(キティ台詞)

 誰にだってあるの、ってキティも言っていた。誰にでもあるのは、「3つのハート」(かわいい、おもいやり、なかよく)だけじゃない。闇の女王たちのような気持ちも、また、誰にでもあるのだ。キティは、そうも言っていた。──だから、キティにだってあるのだ。マイメロにも、クロミちゃんにも(クロミちゃんには確かにありそうだ…)、キキララにも…あと、うん、きっと「みんなのたあ坊」にも、あるんじゃないかな…(いつも楽しそうにお口を開けているけど、あると思うよ…)。

3人で支えあってきた

 だから、闇の女王たちのことを考えてしまう。これまで、たった3人だけで支え合ってきたんだって、言っていた。

心を闇に閉じ込めて

3人だけで生きてきた

(闇の女王歌唱パート)

たった3人でも(さらに手下たちも)、仲間がいるだけよかったよね、とも思うけど…でも、心の暗闇の牢獄のなかで支え合っているのは、心強いと同時に、やっぱり3人で一緒に外に出たいと思うよね。

助けてよ、苦しいよ…

 それに思う。なんでわざわざ、闇の女王たちは、キティたちの集まっているピューロビレッジにやってきたのか、ということ。しかも「お祝いのフェスティバル」が開かれているときに、わざわざ。

 光が嫌い、昼間が嫌い…なら、一番キラキラして、一番明るいパーティの時に来るのは、もっともダメージになるはず。みんなが寝静まった頃にでも見計らって、こっそり知恵の木の力を奪えばよかったのに、と思う。

 だから、やっぱり闇の女王たちもまた、フェスティバルに参加したかったんだと思う。一緒に歌って、踊ったりしたかったんだ。そして、みんなとお友達になりたかったからだと思うんだ。

 いや、もっと切実な気持ちが、あったのかもしれない。つまり、助けて欲しかったのかもしれない。助けてよ、ここから出してよ…って、言っていたのかもしれない。キティたちなら、助けてくれるかもしれない、また、その力があるかもしれない、って思ったのかもしれない。パレードの冒頭、一番最初に、ちらっと「闇の女王」たちのコーラスの声が聞こえる。DVDだと、「ミラクルギフトパレード」のタイトルロゴの時にこの声が聞こえるのだ。──パレードそのもののタイトルで、この声が使われているということの意味…闇の女王が主役なのかもしれない。キティでもダニエルでもなくて。・・・いや、やっぱりキティもダニエルもまた、闇の女王なのだ。キキララも、マイメロも、クロミちゃんも…見ている私たちも…。

 とにかく、一番最初に、闇の女王の声が聞こえて、再び、パーティーを始めよう!っていう時にも、聞こえる。その時は、キティにだけ聞こえている、というような設定になっている(少なくとも隣にいるダニエルには聞こえていない…ダニエル、おおらかで、優しい、いいやつ…)。私は思う。あれはきっと、「寂しいよ、助けてよ、苦しいよ…」って、言っていたんだって。そうやって、大々的に登場するよりも前に、すでに何度もみんなに呼びかけていたんだと思う。──そういえば、精神的に不調に陥ってしまう人たちは、そうなるよりも前に何度も、シグナルやメッセージを送っていることがある、って聞いたことがある。たいていのひとが、見逃してしまうけど…。まるでそんな風にも見える。

 だから、キティたち(&私たち)の「信じる心」によって救われた闇の女王たちは、「みなさん、力を貸してくれて、ありがとう!」と言う。

夢見ていた 胸の奥で

信じてくれたから 輝かせられたの

3つのハート ありがとう 今 あなたに

(闇の女王歌唱パート)

さっきは迷惑をかけてごめんなさいとか、謝れよ、とか…そんなこと、誰も言わない。そう、謝罪なんかしないし、誰も求めない。そんなことは、全く重要じゃない。それよりも、ありがとう、助けてくれて、って、ただ感謝している。みんなも、助かってよかったね、って、思うだけ。そして知恵の木の上に虹がかかると、「わあ、虹!」「わあ〜!」「虹だ〜!」って、もう喜んだりしている…キティたち「いちご王国のお友達」の、なんと言う人の良さ…ここでもまた感動してしまう。

「わんぱく いじわる 怒りん坊も」──ハローキティ

 こんな、キティたちによる闇の女王たちの救済というテーマと重ねて聞くと、次のよく知られた古い歌の歌詞もまた、深みを持って噛み締められてくる。

わんぱく いじわる 怒りん坊も

やさしいキティとー緒なら

つられてやさしくなっちゃうの

(HELLO KITIY『ハローキティ』作詞:八坂裕子 作曲:宮川泰

 いじわる、怒りん坊、泣き虫、さびしがりや…サンリオは、人のこういう側面を、しっかり見つめてから、初めて本当の「みんななかよく」にいたれる、と考えている。そういう現実を出発点に、前提に、ちゃんと置いている。

 人と簡単に分かり合えない、1人の殻に閉じこもりたくなる時もある、さらにそれは争い、対立、そして悲劇を生むことだってある…。そういう現実を、絶対に忘れない。「夢と魔法」などというもので、それらを上から塗り潰そうとはしない。忘れましょ、忘れましょ、とは言わない(『おねがいマイメロディ』でのマイメロのおばあちゃんのセリフだが)。そうではなく、それらの暗い現実の内部に分け入って行って、それらを昇華させていくことで、理想に近づこうとする。

 可愛いキャラクターグッズを展開する企業の社長メッセージが、まず「戦争」の話から始まる。どうしてひとはこんな目にあわなければならないのか…と。「91歳になった今でも、どうして、あの時、甲府の善良な市民がそのような目にあわなければならなかったのか?・・・私には分からないままです」*2

 サンリオには、はっきりと思想がある。その思想は、しかも、思想書哲学書、教訓、といった形でではなく、なんと、大人から子どもまで楽しめる、楽しいパレードや、ショー、いちご新聞、さらには各種のキャラクターグッズ、そしてポップコーンマシーンなんかを通じて、伝わってくるのだ…なんという奇跡的な所業だろうと思う。

 ミラクルギフトパレードは、いうまでもなく、何かお説教されたり、お勉強したり、難しく考えたりして見る必要など全くない、本当に楽しい、ワクワクする、ひたすら可愛いパレードだ。本当にそうなのだ。それなのに、その背後にある思想まで、いつの間にか、その楽しい体験を通じて、自然と伝わってくるなんて…こんなことってどうしてできるの?こんなことって他にある?って思ってしまう。

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「つらいことや かなしいこと」──キキララ

 キキララのストーリーも、地球には辛いこと悲しいことがいっぱいなのだ、というところから話が始まる。

 ちょっとわがままで甘えん坊なキキとララを、修行のために地球に行かせよう、とお父さん星とお母さん星が考えたのは、なぜなら、「地球には いろいろ つらいことや かなしいことが たくさんあることを いつも雲のうえから ながめて 知っていたからです」*3

 ──ピューロランドの「トゥインクリングツアー」の最初に見る映像では、修行のために、キキとララを地球に送ろうと思う、というお父さん星に対して、「何もそこまでしなくても…」というように、お母さん星が答えている音声が入る。このひとたちの間では、地球に子供を行かせるというのは、そこまで酷なこと、厳しいこと、という前提・常識があることが、ここで描写されている。そう、天空の「おもいやり星」ではない、私たち人間が住むこの地上(=地球)は、天使たち(=ふたご星)にとっては涙の谷であって、生きるのに酷な場所、辛い場所、悲しい場所なのだ。あるいはまた、天使とよく似た心を持った人間にとっても、また、そうなのだろう…。…ねえ、すごいと思わない? あの「キキララ」の大前提にあるストーリーが、これだよ? 私たちの住んでいるこの世界が、いかに過酷な場所なのか、っていうところから始まるなんて…。実際、このストーリーには続きがあって、ふたご星の2人が地球にやってきて最初に出会う人間は、「泣いている子供」なのだ(雪の降る夜に、窓から顔をのぞかせる2人の絵を見たことがあると思いますが、ストーリーではこの場面にそれが位置づけられている)。このストーリーではお留守番で寂しい子供、っていうことになっているけど、他にもいろんな理由で、この地上には、泣いている子供たち、あるいは、子供のように泣くしかない大人たちが、たくさんいることを私たちは知っている。

 そんな過酷な場所で、キキとララの2人は力を合わせて生きているっていうだけで尊いし、さらに、人間たちを時々助けてくれたり、見守ってくれたりもしているのも、いっそう尊い

 「あなたの友だち キキとララ」、ほらいつもすぐそばにキキとララはいるよ…っていう歌があるけれど(Little Twin Stars「あなたの友だちキキとララ」作詞:八坂裕子 作曲:惣領泰則)、そうやって、この過酷な地上で生を送る私たちを励ましてくれる。

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疎外感──サンリオ男子

 アニメ『サンリオ男子』も、戦争を背景にして、「ともだち」どうしが殺し合いをしなければならない場面から始まる…って書くととても衝撃的だけど、これは嘘ではない。もちろん、男子たちが文化祭で演じたミュージカルのクライマックスの場面として、ではあるのだけど。けれどもこのミュージカルは、ミラクルギフトパレードをヒントに作られた、ということになっているし、それに全編を通じて見ていれば分かる通り、このミュージカルのお話は、彼ら男子たちのそこまでのストーリーをなぞったものでもある(そのことは見ていれば分かるし、さらにわかりやすく、男子の1人である水野祐が男子たちの普段の様子をメモにとって、それをベースにミュージカルの脚本を仕上げている様子が描写されている)。もちろん現代日本の高校生男子たちの日常を描くお話だから、本編で殺し合いや戦争は直接出てはこない。しかし、男子たちは、仲良くキラキラとした高校生活を送っているようで(実際、それは嘘ではないのだが)、同時に、仲良しのはずの仲間にも言えない悩みや、孤独、疎外感を、いつも同時に抱えながら、過ごしている。「みんな仲良く」は、一筋縄では達成できない、それは、ぶつかり合いながら、悩みながら、ちょっとずつ模索していくしかないものだ。そういうことを、教えてくれているように思う。サンリオ好きという趣味でいきなり意気投合、俺たち仲良しサンリオ男子!みたいな、シンプルなストーリーでは全くない。「そんなシンプルな話なんだろうなと思った…でも、違った」。──これは、康太がミラクルギフトパレードを見たときの感想だけど(第7話)、『サンリオ男子』もまた、ミラクルギフトパレードと同じなのだ。アニメの前半では、何度も一触即発、あと一歩で殴り合いにまでなっているのではないかと思われるような対立を経て、5人の男子はちょっとずつ「仲良し」になっていく。後半でも、ピューロランドで「親睦を深め」(会長)、ミュージカルづくりという共同作業を経てますます絆を深めていっている・・・ように見えるそんな最中でも、同時に、一人一人がまた別の悩みを抱えていたり、孤独感に苦しめられたりしている様子が描かれる。想像をはるかに超えた複雑なストーリーで、「みんな仲良く」の理想が、いかに簡単には達成できないものであるかが伝わってくる。自分の頭で考えて、信じて勇気を出して自分から行動しなければ、それは手に入らない。

 「みんな仲良く」の理想を体現するピューロランドの中心に「知恵の木」が置かれているのも、そういうことなのかな、と思う。「みんな仲良く」のためには、馬鹿みたいにヘラヘラしててはダメで、「知恵」が必要なのだ。そういう意味でも、ミラクルギフトパレードとよく重なる。

願い続けよう 知恵の木とともに

世界中が 笑顔になるように

(ミラクルギフトパレード序盤コーラス)

「世界中を一つにする知恵の木の魔法」(コーラス歌詞)っていうのは、いわゆる普通の魔法のことじゃなくて、「知恵」が持つ驚くべき力のことを言っているのだと思う。

1人で閉じこもりたいとき──ウィッシュミーメル

 だから、いつも笑ってなければダメ、嘘でもいいから笑顔を作ろう、嫌な現実を忘れていっときの妄想に浸って気持ちよくなろう…なんていうことは、絶対にサンリオは言わない。

 ウィッシュミーメルのメルちゃんも、ホームページや、ピューロランドのショー*4を見れば分かるけれども、いろんなことがあったんだ。メルちゃんの可愛さの特徴は、一つにはニコってなったあのお口だと思うけど、前からずっとあんなお口をしていたわけじゃない。悲しくて、自信がなくて、閉じこもっちゃったこともあって…。もう、そんなお話を聞くと、メルちゃん…!って、いっそうメルメルドールをよしよししたくなる…。そんないろんなつらいことを乗り越えて、ようやく今のメルちゃんがいる。だから、あのニコッとしたお口が、なんだかとっても尊いものに思えてくる。

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夢の国マリーランドに馴染めない──クロミ

 クロミちゃんは、マイメロたちが暮らす夢の国「マリーランド」に自分の居場所が見つからず、人間界へと逃げ出している(『おねがいマイメロディ』)。

 「マリーランド」は、マイメロが「私はマリーランドでとっても幸せに暮らしていたの。みんなとお花を摘んだり、クッキーを焼いたり」(第2話)と話しているように、まさに「いちご、いちごいちご」の、楽しくて可愛い日常で満たされているはずの場所…それなのに、クロミちゃんのように、そこに馴染めず、うまく関われないひとたちもいるのだ(バクや、バク一族、クロミーズ5のみんなも、そんなふうに見える)。──それはよく知られている通り、ちょっとしたすれ違いから生まれているかもしれない…マイメロたちマリーランドの住人は、おおらかで、優しくて…だからちょっとマイペースすぎるところがあったりして…天然なので…。

 そんなクロミが人間界で恋した青年、柊恵一に向けて歌われた歌(正確には、魔法で人間の姿に変身したクロミちゃん=クルミ・ヌイの歌)では、

「同じなにかを 失くしたんだね」(『クロイヒトミ』*5

という歌詞がある。おそらくこれは、「愛」(特に、本当の意味で「愛される」こと)とか「夢」とか、だろうと思う──『ミラクルギフトパレード』で言えば、「3つのハート」。2人とも、そういうものを、失ってしまった…少なくとも、いろんな理由で(どんな理由かはそれぞれ描かれる…)、一時的にそれらに背を向けなければならなかった。「闇の女王」たちと同じように。柊恵一の精神世界では(「眠りの夢」の中とされている…つまり無意識とかそういうことだろうと思う)、風の吹きすさぶ荒野で、ゴミ袋にたくさんの「夢」が放り込まれていた。

「ずっとずっと、退屈だったんだ。何をやっても…。」(柊恵一、第43話)

クロミちゃんも、こんな柊恵一の心境と共通するものがあったのではないかと思う。だから恵一が「ダークパワーの曲」に魅せられたのと、クロミちゃんが「このひろーい世界でアタイの味方は、メロディ・キーとメロディ・ボウだけなのさ!」(第4話)と語ったこととは、とてもよく似ている。──そして、こういう心境はまた、「闇の女王」たちのそれともよく似ている。

 マリーランドの仲間たちも、クロミちゃんのパパもママも、とても優しい人たちだけど、クロミちゃんのそういうところは、すぐにはちゃんとはわかってはあげられていなかったのだ。マイメロと比較されてばかり!とか、わかってもらえない!と家で暴れたりとか…面白く描かれているけれども、そういうことなんじゃないかと思う。

 でもクロミちゃんも元々は、「マイメロちゃんと仲良くなりたいな、って!」、新品の「ノート」の1ページ目に書いちゃうくらい、みんなと仲良くなりたかったのだ(第42話──あの有名なシーン…ピアノちゃん、お鼻!)。クロミちゃんは最終話に近づくと、本当に感動的な活躍を見せるし…背を向けたこの世界(人間界も、マリーランドも)も、”全部なくなっちゃう”のは、絶対に受け入れられなかった(あの柊恵一さえも…ほんのちょっとだけ救われる、「僕の、マイ・メロディ[=たぶん、彼がずっと昔に「失くした」もののこと]」に気づく…渋々…)。

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かわいいギフト、みんなにも届くからね

 「いちご、いちごいちご」な、可愛さ楽しさいっぱいの毎日は、だから、暗いものを上から塗り潰すようにして得られるものじゃない、ってこと。蓋をして、なかったことにして、見なかったことにして…そうやって得られるものじゃない、ってこと。そうじゃなくて、そういうものにも向き合わないといけないんだ。「ただのガキ」じゃなくて、本当の意味で大人にならなくちゃいけないんだ(世間に合わせて、馴れ合って、臭いものには蓋をする…そういう大人じゃない)。──ほんと何度もこの水野祐(サンリオ男子)の言葉を使ってしまうけど、とってもしっくりくる。ピューロランドの前でガチ喧嘩のシーン…ああ、そういうことだったんだって、目がさめるような気がしたもの。『サンリオ男子』の最終話で。サンリオが伝えようとしているのは、そういうことだったんだって。ミラクルギフトパレードは、まさにそのことを伝えてくれている。

 思い出を持って帰ってね!って、キティちゃんは言っていた(「ミラクリュージョン★Happiness」ショー)。そして、また会おうね、って。ピューロランドは、平日なら5時で閉園してしまう。夜になり、お風呂に入って、ベッドに入って…そしたらまた次の日が来る。ピューロランドのことを思い出しながら、昨日撮った写真を見たりしながら…、それでもまた生活を始めないといけない。臭いからといって蓋をするわけにはいかない。そういう勇気というか、元気を、本当にサンリオは贈ってくれる…贈ってくれようとしているよね、って思う。一つにはこれが、ミラクルギフトパレードの「ギフト」っていうことなのだと思う。

・・・笑顔の贈り物さあ届けよう

青空をかけていく鳥のように 未来へとみんなで飛び立とう

・・・

それは素敵な約束 小さなミラクルギフト

みんなにも届くからね かわいいギフトが

(終盤コーラス)

(んもう〜、だって、そうでも思わないとやってられないよ、次の日から日常生活なんてさあ〜…)

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*1:作詞・作曲:前山田健一

*2:辻信太郎、「株主・投資家の皆様へ:トップメッセージ」、サンリオ公式ホームページ[2020/01閲覧]

*3:リトルツインスターズ物語」──いちご新聞でのストーリーを基にした昔のミニ絵本…の復刻再編集版を、私は持っている(「リトルツインスターズ物語」絵本、『Little Twin Stars 70's プレミアムBOX』、学研教育出版、2014年)。「トウィンクリングツアー」での映像で、この絵本のイラストの一部が、簡単なアニメになったものを見ることができる。あとは、キキララのパズルゲームでも、最初に起動した時にほぼ同じような映像が見られた。…今はわからない。よかったら探してみて。

*4:「ウィッシュミーメル のChance For You」を見た。かわいいメルちゃんが優しい動きでポンポン、と手を叩いたりしながら踊っていたのが、とても印象に残っている。

*5:クロミクルミ・ヌイ Ver.~、作詞:山田ひろし、作曲:渡部チェル。歌詞は、「だからふたりで探せばいいの/たとえ誰かに 責められたっていいよ」と続く。これもまた、孤独の中、3人だけで支えあってきた3つ子の闇の女王たちの気持ちと似ている。

少年テディベア──シュタイフ、モフルン、タイニーチャム

 テディベア(または二次元テディベアキャラ)のお話。けど、いつの間にかテディベア擬人化少年の話をしていた…(病気)。病気注意。(ケモミミ要素なし。)

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シュタイフのLinda(リンちゃん)

 私は、とあるテディベアと、赤い糸で結ばれた。(お互い)一目惚れだったし、2人は自然と運命の糸で手繰り寄せられた。こちらがその子、リンちゃん。製品名としては「Linda」なんだって。だからリンちゃん。

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 絶妙に美人で、とっても可愛いでしょう? ピンク色も、とてもすてきな色合い。ポップすぎず渋すぎない。

 体を動かすと、「ぐーぐー」と鳴く。ときどき。思った通りに鳴くとは限らなくて、割と向こうのタイミングで鳴く(電池を入れてお腹を押すと鳴くよ、みたいな仕組みじゃなくて、もっと何かレトロな仕組み)。それがリアリティがあって、まるで生きているみたい…じゃなくて、この子は生きている。この子が生きていないというなら、私も生きていないということになる(それならそれでもいいけど)。*1

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(くま売り場にリンちゃんをお迎えに行ったときのお洋服。くまと赤い糸で結ばれるイメージで赤リボン&ラブラブバレンタイン柄*2

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(リンちゃんのバースデーパーティーもしたりした。くまちゃんにリボンを巻いてあげた日がその子のお誕生日になる、という、『カードキャプターさくら』で得た知識に基づいて。)

 たまたまデパートのくま売り場に行ってみたところ、すぐに一目惚れした。ほんと、そういうのってあるもの。くま売り場にびっしりいるくまちゃんたちのなかでも、この子とだけすぐに目があった。とびきり美しくて可愛かったし、表情にも独特の雰囲気がある。それなりにするのですぐには決断できなかったけど、その後も、毎日のふとした瞬間に顔が思い浮かび、何度もまだいるかな?って、ガラスケースの前まで見に行ったりした。

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 ちなみにリンちゃんがお家に来てから、その後なんとな~く気になって、リンちゃんお迎えの地である同じくま売り場に行ってみたら、同じ「Linda」がいたんだけど(在庫補充)、ぜんっぜんリンちゃんに似てなかった…(し、それほどかわいくなかった…小声)。それで、やっぱりリンちゃんはリンちゃんで、世界にたったひとりの、オリジナルでユニークな、私だけのくまちゃんなんだ、って改めてわかったよ。
(リンちゃんのお耳のシリアルナンバーを見ると、要するに最低でもこの数以上のきょうだいたちが世界中にいるってわかるんだけど、きょうだいだからといって、皆んながそっくりなわけがないのです。)

◇ ◇ ◇

 そう、世界で唯一の、オリジナルでユニークなリンちゃんは、他の何ものにも取り替えることなんてできない。

 そして、リンちゃんには性別なんかない。──どっちなのですか?とつい聞いてしまう人がいるようだけど(くま売り場の人は、「ま~Lindaという名前だから女の子なんでしょうかね~?」というくらいに答えていた)、このお美しいくま様に、性別なんかを当てはめてはならない(どっち、だなんて二元論的に)。そんなつまらない枠組みを超えた、崇高で唯一で純粋な、美しい存在なのです、うちのリンちゃんは。*3

モフルン/キュアモフルン(『魔法つかいプリキュア!』)

 そういえば、「モフルン」にも性別がない。
 プリキュアシリーズはそんなに見ないのだけど、『魔法つかいプリキュア!』だけは、熱心に見た。

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 魔法界や魔法つかいという設定とか、イケメン校長の登場*4など、私の好む要素がたくさんあったからなのだけども、しかし何と言っても、ハマった最大の理由はモフルンだった。モフルンのなんともまあ可愛いこと。初めて(魔法で)お話しできるようになったとき、「モフルンはずーっと、みらいとお喋りしたかったモフ!」、とか言うんですよ…きゅん…。上の画像を見て。ああ、かわいい…。

(左、いちごメロンパンをもぐもぐ。あま〜い匂いを嗅ぎ分けて、大好きなの[リンクルストーンを見つけるときも甘い匂いを感じ取る]。お目目にお星さまがあって、きゃわ〜☆ 右の画像はね、ずっと、みらい[持ち主]のお部屋を自分の足で歩いて回りたかったんだ〜って、はしゃいでいる様子。は〜…♡ この後モフモフダンス[勝手に命名]を披露する。)
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 モフルン自体が可愛いのに、さらに可愛い赤ちゃん妖精の「はーちゃん」の面倒を見ようとしたり(自分も小さいのに)、遊んであげたりしている様子も、とてつもなく可愛かった。「はーちゃん、遊ぶモフ」って。

 そして、その可愛さが爆発したのが、「キュアモフルン」。キュアモフルンちゃん…。

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(可愛さが爆発)

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(くま口。やゔぁいよね…!お目目のお星様もそのまんま〜☆きゅきゅきゅん…♡

 この子にもやっぱり性別がない。性別がないプリキュアって、(後に登場する)男子プリキュアよりも斬新で最先端(さらに究極にピュアで最高の存在)なんじゃないかしら。(キュアモフルンは、あんまりこの文脈で着目されることが少ない気がするけど、キュアモフルン→ピカリオ→キュアアンフィニ、なんじゃない?プリキュアジェンダーフリー化というかなんというか、この手の流れは。けど、どっちにしろそんなことはどうでもいいんです。キュアモフルンちゃんの魅力は、そんな文脈に収まりきる程度のものじゃない!)

 キュアモフルンのお衣装*5は、半ズボンにサスペンダーが付いてて(!すでにやばい!)、膝当てとかがクマの形になっていたりして、ジャボタイ風の付け襟(というか、スタイ、っていうアイテムでしょうか。私も先日、ALICE and the PIRATESさんで「スタイ」というファッションアイテムを入手しました。それで、そのようなアイテムの存在を知りました。確かに、キュアモフルンちゃんのお衣装の首元についているものは、それによく似ている気がします。…子供っぽさを演出するアイテムであるということからも、そういう気がする。スタイは別名「よだれかけ」…ある種のフェティッシュなアイテムなのかもしれません。キュアモフルンちゃん…。)が胸元についていたりするんです!もう、とっっても可愛いんです!!!

 性別がない、と言いながら、程よく、少年らしいかわいらしいお洋服のモチーフがたくさん取り入れられています(「わんぱくな少年風プリキュア*6。こういうショタ要素の入ったプリキュアなんて、今までにもこれからも、いないんじゃないでしょうか。*7

 というか、ここにポイントがある。中性、性別無記、とするには、少年風モチーフを取り入れることになる…ということの意味。──そう、少年とは、そもそも性別がない存在のことなのですよ(異論がおありかもしれませんね? そうですね、例えばこう考えてみてはいかがでしょう。「少年」という言葉に惹きつけられる人でも、「小さい男」と書いた途端、興味がなくなりませんか? つまり、そういうことなのですよ…(?)。)

 持ち主…というかパートナーのために、もふもふの激かわなお衣装で、頑張って戦う、ショタ風擬人化テディベアちゃん…もう、ここには可愛い要素しかないです。萌えるしかなく、もだえるしかないのです。(なので、キュアモフルンが活躍する『映画魔法つかいプリキュア!奇跡の変身!キュアモフルン!』[ビックリマークが多い]は円盤を入手しました。手元に置いて、末長く可愛がります。キュアモフルンのぬいぐるみも入手。…さらにキュアモフルンに関して、ドン引きされるレベルのあるとんでもない出費をしてしまっているのだけれど、それは秘密にしておきます…。)

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(戦う)

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(持ち主?のみらいを助ける。えらい!!ドキュン♡)

シュタイフ・ベア擬人化少年──黄色いタグと金属ボタンのピアス

 ・・・というわけで、うちのリンちゃんも、きっと人間になったら(キュアモフルンちゃんみたいに?擬人化したら)、あんな感じの衣装を身にまとうのかな、って思ってます。性別がないと、少年風になるはずなのです。

 お耳の黄色いタグなんかも、人間になった時、いい感じで生かしたいですね。大きめのピアスとかになるのかな。

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(リンちゃんおしゃれ~タグもピアスだから🏷)

 最初は、シリアルナンバーの入ったタグがお耳についてるのがなんとなく嫌な気もしました。なんだかまるで、乳牛とか家畜を管理しているみたいで…。シュタイフ社のテディベアちゃんたちはみんな、タグが、お耳をバチって貫通する形で、金属の大きなボタンで留められている。ぬいぐるみ自体は非常に繊細に作られているのに、ここだけけっこう大胆な留め方だな…って最初ちょっと違和感がありました。けれども歴史的にこのシュタイフ社のテディベアとはずっとそういうものであったというのもわかってきて(昔、偽物と区別するために、目立つ場所に取れにくくつけたとか)、むしろ愛着が湧いてきました。何十年も可愛がっているうちにタグがすり切れたりしたアンティークのくまちゃんとかもいるらしい。そういうのはいいですよね。それに、毎日見ているうちに、素敵なチャームポイントにも思えてきました。

 そしてさらに、この子が擬人化した場合、なんか、お耳にタグっぽいのがそのままついてるのって、より良いよね…って思うと、ますます気に入ってきました。少年風の姿になっても「元くま(テディベア)」だった証がお耳にちょんって付いてるのって、なんかすごく良いよね、って…。

シュタイフ・テディベアのリンちゃんが少年風に擬人化しても、そのままバチって、あの金属のボタンがお耳に貫通するような形になっていたりするのも良いかなって思う…。そういう大胆なピアスとして名残を残しててほしい。お耳の黄色いタグもそのまま。──この「お耳」っていうのは、まさにヒトのお耳のことね(ケモミミなし)。これって何かをくすぐられる良さで、いったい何をくすぐられているのかわからないけれど…。*8

 ちなみにうちのリンちゃんは、毛がピンク色だから、そのまんまだけど髪の毛もピンク色。細かくカールしたもやもやの毛が可愛いくまさんだから、やっぱりそういう柔らかい天然くるくるカールが短めにハネハネしてる、そういう髪の毛の少年がいいなあ~。もしゃっとした頭の美少年。…あは、かわいい~(頭の中に絵が浮かんだ)。

 それで、お耳には先ほどのタグピアスと、私がお誕生日に首に結んであげたリボンをそのまま結んでいるの(リボン大事にしてくれている…少年に擬人化してもずっと)。きゃ…ほんと可愛い。

 リンちゃんはドイツ製だから、そうね、ヨーロッパのちょっとだけ昔の、それなりに良い家庭の子どもが着ていそうな感じのお洋服も着ててほしいですね。白い、折ってある靴下とかはいてて。──例えば、絶対伝わらない表現で悪いのですが、私が昔、ドイツ語の教科書で見た(かなり古い本を再版したような本だった。なんだか味のある銅版画のような絵とか模様が挿絵になっていて、好きだった。二色刷り、旧正書法、チェスをしているドイツの少年のような感じかな。…ごめん、絶対わからないですよね。でもあんな感じがいい。

タイニーチャム(ハローキティ)擬人化少年──赤リボンにサックスワンピース

 もう一つ、テディベアといえば、「タイニーチャム」。この子もかわいい~~・・・。

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 タイニーチャムは、サンリオの「ハローキティ」で、キティちゃんの持ってるテディベア。「キティの愛によって魂が宿ったよ」*9ということで、動いたり喋ったりして、生きている。一人称は「ぼく」*10

 そして、「キティが大好きなのでなんでもキティのまねをしちゃう」*11そうで、「男のコだけど、大好きなキティの真似をしてリボンを付けている」、というのです…!!*12

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 しかも見て~。ピューロランドのホームページでは、爽やかな色(ミント?サックス?)の、かわいいワンピースを着ています(きょうだいたちのお顔をアップリケにしている)。かわいい~。

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(こういうラブリーなお洋服を着ていることもある。)*13

 こういう公式情報を眺めていると──タイニーチャム色の、ブラウンヘアーがもふもふっとしてる、短めの髪の毛の男の子・・・に擬人化してくれないかなー、って思ってしまっちゃったりする(キティちゃんロンドン在住だから、英国の少年かあ~)。もちろんキティちゃんの真似をして、サックスのワンピースを着てて、頭には赤いリボンをつけてる、そういう少年。──あ”…やば…っ、がわ”ぃ”ぃ”…激がわ”…(思考停止)

 ・・・そうですね、おくちがくま口っぽくなってて、ギュッとキティちゃんのぬいぐるみとかを抱っこしてて欲しいですね…。キティちゃんが学校に行っていないあいだ寂しいからって、おうちでキティちゃんのぬいぐるみを抱っこして待ってるの(ぐすん…なっ、泣いてなんかないもんっ!)。(あの可愛いワンピースを着て……って、それやばいね、しぬ。)*14

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(って言ってたら、本当にこんなの*15見つけてしまったよ…まさにこのシチュ。ぬいぐるみ抱っこぎゅ。ワンピースは着てないけど…はだかんぼう。)

 学校から帰ると、「キティっ!おかえりっ!」とか言って、満面の笑顔でキティちゃんの方へ駆け寄ってくる──さっきまで抱っこしてたキティちゃんぬいぐるみはポイって放り出しちゃって…あんな大事そうにしてたのに。ちょっとそういう雑なところも、男の子って感じで可愛い気がする。(ついでに言うと、私、かわいい男の子にはぬいぐるみを持せたいってよく思うんだけど、ぜひちょっと雑に扱っててほしい。ずるずる引きずったり。それでも本人的には大事にしているらしい、みたいな、ね。)

…あ~もうっ!かわいすぎるじゃないのっ!(ぜんぶ妄想です、そういう公式設定とかは全くないです)

 キティちゃん的には(キティちゃんは、この擬人化世界ではどんな感じかな~)、タイニーチャムは、キティちゃんの真似っこばっかりしててちょっと呆れるときもあるけど、でもやっぱりかわいい弟みたいな存在って感じ。

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(LINEスタンプ「ハローキティ タイニーチャムと一緒」の紹介文では、「ちょっとだけいつもより優しくて、おねえさんなハローキティ」とありました。お姉さんと弟ちゃんっていう…そういうよさ。↑タイニーチャムもねてる。…タイニーチャムはぬいぐるみだから寝なくてもいいんだけど、キティちゃんが安眠できるように、いつも寝たフリをしている…とかだったりすると可愛いね。妄想ですが。)

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(キティちゃんの帰宅を待ってるとき? でへへ~超かわ~…)

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(キティっ!おかえりっ!)

 なお、私はこのタイニーチャム擬人化妄想を(脳内で)始めてからというもの、タイニーチャムを見るたびに、その妄想擬人化英国美少年が浮かんできてしまい、困っています…し、なんだか申し訳ない気持ちになります…もっと純粋な気持ちで楽しみたかったのに(いや純粋か、純粋に病気)。*16

 そのタイニーチャム擬人化美少年に関しては、もうはっきりと、顔とかのイメージもあって、絵が描けたら再現できるのに…でもまあその必要もなし、私の頭の中にははっきりといるのだから、私はいつでもその子に会えます(なんか、あんスタの星5カード[姫宮桃李など。才能開花前。]みたいな感じで、斜め上からのアングル、ちょいクマ口の少年が、寂しそうにこっちを見てる絵が浮かぶ。よく見るとちょっぴり、片方のお目目に小さな涙が…ほっぺが少し赤い。ピューロのあのサックスブルーのワンピースをパジャマっぽく着て、ベッドの上にぺたんと座って、キティちゃんのぬいぐるみを抱きしめている♡…あ〜いい〜)。ただ皆様にお見せできないのが、ちょっぴり残念、というだけ。 

*1:カタログには、「グロウラー」という「音の機能」で、「体をねかせたり起こしたりすると鳴きます」と書いてある。くま売り場の人が、こうやったら鳴きますよ、と動かしてみせても、鳴かなかった。あれ、ちょっと鳴きませんね…、ってなったけど、その後、じゃあお包みしますね、って柔らかい包み紙のなかに入れられた途端にぐ~~っと長く鳴いた。きっとこの子は、しばらくいたこのくま売り場を離れるのが不安なんだね、って思ったし、私だけでなくその場にいた人みんなが、きっとそうなのだろう、と話し合っていた。

*2:BABY,THE STARS SHINE BRIGHTさんの「くみゃちゃんの Love Love Valentine 柄」。こっちはくまじゃなくて「くみゃ」。

*3:人間だけでなく、くまのぬいぐるみにまで、二つの性のどちらか(binary)でなければ困るというような人もいる──確かにリンちゃん出身地の言語には概念や無機物も含めてあらゆる名詞に性があるけれども(「性別」しなければ落ち着かないゲームのルール)、しかしドイツ語には中性名詞があり、例えば子ども Kind は中性。

*4:あのような髪が長くて色白な、お姉さん風イケメンが好き…CCさくらの月さんとか、最近だと寂雷先生とか。

*5:「…宮本絵美子[TV本編のキャラクターデザイン]さんに話を聞いたら、「[モフルンは]中性的な存在という気持ちで企画当初にデザインしました」ということでした。…田中監督からも、あまり女の子っぽくしすぎず「わんぱくな少年風」という指示もありました。それでミニスカートではなく、かぼちゃパンツにしました。そして他のプリキュアたちよりも年下で、まだ幼さがある感じにデザインしました。」(上野ケン[映画のキャラクターデザイン・作画監督]、『アニメージュ1月号増刊 魔法つかいプリキュア!特別増刊号』、徳間書店、2017、35-6頁)

*6:アニメージュ1月号増刊 魔法つかいプリキュア!特別増刊号』、徳間書店、2017、35頁。

*7:と言いつつ私、プリキュアシリーズは、残念ながら、この『まほプリ』以外、ほとんどよく存じ上げないのですが…。『プリアラ』と『ハグプリ』は、ほんのちょっとだけ部分的に見ました。──私、どんなコンテンツでも、「戦う」場面がとにかく苦手で…痛そう、って思うとつらいので。『まほプリ!』も、プリキュアに変身するところまでは見て、戦闘シーンは薄目で見たり、あんまり見なかったりした。

*8:ケモミミ的要素は、この妄想ではなくていいかな、と思います。確かにキュアモフルンちゃんには、クマ耳っぽいのが頭についてますが、衣装の一部なのか何なのか、はっきりしません。というか、キュアモフルンちゃんの設定自体が、あまりはっきりしないところがたくさんあるみたいです。

*9:「キティがとっても大切にしていて、一緒に暮らしていたテディベアのぬいぐるみ♪キティの愛によって魂が宿ったよ。キティが大好きなのでなんでもキティのまねをしちゃうよ。」(ピューロランドホームページ)

*10:例えば、キティちゃんアニメでタイニーチャムは、「ぼくが塗るよ」(ペンキ塗りのお手伝いシーン)としゃべっている(「ハローキティのサーカスがやってきた」)。ちなみに、このアニメでのタイニーチャムは、喋るとき口が動かない。『まどマギキュウべぇも同じ方式。

*11:同上

*12:「タイニーチャムのパパがお仕事でニューヨークへ行っている間、キティのお家に住むことに。男のコだけど、大好きなキティの真似をしてリボンを付けている。」(サンリオ公式ホームページ)

*13:既に終了しているサンリオの塗り絵企画のサイトがまだ閲覧可能な状態だった。 https://www.sanrio.co.jp/special/characterranking/2017/nurie/tinychum/?_nu=0.147846574385105840.130380074451665

*14:おいおい、そんな美少年がお部屋にいるなんて、キティちゃん恵まれすぎだろ!!あこがれるぞ!!

*15:LINEスタンプ「ハローキティ タイニーチャムと一緒」

*16:ちなみに、同じサンリオの「KIRIMIちゃん.」は公式で擬人化していましたが、私はそれを参照して以来、やっぱり「きりみちゃん」(中性の設定)や「ブリくん」(男の娘)を見ると、擬人化後の姿が自動的に思い浮かんでしまう(そして、落ち着かなくなる…超かわいいから)ようになってしまいました。「シャトーブリアン」に関しては、もうこの言葉自体が、あのロン毛イケメンしか思い浮かばなくなったよ。サンリオ『KIRIMIちゃん.ぎじんかマジカルプレミアムBOOK★』(KADOKAWAアスキー・メディアワークス、2016)

神様を信じる強さを私に──「ハローキティのきえたサンタさんの帽子」(とマイメロのクリスマス)

 神様を信じる強さを私に。「信じてくれなくてもいいわ。でも、私たちはサンタクロースを信じるわ」。サンリオ製作のアニメ「ハローキティのきえたサンタさんの帽子」(1992年)について。

「キティもミミィも、まだサンタクロースが本当にいるなんて信じてるの?・・・サンタクロースなんてお話の世界の人なのよ。本当はいないのよ」(フィーフィー)

「サンタクロースというのはね、本当はお話の世界の人なんだ。実際にはいないんだよ。」(パパ) 

 こんなことを何度言われても、キティとミミィは、サンタさんを強く信じ続ける。

 だから2人は、「サンタさんの帽子」を追いかける。暗くなったら帰りなさいという大人たちや、森のリス(ローリー)の注意も聞かないで。もうあきらめよう、と言うお友達の言葉にも耳を貸さないで。

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森を駆ける、オーバーオールの2人

 「サンタさんの帽子」(みんなの集まる「教会」に飾られたサンタさんのお人形に被せられていた帽子)は、風に吹き飛ばされ、追いかけても追いかけても、不思議となかなかつかまえることができない。追いかけようとすればするほど、サンタさんがいると信じる気持ちも、遠くへ逃げて行ってしまいそうな気がする。けれども、キティとミミィはそれを上から塗り潰すようにして、「サンタさんの帽子」を追いかけ続ける。寒くて暗い森の中へ、割れそうな凍った湖の上へ、2人は「帽子」を追いかけていく。

 「しょうがないなあ。思い込んだら一生懸命なんだから」とくまのトーマスが言うように、キティとミミィは強い意志を持った子たちなのです。信じたことは、きっと貫こうとする。そして行動する。森を走る。お揃いのオーバーオール*1は、そんな2人によく似合っている(他のお話でも、真夜中、2人は暗い森の中を、勇気を出して駆け抜けていきました。「止まった大時計」)。

 こうやって森を駈ける2人の姿の、なんと愛らしいこと。

 夜、お揃いの寝間着を着た2人が、ベッドに入って、

キティ「サンタさん来てくれるかな…」

ミミィ「来てくれるわよ。きっと。」

キティ「そうね、来てくれるわよね」 

と確認し合っている様子の、なんと可愛らしいこと。

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 そして何と言っても外せないのが(感動してしまうのが)、キティとミミィが2人でトナカイのソリに乗って夜空を飛ぶ場面です。サンタクロースを信じる可愛い2人の強い気持ちが、こうして報われ、暗い夜空に光り輝く。2人の純粋な魂が、流星のように流れていく(泣いちゃう)。

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 暗い夜空と2人の姿とは、「お話と実際との区別」に固執する周囲の人たちと、サンタさんを信じ続けるキティ・ミミィの純粋さとの、鮮やかなコントラストを示しています。

子供だましの「夢」を超えて

 キティとミミィに、サンタさんを信じる「夢」を持ち続けて欲しいと考えた「パパ」は、サンタさんに変装して、プレゼントを置きに行きます。

 キティちゃんパパの優しさ、思いやり。まだまだ「お話の世界」のことを、「実際」の世界のことのように信じて、「夢」を見たままでいて欲しい…というような、大人の優しさ。

 けれども、パパの優しさ(優しい嘘)に包まれて、「お話の世界」にまどろんだまま、「夢」を見て優しく(従順に)2人は育ちました・・・っていうような、生易しいお話ではないのです。キティとミミィの2人の強い信念は、そんな大人たちの芝居がかった優しさや思いやりが描く、子供(だまし)の「夢」の領域なんかを、超え出て行く。 

 ──そういえば、これと同じことを、私はアニメ『サンリオ男子』を観たときにも感じました。「サンリオ」が見せてくれるものは、子供のための、大人が作った、(子供だましの、子供じみた…)”優しい世界”・・・などではないのです(変装するキティパパ≠サンリオ)。子供の領域どころか、大人の領域(既存の枠組みに縛られた、つまらない大人たちの)をも、軽々と超え出て行く。──サンリオの段ボールに、地球の絵とともに印刷された「世界中がみんな”なかよく”」という言葉は、「世界」という視野から、あらゆる小さな枠を超え出て行こうというような意味も含まれているかもしれません。──『サンリオ男子』でも、小さな枠の中に閉じこもろうとした「男子」を、仲間が引き止めて(「そんなのただのガキじゃないか」by 水野祐)、キラキラと広がる「世界」へとつなぎとめて行くストーリーがありました。

 キティとミミィは「帽子」を追いかけて、もうじき暗くなるというのに森へ入って行く。これはたぶん、ふだん大人たちから、やってはならないことと言われていることでしょう。実際、他の子供たちはその言いつけ通り、「もう帰りましょう」などと言って、「帽子」を追いかけるのをあきらめてしまいます。けれども、キティとミミィの信念、強い気持ちは、そういう大人たちの作った安全圏、柵の中の箱庭を、超え出て行く。 キティちゃんアニメの別のお話でも、キティたちは夜中にこっそり家を抜け出したり(「止まった大時計」)、信念に基づいて、サーカスの団長(「サーカスがやってきた」)や、地主のヴィンセントさん(「青い蛍」)などの大人たちにも対抗し、また大人たちを動かそうともしていました(いずれのお話も、ちょっとシリアスというか、大人の世界の薄暗い部分が描かれている)。

 要するに、この「きえたサンタさんの帽子」では、キティちゃんパパが変装する(作り物の)サンタさんは、付け髭が風で取れてしまい、キティとミミィがいるその場で、その正体が明らかになってしまうのです。子供だましのつくられた「夢」は、簡単に見破られてしまう。

パパ「はっ…」

キティ「パパ…」*2 

この後、無言の時間がしばらく続きます(気まずい時間…この演出なんなの、効く…)。そして、「パパだったのね…」「クリスマスプレゼントはパパが持ってきてくれてたのね」「プレゼントありがとう」(←いい子たち)。そしてここで、「サンタクロースというのはね、本当はお話の世界の人なんだ。実際にはいないんだよ」と、パパがゆっくり語りかけます。これは、ちょっとしたショッキングな場面のようにも思われるかもしれません。けれども、キティとミミィは、すぐにこう答えます。

「ううん、[サンタさんは]いるわ。パパ、プレゼントはパパだったけど、サンタさんはちゃんといるのよ。」 

キティとミミィは、子供だましの夢が破れたところで、ほとんどショックは受けない。2人の信念、強い気持ちは、もっと遠くにまで届いているから。パパが思っている以上に、2人は大きくなっているのです。

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私たちもまた試される

 もう一つ言えるのは、この作品は、見ている私たちもまた試されている、ということです。

 先ほどお話しした夜空の場面で、キティとミミィは、サンタさんがくれたトナカイのソリに乗って、みんなの集まる「教会」に到着します。そこでは、フィーフィーたちから、サンタさんがくれたトナカイのソリに乗ってやってきたというキティとミミィのお話が、ウソ…というよりも、2人の集団幻覚のように扱われてしまいます。

フィーフィー「あなたたち、サンタさんがいるって思い込んでいるから、変な夢でも見たんじゃないの?」

キティとミミィの二人だけが、集団幻覚を見ているかのよう。「ほら、サンタさんが笑ったわ。」「ほんとでしょ?」 と、教会の飾りの人形を指差して2人で話す場面なども、フィーフィー*3たちには、少し不気味にすら思われたかもしれません。また、森でサンタさんに会ったとパパに話す2人に対して、パパは、「……[無言]。…いつまでも夢を捨てないのは素敵なことだね。…じゃ、おやすみ」と、静かに立ち去ります。

 こんなふうに何度も、サンタさんがいるという信念は、揺らぎかける。劇中のキティとミミィはすぐに信念を強く持ち直すのだけれど、こうした演出は、見ている私たちの信念を揺さぶりにかかってくる。やっぱりこの2人だけがおかしな夢を見ていたのではないか(要するに、そういう夢オチ的な構成なのではないか)、という疑念が浮かびかける。つまり、私たちが、どこまでキティちゃんとミミィちゃんを信じてあげられるのかが、試されるのです。(それにしても、一体どうしてこんな、ある種のサスペンスのような演出をしたのだろうと考えてしまうのだけど、例えば、親と子供が一緒に見るというような場面を想定しているのかもしれない。一緒に見ている大人にも何かを気づかせようとしているようにも受け取れる…。)

 そして、最後のセリフ。 *4

「サンタさんはいるのよね」

「そうよ、サンタさんはいるのよ」

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ついでに、マイメロディのクリスマスのお話とお歌について

 同じサンリオ関連のアニメで、これよりもずっと後の作品ですが(2005年)、『おねがいマイメロディ』の「お母さんに会えたらイイナ!」も、素敵なクリスマスのお話です。

 お話自体が、それこそ涙なしでは見られないような感動ストーリーなのですが、私としてはむしろ、クリスマスの特別な魔法で変身し、お揃いのあったか衣装に身を包んだマイメロクロミちゃんの2人の姿が、もう本当に可愛くて可愛くて…そこに感動して泣いてしまいました。

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(見て、この2人。クリスマスの特別なお洋服を着たマイメロクロミちゃん。なんて可愛いの…。お揃いのケープマントみたいなのを羽織ったりして。)

 こんな天使のような、いえ、天使そのものである「ぬいぐるみ」の2人が、「奇跡」を起こすのですよ。あの二頭身の小さな体から、大きな魔法、奇跡が、繰り出されるのです。

 それから付け加えておくと、このエピソードの劇中で流れる、マイメロディが歌う「おねがいクリスマス」という曲も、とてもとても素晴らしいので、ぜひお聴きになってみてください。神様を信じる強さ、が与えられるかもしれません。福音、と書いて、マイメロディ、と読む…。

*1:この最も原初的な形態における2人の衣装──サンリオの女王に、特にキティの方が上り詰めていくなかで、こんなふうに無邪気に森を駈ける2人の姿は、あまり見られなくなっていくようにも思われるけれど…。──ピューロランドでは、セレブのキティのお家というコンセプトのアトラクションがある(レディ・キティ・ハウス)。ゴージャスなドレスに身を包んだキティは確かに素敵だった。けれども、金魚鉢と牛乳瓶を横に並べて座っている、オーバーオール姿のキティちゃん(そしてミミィちゃん)も私は好き。

*2:はずかしい~~パパ~!恥じらい乙女の表情を見せるキティパパ。かわいい。──クロミちゃんパパとか、キティパパとか、パパシリーズが結構好き。髭なんかはやしてパイプ吸ったりして、いかにも紳士といった雰囲気を出そうとしているのに、あくまでも二頭身でかわいいから。↓クロミちゃんパパ&ママ。

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*3:このキティちゃんアニメに登場する、ひつじさんのお友達。声優さんがマイメロの方と同じ。おしゃべりの速度は全然違うけど、マイペースな感じはマイメロとちょっと似ている気がする。

*4:ちなみに、キティちゃんアニメのエンディング曲「MOON TALK」というバイオリンの曲もよい。けれども、こうした楽曲を普段から聞くというのは、かなり困難そう。

SFY感想、「ごちうさ論シリーズ」既刊頒布方法について、他

 皆さま、ごきげんよう

 「ごちうさ論しりーず」を頒布してきた、ロマン主義アニメ研究会のサークル主です。

 すでに過去の記事でもお話ししていますが、ごちうさ論、ごちうさハスハス、ごちうさどっぷり耽溺、は、(個人的に家でやるのは別にして)表立ってのサークル活動としては、しばらくの間、小休止しようと思っています。

 それは、これもブログや既刊のあとがきなどでお話ししたことですが、『ごちうさ』さんご本人の展開を、もうちょっとしばらく見守ってからゆっくり考えたい、という気持ちがあるからです。皆さまも、結構そういう気持ちなんじゃないでしょうか。どうでしょうか。今まだ、ごちうさ物語は、砂時計のくびれた場所とか、階段の踊り場とか、なんかそういう場所にいるような気がするのです。

 「ごちうさ Sing For You」*1も、鑑賞しました。大変素晴らしいと思いました。ストーリーはすでに原作で穴があくほど読んでいる部分ですから、新しいことはない…などということは全くなく、色々と気付かされるところもありました。

 私としては、個人的には、原作「Cup of Chino」*2の最後の四コマで、「みんな来てくれた!」と言って、ハフハフとチノちゃんが走って帰ってくるシーンが一番お気に入りで、もうほとんどあのコマだけが好きでこのエピソードが好きだったと言ってもいいくらいだったのですが、アニメでは他にもたくさんの要素を盛り込んでくださったおかげで、大きな広がりを持ったものになっていました。原作ではチノちゃんがみんなが来てくれたことだけを気にしていたのに対して、アニメではお母さんのことも含めて考えている、という大きな変化が見られました。

繰り返し構造

 明らかなことですが、「さあ、チノ(ちゃん)もご一緒に!」と言うところは、ココアとサキとのセリフが重なっています。バゲットの歌*3、「銀のスプーン」という、大きな歌の性格の違いはあるけれども。(かつて、タンポポの額縁への感想も、ココアとサキとで重なっていた。タンポポは、周知の通り、サキとの思い出の象徴として効果的に使われている。)

 しかしこの違いは、結局のところ、繰り返しの中で前に進んでいる部分です。しっとりした「銀のスプーン」に対して、一見バカバカしい賑やかな「バゲットの歌」。「賑やかなのも……たまには役に立つな」とティッピーが言っているように。その差分が、「いま私素敵な人たちと一緒です……だから」という締めくくりのセリフでしょう。

「家族」の踏み込んだ描写

 タカヒロがあんなにはっきりと、チノに語りかける場面、いわゆる家族らしいシーンというのは、これまでに全くなかった。原作では未だにない。これはかなりOVAで踏み込んだ描写がなされている。

 また付け加えて、サキのことをこれほどこの家族で話題にする場面もまた、非常に稀。原作では、やはりいまだにこれほど踏み込んだ場面はない。

3期の予測

 先ほどのティッピーの「賑やかなのも〜」というセリフは、(原作時間軸的にこれより後の)2回目のクリスマスの様子を見たティッピーの態度が先取りされているように見える*4
 『ディスクガイド』でも、SFYと3期とのつながり、ということが強調されている。
これは夏のエピソードであり、この後に来る季節、「秋」のハロウィンのお話(サキ?が活躍する)が、当然ながら、控えていることが想定されるでしょう。
 そしてさらにその先に、サキの思いの(想定以上の)結実としての2度目のクリスマスのエピソードが控えている。アニメ1期はKoi先生の希望でクリスマスまで描かれたというが、おそらく3期もまた、2度目のクリスマスを一つの区切りとして、ちょうど最終羽(あるいはその一つ前くらいに…1期はそうだった)、持ってこられるかもしれない。

とにかく贅沢なOVA

 とにかく贅沢な作品だと感じました。

 OVAだから当然ではあるけれども、ごちうさという作品のこれまでの全てをきちんと把握した人、踏まえている人でなければ、十分楽しめないような内容になっている、と思う。そしてそれが成り立つくらい、作品が成熟しているのだなあと思った。これはもうあきらかに、成熟したファンに向けられた作品。
 逆に言えば、ごちうさのこれまでの文脈(また、原作を知っている人からするとこの後に続く文脈)を踏まえずに見ると、さらさらと流れていってしまうような、軽やかに楽しめる作品に仕上がっている。そういう意味でも、とても贅沢な作品だと思う。
 ちなみに、一つ前のOVAである、劇場上映もされた『DMS』は、あの作品だけを初めて(たまたま映画館などで、あるいは人に連れて行かれて)観たとしても、かなり楽しめるように工夫がされていたように感じた。

 また、ごちうさのキャラ達で、アイドルアニメのような場面を見ることができたというのも、非常に贅沢に感じた。個人的に私は二次元アイドルコンテンツが大好きだけど、それをごちうさキャラで見られたという喜びも大きかった。キャラ達が、動いて、歌ってる!っていう。

超細かいこと

・リゼ父がちゃんと出てきてくれてよかった。セリフもあったし(もはや娘が出ているわけですらないのに、応援に連れてこられているという…なにげにいつもタカヒロの言いなりになってる感が良い。振り回すタカヒロに、振り回されるリゼ父。かわ。)。ごちうさパパーズ(?)の中では、やっぱり私は断然リゼ父派。かっこいいものね。

 かつて、コントラバス的な楽器を演奏していたリゼ父。もしかすると、合唱会の行き帰りなどに、タカヒロとそんな昔の時代のことをお話ししたりしていたかもしれませんね。まだまだ俺の腕は落ちちゃいないぜ、みたいな。いいね。


・シャロ宅でうちわを深夜につくるシーンは、ココア・千夜の勉強会のエピソードを思い出しました。こういうのも細かくファンへ向けたメッセージというか、サービスを感じる。
 たぶん、ココア&千夜が集まって何かしようとなると、シャロを巻き込んでシャロ宅で、ということになりがちなんでしょうね。そういう描かれていない日常も感じられました。
 さらに超細かいことですが、なぜあの場面にリゼが呼ばれていないのかということ。おそらくリゼのお家はあんなに大きなお屋敷なので、あまり勝手に夜中に抜け出したりにくいのだろうと思います(ラビットハウスは裏口の木戸を開けてすぐ出られるけど)。──でも、初期のリゼと違って、もうそんなことで拗ねたりはしないのです(私だけ呼ばれてない…、とかそんなこと言わない)、きっと。

 ココアが抜け出すシーンで、こんな風に裏庭と道路が繋がってるのね、っていうのが改めて確認できた。お洗濯のエピソードとか設定資料集などでわかっていましたけど。ペーパークラフト、絶対作れる自信がないから買わないけど、ますます完成品を見てみたいと思った(たまにアマゾンレビューを見る)。 

ほとんど関係ないこと

 最近、ごちうさでは、やっぱりすっかりメグ推しになってきました。いつのまにかそうなっていた…ロリであれショタであれ、お兄さんでもお姉さんでも、動物でもぬいぐるみでも、やっぱりおっとりキャラが好きみたいですね。かわいいです。SideMでいうメンタル属性。 

 ちなみにメグ役声優さんの村川梨衣さんも、詳しくは存じ上げないけれど、とても素敵な方のようです。

既刊頒布方法について

 あ、あと忘れるところでしたが、既刊が書店様の委託期間が終了し、うちに帰ってきました。そんなに多くはありませんが、コミケや通販などで、なにげにときどき既刊をお求めくださる方がいらっしゃるので、せっかく在庫もありますから、何らかの方法で頒布できるように工夫するつもりです。なんかそういうサービスあるよね。調べます。また決まったら、ここを更新しますね。

COMIC ZINさんの方は、『DMS』本だけですが、まだあるようなのですが…ちょっとZINさん自体がよくわからない状態なので、どうなっているのか…っていう感じです。) 

*1:ご注文はうさぎですか?? ~Sing For You~ 』2019/9発売

*2:原作5-8

*3:ココア「「ラビットハウスへ行こうよ♪」のうた」

*4:原作6-12

【C96】新規ミニミニ冊子『鏡の国/すてきなセカイ〈補遺〉』頒布します【8/10(土)南ヨ39a】

皆さま、ごきげんよう

当サークルロマン主義アニメ研究会は、今度の夏コミにも参加いたします。

2019年8月10日(土曜日)、南館・ヨ-39a です!

https://webcatalog.circle.ms/Perma/Circle/10371368/

↑おしながきは、ウェブカタログをご覧ください♪ (既刊4冊全て+新規ミニミニ冊子)

(南館って…きっと新しいから涼しいに違いない。…え、なんだって、電波が全然入らないって?そういう情報が、なんか…ネットで、今見てたら、なんか…。本当かな??それは困るね。)

 

【更新】今回の新しい頒布物

ミニミニ冊子『鏡の国/すてきなセカイ〈補遺〉』

B5判4ページ(B4二つ折り)──無料配布。

(主な内容)最近のごちうさ「旅行」編の連載分について/ルイス・キャロル『アリス』シリーズとの関係/今後の展開、さらに新学期編以降について/etc...!

 前回のコミケで頒布した、『鏡の国/すてきなセカイ』(『ご注文はうさぎですか?』の「旅行」編に関する考察・評論・随想本です)を作る際には(時間軸的に)扱えなかった、「旅行」エピソードを描く新たな『MAX』連載分(2019年2月号〜9月号)を取り上げて、前回の本の「補遺」とします。
 B5判4ページ(B4二つ折り)で、内容的にも、デザイン・大きさ的にも、前回の本の最後のページにちょこんと挟んでおいてもらえればちょうど良さそうな感じのものになっていると思います♪(既刊をお持ちでない方は是非この機会にご一緒に。)

 また今回の「補遺」では、前回の本でタイトルに入れておきながら、わざわざ今さら言わなくてもいいかな…と思って特に触れなかった『鏡の国のアリス』との関係についても割と多く触れています。*1 ちなみにこの点に関して、細かすぎるのでペーパーにも書かなかったことをここに書いておきます(補遺の補遺って感じ):
・トランプとチェス。それぞれ、「不思議の国」編、「鏡の国」編のテーマになっているのかもしれません。1期アニメのオープニング・エンディングでは、トランプが登場します。この「旅行」編ではチェスで遊ぶ場面がありますし、何より「輝きの都」は細かい運河で区切られたチェス盤のようにも見えます(『鏡の国のアリス』の舞台となる場所も、土地が運河などで区切られてチェス盤のようになっている)。
・列車に乗る場面。列車の中で、双子と出会う。
・道に迷い、道を尋ねる、といった場面に「双子」が登場する点(ダムとディー)。

・ホテル支配人の2人は、赤の女王・白の女王、っぽい。ズレた会話(これは前からごちうさの特徴だけど…けど特にあの2人のおかしさ・狂い方は、初期ごちうさを思わせるズレ方)。

 無料ペーパーと言いつつ、案外、悪くない出来になったと思います。…そうね、将来、今回のこの「補遺」と、さらにこの先の連載分についての記述を合わせて、完全版の「旅行」編の本を作りたいですね。いつか。

そのほかの頒布物

 新規ミニミニ冊子(上記)&既刊4冊全てを持っていきます(本によって在庫数はまちまちです)。既刊についてはこちら↓をご覧ください!

 (しっかりとした本の)新刊はありません。すみません…。*2  無料ペーパーか、うす~いコピー誌かなにか、つくれたらつくる、っていうつもりです(いま、ちょっと頑張ってます)。作りました!

 過去の既刊はすでに書店委託もしているので…まだお持ちでない方は、それが私から直接、書店委託手数料なしで買える場所、というような感じになると思います(でも入場料が取られるらしいんだよね~、今回のコミケ)。何かのお買い物のついでにでも、お立ち寄りくだされば幸いです。

 

みえるよみえる ──美しい世界の法則

 でもちょっと既刊の宣伝をしておくと、前回のコミケ冬コミでの新刊『鏡の国/すてきなセカイ』は、ただいま『まんがタイムきららMAX』で連載中の「旅行」エピソードについての本だったのですが、もちろんその時点で読める連載分についてだけを手掛かりに書いて、「出発編」と称したのですが、──自画自賛みたいで恐縮ですけれど、最近の連載を読んでいても、ああ、やっぱりそういうことが起こるよね…というように、考えていた通りに展開している部分がたくさんあったりして、それなりに自信を持ちました(特に痛感したのは、チノが道に迷って、ココアとココア父にたまたまたどり着く回、など。この辺りの詳細をペーパーに書こうと思ってます…間に合えば…)。

 ・・・より正確に言えば、「ごちうさ」という世界の法則性をあらためて確信しました。

 私たちの世界でも、自然法則を逸脱したことは起こらないですよね。それと同じく、『ごちうさ』の世界でもそうなのだ、と確認できた気がしました。美しく一貫した法則にしたがって、世界は動いている。あらゆる細部が、そのようになっている(あらゆる細部に至るまで、世界の中に無駄なものは一つもないそれは救いであり優しさでもあります=「優しい世界」)。

 だから改めて、『ごちうさ』は、まるで私たちの住む自然のようであるし、またKoi先生は神のようである、と思いました(「まるで」「まるで?」「第2の自然だねっ!」)。といっても、このときの「神」概念を誤解しないようにしてください、Koi先生は、あくまでも「時計職人」のような神です、美しく精巧な機械式時計である世界を組み立て、そのゼンマイを最初に巻いたひと──そのような「神」です。個々の出来事に恣意的に介入し、そのつどの奇跡を気まぐれに生ぜしめる、そのような意味での「神」ではありません(=だから「法則」からの逸脱した事象は起こらない、したがってまた、そのような意味での「奇跡」も起こらない)。「神」といえども、組み立てた時計は、一度ゼンマイを巻いたなら、あとはただ見守るだけなのです。私たちと一緒に。

 けれどもやっぱり、「ごちうさ」のセカイはキラキラとした「奇跡」で満ち溢れています(「煌めきに満ち溢れている」)。「ごちうさ」の世界に生じている「奇跡」とは、個別の出来事の一回きりのものなのではなく、むしろ、おそらく次のような種類の「奇跡」、すなわち《世界が美しく組み立てられている》ことそのものの「奇跡」なのだと思います。存在論的なレベルでのもの、と言ってもよいかもしれません。

 それほどまでに深くて包括的な奇跡。世界そのものの美しさ。──ごちうさが伝えたいメッセージもまた、ここにあると思います。世界の「美しい法則」こそが、著者=神からのメッセージなのだと思います。私がこれからもっと詳しく知りたいのは、この点です。

(ていうか、だから本当に深い深い愛ですよね、『ごちうさ』が、Koi先生が、もたらしてくれているのって。Koi先生のイラストの不思議なくらいのキラキラ感って、結局はこの深い愛に発しているものだと思います。──「愛が詰まっている」…速水奨さん)

「構造萌え4コマ」──私にとっての『ごちうさ

 原作はまだまだ続きますし、新作OVA、3期というアニメの展開も控えています(楽しみですね❤︎)。

 またこれらのアニメの展開の真っ只中で原作の連載が終了するということは、(芳文社のビジネス的にも)ちょっと考えにくいことだと思います。ということは、原作はあと数年は連載が続くということになるでしょう。

 このような規模でごちうさ物語の全体を想像してみると、やっぱり私としては、いま手にできている原典──それはまだほんの切れ端かもしれない──だけを手掛かりにこれ以上論じるよりも、もう少し先が見えてからまとめて議論したい、という気持ちです。

 

 ──そもそも私、『ごちうさ』への取り組み方が、おそらくマイノリティーな方に属するのだと思います。細部より全体、構造、法則、といったものにばかり着目してしまいます。

 もちろん細部も大事で、大好きです。けれども、細部はすべて全体に通じている。むしろ、細部そのものよりも、細部に宿っている全体(「神さまはちっちゃいに宿る、とか?」)の方ばかりを見ようとしてしまう。

 そして私のごちうさの楽しみ方は、特に最近ますます、このことだけに集中してきているのです。

 こう言ってもいいでしょう、すなわち、『ごちうさ』が何らかの意味で「萌え4コマ」であり、「萌えアニメ」だとするならば、私がこの作品に「萌え」ているポイントは、その物語の「構造」なのです。

 これはもう、ほとんど異常といってもいいような楽しみ方なのではないかと思いますが、少数派ながらこういう人たちもいると思います(そういう私と似た人たちを発見したり、そういう人たちに私の考えを伝えたりしたくって、本を作りました)。・・・そうですね、「萌え」の細分化を突き詰めるのがコミケの文化であるとするならば、まあそんなに間違ってはいないですよね、私のやっていることは。──チマメ隊はかわいくて大好きだけれど・・・。毎日画像を眺めたくなるほど好き、っていう感じでも、ないのです*3。リゼ先輩の肉体美といったものにも興味はないのです*4

 そういったわけで、細部や、次々更新される情報(あるいはファンアート)を追いかけて、盛り上がり、萌え上がる、といった楽しみ方に関しては、『ごちうさ』については、私はもう完全にその輪の外にいるのです。

 そしてこのように、細部萌え、ではなく、構造萌えに限定されてしまっている私の独特の関心の持ち方のせいで、おそらく、マジョリティの人々よりも、もっとスピードがゆっくりなのです、私の『ごちうさ』の楽しみ方のスピードが。──細部は次々現れますが、構造は次々更新されては構造の意味をなしません。基本的に大きく変わるものではないのです。その姿は、ゆっくり、ちょっとずつ、細部を通じて積み上げられるようにして現れる。

 

 こういうわけで、現段階で私にできる限りで、ごちうさの「構造」についてはそれなりに把握し、考え、また既刊に書き記すことができた、と思っています。ただ先ほども述べたように、物語はまだまだもっと大きな全体像を隠し持っているのだとすると──もう少しお話の展開が進んで、まとまった原典が得られた段階で、改めて「構造」に関して考えたいと思います。きっと、わわ!また新しい構造が見えてきた!!萌える(燃える)!!!ってなると思いますので・・・(あるいは、既存の構造がより一層はっきりくっきりと見えてきた!!やばい!!とか)。

 このようなわけで、いつの日かそのようなときに、また「新刊の私」でお会いしましょう。・・・ひとまず、勢い余って申し込んでしまったこんどの夏コミには、「既刊を売りに行く人」(&無料ペーパーを配る人)の私がいることでしょう。

 

 改めまして、今度の夏も、よろしくお願いします♪

 

*1:うん、そんなの知ってるよ、わざわざ指摘するのは野暮だよ…って思う人もいるかもしれませんが(私もちょっとそう思うのですが)、伝わってない感じもしなくもなかったので…今回お話ししてみました。

*2:新刊がないならコミケに申し込まなくても良かった、という感じもしないでもないのですが・・・コミケの申し込みって、前のコミケが終わって割とすぐ後なんですよね。コミケが終わった後って、気分がちょっとハイになっていて、最もコミケとか同人活動へのモチベーションがきらきらMAXになっているときなのです。だから「申込書セット」があればつい買っちゃうし、つい申し込んじゃう。どうせ落選することもあり得るしね~、みたいなのも後押しします。ちなみにありがたいことに今まで一度も落選したことないですニッチなジャンルだから落ちないのかな、とか思ってるのですが、どうなんでしょうか。「ごちうさ」ジャンル自体は全然ニッチじゃないですが、「ごちうさ×評論」となるとニッチなのかなって。で、なんとなくコミケット準備会って、「評論」っていう創作形態に理解があるというか、そういうのも割と大事にしようという姿勢があるのかな、って思ったりしています…。──ちょっと話逸れましたが、なので(?)、申し訳ありませんが、今回は新刊はなしなのです。

*3:白文字:ショタ趣味注意】何度も言いますが、マヤのお兄ちゃんは見たいです(prprしたい見たこともないのに。いや、実はもう頭の中には大体いる──この間さ、ココア父が出てきたけど、回想シーンのココア兄たちもずっと気になってる。モカさんに説教されている、セーラー襟の子供服の後ろ姿が描かれていたああいう服装の(美)少年が好きなので。ココア家の遺伝子による(?)ブラウンのふんわりサラサラな髪の毛の(美)少年ぜひ見たいよね。あるいは、もし私に絵が描けたなら、ごちうさ男体化2次創作(全年齢)をつくりたいと思ってる既に「男の娘」ものはあるんだけど、そういうのじゃなくて。チマメ隊とか絶対いいと思うんだ、ショタ・チマメ隊(あぁ^~超見たいんじゃ^~)。イメージ的には、ローソンのクリアファイル?か何かの、ショートパンツのマリン風のお洋服のイラスト(chimame marchライブの頃のだったと思う)。例えばあのお衣装、そのまま「ショタ化後のチマメ隊」に着せたら、きっと良いと思うの・・・うん、最高に良いよね。 あとは高校生組で、シャロちゃんとかも天然くるくる金髪ツンデレ少年とかにしたら良さそうよね。身長低め、細身、色白。で、がっちり軍人のリゼ先輩(男)を慕ってる、っていう。良いね。

*4:ごちうさ』で少しそういういわゆる「美少女」の、「男性向け」(と一般に称されるような…実際に「男性」だけが楽しんでいるとは限らないし、逆に「男性」と言われる人なら誰でも楽しめるというわけではない、言うまでもなく)な性的な目線の表現に接すると、ちょっと萎えてしまうそういうのじゃなくていいのに、って思ってしまう──あくまでもこれは私のごく個人的な勝手な気持ちなのですけどね(個人的な・生理的な、感覚の問題、性癖の問題です…個人サークルの個人ブログなのでそういうことも書きます…それらが好きな人を責めているわけでは決してありません──ってちゃんと言っておかないと怒っちゃう人がいるかもしれないから…)。なので、申し訳ないのですが(?)、『ごちうさ』のファンアート系はほぼ全く見なくなってしまいました。──念のため付け加えておきますが、すでに申し上げている通り、このような私の見方のほうが一般的に言って異常なのです。「美少女萌え4コマ」(それはきっと本来、読者の性的興奮を喚起する意図が少なからずあるはず)に接しておきながら、おかしなことを言うやつ、と思ってください。──たとえるなら、天ぷら屋さんで「天丼の天ぷら抜き」とかを注文しておきながら、ちょっとでも天かすが残ってたら嫌な顔をする人、みたいな感じでしょうか。そして、天丼の器の形だけを鑑賞して満足して帰る人(「構造」が良いよね~みたいなわけのわからないことを言って)、みたいなつまり変態ですね(しかも男体化とかいって、その上に煮込んだ牛肉を乗せて牛丼にできたらいいのになあ、とか言い始めるひどい人)。天ぷら屋さんからしたら出禁にしたいような客かもしれませんでも、ねえ、こんな私でも『MAX』買わせてよ、お願い。1冊だけどこれからも売り上げに貢献するしアニメの円盤ももちろん買うよ

理想の少年

(注意。中身ないです。ちょっと気持ち悪いかも…えっちなことなどは書いてません。)

2次元の複数の美少年たちを私は愛しているけれど、それはなぜかと言えば、私の「理想の ideal 少年」の片鱗を、きっと「分有」しているからイデア idea 論*1。 

どの子も好き…だけれども、どの子も私の「理想の少年」に、かなり一致しつつも、それそのものではなくて…。けれどもその背後から、その「理想の少年」の輝きが、どうしようもなく漏れ出ている。そこに私はうっとりとすることができる。(=貢いだりイベント頑張ったりする。)

 

理想の少年の「顔」

たぶん、自分の中での理想の少年っていうのがいるのです。いろいろ特徴をあげることもできる。(※「理想の少年の特徴」は後述。)

けれども、「お顔」のイメージだけは、はっきりと浮かばない。

絵が描けないから、はっきりと描くこともむずかしいけど・・・けど、絵が描けたら、描いているうちに、イメージができていったりするのかもしれませんね。その「理想の少年」のお顔を知りたいので、そのためだけに、絵の練習をしようかな、と、実は何回も思ったことがある。*2

でも、たとえ絵の練習をして理想の少年を描いてみようとしても、きっとお顔を描くたびに、違う!これじゃない!!とか言って、カンバスを切り裂いてしまう…みたいなのはかっこいいけど、カンバスなんて使ったことないし、今ならiPad Proを使うかな…。(iPad Proは高価なので大事に扱います…。) 

 

理想の少年に会いたいけど ──お人形、美のイデア、仁兎なずなの例

「理想の少年」に会いたいですね…。

この間、『あんスタ』の舞台「あんステMOM」でも描かれていた、昔の仁兎なずな君をめぐるお話…なんというか、残酷さ・罪悪感のようなものを感じながらも、よくわかってしまう気がしました、あの「仁兎!」って言う人斎宮宗)の気持ちが。

あの人はきっと「理想の少年」に出会ってしまったんでしょうね。目の前に、現実の少年の姿でそれが現れたら、そうなるよね。仁兎!ってなるよね。(にと!っていう、俳優さんのお声が耳から離れない。) 

それは、彼の頭の中のイメージが具現化された「作品」のように感じるだろう。美しい少年、私の完璧なお人形…ぞくぞくする、ひどい話だなあと思うけど、反面、同時にうっとりとしてしまう。(危ないですよね。わかってます、現実の少年に何かすることはないです。)

 

以前、アンティークドールがずらりと並べられた博物館のようなところに行ったことがありますが、綺麗なお洋服を着せられて、大事にガラスケースの中にしまわれている少女や少年のお人形たちをぼんやり、うっとり眺めていると…何となくそんなことが思い浮かびました。

陶器の透き通る素肌(陶器肌、というけれども、こういうお人形たちは本当に陶器でできている)…ぽってりとした唇、ほっぺた…そしてフリルやレースのついたボンネットやドレスで頭も身体も飾り付けられておめかしさせられて、ガラス玉の瞳で、どこを見るでもなく、ぼんやりと、ガラスケースの中に並べられている。

陶器だから、滅多にお外に連れていけない。こわしちゃうから。美しさを損なうから。だから陽の当たらないお部屋の中に、そっと並べておく。

 

──それで、「理想の少年」がそのまま形になったような美少年が、もし本当に目の前に現れたとしたら…、そしてあらゆる意味でそれが許されている、可能であるとするならば…、それは、美しさを損なわないように滅多にお外に出さず斎宮宗・なずなの場合は声を損なわないように喋らせない…)、綺麗なお洋服を着せて、きっと、ガラスケースの中に大事に閉じ込めて、自分だけのものにしておきたくなるだろうな、って…。──私はそのお人形さんたちがずらりと並べられたお部屋で、そんなことを何となく考えました。

だから、あんスタ・あんステのあのお話 *3は、残酷だとは思いながらも、罪悪感とともによくわかるし、妄想の世界であれば是非そういうことをしたい…などと思ってしまう。背徳的なうっとり感に浸ってしまいます。

(ちなみにそういう背徳的なうっとり感を、罪悪感が邪魔しないようになっているのは、なずなちん自身がお師さんのことをそんなに恨んだりはしていない、ということ。・・・こういう設定があるおかげで、余計にうっとりできる。っていう、危ない設定ですよね…。 ──舞台のなずな君ほんと可愛かった。俳優さんも身長が低めの方で、声を出さないで困ったり喜んだりしながらぴょこぴょこ動いたりしてて…何なんでしょうか、健気な感じもあって、助けてあげてたい、守ってあげたい、っていうような気にもさせられて…と同時に、守って助けてあげた上で、こんどはまた自分のガラスケースの中にしまいこんでしまいたい、っていうような感情もどこかにあって…。──やばいですよね、こうやって振り返ると、自分自身の気持ち悪さが噛みしめられます…。) 

けれどもそれは、あの人斎宮宗)も同じ二次元世界の住人だから。私の住む同じ次元内には、いないと思います、私の「理想の少年」は。

だから私はいつか、本当にお人形と暮らそうと思っています。文字通りのお人形と。少年のお人形というものの存在をだいぶ前に知って以来、ずっとずっと、気になっているのです。素敵な、お似合いのお洋服をいっぱい着せて、ずっと可愛がってあげたいです。(私の理想の少年のお人形には、滅多なことでは女装などさせない。…でもときどき、させてあげてもいい。)

そしてそれまでは、2次元のいろいろな美少年たちを、これからも愛好していこうと思います(っていう、何の宣言なんだかわかりませんが…平たく言えばオタクをやめないっていうことです…)

 

(私の)「理想の少年」の特徴

・色白。血管が透けて見えるんじゃないかというくらい白い。青白い。

・体型、細い、言うまでもなく。身長は158〜160cmくらいかな。

・内気。恥ずかしがり。ちょっとなよっとしてる(気持ち悪くない程度に…というか、美少年なら気持ち悪くないんだよ多分)。

・木陰でよく読書をしている。(なんかよくわからん洋書。葉っぱのしおり。)

・ローファー。(←重要)*4

・お花が友達。お花を見つけるとしゃがんで覗き込んで、そっと話しかけたりする。(しゃがんでいるときの、半ズボンの後ろ姿を眺めたい。)

・髪の毛は、金髪。あるいは茶色?? これは定まってない。(どっちも良いからね…)

・髪の質は、絶対、細くて、柔らかくて、くせ毛ぎみ。そんなにきついくせ毛じゃなくて、ふんわりとしたくせ毛。(撫でたい。)(ちゃんと朝櫛でとかしているのに、くせがなおらないよ…とかちょっと気にしてたりする…ふふふ可愛いのに、とか内心思ったりしながら、「そうなんだね」とか、同意してあげたりする。ぎゃ!)

・もちろん、おひげとか諸々の体毛などは、何も生えてない。今後も生えてこない(二次元だから)。(その割に、お父様はしっかりとしたおヒゲをたくわえていたりしてほしい…素敵なおじさま系(あんまり息子と似てない)。けど、息子には読書ばかりではなく、もっと元気に(男の子らしく)遊んで欲しい、みたいなことを思っていたりする。その反面、お母様は息子を溺愛していて、可愛がり過ぎなくらい可愛がっている。可愛くて仕方がないので、時々女の子のお洋服を着せてしまったりしている(!)の。ーーもう、こういう妄想、なんなんだろう、どこが源泉なんだろう…どんどん出てくるけど、きっと忘れてるだけで、どこかで何かで見聞きした設定だったりするんだろうね…でもそれが何なのか分からない。

・だから、足とかすべすべ。(半ズボンが眩しいの。そこにソックスガーターもあるとなおよい。)

(あ、あと、お父様とあんまり似てない、みたいな設定から、僕はよその家の子なんだ、みたいなことを考えたりしてたりする、のもいいね…。だからお父様は僕に厳しいんだ、とか…見当はずれなことで悩んでたりするの、いいよね。)

・けど、もうちょっと違う「悩み」もいいかな、と思います。私にとって理想の美少年には「悩み」が不可欠なのです。悩んでいる少年って…やばいですよね。その透明な美しさが増幅される。木の下とかで空を見上げたりして悩んでいて欲しい *5

問題はその「悩み」の内容ですが、色白で、ちょっとなよっとしている読書好き美少年には、やっぱりちょっとしたインテリ要素──ただし、早熟な、少し的外れなインテリ要素がほしいですよね。例えばちょっとしたことをきっかけに、宇宙論的なレベル?で繊細に思い悩んだりしてほしい。…僕はどうして生まれてきたんだろう、とか(僕はほかのひとたちとどうして違うのだろう、とか*6──なにがどう違うのかは、なんでもいいのです。見当違いなことでもいいし、抽象的な単なるそういう感覚でもいいし、…あるいは、他の人と違っていたいという密かな願望があるからいつのまにか捏造された悩み、とかでもいい…そういうの、いかにも少年らしくていいよね。)…ここで重要なのは、不幸な出自など特にないのに、というところね。むしろ市民社会的な基準からしたら恵まれている、恵まれすぎているのに(財力、美貌、才能、等々)、それなのに、そんな世俗的なことは吹き飛ぶような次元の問題で、深刻に思い悩んだりしていてほしいのですあぁ素敵。

で、「いつも君は何に悩んでいるの?」と優しく聞いてみるけれども、彼は決して教えてくれない。どうせ、理解してもらえない、と思っているから。だから私も、無理に聞こうとしないのです。でも、私にはわからないような理由で悩んでいるその子の傍にそっと寄り添ってあげたい…っていう感じなのです(…まあ、すべて妄想ですが)

・・・ここで、この妄想少年を見ている私(主)の設定は何がいいかな、と思っだんだけど、インテリつながりで「お屋敷に雇われている専属の家庭教師」とかどうだろう。丸い、レトロなメガネなんかかけちゃってさ、髪を油みたいなので整えていて、裾が長めのジャケットみたいなのを着ている、紳士風の外見。教師らしく、もっともらしいことを言いながら、お坊っちゃまの後ろ姿とかを、時々じっと眺めてしまったりする…お勉強中のお坊っちゃまの横に立って、横からノートを見ていると、ふと、長いまつ毛が影を落としていることに気がついて、見惚れてしまったりする…。(って、どんどん出てくるけど、本当に、これなんなんだろう…) …でも決して変な気持ちで手を出したりは、絶対にしない(これ重要ね)。お庭でペットの大型犬が吠えているのが聞こえて、ふと我に帰る。「先生?」という少年の声(こちらを見上げて…か、かわいい…)。お勉強の続き。

・今日はお外でお勉強、とかね。植物のことを勉強しよう、とか言って、広い広いお屋敷のお庭を一緒にお散歩する(森林とかがある)。お花の冠を作って、少年に被せてあげたりする。喜ぶ少年。(先ほどの母親の影響で、可愛いものが好きなの。) 可愛いね、って言ってあげると、恥ずかしそうにする。(きゃ〜!) …お花が、っていう意味だったんだけど…とか、そういう意地悪なことは言わない、…言いたい。

・そうそう、声は、とっても美しい声。高め。(≒SideMの卯月巻緒君ぐらいの声、あるいはアイ★チュウの神楽坂ルナ様みたいな声。もう少し高くてあんスタ創くん声ももちろんあり。いや、サンリオ男子の西宮諒ですね、決まりました。「好きな声」とは別に、「この子」の設定的にはこの声が一番だと思う。)

・声変わりは…この辺が重要ですね。二次性徴についてどう考えるかが重要。もうちょっとこの辺りは詰めないといけないですね、妄想を。(自らの二次性徴に戸惑っていたり、っていう設定はあったほうがいいですよね…えっと、この辺りはあんまり詳しく述べません…)

・メガネ・・・はどうしようかな〜。メガネありなし、どっちもいいな…決めかねる。

・まつげが長い。 ・・・ので、メガネがそれを隠しちゃったらもったいないよね〜。まあ、二次元のメガネは、なぜか目が隠れないようになっているからいいのだけど…。メガネをかけたり外したり、という切り替えはいろんな〝良さ〟につながるので、所持はしていてほしいかな(いざというときのために。…ってどんなときなんだ)

・・・あ、さっきの「主」の設定だけど、家庭教師とかわけのわからない立場より、普通に少年のお母様になって可愛がりまくるのもいいよね。あとは、ギムナジウム的な学校の同級生なんかももちろんいいよね…そうなるとまたいろんな設定が必要だけど…。

・・・あとね、あんまり、トラウマとか、闇とか、ハードな設定は、この妄想ではいらないかな…。露骨な性的な要素もなし。優しい世界。

 

*1:だから、イデア論って、こういうときすごくしっくりくるよね…少年愛の習慣があった時代のものでもあるし…。美のイデアが輝き出ているような少年に会いたいですね。 

*2:・・・というか昔私は絵を描いていた…ちゃんとした絵画ではなくて、いわゆるまんが・イラスト的な絵。さらに言えば、まんがすら描いていた。けれども・・・はっきり言ってあまりうまくなかったし、別のことにも興味が移ってしまった。

*3:それにしても『あんスタ』って、テーマ曲の「ONLY YOUR STARS!」の爽やかさからは想像もつかなかった、こんなねっとりとしたストーリーがあるだなんて。私は最初、人が歌うカラオケ映像で「ONLY…」を見て、なんという爽やかな青春感、そしてなんて可愛い子たちばかり出てくる作品なんだ!って衝撃を受けて(こうふんして)足を踏み入れたわけですが。・・・ちなみにあんスタって絵が全体的に可愛いですよね。いわゆる可愛い系キャラでなくても可愛い。顔が怖いということになっているらしいアドニスとかも激かわで、大好きです。

*4:それだから、SideM卯月巻緒くんのソロ曲「ワンホール = ワンダーランド!」で、「ローファーで軽やかターンして!」っていう歌詞があって…。ツボを突いてくるなと思いました。・・・ちなみにその直後「キミは苺です?それとも?」っていうちょっとわかりにくい歌詞が続くんですが…ローファーの似合う、ケーキ好きの巻緒くんに(苺のように)食べられてしまうような妄想が一瞬浮かんで、変な気分になりました…。どきどき。

*5:わかる方はわかると思いますが、『プリパラ』シーズン1「レオナ、全力ダッシュなの!」で、昼の白い月(こういうモチーフがまた素敵よね、青白い肌の美少年のよう…)を見上げて悩む美少年レオナは、まさにこのイメージそのもので素晴らしかったです。そふぃが話しかけてしまうからすぐその場面が終わっちゃうんだけど。そふぃもうちょっと寝ててよ〜…って思っちゃった、ごめんそふぃちゃん。

*6:しつこいですけど、『プリパラ』のレオナにもそういう悩みの影が見つかるので、良いな、と思っている。シーズン2「紫京院ひびきの華麗なる日常」で、わざわざ紫京院ひびきに会いに行こうとした理由はそこですよね。私はほかの男の子たちとは何かが違うのかもしれない、っていう。…いい、すごくいい(恍惚…あるいは、某鳳瑛一の声で)。

『サンリオ男子』アニメをようやく観た

(※一応、ネタバレ注意。また、記事の途中から気持ち悪くなるかもしれません。)

むしろ当事者のために

これは、想像をはるかに上回る素晴らしい作品でした。

なんでもっと早く観なかったんだろう。・・・というか、なんかね、サンリオのお店に行くと、これの歌が時々流れてたんですよ。コミックスも売ってたり。それで気にはなっていたんですけど・・・なんとなく、敬遠していたのよね。サンリオ好きの男性というものを、当事者の外の視点から、微妙に小馬鹿にするというか、面白がる感じかな〜とか、ちょっと思ったりもして(だいたい、わざわざ男子とかつけなくていいじゃん、っていう気持ちもあって…私、あんまり○○女子・○○男子っていう言い方好きじゃないのよね…単に○○好き、○○ファンでいいじゃん、って思う)*1

けれども、そういう感じじゃなかったですね。これは、当事者の外から見て楽しむためというよりも、むしろ当事者のためのものである、とすら言っていいんじゃないかな。当事者が共感しながら見るという見方も、かなり考慮されているような気がする。

第1話で(ショタ康太可愛かったね…)、プリンちゃんを抱えている康太くんがお友達にバカにされている場面とかあったけど、…そして、一度捨てられてしまったプリンを探し出して抱きしめる場面とか…。もう、すべて自分のことを描いているんじゃないかと思ってしまった。

サンリオじゃないのでちょっと違うかもしれないですけど、私も小学生の時、りぼんマスコットコミックスを持っていただけで、塾でからかわれた…塾が始まる前に読んでいたら、あざとく見つけてきて…ってか、これがりぼんマスコットコミックスだってわかるってことはお前らも知ってるんじゃん、って思ったけど。まあ表紙の絵柄などが、少女漫画ですからね。しかも帰り道でもまだ言っていて…、そんなに言うことなのか!っていう、少し新鮮な感じさえして、驚いた記憶がありました。

男の子って、異常にそういうのに敏感なんですよね。他の男の子が、何に趣味を持っているかに対して。放っておいてくれたらいいのに…(君らの好きな、怪獣とか闘ったりするような怖そうなコンテンツ私は嫌いだけど、何も口出ししないよ?)、なんなら君も読んでみる?っていう感じなのですが…。

けれども、一方でさらに複雑なのは、こういうからかう側の男の子の気持ちまで描かれているっていうことですね。この『サンリオ男子』アニメは。諒ちゃんが康太たちに突っかかったのは、要するにこの子もまた、本当は好きなんですよね、キキララちゃんが。キキララちゃんが好きなのに、それを抑えている・・・こうして自分は我慢しているのに、あいつらはあんなにオープンにしてやがる!っていうのが、許せない、っていう、この構造。(塾のあいつらも本当は『りぼん』読みたかったに違いない、何となくわかるんだ私…) *2 

何となく、そういう気持ち悪い構造があるんですよね…些細な趣味、下手をするとシャープペンや筆箱の色のような、とっても些細な趣味にさえ口出しして、ちょっとでも「女の子的なのではないか?」と疑われるような方向(はっきり言って、私にはこれがすでに謎なのですが…)に、「仲間の」男の子たち(…ただ、私にとって彼らの大半は仲間ではない)が傾いていかないように、お互いに監視し合い、牽制し合って、架空の「男の子の帝国」を必死で守ろうとしている、崩壊を食い止めようといている・・・しかもそれを無意識の内にやっている・・・というような感じがします。・・・ああいう子たちは、小さいうちから、どこでそういうの学ぶんだろうね…。たぶん家庭なのでしょうか。

(…余談ながら私の家庭は世間からズレていたので、私が何で遊んでいようと、男の子なのに…みたいなことを言われたことは一度もなかった*3。──うん、というか、逆に、うちの家庭は、そういう区別はよくないんだ!!という考え方に過剰に傾いていたと思います。だから、かえって必要以上に私は「男の子的なもの」嫌悪になってしまったのかもしれないです。そして、それを埋め合わせるかのように、今になって、二次元世界の「クリーンな」男の子たちのなかに「男の子的なもの」を追い求める(それも、ただ見守り憧れる対象として)ようになってしまい──そして例えば今こうして『サンリオ男子』のようなものを鑑賞している──…というような、奇妙な因果連鎖がここにあるのかもしれません…というような個人的な話はこれくらいにしておきます。)

作品の本質

キキララが好きだー!

ピューロランドで、俺、見つけたんだ、やりたいこと!

──など、いろいろな名言?がある。

最初の方では、サンリオ好きなことが、まるで機密事項のように扱われているところも(まあ、やっぱり)面白い。

あとは、ガタイのいい男の子(俊介)が「キティさん」を大事にしているとか(さん付けにしないと怒る)、そういう面白さも、(やっぱり)もちろんある。 

・・・けれども、私が言いたいのは、このようなたぐいの面白さは、この作品のほんの入り口にすぎないです、ということです。この手の面白さはキャッチーだから(なぜキャッチーなのかといえば、それが常識的な偏見に沿っているからです。多数派の、常識的な偏見が「わかる〜」と思えるからです)、たぶん、それが作品への入り口になるように作られているんだろうと思う。でも、少なくとも私にとってこの作品の本質は、そこにはなかったです。

続けて見ていると、だんだんその手の面白さは二の次になってくる──むしろ、こう言うべきでしょう。そういうのが面白く感じてしまう常識的な感性(=康太をからかった少年たちのような感性)そのものに、反省を迫る作品である…のかもしれない。

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おみみのついたみんな

こういう場面も、たぶんこれだけ見たら、笑ってしまう人も多いでしょう。けれども、本編を見ていると、全然、笑う感じじゃないんですよ。むしろ、感動的ですらある(私は感動した)。

この画像で笑ってしまったような人ほど、本編を見て欲しいです。

(ただ、繰り返しになりますが、私は逆に、こういう面白さが先に目についたために、まさに「入り口」で敬遠してしまっていたのです。けれども、いざ見てみたら全然そうじゃなかった、ということです。)

迷わないで
茶化さないで Fun! Fan!? Fun!
2人一緒に
ホントに ダイスキなもの 見つけよう

サンリオ男子「Fun! Fantastic girl!」)

・・・これはアプリ版「サンリオ男子」主題歌の歌詞の一部ですが(私は未プレイ。ゲームのジャンルは「恋愛ゲーム」なので、「2人一緒に」といった歌詞があるのでしょう。なおアニメでは恋愛要素はほぼ全くなし。ただしアニメの「アイキャッチ」では、主人公ふう視点による主観映像が入る…サンリオ男子たちが話しかけてきたりして、ドキドキした)、ここでの「茶化さないで」、「ダイスキなもの」を、といった歌詞には、今お話ししたような意味合いを読み込む余地があると思います。

後半の急展開

お話の後半は、文化祭での「ミュージカル」づくりがメインになっていきます。

サンリオは、単に癒しを与えてくれて、現状維持に貢献してくれるだけではなく、さらに前に進む力、新しいものを作るエネルギーを与えてくれる、というようなことが描かれているように感じました。

ただし終盤、特に康太が仲間と揉めてしまうあたりのお話は、なんとなく、ちょっと、無理があるというか…急展開に感じなくもなかったです。

特に11〜12話にかけてのお話、とりわけ、閉園後のピューロランド前でのやり取りは、なんといいますか…なんだか、急に?こんな感じになっちゃったの?という感じが、ちょっといたしました。

ただ、ああいう展開にした意図は、推測ながら、よ〜くわかる気がします。

つまり、『サンリオ男子』は、「サンリオ」と「男子」を単純にくっつけるだけでなく、「ベン図」のように、交差させてみたかったのだろうと思います(伝わる…?)。その重なる部分には「友達」が入る、というような…(ベン図描けばよかったね…)

要点を言えば、

・「サンリオ」概念の中に、かっこよさ(甘えた感じではなく)、成長すること(幼児退行ではなく)、大人になること(子どもではなく)、といったものを、見つけようとした。

・その手がかりとして、「友達」というキーワードを、特に後半、強調した。

・・・こういうことなのだろうと思います。

そもそも、「サンリオ」概念には、可愛さ、楽しさ、あたたかさ、癒し・・・といったものに加えて、「友達」というキーワードも、重要なものとして含まれていると思われます。(たまに『いちご新聞』などを読んでいても、強くそれを感じますし、またそもそもサンリオショップは「ギフトショップ」と言われるくらいですから、それはお友達にプレゼントを買いに行く場所であって、つまり「サンリオ」は、お友達とお友達とをつないでくれるものとして最初から位置付けられていると言えます。)

 

12話前半、祐が、ピューロ閉園後の〝鎖の柵〟(あれ正式になんていうの?)を超えて、康太のところに近づきます。これは、康太の自分一人の世界(=閉園後のピューロランド=閉ざされた心)を、(ちょっと強引に)こじ開けて、踏み込んでいく、ということを表現しているでしょう。

そして、自分一人の世界(=誰もいない、一人だけしかいない、夜のピューロランド)に閉じ籠ろうとする康太に対して、「そんなの、ただのガキじゃないか」と、祐は指摘するわけです。

つまりこの場面で、ただの「ガキ」・「子ども」のままでいることが、価値観としてはっきり否定されているのです。要するに、『サンリオ男子』においては、{ サンリオ・ピューロ 〜 子どもっぽさ }という結びつきを断とうという意図があるのだろうと思います(そしてそれは、この作品の意図であるばかりか、おそらくこの作品の「原作者」である「サンリオ」社の意図でもあるでしょう)。 *4

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(↑オープニングは、このような全然違う色使いを交互に使っているのが、面白かったです。)

サンリオ男子』アニメのオープニングでは、甘いパステルカラーと同時に、ビビッドな色や黒っぽい色使いの場面が交互に差し挟まれていました。まさにこのことに表現されているように、この「サンリオ男子」という概念が、子どもっぽいものに甘えた、幼い、頼りない男子たちのことを指すのではなくて、むしろ、可愛げがあるけれども、同時にやっぱり強くてかっこいい男子たちとしてきちんと描かなければいけない!という強い意図があるのだろうと思います。

そして、そのような、「男子」たちがサンリオやピューロランドに、ひたすら単なる癒しを求めて、べったりと子供っぽく一人の世界に閉じこもっていくようなお話だとは思われたくない!という、制作者たちの強い意図、恐れのようなものが少し強すぎたあまり、アニメの後半では、展開が焦りぎみと言いますか、なんとなく「急な」感じになってしまったのかもしれません──もちろん、こうしたことはあくまでも単なる推測ですが。 

りょうちゃんかわいい、かわいいりょうちゃん

・・・と、いろいろもっともらしいことを書きましたが、まあ、はっきりって、この作品を楽しんだ要因の大半は、諒ちゃん(&キキララ)です。

ずっと、りょうちゃんかわいい、かわいいりょうちゃん、はああ〜〜〜♡ って見ていました。(それなのにアニメ終盤に近づくにつれて、冷静な「考察」をし始めてしまった私が、ちょっと嫌になりました。)

とにかく、諒ちゃんかわいい、かわいい諒ちゃん♡♡です。

ひたすらかわいいので、諒ちゃんのためだけに見てもいいレベル。もう、ほんっとうにかわいいから。

家族から溺愛されすぎているが、それもわかる。私が家族なら絶対溺愛する(したい!)。…家族でなくても溺愛する。

一人称「俺」。これもいい(↓こういう見た目で、俺、って!きゃわわわゎゎゎ…やばい)。 

推しの推し

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会長(誠一郎)と諒ちゃんとの回(第5話)が最高によかった。二人ともかわいすぎる。

・・・ごめん、可愛いって言うと怒っちゃうんだよね、でも可愛いよ、諒ちゃん。だから心の中で言うね。

ずっと諒ちゃん回はまだかな〜と思って楽しみにしていた。(あの色白金髪で読書好きの美少年はまだなの!?まだなの!?ってずっと待ってたから。)

しかも!!この一番好きなキャラが、私が一番好きなキキララちゃん好きだったというのが、とってもうれしかった!のです!! 推しの推しが推しだったっていうことですよね(??)、これ。

こういうのって、幸せなことのはずですよね!?(よくわからないけど!)

(でも現実に諒ちゃんがいたら仲良くなれるきっかけになりそうですよね!だからやっぱいいでしょ!!)

会長もかわいい

会長がキキララなのかな〜、とか思っていたら、違ってた。(会長も好きだからそれでもよかったけど!)

それにしても、会長・・・

諒ちゃんかわいい、諒ちゃんかわいい、は、ず〜っと、絶叫しながら見ていましたが、

 

会長が第5話にきてこんなにかわいいとは・・。

LINEのアイコンが飼い犬と思われる柴犬の写真・・・。会長がこの犬をかわいがっている姿を想像するだけで、きゅんとする。(その後犬も出てきた。)

会長もかわいいよ。会長。ピューロランドで癒される会長。

会長はそれまで一切そういうそぶりが描かれずに、ひたすら質実剛健、文武両道、といった感じの描かれ方が徹底していたところがよかった。その会長が、会長が〜〜!シナモンちゃんと握手している姿・・・かわいすぎる・・・。シナモンよりかわいいくらい。

 

ちなみに第5話、会長と諒ちゃんとが向かい合って話す場面で、二人の飲み物のチョイスも、りょうちゃんがロイヤルミルクティーだっていうところとか(紅茶花伝っぽい)・・・やっぱり、という感じで細かい(諒ちゃん好きそう〜。イギリス生まれ?の、色白で可愛い諒ちゃんは、やっぱりロイヤルだし、ミルクですよね!)。

 

会長が好きすぎる諒ちゃんが可愛すぎる

諒ちゃんは、会長が好き過ぎる(あ〜かわいい)。

せんぱい!って呼んでるの(かわいい)。会長に対してだけ素直とかって・・・もうやばいですよね。 

毎朝、先輩が練習するところを、弓道場のフェンスから見てる。これもう可愛すぎないですか!? しかも、別に弓道に特に興味があるとか、入部したいとかじゃないんですよ? 先輩が見たいからって…は〜かわいい。

諒ちゃんは、自分に体力がないことをなんとなくコンプレックスに感じていて、だから、たくましい男の先輩に憧れちゃうのかな・・・可愛すぎる・・・。そして、「よし、じゃあ俺も鍛えよう(入部しよう、先輩筋トレを教えてください…)」とかってならないところが可愛すぎですよね。 憧れるから毎朝見に行く、って・・・。

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諒ちゃんが、会長が卒業するとき泣いちゃう様子なども想像した(泣いてる顔もさぞかし美しいことだろう…。長い睫毛に涙が掛かって…詩的な美しさ。まさに美少年。──それで思い出作りに2人だけで(制服で)ピューロに行ったり…。その様子を一部始終物陰から見守りたいですね…あ、ええっとこの辺りはまったく本編にはない妄想です…) とまあ、こんなふうに妄想が広がるくらい、会長が好きすぎる諒ちゃんが可愛すぎる、ってことです。

その他

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お泊りのとき、いつも一人だけ、パジャマ!っていう感じのを着ている(パジャマ姿やばい)。お祝いされて喜ぶりょうちゃん・・・。16歳なんだ〜。ああ、かわいい。(このお風呂上がりのほわんとした感じも良さすぎる…気のせいじゃないよね、明らかにせっけんの香りがしてきた…いや、お金持ちの家の高級なハーブとかが入ったシャンプーの匂いだこれは……ええっと、これ以上は控えておきます…)

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エンディング映像。良い。王子様感。この後、会長と諒ちゃんの間に一瞬ハートができる。

 

*1:そもそも『サンリオ男子』は恋愛シミュレーションゲーム版もあるので、そのことを考えれば、一応ゲーム上は恋愛対象であるのだから、小馬鹿にする、というようなことにはなりえないと言えばなりえないのですが…タイトル以外、あんまりよく知らなかったのです。 

*2:とっても大げさに言えば、「男子」に与えられている抑圧の構造っていうものを描いていると言えるかもしれません。引用符付きの”立派な”成人男性という「主体」を形成する「権力」が(主体の間で)作用しているさまを描いている・・・っていうような、大きな話に広げてもいいのですが、ちょっと今は疲れるのでやめておきます・・・それよりそもそも、諒ちゃんかわいい、キキララかわいい、諒ちゃんがキキララ好きで嬉しい、っていうことが言いたかったから、この記事を書いたのです。見てよかった。

*3:だが靴やお洋服の類だけは(やんわりと)許してもらえなかった記憶があり、少し恨んでいる(さすがにそこが限界だったのだろう)。

*4: 広い背景まで視野に入れるならば、少子化などの社会背景も踏まえて、企業としての「サンリオ」は、子供だけでなく、大人にもサンリオ商品をこれからもっとたくさん売りたい、という意図などもあるかもしれません。そしてそのためには、サンリオは甘ったれていて子供っぽい、というイメージではなくて、むしろ大人こそサンリオ、大人こそピューロ、というイメージをもっとつけたい、というような、企業としての意図もあるかもしれません。そんなわけもあって、ピューロやサンリオは、会長が一度そうしようとしてためらっていたように、自分一人の世界に入り込んで、甘やかされるようなもの、としてではなく、むしろその逆に、自分たちを成長させてくれるものとして、描きたいのだろうと思います。子供の心に戻してくれるだけでなく、さらにそれを通じて、むしろ「大人」にしてくれるものとして、描きたいのでしょう。