miusow’s diary / ロマン主義アニメ研究会

アニメに関する考察・・・というより、アニメ等を契機に私が思考した事柄を中心に、私の個人的な雑記等も書き記しております。

【告知】C92『ごちうさ論その1<基礎編>』発刊のお知らせ(2日目東J-82a)

うっかりとしていて、遅くなってしまいましたが、コミックマーケット92で、『ごちうさ論 その1<基礎編>』なる新刊を頒布します。お知らせします。

ご注文はうさぎですか?』に関する考察…というより、随想のような内容です。

 

刊行物の概要

ごちうさ論 その1 <基礎編>』

三浦想(ロマン主義アニメ研究会)

 コミックマーケット92

2017年8月12日(土)

東地区 J-82a

 

A5、56ページ、300円(予定)

 

こちらがサークルカット

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こちらが本の表紙。

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 どちらがカットで表紙なんだか、という感じですね。

 

  

 どのような本であるのか?

 冒頭・「はじめに」から抜粋します。

 ◆本書について

 もともとアニメと原作とをじっくり読みながら、考えたこと、気がついたことなどを常にメモをとってきたのですが、そのメモ群のほんの一部を抜粋して、組み立て直したものです。・・・そのような作業の中で改めて思ったことは、私は『ごちうさ』をほとんどちゃんと観ていなかった、読んでいなかった、ということです。・・・特に原作で顕著にわかりやすいのですが、至る所に巧妙に様々な「仕掛け」のようなものが施されています。ストーリーの展開上欠かせないようなものもあれば、そうでもない細かいものもあり、また複数の連載分を順番に読んだとき初めて気がつくようなものもあります。・・・

 『ごちうさ』は、柔らかく美しいものに包まれていて気が付きにくくなっていますが、存外、その下には「理屈っぽい」骨組みが隠れており、形式的な美を重んじて組み立てられているのです。

 しかも重要なことは、それをいちいち意識しなくても楽しめるようになっていること、・・・というよりもむしろ、それを意識させないように「隠す」ための仕掛けもまた、同時に仕込まれている、ということです。・・・アラ、ということは、私のやっていることは、やらなくて良い、やらない方がいい、余計な試みなのでしょうか。──はい全くその通りだと思います。『ごちうさ』の骨組みのようなものをわざわざ指摘して露骨に見せるだなんていうことは、野暮、無粋そのもの。やらない方がいいことです。

 でもそれが同人誌。きれいな服を着ているのに、脱がせようとする。無粋で、やらない方がいいことだ。だけれども、それを見たくなる。

 あと、もうひとつ言えることは、こころぴょんぴょんの流行語に乗って、次々と派手なプロモーションが仕掛けられて、関連グッズも毎月発売され続け・・・という状況が今でも続いており、多くの人にとって、こうした動きに対処し続けるということが、ごちうさの楽しみ方の大きな部分を占めるようになっている。私もそれが大好きである!・・・のだけれども、しかしながら、少なくとも私に限って言えば、最近、そんなことに夢中になっているうちに、ちょうどドーナツの真ん中のように、原作・アニメをじっくり見返す、ということのための時間が、少々おろそかになってきているような気がしないでもない。もっとしつこく、ネチネチと、舐め回すように、原作・アニメを見返してみたかった。そして今回、そういう時間が取れたので、とても楽しかったです。・・・と、絵日記風にご挨拶を終わることにいたします。

 

 ◆本書の趣旨:「すべてがかわいい」の本当の意味

 絵が可愛い、何よりチノちゃんが可愛い。はっきり言って、私が『ごちうさ』を愛好するようになった理由は、まったくこのようなものです。今でもほとんどがこのようなものであるかもしれません。

 しかしながら、愛好する上でじっくりと原作を読んだり、アニメを繰り返し観ているうちに、『ごちうさ』の可愛さとは、単に絵が可愛い、チノちゃんが可愛い、ということ以上の理由がある、というような事に気がついてきました。

 ・・・と言って、シャロちゃんもリゼちゃんもココアさんも、あるときから千夜ちゃんも、それどころか、青山さん、凛さん、いや、タカヒロやティッピー、それにリゼ父まで可愛いんじゃないか、(最近では委員長だって・・・云々、等々々々・・・、以下無限に列挙可能)・・・ということが言いたいわけじゃないんです。いや、これはもちろんそうだと思います。こんなのは、大前提です。でもここで私が特に言いたいのは、このことじゃない。

 それはすなわち、物語の構造としての可愛さ、人間関係の構造としての可愛さ、とでもいうべきものなのです。──それだからまた、「すべてがかわいい」というのは、無理やり付けられたキャッチフレーズのような気もしないでもなかったのですが、このように考えるならば、むしろ当たっている、と思い直しました。

 『ごちうさ』が可愛く魅力的であるのは、絵が可愛いから、というだけではないのです。それは、物語の構造というレベルから、そうなのです。次第にその事に気がついてから、その点を意識して読み、観るようになりました。すると、それなりにいろいろなことが見えてきました。

 この本では、そのような構造について、私が読んだところを、お話ししてみましょうと思っております。

 

 ◆暗いもの、不安なもの

  また、本書でもう一つ言及することは、『ごちうさ』の暗い側面についてです。ごちうさを規定しているのは、やはり喫茶店です。それも、流行のカフェといったようなものではなく、いわゆる、薄暗い、静かな、古い喫茶店です。いわゆる喫茶店というものがイメージしている世界観が、そのまま喫茶店の中だけでなく外にまで広がっていったのが、あの木組みの街なのではないかと思いますが(「広く浅」い、昔ながらの日本人的ヨーロッパ趣味)、その喫茶店の世界というのは、カラッとした明るさとは、少し違うものを持っています。薄暗い喫茶店で人は何をするか。そこで人は読書をする、考えにふける、ゆっくりと静かに話し合う(「おしゃべり」というよりも)。その証拠に、文学者・青山さんが登場します。彼女は喫茶店というものの利用方法を示しているわけです。何か文学的なもの、少し陰のあるもの、内に抱えたもの、そういうものが、うっすらと常に背景で、この優しく楽しいお話を、規定している。

 それは特にチノちゃんという子を通じて、現れています。そもそもチノちゃん、というより香風家そのものが、カラッとした明るさとは違うものがあります。・・・それで、ココアの明るさがいっそう引き立つわけですが、このような明るさと対照的な暗さ、明るい世界を取り囲むように縁どっている暗い世界といったようなものに着目して読み解く試みも行おうと思っております。

 

 ◆ただし;ごちうさ論は、ごちうさ愛にとって諸刃の剣であるということについて

  ここですぐ、こう思われる方もいらっしゃるでしょう。すなわち、そもそも「ごちうさ論」なる試みに、どういう意味があるのか、その必要性があるのか、ということです。言い換えれば、「『ごちうさ』は考えるんじゃなくて、感じるものでしょ?」と大雑把にまとめることができそうな疑問です。

 こうした疑問については、私はもっともであると思います。正直に申しなすならば、私自身が、この疑問を抱いています。・・・ここで簡潔に結論だけ述べるなら、ごちうさを「論じる」という試みには、確かにかなり「非‐ごちうさ的」と言うべき側面があるけれども、「ごちうさ愛」の発現形態の一つとしてあり得る、というようなことになります。そして同時に、「ごちうさ愛ゆえのごちうさ論」であるとしても、「ごちうさ論」なる営みは、本質的に「非‐ごちうさ的」な要素を秘めているがために、「ごちうさ愛」の実践にとって危険なものにもなりうる、ということを常に意識しておかねばなりません。

 

目次から一部を抜粋してご紹介。

不調和における調和──誤解、伝わらなさ、循環、反復、アルキメデスの点の消失

ズレという問題提起──噛み合っていないけど嚙み合っている / ロリコン数学者のつもりが幼女になっていた問題

 

「もふもふ」とは何か

積み上がっていく「すれ違い」 / 自分のことに夢中である人たち / ドライ / ごちうさの「摂理」 / 見守ること / アルキメデスの点の不在

 

事例1:積み重なる誤解と調和、千夜とシャロ──「鬼と仏と無慈悲なボタン」(原作4-10, アニメ2-9)

事例2:非対称な関係・逆転する関係、リゼとシャロ──「Eを探す日常」(原作4-9, アニメ2-10)

事例3:ズレているけどズレていない、チノとリゼ──「さらばココア!蘇る地獄の記憶!」(原作5-3)

 

(試論)ココア存在論──魔法的なもの

意志と奇跡──なぜチノはそれを「願った」のか、なぜマヤ・メグは「笑った」のか / チノちゃんのお願い事と、メグのお導き / 魔法が浸透する世界 / ココアが遍在する世界

 

アニメと原作

OVA』について:原作5-3〜4、原作5-4、及び、これら以外の原作エピソードが使用される可能性 / アニメ3期があるとすれば / さらに今後のごちうさ

 

(付録)ごちうさ論の非‐ごちうさ性 / あとがき

 

 

C92頒布「けいおん検証本」に文章を載せています(3日目東U-43b )

 

 

今年2017年5月の「桜高新入生歓迎会!! 7じかんめ」における新刊で、私が文章を投稿してもいる『けいおん!』に関する本が、「コミックマーケット92」にて、再び頒布されます(コミケでは初)。

3日目(8月13日、日曜日)東U-43b 

「『けいおん!』再検証 vol.2」 前提編〔二〕& 躍動編〔一〕」

価格:500円 サイズ:A5 ページ数:78ページ(表紙を含む)

アニメ熟考委員会

 

 私が書いている文章については、以下の記事に説明がございます。

miusow.hateblo.jp

 

また、この『けいおん!本』の全体、及びこれが属するシリーズの全体、また同サークルが頒布されるその他の本(『うる星やつら』関連)については、以下の記事に説明がございます。

jukkouiin.hateblo.jp

 

また、ついでに、

当会の新刊『ごちうさ論 その1 <基礎編>』も、別の日(2日目 東J82a)に頒布がございます。以下の記事に内容の詳細等がございます。 

miusow.hateblo.jp

 

以上、皆様どうぞよろしくお願い申し上げます。

(カラフルで素敵で綺麗な本・・・等々がうまいことゲットできた後にでも、気晴らしに、「ちょっとあっちの方にも行ってみるか〜」、という感じでお立ち寄り頂ければ幸いです。)

 

 

リベラルなユートピア:『ARIA』「でっかい自分ルール」の回感想

 

ARIA The Natural』第13話「その でっかい自分ルールを…」

 

◆『ARIA』について

 これから時々、『ARIA』シリーズの感想を記したいと思います。

 

私はこの作品について、リアルタイムでは知りません。

──そもそも私は、ずいぶん長いこと、こうしたコンテンツの大半を小馬鹿にして生きてきたので、後悔しているところです。当時の自分にこれがあったことを教えてあげられたらいいのに、と思うことが、しばしばあります。

 

この作品は、何かと「おすすめ」に出てきます。また以前、『ごちうさ』が好きだと言う人が、是非見るように勧めてくれたことがありました。

 

そこでゆっくりと、配信サイトを使って、『ARIA』シリーズを見ているところです。

(→追記:その後、ボックスセットを買ってしまいました・・・。昔のアニメであるのに、どういう技術によるのか、画質がアップしているそうで、しかもやっぱり音が綺麗です。例えば、1期のオープニングの、はっとするような静かなイントロ、澄んだ歌声の入り方が、ドキッとするくらい綺麗でした。)

(→また:コミックス完全版『ARIA The Masterpiece』が順次出ており、こちらも追いかけているところです。)

  

──なるほど確かに、『ごちうさ』には色々な側面がありますが、その一側面については、確かにこの作品に通じるものがあります。そしてそれは私が好きな「一側面」です。

例えばそれは、二重の意味での「街」の美しさです。それは以下に記します。

・・・あと、動物のかわいさ、とかもありますかね。毎回社長たちが可愛いです。 

 

(でも、このように二つの作品を比較して語る場合、どちらか一方の作品のファンの方が、他方の作品について「それとは一緒にしないでほしい」というように、気を悪くされる可能性があります。そういう場合は、すみません、「この人(=私)の感覚がおかしいのだ」と思っていただければと思います。)

 

 

◆街の「影」の美しさ

このたび感想を記したいのは、アリスちゃんの「自分ルール」の回。これがとても美しく、素敵で、可愛かった。

 

彼女が「自分ルール」に従って街を歩くさま、そしてアテナ先輩をはじめとする周囲の人たちがそれを見守るさまが、描かれています。

 

とても良いと思ったのは、アリスちゃんの「自分ルール」そのものに対しては、誰も一言も、口を挟まない、ということ。

そうではなくて、周りのひと、特にアテナさんは、その彼女の「自分ルール」の敢行を見守り、手助けしようとするだけであるということ。

 

それも、アリスちゃんの納得のいくやり方で、手助けしようとすること。(一度、アテナさんが、これくらいならいいだろうと思って手助けをしたら、アリスちゃんは納得がいかず、やり直ししてしまいます。「もうついてこないで」などと言って。)

 

最後、アリスちゃんが「自分ルール」を「追加」して、アテナさんの影を使って移動するシーンの、なんとも美しいこと。

 

今回は「影」がルールの肝だったわけですが、ネオヴェネチアの街の「影」が、特に夕陽の時のそれが、もう一つの主役であるかのように、丁寧に描かれていて、この街の美しさが改めて体験できるようになっていました。

 

 

アリスちゃんの「自分ルール」は、「自分ルール」なので、その場で本人が決めさえすれば、変更することもできるのです。最終的にやめることだってできる。だけれども、周りの人たちは誰も、そのルールを変えるように諭したり、まして、「もうやめたら?(そんな意味のないこと)」などとは、決して言わないのです。

確かに最後の夕陽のシーンでは、自分ルールが「追加」されます。しかし、それはあくまでも彼女の自分ルールの根本部分を実践するための、小さな改定のようなものです。

 

──とはいえ、この小さな改定というのがこの回の最も重要なところなのであろうとは思います。

 

 

◆共同体としての美しさ

ネオ・ヴェネチアという街の美しさは、もちろんまずは街の造形にあり、今回は夕陽とその影によって特にそれが強調されていましたが、それだけではなく、こうした人間関係にある、ということがわかります。

 

その自分ルールは「でっかい」そうだけれども、本人以外には、そのルールの内容そのものに、どのような意味が、価値があるのか、よく分からないものです。ただ、どのような内容であれ、そのルールが本人にとって「でっかい」ものであるということ、このことについてだけは、周りの人たちは認めている、ということです。だからなんとか成功させてあげたいと思うのです。

そしてアリスちゃんも、周りの人たちのそうした意思に次第に気がつき、受け入れるようになります。それがルールの「追加」として表れます。──これはあくまでもルールの追加であって、ルール自体を廃止したり、今日はそのルールのチャレンジをやめる、というようなことにはならないのです。

 

ユートピア

ここには一つの理想的なリベラリズムのようなもの(・・・「リベラリズム」という言葉はここではあまりに無味乾燥なものに聞こえるかもしれませんが、それに近いもの。「リベラルなユートピア」と言うべきかもしれません)、何かそのような人間関係の理想が描かれています。

 

「街」のもつ、造形的な美しさ、そして共同体としての美しさ。

 

放課後の部屋 :桜高新歓7感想

桜高新歓7の感想の続きです。
校舎(旧豊郷小学校)見学(校舎内をうろうろする)のことについて。
(なお、この行為は基本的にいつでもできますが、こういうイベントのときしか入れない場所もあります。逆に、ガイドツアーのようなものに申し込まなければいけない場所もあります。「屋上」は、いつか行きたい場所です。)


◆放課後の部屋

「部室」を含めて、校舎をうろうろして楽しむことができます。
この校舎は、現在でも自治体の事務所などの用途に使われているみたいですけれども、もう実際の「学校」としては使われていません。 
そういう意味で言うならば、まさにここは「放課後」であり続けている、と言うことができるでしょう。すなわち、課業が「終わった」後、課業から解放されてある状態のまま、ということです。
よく「時間が止まったような」という表現があるけれども、まさにそういう意味でも、ここはずっと「放課後」のまま時間が止まっているわけです。


◆「音楽室」体験

あずにゃんになって、音楽室でその「本物」のギターを持つ(持つだけです)ことができるとは、なんともいえない、感慨深い体験でした。
数年前ここを初めて訪れた時、まさか自分が将来このようなことをする・できるとは、思いもしなかったです。

もともと現実と空想の区別がつきにくい人間ですが(私はいつもぼんやりと、現実の面倒なことをなるべく避け、空想的に過ごそうとする傾向が強いですが ※*1 )、いっそう、そのあたりがよくわからなくなってくるような、不思議な体験で、独特の快感がありました。

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◆何度ここをツインテールが通過したのだろう

楽器が展示してあり、これを持ったりして写真を撮ったりなんかしたりできるんだろうか・・・(できれば、いや絶対、そうしたいなあ・・・)、と思って、思い切って係りの人に聞いてみたら、もちろんできるというようにあっさりと言われて、感激しました。 

そこの係りの方は、こういう楽器の扱いに慣れていらっしゃるようで、「それっぽく見える」指の形を伝授してもらったり、綺麗に写真を撮ってもらえて、大変感激しました。

ツインテールが引っかかるので、先にこれを通してください」と、非常に手慣れた指示をいただきながら、ぼんやりと、今まで何回、このストラップを「ツインテール」が通過したのだろう、そして今自分もそうしている、と感慨に浸りました。

おそらく今自分がここでしているようなことは、これまで何度も繰り返されてきていて、そうしているうちに、このギターは、本当に「あずにゃんのむったん」になっていくのであろうと思います。


この「放課後の部屋」では、元々の現実としての「放課後」に、あるとき突如飛来してきたファンタジーにおける「放課後」が重なり、このように蓄積されていくことで、それらの二重の印象は互いに区別がつきにくく溶け合っている。この「音楽室体験」の、現実と空想の境目が曖昧になるような不思議さは、このようなことからも説明することができるでしょう。

 

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◆空虚さを埋め合わせる

形のないものの空虚な中心に向かって、懸命に内実を与えていく作業というのが、こうしたコンテンツの界隈ではいつも行われていますが、これもまたその一つです。

これほど自分にとって大事なもの・生き生きとして見えるもの(キャラクター、コンテンツ、等)が、形がなく空虚であるなどということは受け入れがたいことであって、そんはなずはない、だから、この具体的な身体を備えた自分自身が、そこへと同一化していくことで、きちんと内実を充実させてしまわなければならない、という気持ちが働くのだと思います(コスプレという形、自分の財産を投入するという形、等)。

(この過程は、自分というものがキャラと同一化していって、消滅していくような過程でもあって、それは、日常の馬鹿げた欲望や薄汚れたことでいっぱいになっている自分にとって、浄化作用のようなものをもたらすのではないかと思います。しばしば宗教的な比喩、語彙が、ファン行動界隈で見られるのは、こうしたことによるところもあるのではないでしょうか。尊い、女神、天使、聖地、・・・。)

 

*1:だから、私は、自分で言うのもなんですが、どうでもいい仕事を効率よく処理する能力(というより、合格最低点を程よい時間をかけてギリギリ狙うような能力)は、けっこう高いと思います。それは、一刻も早くそれらから逃れたいからです。そして1秒でも多く、ぼんやりする時間が欲しいからです。

透明な関係(唯あずについて):桜高新歓7での体験から

時間が経ってしまいましたが、2017年5月の「桜高新入生歓迎会!!7じかんめ」の感想などを、書き記していこうと思います。

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◆特に、ギター演奏の様子

このイベントでは、同人誌即売会、校舎見学、コスプレ、など様々なことができるのですが、
なかでも、有志の方々による「演奏」を聴けるということが、大変よいです。演奏中は、あんなふうに連携して演奏しているのか、ということが、知ってはいても、実際に耳で聞いて、またはっきり目撃することができます。

 

もちろん全ての楽器、パートどうしが、密接に連携しなければならないのだろうとは思いますが、
やはり、私の嗜好によるものもあるかとは思いますけれども、
特に二人いらっしゃる「ギター」どうしが、演奏中に連携している感じというものには、どうしても(他の楽器よりも)特別なものを見出さざるをえないものでありました。

 

演奏していらっしゃった方にはなんとなく申し訳ないですが、
演奏の様子を拝見していて、演奏中の唯あずの秘密のやり取り、目と目で行われるようなそれ・・・というようなことが妄想されてしまいました。

 

◆言葉によらない関係

目と目で密やかに行われる連絡、それも音楽の演奏という特別な瞬間になされるもの(しかも衆目を浴びて)・・・というようなことには、何か非常に、ひとをうっとりとさせるものがあります。


普段人間は、言葉で会話をしなければならないわけですが──たとえ言葉が言葉として役立たないような場合でも、とにかく言葉を使わなければならないでしょう──、
言葉で言い表しえぬもの、言葉を媒介にしない直接的なつながりといったようなものが、例えば音楽の演奏という場面においては、現前しうるのではないか。

演奏中は、ドラムその他の大音量にかき消され(本当に大きな音でした)、言葉を使うことを禁じられ(だいたい、演奏中に会話していたらおかしい)、それにもかかわらず密接に連携することを強いられる。

 

「言葉によらない直接的なつながり」は、人々が日常系作品というファンタジーを好む理由の一つのではないかと私は思っていますが、
このように考えたとき、やはり「けいおん!には軽音が必要だ」ということになるのではないかと思います。


◆「あんまりうまくない」/透明さ

また付け加えるならば、あずにゃんにとって、唯先輩と出会ったことによって、彼女にとっての音楽の意味が変わった、あるいは新たな意味がつけ加わった、ということが言えるかと思いますが、そのことと関係があります。

練習をして技術を磨き、目標を達成する、というような音楽の側面(〜「上手い」演奏)だけではなく、言葉によらない透明な関係の獲得、というような意味。
 
例えば、アニメ1期最終話。ライブ直前の部室における二人のやりとりが思い出されます。
あずにゃんが、表面的に怒っていても、泣いていても、唯先輩には、彼女が何を言っているか、考えているか、(直感的・直観的に)わかっている。
そしてあずにゃんも、唯先輩がすっかりわかっている、ということを、わかっている。 
だから、「最低です」などという「言葉」を、何回も言えるのである。
(ここにあるのは言葉によらない関係であるから、言葉はその字義通りの役割を果たさない。)

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(1期最終話)

 

 
唯先輩自身が透明であり、また、梓も唯先輩の前では透明になる。そしてここで「透明な関係」が結ばれている。(唯先輩はもともと透明な存在であるが、梓もまた、そのような唯先輩の前で、唯先輩との関係において初めて、透明になることができる。) 

「あんまりうまくない」にもかかわらず、心惹かれる、とは、そういうことではないかと思います。

 

二重のきらら結界:『こみっくがーるず』かおす先生考

 『こみっくがーるず』の主人公かおす先生について。

単行本3巻pp.111〜(『MAX』2017年3月号掲載)のエピソードがとても素晴らしいので、これを手掛かりに、ちょっとあれこれ考えみようと思います。

 

◆かおす先生に励ましのお便りを 

とにかく「かおす先生」は、かわいいというか、応援したくなるというか、文字どおり「励まし」を送りたくなるキャラであります。

 

特に興味深いのは、次のようなところ。

 「女のコらしい部屋で…

お菓子食べたり おしゃべりしたり…

まるで4コマの世界…!」

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(第1巻p. 20)

  あるいは、

「新しい学校の制服かわいい…!!

なんか私4コマの主人公っぽい…!?」

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(第1巻p. 36)

 と、4コマ漫画家かつ現役女子高生でありながら、「女子高生が出てくるような4コマ漫画」(=きらら漫画)の世界に憧れている・・・というか、「憧れの対象」になってしまっているのです(だから、読者アンケートで、女子高生の描写に「リアリティがない」などと書かれてしまう)。

 

このように、かわいいし、興味深いキャラなのです。

(というわけで、これから「興味深い」点についてごちゃごちゃ書き記そうと思いますが、以下の話は、全くこの作品を楽しむにあたって不要なことで、かおす先生は「かわいい」し、「がんばってほしい」というだけで、いいと思います。)

 

◆かおす先生というキャラの興味深さ

「自分が4コマのヒロインであることに自信が持てない(疑いを持っている)、4コマのヒロイン、しかも4コマ漫画家」。

 

この時点で、かなり興味深い設定です。

 

(3巻あとがきで、ボツネームばかりだったころに、そういう自分からひょっこり出てきたキャラ、と作者の方は書かれてましたが、作者の方が、萌え4コマの世界とは何だろう、どうやったらそれらしく描けるだろう、と考えていたことが、そのままキャラとして反映されているような気がします。勝手な推測ですが。)

 

かおす先生は、萌え4コマ漫画(以下、単に「4コマ」と表記)[的なもの]を愛好し、かつ4コマ漫画家なので、4コマ漫画の世界がどういうものなのかということを、知識としては知っている。

そして、その知識として、頭の中にある4コマ漫画の世界と、目の前の自分の現実の世界とが、簡単には一致しないことも知っている。

 

ここまでは、現実の我々と同じ。

 

しかし、かおす先生は、やっぱり4コマの主人公なので(本人がそのことに自信を持てず、また本人が聞いたら驚くであろうけれども──例えば、彼女は自分のことを「変なモブ」と称したりしている)、彼女の頭の中にある、知識としての、二次元情報としての「憧れの4コマの世界」と、彼女の目の前の「現実」の世界とが、次第に一致していくことになる。小夢が「現実だよかおすちゃん」と言ってくれているように。

 

そして、かおす先生は、この「一致」にうろたえる。「まるで4コマの中にいるみたい」と、ぼんやりとする。

 

・・・なんとも夢のあるお話です。

 

作品内で、登場人物の頭の中にしかないはずの4コマの世界というものを登場させ、それが、作品内の出来事と合致していくというプロセスは、読んでいる人をより深くファンタジーの世界に連れて行ってくれます。

 

◆4コマの世界を描いた4コマに元気付けられる4コマ

このことがとてもわかりやすく、ちょっと感動的に描かれている箇所として、例えば、単行本3巻pp.111〜(『MAX』2017年3月号掲載)のエピソードが挙げられると思います。

 

今回、かおす先生は、仲間がみんな帰省してしまい、一人ぼっちになって急に寂しくなったり自信を失ってしまって「しょんぼり」なところから、自分の趣味、そして自分の描いた4コマ漫画に元気付けられ、さらにそこから仲間たちとの楽しい日々を思い出して、立ち直る、というようなお話でした。(寮母さん、猫のにゃおす先生も、元気付けてくれます。)

 

自分が描いた「4コマの世界」をきっかけに、自分は今、まさに「4コマの世界」(のような)日常にいるのだ(=寮での楽しい暮らし)ということを思い出すという(そしてこのプロセス自体が「4コマ」として描かれているという)、大変興味深いお話でありました。

 

この回は、笑ったり、感動したりできる、とても素晴らしいエピソードです。それに、4コマ漫画っていいなあ、と改めて思えます。ぜひご一読されることを皆さまにオススメいたします。(かおす先生の漫画家としての活躍が、この辺りから、少しずつですがその兆しを見せ始めてきていますし、後輩にあたる子もこのあと登場しますし、この回は、全体を通じて一つの転機になっている回ではないかと思います。

 

 

<以下、補足・詳細説明>

 

 

◆図解:かおす先生考

かおす先生は、きらら的世界に憧れ、その外部に放り出されかけたり、また戻ったりを繰り返している。

きらら的世界に完全に溶け込み切れてはいない。

 

そして、きらら的世界への憧れが人一倍強い。

この側面では、きらら読者、きらら的世界の外から中へと覗き込もうとしている、ファンタジーでその世界へと遊ぼうとしている人の立場が、描かれている。

 

と同時に、そういうかおす先生の日常自体が、きらら的世界として描かれてもいる。間違いなく、かおす先生は、きらら4コマの主人公である。

 

つまり、彼女はきらら的日常の内と外の境界線上にいる・・・ように描かれている。そしてさらに当然ながら、その全体が、きらら作品世界の内部にある。言い換えれば、きらら作品世界の内部に、その外部的なものを描いている、ということになる。

 

つまり、我々の3次元の現実とを隔てている「きらら結界」(A)内部に、さらに劇中での「きらら結界」(B)がある(描かれている)、という構図になる。

 

【図解】

 [1]我々読者

(薄汚い現実の私を含む)

 〜〜〜きらら結界A〜〜〜

 [2]かおす先生

(自分はダメダメでしょぼくて、と言っている。けど、[1]にいる我々から見れば、十分(すぎるくらい)かわいい。)

 〜〜〜きらら結界B〜〜〜

 [3]かおす先生の憧れる女子高生のキラキラな日常

  

かおす先生は、[2]の階層から、結界Bを突き破って、[3]の階層に徐々に入っていく。

これは明るくて希望の持てるお話なのである。

 

もちろん実際には、結界Aはびくともしていないので、[1]の階層にいる者(私たち)にとっては、当然フィクションなのだけれども、没頭して読んでいるうちに、自分が階層[2]にいて、階層[3]に憧れているのではないかと錯覚してくるところがある。これが、ファンタジーとして、醒めにくい効果を生んでいる。(・・・北海道の味噌ラーメンで、油を浮かせてフタすることで冷めにくくしているというのがあった気がするが、それに少しだけ似ている。)

 

もちろん、きらら読者の大半と違って、かおす先生は、彼女自身がJKであり、ちっちゃくてかわいいのであって、要するに、十分きららヒロインである。

だが、かおす先生は、オタク気質など、入り口では、きらら結界外部[1]に運命付けられた読者たちにとって共感しやすく、スムーズにかおす先生というキャラに乗って、きらら世界へとファンタジックに飛翔していくことができるのである。

  

◆他の作品における劇中結界描写との比較

とはいえこれは必ずしもこの作品だけの特徴とはいえないかもしれない。

即ち、あらゆるきらら作品において、時にその円満な日常に動揺が走り、登場人物の何人かが、そのきらら的日常から少し疎外された状況に置かれたりすることは、しばしばある。そして、その「疎外」の経験を通じて、今までの日常の貴重さを思い出す、というようなことはしばしばある(けんかして仲直り、とか)。

(上述「図解」に即して言えば、多くのきらら作品においては[3]の領域のみが目立っているが、時々、エアポケット的に[2]の領域が発生し、登場人物が[3]→[2]と疎外されてしまう、という状況が生じる。)

 

ただ、この『こみっくがーるず』における際立った特徴は、そのきらら的日常からの疎外と帰還、その価値の認識といったプロセスが、4コマ漫画家というヒロインの視点で、例えば「これは4コマのネタになる!」「4コマの世界みたい!」等という形で、明確に描かれている、という点にある。

  

◆・・・いずれにしても、楽しい作品です

もちろん以上の話は私が勝手に余計なことを考えているだけなのであって、

この作品自体は、こういったいろいろな理屈とはまったく関係なしに楽しいものです。

かおす先生はとてもダメダメでピュアでかわいいので、この作品を皆さまにお勧めいたします。

 

 

 

『こみっくがーるず』の魅力:個人的な解説

 『こみっくがーるず』。

私にとって、『MAX』の中で、ごちうさを除けば、最も好きな作品の一つです。

単行本は、このあいだ「3巻」が出ました。

 

しかもなんと、アニメ化するという知らせが。きららフェスタでも少しだけ動いている(ような)映像が流れました。

 

まんがタイムきららMAX』は、最近は主に「ごちうさ」のために、せっせせっせと毎月発売日に2冊ずつ買っているのですけれども(同じもの2冊でよろしいですか、と毎回親切な店員さんが聞いてくださるのだけど)、おかげで、連載中の他の様々な作品に触れて、世界が広がりました(=ハマるものがまた増えてしまいました)。

 

4コマ漫画家の「かおす先生」(萌田薫子、女子高生、『きららケイオス』に時々漫画を載せている)をはじめ、そのほかいろんなジャンルの漫画を描いている漫画家たちが一つの寮(「文芳社 女子まんが家寮」)に暮らしている、というようなお話です。

 

 

 

◆かおす先生

とにかく「かおす先生」が、なんというか、かわいいというか、応援したくなるというか、文字どおり「かおす先生に励ましのお便りを!」送りたくなる感じなのです。

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(2巻p.43 扉絵のかおす先生、かわいい)

  

ダメダメでピュアなかおす先生。自虐的すぎるかおす先生。それでも頑張るかおす先生。

「明るくて友達いっぱいな主人公を描きたいのに…

周りに迷惑しかかけないし 一生友達などできるわけもなくトホホ……」

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(1巻p.33)

 

ですけれども、今回の3巻のエピソードの、次のエピソード(『MAX』2017/4号掲載)では、少し頼もしいような一面も見られます。新しく寮に入ってきた子(美姫)に、意外なところで尊敬され(謎の「薄い箱」で絵を描いていること等)、かおす先生がいろいろ教えてあげるというお話です。

 

また、興味深いのは、4コマ漫画家かつ現役女子高生でありながら、「女子高生が出てくるような4コマ漫画」(=きらら漫画)の世界に憧れている・・・というか、「憧れの対象」になってしまっている(=読者アンケートで、女子高生の描写に「リアリティがない」などと書かれてしまう)、ということ。

「海… 水着…

かわいい女の子たち…

4コマの世界… はあ…」

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(1巻p.109、海回のかおす先生)

・・・このあたりのことも含めて、かおす先生については、改めていろいろ記したいと思います。

 

◆笑えます

テンポ良く、私のツボにはまっているせいか、何回読んでも、大声で笑ってしまいます。(外では読めないです)

最近だと、3巻p. 109〜の、漫画の内容を伝えるために「演じます!」などと突然言い始める翼さんの一連の話は、とても可愛く、面白かったです。無駄に情熱的な翼さん、そして謎の大喝采。なんとも言えない面白さでした。

 

また、2コマ目くらいで、すでにちょっとしたオチがあったりして、笑えることがあります。

 

あと、個人的に注目しているのは、吹き出しの外に、手書きで小さく書かれた文字のところが、かなりの割合で、私のツボを得た、可愛くて笑える内容になっていることが多いです。 ちょっとしたキャプションみたいなものとか、かおす母からの応援の手紙の内容とか、漫画のネームの内容とか・・・。この辺にも注目です。

 

◆可愛いです

絵がふわふわとしていて、大変可愛いです。

 

お出かけ時の服装なども素敵です。

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(1巻p.50、着替えるかおす先生)

 

細かいことですが、扉絵や、かおす先生お出かけ時(1巻)などで、ベレー帽をかぶっているのが可愛いです。手塚治虫のような、おじさんの漫画家スタイルたるベレー帽を、この子たちがちょこんとかぶっている様子はとても可愛いなと(普通におしゃれ女子アイテムでもあるのでしょうけれども)。ミルキィホームズが、探偵らしい服装、おじさん風であるはずの服装を可愛いコスチュームにしていたみたいに、こういうのもいいですね。

 

◆「翼さん」の魅力

それから、他にもいろんなキャラが出てきますが、かおす先生の次に私が気に入っているのは「翼さん」です。ペンネームは「ウイング・V」、少年漫画家

 

いわゆる ボーイッシュなキャラです。

こういうキャラは、もちろん、よくあるとは思いますけど、翼さんは、結構割と本当にボーイッシュ、というか、かなり少年なんですよ。なぜなら、少年漫画を描くために、役になりきっている、という設定があるので。(おそらく思うに、単にボーイッシュなキャラ、という場合、あくまで少女のキャラであるという限界を守らなければならないけれども、翼さんの場合、役になりきっている、という設定があるので、その状態なら、かなり少年っぽく描いてもいいからなのではないかと思います。)

 

(1)だから、けっこう本当にかっこいいのです。

「暗黒勇者」の格好をしてばばーんと登場する翼さんとか。(1巻pp.27-8)

3巻の口絵の翼さんは、謎のかっこよさですよ。羽ペンを二本持って構える翼さん。(──そして!同じ3巻の「あとがき」の、ガーリーな翼さんとの対比ですね。3巻は翼さんイラストを楽しむ巻と言ってもいい・・・)

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(3巻口絵)

  

(2)そして、その上で、滲み出る可愛さ、というのが、たまらなく素敵なのです。

(a) まず、少年的な可愛さがありますよね。

寝ながら話す翼さん。

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(1巻p.33)

 

3巻の表紙がいいですよね。熱く語りかける翼さん、よくわからないが流されてあせるかおす、みたいな。

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 (3巻表紙)

 

(b) でもそれだけじゃなくて、やっぱり時々見られる少女らしさですね。

3巻では、翼さんの実家でのエピソードがありますが、これはよかったです。なんだかドキドキしながら読みました(かおすと一緒に、秘密を見てしまっている、ような)。

 

あとは、小夢ちゃん(少女漫画家)とお出かけ、というエピソードなどで、仕方なく女の子らしい格好をさせられてしまう〜、というような場面。あのちょっと恥ずかしそうな感じとか。男の娘ふうの良さがありますね・・・とはいえ翼さんは、普通にもともと女の娘ですが。(1巻pp.98-9, 3巻p.62など)

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(3巻p.62、少し恥ずかしがる翼さん)

 

まとめますとね、

【翼さんの複合的な魅力】

1 かっこよさ

2 可愛さ

 2a 少年的可愛さ

 2b 少女の可愛さ

 (+2a’ 「女の子の格好をさせらてしまう〜」の可愛さ)

 という、あらゆる多方面のステキ要素が複合されているキャラなのです。

 

翼さんてクールでかっこいいし…

優しくて王子様みたいな時もあるし

むじゃきでかわいいときも…

(2巻p.95)

という、小夢のような気持ちになります。

 

◆「きらら」と少女漫画との関係

作者の方が『りぼん』で以前お仕事されていたようなのですが、そちらの作品も読んでみたいという気になっています。昔、家族・親戚が持っていた『りぼん』を時々読んでいましたが、けっこうギャグマンガとか4コマ漫画も載っていて、それらが好きだった記憶があります。少女漫画誌なので、ギャグなんだけれども、最終的に可愛いのです。

 

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(『MAX』2017年4月号)

・・・そういえば、『MAX』2017年4月号の回(単行本3巻より後のエピソード)での、かおす・みきの二人の会話に関係がありますね。「真・ピュア」(欄外紹介)な美姫ちゃんが、少女漫画誌ときららとはどう違うの?と尋ねます。

似ているけれども違うという、まあ、はっきりとした答えは述べていないですけど、深夜アニメを見ている場面におけるかおす先生の心の中の声が、とりあえずの答えなのかもしれません。

だけれども、同じ作品を見ていても、みきちゃんは、違う感想を抱いています(こちらは声に出して感想を言っている=声に出して「言える」)。

 

だから、漫画家の方にとっては(あるいはこだわり派の読者の方や、なにか「漫画の研究」のようなことをされたい方にとっては)、この「違い」ということがとても大事なのでしょうけれども、娯楽として楽しむ側としては、ゆるやかにつながっているというくらいで捉えておけばいいのではないかと思います。

 

確かに、この号(2017/4号)の『MAX』ごちうさの表紙(メリーゴーラウンドに乗っているココア・チノ、あ〜素晴らしい・・・)は、多分、知らない人が見たら、少女漫画誌だと思うだろうなと、表紙を閉じながら見て思っていました。