ロマン主義アニメ研究会

「ごちうさ論:「Sister」の「魔法」〜アニメ『Dear My Sister』から読み解く『ごちうさ』」 書店様委託販売です。よろしくお願いします。 ZIN様 http://bit.ly/2DBgCH2 メロン様 http://bit.ly/2DEPXZG

【新刊】『ごちうさ6巻を読む(前半)』@「3秒でもふもふ」カ74a(インテ大阪5号館)

 当サークル「ロマン主義アニメ研究会」の、冬コミ以来の新刊&イベント参加のお知らせです。

 どうぞよろしくお願い致します。

 

 

新刊:

ごちうさ6巻を読む(前半)』

 B52段組 48頁 ¥500(予定)

──「ごちうさ」考察・随想・評論本。

  

参加イベント:

 3秒でもふもふ

(トレ魂 4 内 合同開催)

ご注文はうさぎですか? オンリー同人誌即売会

 

2018年6月24日(日) 11:00~15:00

会  場      インテックス大阪 《5号館》

 https://www.aoboo.jp/neo/item/p0106.html

  

スペース 5号館 カ74a

  

 当日はスペースにて、皆様のお越しをお待ちしております。

 既刊もいくらかご用意がありますので、こちらもよろしければ手にとってご覧いただければ幸いです。

 

お品書き 

 

【新刊】

ごちうさ6巻を読む(前半)』¥500

 

【既刊】

・『ごちうさ論 その1 <基礎編>』 ¥300

・『ごちうさ論:「Sister」の「魔法」──アニメ「Dear My Sister」から読み解くごちうさ』 ¥500

・『chimametai ni naritai!!』(コスプレ写真集) ¥400

 

 

f:id:miusow:20180617172809j:plain

(↑新刊表紙イメージ) 

 

 

◆新刊について

神様はちっちゃいに宿る、とか? /それはきっと細部だと思うよ

チマメ隊「♡♡ケーキをもうひとつ?」

やりたいことから きらきら受けとっちゃうんだよ

ココア「きらきら印をみつけたら」

  今回お届けします新刊では、これまでと少し趣向を変え、具体的なエピソードごとに即して、読解を試みていこうと思います。とりわけ今回は、原作コミックス「第6巻」を対象にいたします。こちらは既に読まれている方が殆どだと思いますが、よろしければ、どうぞご一緒に、もう一度コミックスを手に取りながら、読み進めてまいりましょう。

  

──なぜこんなことをするのか?

  私が『ごちうさ』研究を始めて以来、気がついたこと…というより、単に好きで読んでいた『ごちうさ』を、ただ読むのでなく、どうしてもいろいろと「研究」したくなってしまった理由でもあるのですが、それはすなわち、『ごちうさ』には、無数に・至る所に、細かな〝仕掛け〟のようなものが施されている、ということです。とりわけそれは原作において顕著です(アニメではすくいきれないような細かいものもたくさんあります)。そうした細かな〝仕掛け〟たちに注意を払いながら、仕掛けから仕掛けへと追いかけていくうちに、次第に『ごちうさ』の物語の全体を、より立体的に把握できるようになってまいりました。

 こうした〝仕掛け〟を追いかけた〝結果〟をまとめたものが、既にお届けしております2つの本(既刊)であります。そこで今度は逆に、そうした仕掛けを追いかけていく〝プロセス〟を、皆様とご一緒に楽しめないだろうか、と思ったのです。

  

──日常系作品における「個別」と「全体」の関係、『ごちうさ』の場合

  一般的に言って、日常系とも表現されるような作品では、「個別」(個々のエピソード、個々の4コマ)を「全体」(作品全体の大きな文脈)から楽しむというよりも、「個別」を「個別」としてそのままに楽しむこと、あるいは、せいぜい〝全体〟は「個別」が単に〝集積〟したものとして捉えることの方が、多いかもしれません。具体的に言えば、例えば、気の向くまま好きなページをランダムに開いて楽しむようなスタイルが適切な作品も多いかもしれません。実際、日常系と表現される作品では、そういったものも多いと思います。『ごちうさ』もそうした楽しみ方は可能ですし、私もよくやります。

 けれども、『ごちうさ』は他方で、「個別」(個々のエピソード、個々の4コマ、もっと細かく言えば、登場する個々のあらゆる要素)を、「全体」(大きな『ごちうさ』の文脈)の中で位置付けて読み解くための手掛り・仕掛けが、あまりにも頻繁に、明らかに意図的に、随所に散りばめられているように思われるのです。まるで、謎解きのヒントをわざと配置してある…ちょうど「シスト」のように、組み立てられているようなのです。そう、『ごちうさ』は、シストの地図を追いかけるような気持ちで、仕掛けから仕掛けへと追いかけながら読み解いていくと、より立体的に・より深く、味わえるように組み立てられている(と思う)のです。

  

──なぜ6巻?

  まず第一に、コミックス6巻の重要性です。コミックス6巻は、これまでの『ごちうさ』コミックスに比べても、一つの大きな節目、あるいは折り返し地点のような印象を受けるからです。このことは、まずコミックスを開くよりも前に、〝表紙〟を見ただけでも、何か感じとられることではないでしょうか(のちに、6巻表紙の〝新しさ〟について詳しくお話しいたします)。そしてもちろん、収録されているお話からもそのことを感じ取ることができると思います。この「6巻」を軸とすることで、『ごちうさ』の過去のエピソードと、これから続くかもしれない展開との、両方を見渡せるような見通しの良い地点に立てるのではないか、と考えたことがまず大きな理由です。

 また第二に、せっかくですのでなるべく新しいエピソードで、というのもあります。とはいえ、本当に最新の「連載」の場合、単行本収録を待ってから解釈をしたいという気持ちが残ります。よく知られるように、単行本収録時にはしばしば〝修正〟が加えられますが、それにより、のちに本書でもお示しするように、お話しのニュアンスが変わるという事例がしばしばあります。

 

──(ちなみに)

 ちなみに、本書は「ごちうさ6巻を読む(前半)」となっております…いや、なってしまいました。今回はいろいろな制約から、文字どおり「薄い」本を作りたかったのですが、6巻の「表紙」の読解から始めて順番に各話を読解していこうとした結果、まず「表紙」だけでかなりの分量を費やしてしまい、さらにその後も、想像以上に分量が増えてしまいました。このようなことから、本書で触れていないエピソードについては、またの機会に読み解いてまいりたいと思います。 (以上、まえがきより一部抜粋)

 

ピュアな男の子を求めて 〜私にとっての二次元の男の子アイドルの魅力を考えてみた

 ピュアな男の子をもとめて。

  

◆浄化されたい

結局、『アイドルマスター SideM』の、二次元の男の子アイドルに私が求めているものは、ピュアさなんだ、ということに気づきました。

  

f:id:miusow:20180608104716j:plain

(【↑上図】あぁ…もうなんて可愛いんでしょうね…。なんかこう、喉の奥が、ウッとなる。可愛すぎて吐きそうになります。 ──ねぇ、もう本当に可愛いので、可愛いものが好きな人には全員にお勧めしたいくらいです。

 (関係ないですけど、この『〜ライブオンステージ』の、任意の好きなアイドル2人を〝仲良し〟にできるシステムは、本当に良いですよね。)

 

 

『SideM』のアイドル達の歌を聴いていると、浄化されるような、心が洗われて、自分が透き通っていくような気持ちになります。

その歌声に、いつの間にか自分も同一化して、一緒になって歌っている。

 

そうしているうちに、男でありながらピュアでもあり得る、というような希望が持てる気がしてくる。

…それらも一切が二次元が見せる幻想だ、と言われるなら、多分そうなのでしょう。けれども、幻想でもいいから、一時的にであれ、浄化されたような気にさせて欲しいのです。

 

二次元の(アイドルの)男の子は、本当にピュアなのですよ。男性(大雑把な言い方ですみませんが)のもつ汚らしさ、いやらしさ、クソなところが、ないのですよ。

私はそういう汚いものから解放されて、純粋に戻りたい。浄化されたいのです。

 

(二次元の女の子も[作品にもよりますが]、ピュアですよね。だから、感情移入しながら没頭することで、同じような浄化作用があるのですが、いくら感情移入しても、でも、この子は女の子だし…という「壁」にぶち当たるような気もします。もちろん、私は常日頃からピュアな女の子になりたいと願い、頑張って(?)はいるが、どうしても私のベースが男である以上、限界がある気がする。それに、よく考えたら女の子になりたいわけでもない。そうではなくて、ともかくピュアになりたいだけなのだ。)

 

(補足)

ここまで考えて、そういえば、『けいおん!』『ごちうさ』的作品にハマる女性が稀にいるけれども、これも現実の女性(たち)にある嫌な部分が浄化されているからなのかなあ、と、ふと思いました*1 

例えばなんとなく傍目にも、女性集団の生活は、生きづらい人にとっては生きづらいだろうなあ、という気がしていましたから。これは推測ですが。

(『ごちうさ』の女の子たちは、嫌がらせをしたりしないし、恋愛トラブルもないし、変わった子や気弱な子も優しく仲間に入れてあげますよね。──ただし、みんな素のままで異常に外見が美しい、というのがあって、あらかじめみんなが美醜をめぐるルサンチマンから解放されているのだけれども。)

  

(補足2)

『SideM』の次郎さんはじめ、S.E.M.のアイドルたちも好きなのですが、「先生」という包容力ある優しいお兄さん・おじさんたちという意味で、好きなのだろうと思います。彼らもまた、浄化されていて、ピュアな振る舞いをします(道夫は特にピュア)。

(お馬さん好き・ビール好きのおじさん、次郎先生は、飲む打つ買う、と三拍子揃いそうなところですが、当然ながら、買う、の要素はありません(それは嫌だ)。猫カフェがそれに置き換わってるのかもしれないですね(猫なら許せる)。)

 

◆二次創作の捉え方

二次元の(アイドルの)男の子は、ピュアで、いやらしくない…とはいえ、同人誌を開けばいろんなことをしています。もちろん二次創作であるのだから、切り離して考えるべきですが…とはいえ、こういう作品の受容は、二次創作なくして十分にできるのだろうか、という気もいたします(こういったゲームは、アイドルたちの断片的な言動をかき集めて、再構成するという作業をし続けない限り、アイドル達のことがわからないようになっています。そのような再構成の作業はそれ自体楽しいものだから、各自が頭の中で行えばいいものではあるのですけれども、とはいえ、二次創作作家の皆様が行ってくれる「再構成」は、やはりそういう各自の楽しみのための強力な手助けになってくれる場合が多いと思います)。

確かに私は元々、成人向け二次創作はあまり積極的には手にしない方ではありますが、けれども、成人向けの二次創作でも、やっぱり現実の(三次元の)男の持つ汚らしさは、きれいに浄化されている場合が多いと感じます。私自身が現実世界では、(おそらく)ホモセクシュアルではなく、そういった経験もないので、二次創作における男性登場人物達の「行為」は、ファンタジーの領域で、〝空想上の行為〟なわけです。そういう私にとっては、二次創作における彼らの行為は、現実の世界の「汚れ」から逃れている(ように見える)。 ・・・とはいえ、いずれにしても私は、主観的に特にきれいである・ピュアであると思われるような作品を念入りに選択するようにはしています。要するに基本的には、全年齢のもののみを嗜むようにするのが良いのでしょう。

 

◆ライブ等に対する距離

またついでにいえば、それゆえに私は、ライブなどの声優さんが前面に出てくるコンテンツに対して、どのような態度をとるのがよいのだろうと少し迷う部分があります。 

ライブのライブビューイング、アニメのイベント(Five-St@r Party!!)のライブビューイング、には行き、大変楽しみましたし、いずれ現地にも行ってみたいという気にはなりましたが、そのうえさらに、そうした声優さんイベントの映像の円盤を入手することには少し躊躇があります(そもそもライブの円盤は公演ごとに膨大にあって、入手もかなり骨が折れそう、という理由もありますが)。 

声優さんは三次元の人であり、とりわけ男性の声優さんというものに対して、私はどのような感情を持っているのだろうか(あるいはどのような感情も持っていないのだろうか──ピエール君は、中の人も可愛くてよかった、とは思った)。

 

私の場合は、原則的には二次元で完結して、ファンタジーの中でウットリ遊びたいだけなのでしょうけれども、

とはいえ、実際にがんばって演技をしたり歌ってくださる方々のおかげで、このファンタジーは成り立っていると考えれば、

やはりその人たちはどんな人なのだろうということは気になるし、また何より、

直接、その人たちに声援を送ったり、「光」で応援の意を示すことは是非したいと思うのですけれども。

*1: かおり監督:「なんというかこう…リアルな女子高生って結構言葉とか汚いですが/[『ゆゆ式』では]こうあって欲しいと思う理想を地でいってくれてて非常に可愛らしいなって/[中略]/二次元の女子高生っていいですよぉ…実際いてくれたらいいのになぁ/…二次元は素晴らしいですよ本当…」

レポーター:「かおり監督…リアル女子高生で何かあったのだろうか(捨てゼリフのようにっ)」

(津留崎優「制作現場レポートマンガ」, 三上小又[原作], まんがタイムきらら[編]『ゆゆ式TVアニメ公式ガイドブック:情報処理部のライフログ』, 芳文社, 2013, 103頁.) 

『プリチャン』、アイドル「脱-魔術化」のぱらどっくす ──「魔法より素敵なライブがはじまるよ」?

 『キラッとプリチャン』のアニメ・筐体ゲームで少し遊んだ今の時点で思うことです。

 

 やっぱり何と言っても「ライブ」の部分は、「そうそう、こういうのが見たくて見たの」と思わされるような、キラキラ感がありました。

 けれども、かえってその分、「ライブ」部分と、それ以外の部分とに感じられる、ちょっとしたズレ、齟齬が、どうしても気になってしまいました。何となくつながりが悪いような気がしてしまっております。この違和感を手掛かりに、少し考えたことを述べたいと思います。

 

◆疑問:そもそも「プリチャン」において「ライブ」はどういう位置付けなのか

 それはつまり、「プリチャン」という仕組みの全体が、一体どうなっているのかがよくわからないからなのですが、特にわからないのは、「プリチャン」という仕組み全体における「ライブ」の位置付けです。

  

◆「ライブ」と、それ以外の「番組」との関係がよくわからない

 確かに、「番組」を頑張ると(「いいね」が集まると)→「ライブ」ができる、という仕組みは、前作『アイドルタイムプリパラ』における、「アイドルタイムがたまる」→「ライブができる」、というような仕組みと同じもののようにも思われます。

 しかしながら、やはり『プリチャン』の場合、「ライブ」して「コーデがもらえる」という要素と、そのライブ以外の「番組」との関係が、どうもよくわからないところが多いのです。

 

 もちろん、『プリパラ』でも、『プリリズ』でも、ライブ(or プリズムショー)とライブまでのアニメのストーリーとは、いつもそんなに深いつながりがあったわけではありません(こじつけ的に急に出てくる「そうか、ライブをすればいいんだ!」という発想などは、かえって面白い部分でもありました)。

 けれども、『プリチャン』の場合、特にそれが気になってしまうのは、『プリチャン』においては、ライブの前までのストーリー部分は、ほぼニアリーイコールで、「プリチャン」の「番組」づくりになっている、ということがあります。つまり、「ライブ」とそれ以外の部分とは、一つの仕組みとしての「プリチャン」の中においてどういう関係になっているのかが、どうしても余計に気になってしまいます。

 

 これに関して特に思うのは、「プリチャン」の番組配信者は、老若男女、あらゆる人たちであり得る(ようである)、ということがあるからです。

 確かにプリパラでも、女子プリ、ダンプリ、といったようなものはあったけれども、「プリチャン」の場合は、もっと自由度が高い(ようです)。まさに現実の動画配信サービスの配信者と同じくらいに。

 しかしそうなると、コーデとか、ライブとかっていうものは、「プリチャン」というシステムにとって、どういう位置付けになるのだろう、ということが気になってきます。例えば、コーデもライブもいらないけどプリチャン番組配信だけをします、という人がいてもいいのだろうか(これらに関心のなさそうな?プリチャン配信者が、アニメ内では映ったりしている)。その場合、番組が盛り上がった結果、「ライブができますよ」と言われても、「あ、私はやらないです」と断ったりもしていいのでしょうか。

 

◆「めが姉ぇ」、「プリズムストーンショップ」、の位置付けは?

 さらに気になるのは、めが姉ぇやプリズムストーンショップの位置付けです。例えばユーチューブの場合、グーグルに相当するような立場なのでしょうか。しかしめが姉ぇは「店長」と呼ばれていて、そんな大規模なものを統括している人には見えません。

 また、みらい、えもたち以外では、プリズムストーンに通っている風の人があまり出てこないので、一体プリズムストーンというのは、「プリチャン」という仕組みや、プリチャン配信者にとって、どんな位置付けなのかが、よくわからないところがあります。

 例えば、プリズムストーンに関与しなくても、プリチャン配信はできる、ということでしょうか(プリズムショーはプリズムストーンショップに関与しなくてもできるのと同じように)。つまり、プリズムストーンは、「プリチャン」というグローバルな?仕組みにおいて、一つのプロバイダとか、なにか代理店的な位置付けなのだろうか。あるいは、「プリチャン」という仕組みにおいて何かを成し遂げたいと思う人のための、コンサルタントのような感じなのだろうか。

 

 ・・・いやまあ、キッズ向けなんだから、こんなことはどうでもいいんだよ、と言われればそれまでなのだけど、前作の『プリパラ』は、ああ見えて案外、いろいろ仕組みについてはそれなりに(無理やりにでも)説明がされていたように思うので、どうしても、プリチャンではいろいろと気になってしまう。

 

◆「フォロチケ(交換)」の位置付けは?

 また筐体ゲームで、2回目に遊んだ時、まだ誰ともフォロチケ交換していないし、1回しか遊んでいないのに、すでに「フォロワー」が増えていたが、あれはなんなのだろう(誰なのだろう)。

 「フォロワー」とは、フォロチケ交換とは直接には関係がないのだろうか。となると、フォロチケ交換とはどういう意味を持つのだろう。

 アニメでは、フォロチケ交換するシーンで、「特別な意味でのフォロワーだよ」みたいなことが言われていたが、となると、「フォロワー」という同じ言葉を使っていながら、二つの別のものを指している場合があるということだろうか。複雑である。

 

 ◆以上の疑問の根底にある事柄 〜脱魔術化されたアイドルは成り立つのか?

  要するに、こういうことではないでしょうか?

・コーデが「もらえる」、ライブが「できる(させてもらえる)」、というような、何か上位の権威によって、──プリパラ的に言えば「システム」の判断によって、何かをようやくもらえたりもらえなかったりする、といった(垂直型の?というべきかわかりませんが)仕組みと、

・ネットの動画配信のような、好き勝手に何かを配信して、見ている人が好き勝手にいいねを送って評価する、というような(デモクラティック?SNS的?な)仕組みとが、

互いにマッチしていない、というのが、根本の要因としてあるように思います。

 

 もちろん、グーグルなどにおいても、特定の配信者をピックアップして何かの援助を行うということは、行っているであろうけれども、しかし、ちょっとこの「プリチャン」の場合はそういうもの以上であって、「ライブ」は、その「与えられる」特殊な空間でのみ可能なものとされているし、またそこで何らかの判断によってコーデが「与えられる」。

 

 『プリパラ』の場合は、「アイドル」とは、まさに従来型の意味のそれであって(昭和のアイドルどころか、古代にまでさかのぼるくらい、伝統的な意味でのそれ)、モデルとしては、旧来型の芸能界とか、テレビ業界、といったものが念頭にあるだろう。私は実際のこういう業界のことは知らないが、確かにそこでは、なんらかの形で、権威を持っている層、決定権を持った人たちがいて、チャンスが与えられたり、与えられなかったり、するであろう。それは、「運営」「プロデューサー」などと呼ばれることもあるだろう。もちろんその判断は、必ずしも恣意的なものとは限らず、卓越した能力や、従来の慣習、つまり、ある種の伝統に基づく権威のようなものがものを言っている場合も多いであろう。そしてそれは(大げさに言えば)芸術的な価値に関する判断においては、必ずしも間違っていないとも思われる。

 

 もちろん、『プリパラ』でも、「いいね」を集めるという仕組みがあり、その意味ではすでにSNS的ではあったかもしれないが(とはいえ、実際に観客が「いいね」を送るというのはアニメでの表現であって、筐体ゲームではプレイヤー同士が互いに「いいね」を送り合うような仕組みは、原則としてなかったと言えるだろう。・・・トモチケを通じた「ボーナス」などの仕方で、微妙にそういう要素があったと言えなくもないだろうけれども。)、しかし、神アイドルグランプリなどに見られるように、必ずしも、すべてがSNS的に、デモクラティックに事が進んでいたわけではない。つまり「いいね」の数によらず、「システム」、ないしはシステムの権化たる「女神」などが「判断」し、「与える」、というような仕組みが、いたるところに存在した(直近では「古代メガネ」(笑)が判断したりしてましたね)。

 

 そしてこの「システム」、「女神」とは、結局のところ、「タカラトミーアーツシンソフィア」等の権化なわけであるが、それはまさに、百円を入れて遊ぶ、ガチャ要素のあるゲーム、というものをベースにして全体が組み立てられている以上、「運営」が「判断する」「与える」といった要素が避けられず、一切がSNS的に、デモクラティックに、決定していくような仕様には、当然できないのである。

 

 で、『プリチャン』も、基本的には『プリパラ』からほぼ同じフォーマットを引き継いで設計されている。(アーケードのプリパラ最後の日には、お店で作業する人を見かけましたよね? 上からシールや厚紙を貼り付け、画面には「アップデート」という文字が出ていましたが、つまり「アップデート」なんですよね) ──だから、ぼんやり遊んでたら、『プリパラ』と同じような気持ちでゲームし終わることだってできます。(おひっこシステムで、今までのマイキャラの容姿を捨てて[気に入っていたけど、それはマイキャラグッズに固定化しておくことでよしとした]、レオナきゅんそっくりマイキャラちゃんにしてしまった私など、まさにプリパラのつもりで遊んでいる。) 

f:id:miusow:20180602192732j:plain

 

 ところが、『プリパラ』から引き継いだ、こういう垂直統合型モデル──というと大げさですが、そういった、上位の判断者がいる、というような仕組みと、新たに加わった、SNS的な、デモクラティックな評価・判断の仕組みとが、どうも、齟齬をきたしているというか、つまり、論理的なレベルで噛み合わないのではないだろうか、と思うわけです。

 

 思い返せば、プリティシリーズでは、『プリパラ』(「古代プリパラ」だとか)だけでなく、『プリリズ』でも(遺跡みたいなステージなんかが出てきましたよね)、何らかの神話的なもの、伝統的な権威、つまり上位の判断者が、つねに重要さを持っていました。

 それに対して『プリチャン』の場合(今後の展開を見なければ何とも言えない部分もありますが)、「プリティシリーズ」にこれまで見られた、そういった神話的な要素、伝統や権威といった要素が、今のところかなり排除されているように思われます。

 

 それは、大げさに言えば、近代化、脱魔術化ということであって──OP曲の歌詞にある「魔法より素敵な ライブがはじまるよ」は、なんとなくそれの表れとして読めなくもない。また、まさに魔法少女に定番の「マスコット」的存在が今のところ見当たりません──、それはそれでいいのではありますが、他方で、キラキラ輝くコーデがなぜか運良く与えられるとか、そういった要素も残っています。

 実際、少女趣味的な憧れとか、うっとり感、といったものは、一切のこうした魔法的な・神話的な要素を排除して、成り立つのであろうか、ということが疑問です(少女趣味的憧れには、常に貴族主義的な価値観が根底にあると思います)。

 実際、『プリチャン』でも、ライブの空間が突如現れるとか、キラッとボタン、コーデがもらえる、といった部分は、魔法的な力によるキラキラさがあり、脱魔術化していません。〜そしてこの部分は、プリパラからほぼそのまま受け継がれている要素である、ということはすでに述べた通りです。

 

◆要するに

 要するにまとめるならば、プリパラ的なものと、プリチャン独自の要素との齟齬、これは言い換えれば、権威的・神話的・魔法的なものと、SNS的・デモクラティックなもの(=脱魔術化した近代的なもの)との齟齬が、何かあるのではないか?

 それが、「プリチャン」という全体の仕組みのブレというか、つかみどころのなさに、つながっているのではないか──というようなことが、今の所、感じていることであります。

(特に、ライブのキラキラ感はやっぱり素晴らしく、こういうのが大好きな私などは、やっぱりどうしても、何回見ても、ほぼ反射的に、ついウットリと没入してしまうのですが、そのせいかより一層、ライブ以外の部分との齟齬が気になってしまいます。)

 

 ──とはいえ、これは今日まで(2018年6月初旬現在)、アニメと、筐体で少し遊んだ時点での、私の思うところであって・・・、今後を追いかけていかないとわからないところもたくさんあります。もしかすると半年後あたりにこの記事を自分で見て、ああ〜、あの頃は何にもわかっていなかったな〜、などと思う日が来るかもしれません。

 

 

 

アイマスって何?(「P」とは何か) ──よくわからないけど、楽しめている

◆私にとってのアイマス

 結局の話、アイマスっていうものが、私は未だにわかっていないのです。元祖の「アイドルマスター」には、アーケードはもちろん、あらゆる形態で、一度も触れたことがなく、今後も触れないのではないかと思います。

 

──『〜 シンデレラガールズ

 私は、「アイドルマスターシンデレラガールズ」(デレマス)の「アニメ」(デレアニ)を見たことをきっかけに、ゲーム「〜スターライトステージ」(デレステ)をプレイするようになった。たまに覗き見をするために、元の育成ゲームの方(モバマス?)もインストールはしたものの、あまりやらなくなっている。それに対して、デレステはそれなりに好んでいて、いまでも継続している。とはいえ、一時期ほどの熱心さは無くなった。一つには、とりわけてお気に入りのアイドルが、自分にとって明らかになってきたこと(端的に言えばロリ組、特に、薫、千枝、みりあ…みんな可愛くて仕方ない)、そして、そのアイドルたちの欲しかったカード(恒常SSR)が手に入り(幸運&スカウト課金により)、ずっと見たかったライブMVを綺麗な衣装でじっくり堪能するということができたこと(およびバシャバシャ写真撮ること)、つまり、ある程度の達成感が得られてしまったことが原因である。とはいえ、限定SSRなども、本当は欲しくないと言えば嘘になるので、手に入るなら手に入れたいと思っているし、もっとレベルを上げていろいろな曲をプレイしたいし、ストーリーも全部読みたい、という気持ちも残っているので、毎日ではないが、1〜2日置きくらいにログインして、何か少しやる、という程度のことを続けている。いまでも稀に課金もする(スカウトチケット系は、どうしてもつい手が伸びる──だからそれに備えて、ヨドバシで安売りしている時にiTunesカードをポイントで買う)。・・・というか、このゲームはこのあたりのさじ加減がすごく巧妙なのだろうと思う。

 

 

──『〜 Side M』

 そしてやはりこれもアニメから入ったのだが、「アイドルマスター Side M」を視聴して以来、すっかり幾人かのアイドルがお気に入りになり、曲やストーリーも気に入ってしまった。アニメでは、最終話のゴージャスなライブに至るまでのプロセス、とりわけ、「ワケあってアイドル」の、「理由[ワケ]」(過去)→アイドルになる(現在)→さらにその先の夢(未来)、というような、このプロセスがとても面白くて、一挙に引き込まれた。本当に軽い気持ちで視聴したものだが、すっかり心惹かれてしまい、何回も見てしまった。そこから、ゲーム「~ライブオンステージ」(エムステ)をプレイするようになった。と、同時に、やはり幾人かのアイドルにすっかり頭の中を占領されてしまうほどお気に入りになってしまい(基本的に可愛い系。ピエール・Beit、次郎・SEM、カフェパレ、巻緒、アスラン、咲、さらに、もふもふ…次郎さんも私的には可愛い系ですよ!)、最近ではこちらの方が起動頻度が高く、ほぼ毎日遊んでいる。ゲームが起動すると、明らかに気持ちが高揚しているのが自分でもわかる。事務所でアイドルが話しているのを見ると、ニヤニヤ、あるいは、ウットリが止まらない。

(限定ピエール特別お衣装SRが得られるイベントの際には、ああ、これがイベント走る、っていうことなんだなあ、と、実感した。…おかねもかかったよ…

 

f:id:miusow:20180420235655j:plain

(↑これです、これ。これが見たくて頑張った。──はあ、もう、天使すぎていぎぐるぢぃ…。可愛すぎて吐きそう。)

 

 私自身がまだゲームをやり込んでいないということに加え、おそらくこのゲームそのものがまだこれから発展していく余地を大いに残しているもののように思われるので、当分は飽き足らずにやり続けることであろうと思う。ついでにその発展する余地、あるいはゲームに期待することを書き記しておくと;

 

1、「315プロストーリー」に、もっとユニットを増やして欲しいな! 今一番思っていることはこれ。SEMは最近追加されたけど、もふもふ、カフェパレのを読みたい。

(さらに、ストーリー部分に、音声がついたらいいなあ。フルボイスとまでいかなくとも、ところどころでもつけばよいのですが)

 

2、ライブMVのクオリティ。もっと滑らかで、愛すべきものに改良されていったらいいな! 今でも十分愛しています、が、どうしても、すでに慣れ親しんでいるデレステのMVを見た後にこれを見ると、もっと!と欲張りになってしまいます。(だって、ピエール君はもっと可愛いはずなんだもん!!) […今でも十分素敵な王子様ですよ?けど、もっとポテンシャル引き出せるはず!!という意味です。]

 

デレステと比較するのは酷なのでしょうか。私は詳しい事情を存じませんが(私は意図的にそういう生々しい情報をできれば避けたいと思うタイプです、中の人などいない!夢だけ見させて!…と言いつつ、中の人にまったく興味がないというのもまた嘘になるけど)、ユーザー数や資金などが断然に違うのかもしれません。ですので、微力ながら課金を続けていこうと思います。ゲーム内だけでなく、CDも買ったりします。

 

 (ちなみに、リズムゲーム要素は、私はデレステよりこのエムステくらいがちょうどいいです。もともとリズムゲームはそんなに得意じゃないし、ちょっと疲れちゃうので。──あんまり指をパパパッと動かしたり、反射神経つかうゲームみたいなのが苦手。マリオみたいなゲームも昔、人の家でやったりしても、すぐ歩いてくる変なのにぶつかって死んじゃうから、おもしろくなかった。

 

 それから「~Side M」の元のケータイゲームの方もインストールして、「雑誌」を読んでいます。この「雑誌」、書籍化されないだろうか。

 

 

──二次創作

 

 そしてさらに、これらの公式コンテンツと並行して楽しんでいるのが、二次創作です。──私、あんまりエロいのはダメなので、基本的には全年齢です。とはいえ、成人向けでも自分のツボにはまるいいお話のものもあったりするので、薄眼でチェックするくらいのことはして、良さそうなものは入手します。

 

 私の感覚としては、このアイマス界隈の二次創作は、驚くべきクオリティの高さのものがたくさんあるように思います。「あんきら」の本など、もはや一つの文学ジャンルと言っていいのではないか、と思うくらい。深く、内省的で、文学的なものが多い気がします。エムマスの方も、二次創作を探求しています。しっとりとしたカフェパレ本は好きです。

 

 二次創作で心打たれるユニットないしアイドルと、一次作品で特にお気に入りのアイドルとは、ちょっと別だったりするのも、面白いところ。というより、二次創作作家の方々から見て、とりわけ二次創作がはかどりやすいアイドル、ユニット、というものが、あるのかもしれません。

 

 

◆「プロデューサー」/「主人公」/「アイドル」/「傍観者」

 ところで上記の文章では、「お気に入りの」アイドルと記しましたが、どうやらアイマス文化においては、これを「担当」と呼ぶようです。で、「お気に入り」と「担当」とは異なる概念である、という議論もあるようで、確かになるほどと、かなり納得いく部分もあります。

 

──「プロデューサー」って何? 

 この際、さらに考慮しなければならないのは、「主人公」という概念です。アイマスシリーズは、やはり、ギャルゲー(ないし乙女ゲー)の一形態であると、大きな枠組みでは、捉えることができるのでしょう。Pありきで、Pを取り合うというようなゲームである、という側面です。

 ところで、そういうジャンルのゲームにおいては、「主人公」が登場します。では、恋愛シミュレーションゲームの「主人公」と、アイマスの「プロデューサー」とは、どう違うのでしょうか。違うとは思いますが、どのように違うのでしょうか。

 

 これは結局のところ、「プロデューサー」とは何か、という問題につきます。で、私はこれが、未だによくわかっていないままなのです。したがって、これは同時に、「アイマス」とは何か、ということがよくわかっていない、ということです。

 このコンテンツは、明らかに、ユーザーに「プロデューサー」になることを求めるものだとは思います。けれども、私の場合、このコンテンツを楽しみながら、いつもどこかで、「自分はプロデューサーではないのではないか」という思いがよぎるのです。

 

 

──「主人公」に馴染めない人にとって

 このコンテンツが、ギャルゲー(乙女ゲー)の一形態であるならば、私は「主人公」にならなければならないということになりますが、そういったゲームであれば、私はおそらくやっていないし、ハマってもいないと思います。

 

 私は、そもそも、男性主人公(ないし女性主人公)を中心とした、そういったタイプのコンテンツが、基本的にあまり馴染めないタイプの人間なのです。食わず嫌いだけど、やってみたら面白いかもしれない、と思って、かつて挑戦してみたことがあるのですが、どうしても馴染めず、最後まで続かないか、かなり無理をしないと最後までやれませんでした。

 

 「プロデューサー」というのは、こういった「主人公」よりはまだ、私にとっては馴染みやすいポジションのように思うのですが、それでもやっぱりどこかしっくりこないところがあります。それは、やはり「プロデューサー」にも「主人公」とよく似た要素が含まれるからではないかと思います。

 

 

──「傍観者」か、あるいはいっそ「アイドル」になりたい

 

 私の場合、アイマス・コンテンツに接する際、アイドル達をどこからともなく傍観するか、あるいは、むしろアイドルのうちの誰かになっているかのように思うタイプのようです。私にとって「お気に入り」という感情は、傍観者的に気に入っているという意味か、あるいはむしろ、この子になりたい、というような感情です。

 

 例えば「デレステ」では、「プロデューサーさんのおかげで…!」と、親愛度を一生懸命アイドルが伝えてくれるんですけれども、

「ちょ…僕の事はいいから、君が頑張っただけだし、その…、そういうのは仲間のアイドルたちに伝えてあげて…」

と、少し身構えてしまうというか、引いてしまうというか。──人によっては、いやいや、そこを楽しまないでどうするんだ、一番おいしいところを味わっていないよ君は、と言われてしまうかもしれないんですが、実際そうなんです。アイドル達がお互いどうしで勝手に協力しあったり、ワイワイやっているのを見るのは好きなんですが、こちらに話しかけてこられると、ちょっと引いてしまいます。

 

 このあたりは、「〜Side M」の方が、私に馴染みます。アイドルとPとの絆が深まる、というだけでなく、アイドルどうしの絆が深まっていく、という要素があり、それによってライブの演出が変わっていきます。いつも一緒に練習などをさせていると(「プロデュース」していると)、いつの間にか、ユニットを超えて絆が深まっていたりして、「あらこの子たち、いつの間にか仲良くなってる!」と、面白いと同時に、微笑ましく感じられるものです。

(きちんと検証しないとわからないことですが、何となく、「〜Side M」の方が、「〜シンデレラガールズ」よりも、プロデューサーの存在感が希薄に感じます。そして、これくらいの味付けが、私を含めて、人によってはちょうどよかったりするのだろうと思います。)

 

──アニメの視点

 デレマスもエムマスも、アニメでは、アイドル達の頑張る日々を描く、ということがメインだったように思います。これは、どちらかというと日常系アニメの描き方に近いかもしれません。 

 で、私は、デレマスもエムマスもアニメから入った人ですので、おそらくこういうアニメの目線の延長でしか、とらえられていないのだろうと思います。こういうわけなので、「プロデューサー」になるのが、やっぱりなんとなく慣れません。こっちは見なくていいから、君達だけで楽しくやっていて欲しい、それをちょっと横から眺めさせて貰えばそれでいいです、という感じ。

[まさにけいおん的な楽しみ方です。けいおんの部室に謎の男がいたらおかしいでしょ?追い出されます。(厳密に言えばさわちゃん先生とかは、部分的には、男性主人公の代わりの役割を果たしていると言えるのだろうけれども。)]

 

◆いずれにせよ、幸せです

 結論を言うと、私は「プロデューサー」というものを、従ってまた「アイマス」というものを、よくわかっていません。けれども、現実に、日々、デレマスも、エムマスも、とても楽しんでいます。自己流で、独自の楽しみ方かもしれませんが、これで幸せです。

 アイマスは、「本来は」そういう作品じゃないんだ、と言う人もいるかもしれませんが、私はその「本来の」楽しみ方であれば、近づかなかったと思います。また、こういう私のような近づき方も可能であるような余地が、初めから用意されていたのではないか、とも思います(その場合、私の楽しみ方も「本来の」楽しみ方に数え入れて良いということになるでしょう)。

 つまり「プロデューサー」というのは、適度な距離を持ってアイドルたちを見守る人のことで、それゆえ「傍観者」にも、「主人公」にも、圧縮したり膨らませたりできるのでしょう。それだから、「主人公」が苦手な私のような人でも、自分なりの処理がしやすい立場なのではないかと思います。(反対に、「主人公」になりたい人は、「主人公」寄りにふくらませていくことも可能な立場なのでしょう。)

 

 

 

◆(補足)「プリパラ」の「プロデューサー」?

 エムステの「315プロストーリー」や、デレステの「コミュ」(ストーリー)を読んでいると、ほとんどプロデューサーが出てこず、実質的にプロデューサーがいなくても十分お話として成り立つようなものが多いように思う。一応、デレステのコミュの場合、プロデューサーが「アイドルたちとコミュニケーションをとる」ということになっているのだけれども、アイドル同士がコミュニケーションをとっている様子を眺めている、という側面も強い。

  さらに、リズムゲーム部分について、設定上は、プロデューサーが、ライブの指示を出している、ということになっているのだとは思いますが、リズムゲームは実質的には、指でダンスを踊っているようなものに近いので、ユーザーが行っていることは、プロデューサーというよりむしろアイドルの立場になっているような気もします(太鼓の達人は「太鼓奏者」になるゲームですよね? 「太鼓」でも「太鼓プロデューサー」でもなくて…こういう職業があるのか知りませんが。仕事の流儀的ドキュメンタリーに出てきそう)。

 

 実際、ライブに合わせてリズムゲームをするというのは、例えば「プリパラ」のゲームでも同じであるが、「プリパラ」の場合は、明らかに、ユーザーがアイドルになるという形式のゲームである。 

 ちなみに、「プリパラ」のゲームに関して興味深い話を、以前聞いたことがあるので、ついでに書き記しておく。つまり、「プリパラ」のゲームは、「本来は」明らかに、ユーザーがアイドルになることを想定しているものであり、だから私も、「わぁい!これでついに念願の女児アイドルになれる〜〜っ!!」と大喜びし、興奮気味に楽しんでいるのだけれども、ふと冷静に考えてみると、「プリパラ」筐体に集まる大きなお友達は、みんなこんな調子で「心は女児」なのだろうか、つまり私と同じ気持ちなのだろうか。いや、なんとなくみんながそうというわけでもないような気がするが、ではどういう気持ちで熱心に遊んでいるのだろう。というようなことが気になったので、ある機会に、長年プリパラ筐体で遊んでいるという人に「どういうつもりでやっているのですか」と訊いてみた。すると、「プロデューサーになった感覚ですね」という答えが返ってきたのだった。これは大変興味深い答えだった。「プロデューサーがいないはずなのに、プロデューサーになった感覚で楽しむ」というのだから(プリパラにマネージャーはいても、プロデューサーはいない。アニメにおいて紫京院ひびきはある意味でプロデューサーのような立場になろうとしていたとも言えますが…その企ては否定されてしまいます)。しかしそれはそれで、かなり納得のいく発想でもあった。確かに、マイキャラちゃんは自分の分身であると同時に、「育てる」という感覚もあると思います。

 そこで、この取り組み方を、逆転して、アイマスコンテンツに適用してみることもできるのではないだろうか。すなわち、「プロデューサーがいるはずなのに、いないつもりで楽しむ」ということも、十分できるのではないだろうか、ということです。

 

 

【更新:書店委託】『ごちうさ論:「Sister」の「魔法」』の書店様委託のお知らせ(ZIN様、メロン様)

 C93の新刊「ごちうさ論:「Sister」の「魔法」~アニメ『Dear My Sister』から読み解く『ごちうさ』」の、書店様委託販売のお知らせです。

(前回より書店様が増えましたので、更新してお知らせいたします。)

 

ごちうさ論:「Sister」の「魔法」

 ~アニメ『Dear My Sister』から読み解く『ごちうさ』」

(三浦想・ロマン主義アニメ研究会)

 

以下が、書店様の通販ホームページです。

 

COMIC ZIN 様

COMIC ZIN 通信販売/商品詳細 ごちうさ論:「Sister」の「魔法」~アニメ『Dear My Sister』から読み解くごちうさ

 

メロンブックス 様

ごちうさ論:「Sister」の「魔法」~アニメ『Dear My Sister』から読み解く『ごちうさ』(ロマン主義アニメ研究会)の通販・購入はメロンブックス | メロンブックス

 

 

f:id:miusow:20180110200036j:plainf:id:miusow:20180110200119j:plain

f:id:miusow:20180110200149j:plain

 

 「COMIC ZIN」様は、実店舗が秋葉原と新宿にあり、通信販売もございます(私もよく利用しております)。(私の場合、まんがタイムKRコミックスなどのオリジナル特典を狙いに訪れたつもりが、気がつけば帰りのレジでは、ディープな情報・評論系同人誌を一緒に手にしている、というようなことがしばしばあります。コーナーを眺めているだけでも面白いです。)

 

 「メロンブックス」様は、通販と、一部のお店にも在庫があるようですが(1/26確認)、変動する可能性がありますので、HPで(あるいはお店の方に)ご確認なさるのがよろしいかと思います。@めろん、さくっとめろん、といった店頭受け取り(ないしお取り寄せ)サービスもあるようです(私も前者のサービスを時々利用しています)。(ごちうさ関係の綺麗で可愛いご本が沢山ありますから──私も買い逃したものを先日買いました──、お買い物ついでにこのモノクロ表紙の本も思い出してもらえれば幸いです。)

 

 

この本の内容については、ぜひこちらをご参照ください。↓

miusow.hateblo.jp

 

  

 

◆改めて。

 この本は、なんといったらいいんでしょう。

 ファンによる本、・・・ファンブックなのだから当然なのですが、そのようにしか言いようがないです。随想とかエッセイ的なもの、ということになると思います

(いわゆる客観的な距離を保った、考察!評論!!という感じでもない。『ごちうさ』の世界に迷い込んだ人の、いわば旅行記というか、探偵ノートというか…。でも分かりにくいと思うから、表向きには、考察です、評論です、と言うことにしています。)

 

 『ごちうさ』もけっこう長く続いていますから、過去のお話と、今のお話、さらに未来の想像、とかっていうのも、ちょっと整理していったほうが、より楽しめると思うのです。考え始めると、結構複雑なんですよ?(実際、作中には、ずいぶん細かくいろんな「仕掛け」が散りばめられていると思いますよ?) ──そういう『ごちうさ』読書ノート、探偵ノートのようなものを、材料にしている本です。

 

 

 大げさに言えば、〝作品内在的な解釈〟というようなやつにあたるでしょうか。

 

 要は、『ごちうさ』の世界の中から、あんまり出ないです。

 だから、他の作品と比べてどうとか、何か深刻な現代の問題(…むむむ)と結びつけるとか、そんなようなこともあんまり(ほぼ全く)行っておりません。そういう傾向のやつではないです。

 

 そうじゃなくて、『ごちうさ』と『ごちうさ』を比較する、と言ったらいいでしょうか。

  ここのお話と、あそこのお話とは、こうつながっている(小さな手掛かり、大きな手掛かり、を頼りにして。「シスト」なんですよ)、で、そこがそうつながっているのなら、全体としては、こんな形にも見えるんじゃないかしら?(表紙の図案はそういうイメージです。) というように、「立体パズル」を組み立てるような感じで、読み解いていく、そういうものになっています。

(立体パズルのピースは、私たちに与えられている『ごちうさ』です。それ以外の、別の部品を無理やり組み込もうとしたりはしていないです。──立体パズルはお父さんからのクリスマスプレゼントだから、大事にしないとね。「紳士うさぎと木組みの家」。)

 

 ですから、ファンの方なら、読んだらきっと面白いのではないかと思います(!)。・・・面白いかどうかは読んだ人が決めるんでしょうけど、私が読んだら、面白かったです。作ったあとしばらくたって、自分で読んで──ま、私にはナルシシズムの傾向がありますので、そのせいかもしれませんけど。…と、言いますか、『ごちうさ』が面白いから、当然そうなるのです。面白い『ごちうさ』の面白さを、改めて伝えようとしているだけですから。(…だから、まあ本当は、この本を読む暇があったら、『ごちうさ』を読み返したほうがいいのかもしれない…あれ?)

 

 多分、読みながら、いや違う、ここはむしろあの話とつながっているんだ、とか、いろいろ思うところが出てくるかもしれませんね。それでいろいろ読み返してみたり、見返してみたりしたくなったら、もうパズルが始まっているのですよ。──そういう誘い込まれるような『ごちうさ』の楽しみ方を少しでも共有できればいいな、と思います。

 

 

 

 

ココアさんの髪型にしてもらった話。

 

けっこう前のことになりますが、美容院でココアさんの髪型にしてもらいました。

 

これは美容院によっては断られたり怒られたりするかもしれませんが(わかりませんが)、うまくいけばすんなりやってもらえる、という事例として、同様のことをご検討中の方(もしいらっしゃれば)のご参考にと思い、記します(いや、あんまり参考にならないかもしれません。要するに、単に自慢したいだけです)。

 

◆どう頼んだか

こういうのはもじもじしたり、言いにくそうな感じで頼むのが一番良くない、と思い、

今日はどうしますか、と聞かれた直後に、こうしてください、とココアさんの画像ペーパーを取り出しました。

とっておきココアさん画像フォルダから厳選して、パワポに数点貼り付けて印刷したもの。正面と横向き。──これが意外と大変なんですよ。あんまり「ない」んです。できればKoi先生原作絵で注文したいと思っていたのですが、原作カラー絵は、たいていヘア・アレンジを効かせているので、鑑賞する分には可愛くていいんですが、資料としては使いにくいのです。よって、横向きのヘアスタイルに限っては、アニメから探してきました。)

 

あたかも当然のように、いつものこと、という感じで、サラリと、単刀直入に注文しました。

 

どっちにしろ変なことを頼んでいるのは明らかなわけですから、頼む本人の態度に一本筋の通ったものがなければ、すべてが崩れてしまうのです。もちろん、面倒で変なことを依頼しているのは間違いないわけですから、お願いする、という態度は必要ですが、ココアさんヘアにするという揺るがぬ意志をもって、かつ、さりげなく注文するべきだ、と思ったのです。

 

そして、もし困惑されたり、遠まわしであれ断られたら、すぐ諦めるつもりでした。どっちにしろ無理な注文をしているのはこっちの方なので、別の美容室を探すまでのこと。断られない美容室を、断られなくなるまで探すしかない。

  

ですが、

「はい、わかりました」

という感じで、何ら驚く様子もなく、普通にカットが始まりました。

 

美容師さんが、内心どう思っているかはわかりません。──そもそも、私はある時以来、他者の内心なんていうものを熱心に考えることをやめたのです。確実ではないものに振り回される必要はないのです。

とはいえ、今回私が驚いたのは、表面的なことです。つまり外面的に、何ら驚く様子を見せずに、淡々とカットが始まったこと。 

さらに、アシスタント風の人に指示するときも、「前に流す感じで乾かして。これ(ココア画像)、目指してるから、こんな感じで」と、普通に指示。

 

さらに、自分でセットするときのコツのようなものを、かなり何段階ものバリエーションで(簡単にできるもの、練習するとできるもの、といったように)、丁寧に教えてくださいました(ありがとうございました)。 

スプレー、ワックス、アイロン、ドライヤー、これらのどれかを組み合わせて、どうにか作れるようです。(全部やると完璧ですが、大変。一番手軽なのは、ドライヤーとロールブラシを使う方法。その代わり崩れやすいですが。)

 

◆ココアヘアーのセット

 つまり、ココアさんヘアーになるには、セットが大事なのです。

 

ココアさんヘアーは、カットの段階でできることには限界があり、かといってパーマでも維持できるものでもなく、つまり、毎回のセットが肝になります。そしてそのセット、確かにかなり手間がかかります。全体のふくらみと、毛先の雰囲気を出すのが難しいです。けれども、手間をかければ、それなりに再現できます。

 

 

それにしても、今日見たばかりのキャラの画像を元にしただけなのに、やはりさすがはプロだと思いました。この美容師の方は、二次元関係にそれなりの関心をお持ちの方でしたが、ココアさんのことはぼんやりとしか知らないようでした。「これ何のキャラなんですか、どこかで見たことあるような気がするんですが・・・」と仰っていました。

 

◆ココアさん本人はどうしているのか

ココアさん本人は、多分、毎朝間違いなくそんなにセットに時間をかけていないと思います。ちゃちゃっと梳かして、例の髪飾りをつけるだけでしょう。

だから、あの独特のウェーブはくせ毛なのです。

 

ばっちりパーマがあたってる髪型は、同じようにあてれば再現できるでしょうけど、ああいうくせ毛を再現するのは難しいそうです。

 

なので、せっかく綺麗にやってもらっても、ちゃんとセットをしなければ、あんまりココアさん風にならないです。でも、きちんとすれば、それなりにそう見えるくらいにはなります。

 

◆今の気持ち

・・・うん、幸せです。

ここまで髪を伸ばした甲斐がありました。

 

 

◆ちなみにその様子

 この写真は、美容室でセットしてもらった後に、家で撮りましたが、すぐ撮ればよかったです。切ってもらった直後はテンションが上がっていて、用もないのにいろんなところをうろうろと出歩いてしまい、早くもちょっとずつ崩れてしまいました。 

 

 髪の色も、本当のココアさんの色にすると、現実的にはちょっと明るすぎるので、これくらいに。

 けれども実在のココアさんは、きっとこれくらいの色なんじゃないかなあ、と思います。・・・と、「実在のココアさん」という謎の概念をさりげなく導入してしまいましたが、つまり、実際にココアさんという人物がいたとして、その人物を元に、漫画のキャラをつくったら、あのココアさんになるのではないか、というような、勝手な仮定のお話にもとづく概念です。

 

f:id:miusow:20180420231742j:plain

 

◆(補足・かなりどうでもよい感想)

  それにしても。写真を自分で撮って見てみると、いかに自分は無駄に肩幅が広いか思い知らされる。「この堂々たる様子はバイトじゃない、支配人だわ」、「ココアに渋みはいらないんだよ」、という独り言が漏れる。求めていない渋みとか堂々たる雰囲気が出てしまう。──そんなのいらない!もっと軽やかに、ふわっとした、春風のような女の子になりたいのに!! 

 また、こうして写真を撮ると、何となく妹とか母親に似てくるのも面白い。やっぱりDNAが近いんだなあ。ちょうど昔こんな長さの髪していたし…笑ってしまいました。

 

 

プリパラの偉大さについて──僕たちは出会うのが少し遅すぎたようだね

 プリパラ、終わってしまうんですね

 

「僕たちは出会うのが少し遅すぎたようだね」(紫京院ひびき, 3-26

 

いや、何回でもアニメを観よう。

筐体ゲームは結局、あんまりたくさん遊べなかったけど、

 

いいんだ、アニメは何回でも、観ることができるから。

 

レオナ君の載ったプリチケだって、ずっと眺めることができるんだから。

 

(後で眺める目的なので、特に彼にお似合いの衣装を着せてあげたときは、ドリチケのどアップのが出ないかな~と思って、何枚か買ってしまう。)

 

 

──昨年ようやく私は、プリパラ(アニメ)を「発見」し(私の視点で)、中毒的にハマってしまいました。特に一時期は、プリパラのこと以外はすべてつまらなく思えてくるくらい(=典型的な「依存」の症状)、ハマってしまった。筐体ゲームの方は、アニメを理解するのに不可欠と思って取り組みましたが、最初はそれほど面白みを感じず、少し拍子抜けしたものでしたが、根気良く取り組んでいくうち、やはりこれも一種の酔っているような、中毒的な快楽を味わうようになり、ハマってしまいました。何より、マイキャラで遊ぶのみならず、レオナを選択することで、楽しみ方が広がりました。大好きなレオナ君に、あれを着せてあげたい、こっちが似合うかな、などとコーデを考えるのが楽しくて仕方がない。・・・でも、こんな楽しみを発見したのも比較的最近のこと、しばらくすると、もうすぐ稼働が終了するというめが姉ぇからのお知らせが舞い込んできました。

  

 しかしそれにしても、世間での流行の時期とあまりにずれてハマることができるのは、動画サービスなどが充実している現代の幸運でもあり、また不幸の元でもあるかもしれません。アニメもゲームももう終わる、という頃になってようやく、異常なハマり方をした私のように。

 

 

プリパラの偉大さ ~噛み合わない二人は

プリパラは、本当に「偉大」です。

「偉大」という言葉が、すっと出てきて、いつもこの言葉に終始します。

 

「偉大」なんですよ。プリパラは。

 

私の場合、 

レオナという崇高な存在がいる、ということがすでにプリパラの偉大さを端的に表している、と思っています。特に私にとってこれはとても大きい。

 

あじみ先生を見た時も、偉大さを感じました。

 

ガァルルの初ライブ(そしてガァルマゲドン正式結成後のライブ)を見たときにも、強くそれを感じました。

 

これだけの子たちが、み~んな友達、み~んなアイドル、なのです。これらのすべてを包み込むもの、それがプリパラなのです。それはいかに偉大なことか。

 

シーズン3で「神チャレンジ」が現れるとき、私は、背筋がゾクっとするような、鳥肌が立ち、全身が震えるような奇妙な感動を(毎回、出てくるたびに)味わったのですが、それは、そこにプリパラそのものの偉大さが、直接に顕現しているからなのだろうと思います。というのも、「噛み合わない」みんなが(がっちりとは噛み合わないまま)「友達」になって、「神アイドルを目指すの」がプリパラですから。簡単に言えば、プリパラの偉大さは、ここにあるのです。

 

 

一切の疑問(つまらないツッコミ)を超えて

もちろん、そのほかも含めた一切が、偉大さに満ちています。

レオナだけでなく、シオンもドロシーも偉大である。

 

だがその前に、思い返せば、らぁら、みれぃのライブを(初めてアニメで)見たとき、すでに私はその偉大さの片鱗を見ていたのだった。ーーなんだなんだ、メイキングドラマ?そして、サイリウムチェンジ???  これは一体何なんだ!! 色使いも光も過剰で、すべてが圧倒的で、頭がクラクラする・・・!!(思い返せば、このときすでに、プリパラ酔い、プリパラ中毒は始まっていたのだった)

 

また、なぜ囲碁?という、シオン登場時に抱いていた疑問は、その後の展開を追うに連れて、いかにちっぽけなことだったのか、思い知らされることになる。プリパラの偉大さを前にして、そんなつまらないツッコミをいれて面白がっていた自分が愚かだったとわかってくる。プリパラは、こうした一切の小さなツッコミや疑問をはるかに超えて、突き進んで行く(偉大です)。

 

そして、「ちょっと良さげっぽい?」[1-11]とみれぃとともに思っていたドロシーの陰から双子の片割れちゃんが登場し、しかもその子は後日学校でスボンの制服を着ているのを見たとき[1-12]、はっきりとプリパラの偉大さを確信した。(そしてしばらくして、その子を好きになった。初めて、二次元の男の子に恋をした。) 

 

(補足)プリティーシリーズ

 私は昨年プリパラにようやく出会ったくらいですから、プリティシリーズというものの全容がどうなっているのかよくわかっていませんし、今後どのように続いて行くのかもわかりません。このシリーズそのものにそんなに愛着を持てるかどうかもわからない。

 

 『プリティーリズム』(アニメ)をちょっとずつ見始めているけれども、たしかに、なるほど、プリリズのこういう部分がプリパラに受け継がれているのかな、と思われるようなところを見つけながら見るのは面白い。けれども、私の場合、プリパラ抜きでいきなりプリリズを見たら、面白いと思ったかどうか。

 とはいえ、フィギュア? チア?(バトポンなるアイテム) けど、歌も歌う? お洋服の声を聞いたらジャンプができる??(けど、下手をすると命を落とす?) (お笑い修行??)・・・??? というような、「ちっぽけな疑問をはるかに超えて、突き進んで行く」という感じは、プリパラ同様、素晴らしいと感じる。ベアチたちかわいいし。

  あいら(を演じている阿澄さん)が、会話の中であんなに自然に「ハピラキだよ~」(HappyLuckyの意)と言えるんだ、と驚いたり。

 

 そんなに面白くないと思っていたはずなのに、だんだん面白い気がしてくる。この独特の雰囲気は、なるほど、プリパラに継承されている、と感じる。