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miusow’s diary / ロマン主義アニメ研究会

アニメに関する考察・・・というより、アニメ等を契機に私が思考した事柄を中心に、私の個人的な雑記等も書き記しております。

けいおん!・日常系について考える文章を書きました@「桜高新歓7」新刊(2組14番)

けいおん!は優れた日常系作品である──「日常系」とは何かを考える」という文章を、『けいおん!再検証 Vol.2』という本(同人誌)に、載せてもらうことにしました。

 

【詳細】

三浦想「『けいおん!』は優れた日常系である──「日常系」とは何かを考える」

in: アニメ熟考委員会『けいおん!再検証 Vol.2』(http://jukkouiin.hateblo.jp/

けいおん!聖地オンリーイベント 桜高新入生歓迎会!!7じかんめ、2組14番

2017年5月4日(木・祝)、豊郷小学校旧校舎群

 

その文章の内容としては、

 

・「日常系」とは何か──『けいおん!』と、その他のきらら系諸作品(ごちうさ、ひだまり、ゆゆ式幸腹グラフィティ、・・・等)とから考える

・音楽、部活動の位置付け──『ラブライブ!』との比較、「ただの思い出」

 

というようなものになっており、

日常系作品の本質を、何を描いているかということよりも、その価値観という観点から理解しようと試みています。

 

  

◆内容、趣旨について

けいおん!』の同人誌ではありますが、実際のところ、私の文章は、『けいおん!』よりも、『けいおん!』以外の作品への言及のほうが明らかに長くなってしまいました。

 

ですから、『けいおん!』好きの方にしてみれば、『けいおん!』以外の話が長いな、と思うかもしれませんが、それ以外の作品との比較ということで受け取ってもらえればと思います。

 

また逆に、『けいおん!』についてはそれほど興味はないよ、というような方でも、日常系作品全般に興味がおありの方には、それなりに読むところがあるかもしれません。

 

特に、『けいおん!』をはじめとするいわゆる「日常系」作品を、素直に没入して楽しむことをせず、日常系作品ってなんなんだろう、どうして自分はこれにこんなに惹かれるんだろう、なんていうことを、「考え」てしまうような人(私がそうです)には、何かの参考になるのではないかと思います。

 

 

◆(付言)日常系を「考える」ということの奇妙さ

──ただ、一方で、「考える」という仕方は、本来、娯楽作品、特に日常系作品の受容の仕方として、あんまり相応しくないのかもしれない、とも思います。無反省に没入する方がよいのではないかと思います。「本質」について考えたり、それを筋道立てて人に伝えたり、といった活動が、そもそも余計なもので、純粋な感動、感性における受容を、曇らせるものなのではないか、という気がしています。だから、私(たち)のような、こういう受け取り方があんまり好きではないとか、合わないと思う人は多いでしょうし、真っ当であろうと思います。

 

しかしながらそのような「考える」やり方で受容することを、止めようにも止められない人も(私も含め)いるのではないかと思います(別に無理に止める必要もないとは思いますが)。そしてそのような人にとっては、少し参考になるのではないか、と思います。

 

だからついでに言えば、日常系を好きな人は何も考えていない、とかっていう批判は、的外れというか、逆に的に当たりすぎていて批判になっていないというか、そういうことだろうと思うわけです。というのも、人間というのは、四六時中考え事をしていなければならない、などということはないでしょう。仕事のとき、人生の決断のとき(あるいは「間違えずに電車に乗る」なんていうときも)などには、「考え」なければならないでしょうけれども、人間には、思考能力以外の精神的能力、性質も備わっています(感性、美的判断力など)。そして、そちらにも栄養を与えてあげる必要があるわけで、娯楽作品というのは、そういうものではないかと思います。

 

 

◆経緯など

 

話が逸れましたので、元に戻します。

 

さきほど『けいおん!』だけに関心があるわけではない方にも参考になるかもしれない、と申しましたが、考えてみれば、「桜高新歓7じかんめ」ですので、『けいおん!』に関心のない方はいらっしゃらないところだろうとは思います。

 

こちらのサークルさんの前回のけいおん!の本を、私はまったく偶然に手にしたのですが、そこで「けいおん!は日常系なのか否か」といったようなことが論じられていました。

 

そうした議論のなかで、気になることがありました。

それは、「〇〇は単なる日常系ではない」というような言い方によって、『けいおん!』やその他の日常系作品を評価することがときどきある、ということです。これの何が気になるかといえば、単なる日常系では何かいけないのか、そもそも単なる日常系とは何なのか、ということです。

 

そこで私もこの機会に、けいおん、日常系、というテーマで考えをまとめたいと思い、サークルの方に連絡したのでした。

 

なお、私は基本的に『けいおん!』や日常系作品のファンであり、この作品ジャンルについて根本的に批判的なことは書いていません。それは客観的な評論の態度を欠いていると思われるかもしれませんが、それは全くその通りです。それゆえ私の文章は「評論」と名乗るのも少し違うのではないかと思います。ファンによる随想のようなものと言うべきかもしれません(※注)。──先ほども述べたように、こういう仕方での作品の受容もあるのだという程度に受け取っていただければ、と思います。あるいは、私と同じような仕方で受容している方もある程度いるのではないかと思うので、そういう方は楽しめるのではないかと思っております。

 

(※注 通常は二次創作などで表現するようなことを、文章で説明してしまっている、と思っていただいてもいいと思います。)

 

(・・・ですので、本自体は「評論」ジャンルになると思いますが、私の文章は評論と呼べるようなものではなく、単なる随想のようなものです、ということです。)

 

 

 

「人間らしさ」の称揚、動物キャラ化幻想の限界:『けものフレンズ』感想

(※以下は、この作品をすっかり気に入って、心から愛しているような人の文章ではないですので、この作品が大好きな方は、少し気を悪くされるかもしれません。また、私の理解不足も多いと思います。とはいえ、もちろん何か悪口のようなことを書くことが目的ではありません。) 

 

◆「にんげんっていいな」、技術、啓蒙主義(11話までを見たときの記述)

よくわかっていないながらも録画はしていて、数話溜まってから見ようと思っていたところ、どうやらこれが大変流行っていると知りました(あんまりそうした流行に疎いので、しばらくしてから)。

 

こうなってくると、へそ曲がりな私は、逆に、決して見るもんか、思うようになりました。

・・・でもやっぱり見たいから、

最終回まで終わって、皆がこれを忘れかけてきた頃、完全にネタバレした上で、客観的に見てやるんだ、と、謎の決意をしたのでした。

・・・決意したのでしたが、なんだかどうしても気になって、やっぱりつい見てしまいました。

 『うらら迷路帖』も終わってしまい(あ、もう最終回だ、というような最終回でした。いや、これこそ日常・きららの本来のあり方なのかも知れません)、まだもう少し何か見たい、と思っていたある夜、つい再生してしまいました。

  

結局、11話まで続けて見てしまったのですけれども、

なるほど、確かに面白い、素晴らしい、よく作られている、とは思いました。

 

これは、大変前向きで、建設的で、「プロジェクトX」のような、「技術」を賞賛し、人々を鼓舞するような、そういう作品だと思いました。人間が自らつくった「にんげんっていいな」というすごい歌詞の歌を思い出しました。

 

ですので、この作品に引き込まれ、鼓舞され、感動する人たちは、立派な人たちで、まっとうな、常識的な、健全な、近代的市民なのであろうと思います。こうした作品が流行るということは、そういう点で、安心できます。その意味で、こういうものが流行っているのは、いい事だ、助かる、という気がします。

(今後もしばらくは、橋が急に落下したりということが起きないで済みそうです。)

 

自然科学のドキュメンタリーとか、(自然科学系の)ノーベル賞の話に興奮したり、瀬戸大橋をかけるプロジェクトの裏に秘められたすごい技術の話などに惹かれるような人たちは、これが好きだろうな、と思いました。

 

人間って、頭いいね、賢いね、技術があるね。

 

まさに「にんげんっていいな」なのです。それを動物に言わせる、という仕組みです。

人間の人間らしさが発揮されてフレンズたちが喜ぶ、フレンズたち自身もみずから得た人間らしさについて戸惑いながら喜ぶ(料理がおいしいとか)、というような場面が多く、しきりに「人間らしさ」というものが強調される作品です。

 

そして確かに、「人間らしさ」というものは、現代でもやっぱりある、またあってよい、と私も信じていますが、・・・問題はその「人間らしさ」の内実を何に置くか、ということです。

 

その人間らしさの内実は、本作では基本的に、「技術」に限られている(ように見える・・・このあたりも、私の本作への思い入れが薄いせいかもしれませんが)。

 

人間の本質が、あらゆるものの存在が、「技術」に見出されています。
 

技術の問題を技術で乗り越えようとする、ひたすらな、永久機関的あこがれに裏打ちされた「前向きさ」が、ひしひしと感じられます。

 

・・・そして、こうしたことのすべてに、私自身は、特別に何か心を動かされるということはないのでした。すごく純粋に「建設的」であるなあ、と距離をおきながら、感心するばかりでした。(荒廃しているような舞台は、「建設」のためのよい背景となります。──繰り返しますが、「荒廃」の役割についても、私の見方が浅い可能性はあります。)

 

(・・・と言っても現実の私は、過度に技術的な、人工的な生き方をしていると思います(多分平均よりはるかにそうだと思います)。人工物がないと不安です。完全にそういう人です。といって、ここに永遠の安らぎを見出せているかと言えば全くそうでもなく、結局は、どこにも落ち着きどころがない訳です。「どこへでも此[この]世界の外へ」という言葉そのもので、典型的な「故郷喪失者」です。──だから、せめて娯楽の中では、もう少し違うものが見たい、という気がします。・・・そういえば、かばんちゃんの「故郷」はどんなところなんだろう。それを見たらまた感想が変わるかもしれない。)

 

一種が一フレンズ、という、大まかな原則というのも、まさしく百科全書的で、啓蒙主義的です。(そもそもジャパリパークのような「動物園」というものが、そのようなものです。動物園=生ける標本を展示する博物館 〜博物学・誌[自然誌・史]  〜典型的に啓蒙主義的なもの)

 

こうした価値観を11回まで称揚しつつ、最後にそれをひっくり返すという、大きな皮肉なのだろうかとも思ってみていましたが、たぶんそんなひねくれたものではないでしょう。


 

◆(追記)12話を見て。

 

もちろん、感動しました。

(もう、そういうやせ我慢はしないことにしています。)

 

それから、そういえば、木登りを教えてもらったりというのは、最終回で目立ってましたが、そのような、人間が動物化するという方向(動物の人間化だけではなく)は、それ以前にもありましたね。

それほど単純ではなかったみたいです。

 

 

◆「人間が動物を見る仕方」をそのまま表現しているとも言える


また、動物とお話ししたい、とか、動物の行動を人間のそれに見立てて面白がるとか、そういったことは昔からよくあることではある。だいたい私は、猫とか犬とかうさぎとか、そういう動物が可愛くて好きだけれども、たぶん勝手にそこに人間的なものを見出して可愛がっているだけだろうと思う。人間的なものを見出せなくなると、可愛くなくなり、むしろ気持ち悪くなる。虫とか爬虫類は基本的に私は苦手である。

 

動物園でも、「クマ」の檻の前で、くまさんかわいい〜と思ってぼんやり眺めていると、ある瞬間、ちょっと立ち上がったりして、あれ、クマ、さん・・・、けっこう大きいな、これにやられたらひとたまりもないな・・・、というようなことを思い出して、「キャラ化」フィルターの限界がときどき露呈することがある。と思ったら、また寝床でゴロンとしたりして、あ、やっぱりクマさんかわいい〜と、キャラ化ファンタジー気分に戻ったりする。

 

深読みすれば、動物園でのキャラ化幻想の途切れかける瞬間に、セルリアン関係の危機の場面は似ている。あれは不気味であるし、かわいくない。またあれに食われるとただの動物に戻る(らしい)。

 

こうした動物園などで動物を見るときの、キャラ化フィルターというべきものは現実にもあるが、フレンズ(化)とは、これをそのまま表現しているものと見ることもできる。

 

なんにせよ(私自身が、熱心に見ている人たちに比べるとそれほどでもないということもあり)、わからないことが多すぎて、何かはっきりとした感想を持つことも難しい状態ではあります。

 

また、12話のああいう話は、やっぱり感動してしまいます。
 

 

「ときめきポポロン」の感動:ごちうさステージ@AJ2017での体験から

「アニメジャパン2017」で、ごちうさステージを観覧してまいりました。

  

今回、私の時間の見通しがいろいろ甘かったせいで、ステージ観覧に遅れて入ってしまいました。

 

すると、いのりさんが、遅れて入ってきたチノちゃんがすごく気になるんだけど、と仰りました。(その日私はチノちゃんになってました。)

 

チノちゃーん、などと、皆さん(そらまるさん、りえしょんさん)が呼びかけてくださり、

またいのりさんは、おじいちゃんここにいるよー、とも仰りました。なんと可愛らしい。

 

ですけれどもこのときは、

遅れて入って話を中断させてしまって申し訳ない、という気持ちと、

話しかけてもらえて嬉しい、という気持ち、

だけれども急のことで気が動転してドキドキしてしまう状態、

というのとが、ごちゃごちゃに混ざり合って、

ぼんやりと、話が頭に入ってこなくなりました。

そうこうするうち、あ、もう終わってしまう、と思っていたら、

なんとここで「歌う」というサプライズがあり、また気が動転、

ポポロンパーカーが登場し、私はBDでしか見たことのないこの場面が、ついに目の前で見られるという事態が急に生じて、ちょっとしばらく現実を受け止めきれなかったのでした。

(まだ頭がぼんやりしていたせいか、自分もポポロンパーカーを着てくればよかった、という、よくわからない、関係のないことを考えたりしました。)

 

 

◆「ときめきポポロン」がついに目の前で

そらまるさんのイベント「青空ナイト」では、同曲をそらまるさん単独で歌っているのを聴けて、感激しておりました。

それは、マヤバージョン(シングルに収録)ではなくて、3人バージョンだったのでした(記憶)。つまり、メグ、チノの、合いの手というか、セリフが、音声で入っていた[ように聞こえた]のでした(例:メグの「くるくるりん♪」)。

それで何が言いたいかというと、この歌はあえて3人バージョンで、というところに、本当は3人で歌いたいという意志のようなものを、勝手ながら推測したのでした。

それで私も、いつかそれを聴ける機会があればいいなあ、と思っていたら、今回の、全く思わぬサプライズが生じたのでした。

 

あんまりネットなどの情報収集なんかをしていないのであれなんですが、これって、皆さん予測ついていたんでしょうか。私は、ラジオ、とあるし、これは歌わないという意味だろうと、結構、普通に思っていましたので、本当にサプライズでした。(昨年のきんモザ、ゆゆ式のステージでは歌はありませんでした。)

 

ともかく、BD(『Tea Party』)で感涙にむせびながら見たあの光景が、ここで!!というのは、インパクトが大きすぎました。

 

でも、ここからが戦いでした。我慢大会とはこのことだ、と。

ついさっきメイクしたばかりの状態で、泣くわけにはいかなかったのです。

まだ、化粧を直すという技術が身についていない。(まずはメイクを「する」技術を身につける方が優先だと思い、まだなのでした。私はマニュアル人間なので、「自分マニュアル」にないことに対応できないのです。)

 

崩れたら一からやらないといけない。

一からやっていたら、アニメジャパンが終わってしまう。

 

というわけで、泣くわけにいかない。

 

しかしながら、私は──また、私と同じような方もいるかと思いますが──、「ときめきポポロン」は、ほんとうに、泣かずにいられない曲なのです。悲しいからではありません。

 

アニメのEDで流れたとき、感涙を抑えきれませんでした。

あのチノちゃんが、お友達と一緒に、元気に踊っている!!・・・という感動です。

(恥ずかしいです、運動は苦手です、踊ったりしません、とかって言いそうなのに!)

この二人と仲良くなって、本当によかったね、チノちゃん、という感動があふれてしまいました。

 

ただでさえこうなのに、その上、歌詞が。

この子たちのみずみずしい世界を見る目が、とても透き通っていて、感動してしまいます。

 

そういう歌だったので、これを、チマメのポポロンパーカーで、声優さんお三方が歌っているのをBDで見たときは、この場にいられたらどんなによかったか、と思ったものでした。

 

それが、なんと今日。この大好きな歌が、なんと目の前で。

 

なんとか涙が出ずに済みましたが、なるほど、心の中でだけ泣くっていうことは、頑張ったらできるんだと、気がつきました(今度、映画館とか、電車の中でとか、そういう必要が生じたら、今回の技術を応用しよう)。・・・とはいえ、かなり頑張りました。

 

サプライズということもあって、座ってしっとりと聞くことができて、それも大変よかったです。

 

 

また、さらに「チマメマーチ」のライブがあるというサプライズが追加されました。

こちらも大変楽しみですが、果たして予定が合うのかどうか、チケットは入手できるだろうか、ということが早速気になりました。

 

 

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化粧から垣間見る世界の半分:『ハチクロ』山田さんを思い出して

化粧をする。だけれどもそれは、1日、半日、数時間で落としてしまう。

 

数時間後にはすっかり消してしまわなければならない絵を、毎日のように描く。これが、化粧をして生きるという事である。

[今日はアイラインがうまく引けた!とかって思っても、その成功を保存しておいてまた使う、という事はできない。もちろん技術としては蓄積されるかもしれないが、肌の状態やその他の条件で、最適なメイクは変わっていくだろう。いずれにしても「全く同じ」メイクは、二度と再現できない。]

 

従来、一般に女性がする事、とされてきた事柄というのは、こういう事が多いような気がする。──断っておくと、女性の役割とはこうだとか、そういう事を言いたいわけでは全くないし、そこにある様々な問題を無視したいわけではない。ただ事実として(一昔前までの事に過ぎないかもしれないが、いずれにしてもある時期まで)、女性はある一定の活動をする傾向が多かったかもしれず、その要因はいろいろあり、そこには問題があるかもしれないが、ともかく事実としてはそうだったかもしれない、そしてそれに対応して、ある種の生き方や人生観、または文化のようなものが生み出されてきたのではないか、ということを言いたいだけである。

 

母親がよく言っていた言葉を思い出す。洗っても洗っても、また汚いお皿が増える。やってもまた元に戻る事の繰り返しだ。──家事というのは、確かにそういう営みだ。料理というのも、そのようなところがある。食べたらあっという間に消えてしまう。もちろんだからと言って、無意味ではない。すぐ消えてしまうはかないものだが、無意味ではないものが、この世にはたくさんある。

 

なんというか、そういうことに多く従事するという事は、人生観や生き方、あるいは文化のようなものに、大きな影響を与えるだろうと思う。一つ一つ崩れないレンガのようなものを積み上げていって、何か巨大な「体系」=「大伽藍」のようなものを構築しようとする、それを生涯の仕事にする、というような生き方とは全く違う人生観、文化が、そこにはあるだろうと思う。どちらの生き方が優れているとかいないとかを言いたいわけではない。むしろ、どちらかといえば、「大伽藍」方式の生き方で見落とされてきた大切なものも多いんじゃないかと思う。

 

 

ハチクロ』の「山田さん」の事を思い出す。

みんなで花火に行くという事で、山田さんという女の子は、友達(はぐちゃん)と、親戚のおばさんのところに浴衣を借りに行く。こういう柄がいいんじゃないかとか、こういう着方をしたほうがいいとか、こんな髪型にしようとか、何時間もかけて、あれこれ悩んで、考えて、工夫して、浴衣を着る。そしてようやく夕方になって、仲間たちと、花火大会に行く。

そこへ、真山という男が、仕事か何かで、少し遅れて、花火大会にやってくる。山田さんは、真山の事が好きで、それは片思いである。到着した真山は、山田さんを見て、ほんの一言、こういう。「山田 ユカタ似合うな」と。──真山としては、どれくらい深い意味でこう言っているかわからない。軽い挨拶のようなことで言っているだけかもしれない。山田さんの気持ちを知っているから、気を遣って言っているのかもしれないし、恋愛感情ではなく山田さんの事は大切だと別の場面で彼は言っているので、そういう気持ちの表現かもしれない。どういう心理がそこにあるのかわからないが、ともかく、一言、到着後の挨拶のように、真山はそう言う。そして、山田さんの浴衣について、真山はそれ以上、特に何も話さない。花火を見上げているばかりである。

 

そして山田さんは、心の中で、こう言う。

 

「そのたったひと言がききたくて/ 髪を結って キモノを選んで 大さわぎして着付けして 慣れない下駄を履いて ………」

羽海野チカハチミツとクローバー』4巻, 集英社, 2003, 74頁.)

 

浴衣を選んで、あれこれ悩んで、髪型を考えて・・・、あれもこれも、すべて、この一言のため、たったこの一言のためなんだ、と。

 

 

ここから読み取れることがある。(この作品自体の趣旨、意図とは少し外れるかもしれないが。)

 

真山は、山田さんが、あれこれ悩んで、着付けをしてもらって、(直接見えない)下着はこういうのにしたほうがいいとか、そういう細かい工夫、努力、思案の事を、ほぼ何も知らない。知る事はない。そして、今後もおそらく永久に知らないままだろう。

 

もちろん真山だって、何も知らないわけじゃないだろうが、どういう詳細な努力があったかは、やはり知らないままである。

 

とはいえ、もちろん、山田さんも、真山に、こういう努力の詳細を知ってほしいわけじゃない。むしろ逆に、知って欲しくないだろう。あたかもナチュラルに、そこに、その可愛い姿で、初めから存在していたかのように、見てほしいだろうと思う。

 

ただ、ここに決定的なズレがある。男と女との間にあるズレ、大げさに言えば、世界の半分がすっぽり見えていないというような事態が、ここにある。

 

 

ごちうさ寝そべりぬいぐるみ

ごちうさ寝そべりぬいぐるみ。

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かわいいです。

結局、ぜんぶ揃ってしまいました。

 

いろいろ遊べます、楽しいです。

 

けっこうよくできてます。

ごちうさグッズならなんでもというようなひいき目もあるかもしれませんが、それにしても)

 

 

シャロちゃんだけ、ちょっと違和感があるかな。おかっぱ風になってしまっている。

くせっ毛の表現が難しかったのでしょう。 

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ポポロンパーカー高校生組の構図。

リゼが押しつぶされそうになってます。 

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三姉妹。ジャケット絵でもこういう組み合わせがありました。

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モカさん「この子たちも、私へのプレゼントかな?」

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モカさんにもふもふされるリゼ。「や、やめろ~~」

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ココアさんの髪飾り、花びらが半分なのが正式なのではないかとも思いますけど、いいんです。メグメグまるのリボンも、本当はシュシュではないだろうか、とも思うけど、そういう細かいところはいいのです。(今日はちょっと違うおしゃれをしているのです。)

  

よいです、かわいいです。

テレビの横とか、そんなようなところに、コロコロと積み重ねておいておきたいですね。

 

 

 

小さい「ことり」の良さ

私は去年から『ラブライブ!』シリーズを楽しみ始めたので、未だにいろいろなことが新鮮です。

最近は、「小さいことり」を集めることが趣味になっています。 

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ねんどろいどぷち」とかのやつですね。中古グッズ店などで、比較的安価に手に入ります。見つけたとき、買っています。(こういうものはマーケットプレイスは高い傾向がある。)

 

 

 

 

「小さいことり」の、かわいいこと。

 

もちろん、ただでさえことりちゃんはかわいいです。

普通のサイズのフィギュアも、素晴らしいです。少し小さくなって、「ねんどろいど」もやっぱり素晴らしいです。

 

ただ、ホコリとかが気になって、やはりケースの中に入れてしまいます。

そこで、もうちょっと身近にことりを・・・と考えて、これらのものに手を出すことになりました。

 

そしたら、これが、本当に良いのでした。

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小さくなって、ことりちゃんの可愛さが凝縮されている感じなんでしょうかね。可愛さの濃度というか、密度というか、それがすごい。

これ、本当にいいですよ。 

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ねんどろいどぷち」シリーズは、小さいのによくできているなあ、と元々、(ほかの作品のものなどでも)感心していましたが、とりわけ「ことり」のこれは、特にいいのではないかと思います。

 

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もともと割とスラリとしたことりがこうやって小さくなることで、

可愛さが凝縮されて、まさに「ことり」っていう感じがして、「手乗り感」が出るというか。

 

 

 

 

チノ(バニー衣装)フィギュア

バニー衣装チノのフィギュアが、先日届きました。

  

開けてみると、なんという偶然。たまたま別で注文していたコーヒー豆と一緒にやってきたではないか。

他の食品と同梱だとナンですが、コーヒーの香りならむしろ大歓迎です。 

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 バニー衣装でなくてもいい、とは思ったけれども、今のところ、ココア・チノでセットで飾れるちゃんとしたフィギュアがこれしかないのです。

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 ラビットハウス制服のものがあれば一番いいんだけど、意外とない(チノのプライズ品だけ)。ロングスカートであったり、何というか、いかにも「美少女フィギュア」という感じのメリハリ、お色気要素が足りないからでしょうか。何れにしても、本当はそれが欲しいです。

 

 ココアのラビットハウス版が出るとか出ないとかという情報を聞きましたので、楽しみです。

 

 とは言え、ともかくこのフィギュアは、やはり可愛いです。特にお顔が可愛い。表情が、イメージにかなりぴったりくる。これは従来のものと比べても、特にいい気がする。既にチノちゃんのフィギュアは幾つかありますが、表情が難しいのだろうな、と感じておりました。無表情だからと言って、仏頂面になってはならず、というあたりが。このフィギュアは、特に表情・お顔が、チノちゃんをそのまま立体化した感じがする。

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 ココアさんと並べられる時が楽しみです。(ココアさん用に、飾る場所のスペースをすでに空けてあります。)