ロマン主義アニメ研究会

アニメに関する考察・・・というより、アニメ等を契機に私が思考した事柄、随想的なものを載せています。またここは評論・随想サークル「ロマン主義アニメ研究会」のHPでもあり、たまに告知等も載せます。

あじみちゃんに見るプリパラの偉大さ──他者とトモダチ

 今日は黄木あじみちゃんのお誕生日だということなので(いま、ふと書きたいことがでてきましたので)、あじみちゃんについて。

 また、あじみちゃんにその栄光が如実に現れているところの、プリパラの「偉大さ」について。*1

 

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安易に流されないアイドルたち :みかんの例

  例えば、みかん。割とシリアスな場面でも、みかんは相変わらず食べ物のこと(あと、あろまのこと)しか言っていなかったり、ムシャムシャと肉まんを食べ続けていたりするのがいいですよね。徹底している。そういう安易な方向に流されない。みかんはあくまでもみかん。簡単に、ありがちな方向に流されない。

 

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アイドル終了ぷり、で、深刻な場面。みかんはひたすら食い続けている。このむしゃむしゃ音は、もう犬とかそういう可愛さ。

 

 

そして、あじみちゃん

 あじみちゃんもそう。

 ああいう「ぶっ飛びキャラ」と総称されるようなキャラクターは、しかし大抵の場合、たいしてぶっ飛んでいなくて、割と安易に、「実は周りをよく見ている」「実はまともな人で、わかった上でそうしている」とかっていうような、「実は~」みたいなのが、割と簡単に出てきたりしてしまって、はっきり言うと私はそうなってきた途端に、スッと興味が減退するタイプの人なのですけれども、あじみちゃんはスゴイ。というか、プリパラは本当に偉大である。

 

 そういううんざりするような、中小企業の事業所とかの人望厚いおもしろ課長さんみたいな──ああ嫌だ、今ちょっと言及するだけでうんざりだ、そういうつまらない・つまらなすぎる、常識的な、表面的なぶっ飛びキャラ(ちょっと変わって見えるけど、実は周りをよく見ている・・・みたいなね、なんだよ、「周りを見てる」って、キョロキョロすんな!!)、なんかじゃ、全然ない!!のです。

 

 あじみ先生は、そういう安易なつまらない、「世間」の「平均的日常性」に回収されないのです。だから「芸術家」なのです(にわかにハイデガーっぽくなってきた)。・・・個性的、個性的、って言うけど、その程度の丸く収まるような「個性」なんかじゃないのです。

 

 そして、だからプリパラは偉大なのです!そういうあじみちゃんが、当然のように存在している世界がプリパラなのです。プリパラの「偉大さ」は、こういうところに如実に現れている。

 

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このスーツケースの運び方。いつでも絵を描けるように、でしょうかね。

 

「くるくるちゃん」とのエピソード(シーズン2・第45話)

 あじみちゃんは登場の時点から、様々に「逸脱」し続けてきましたが、特に決定的だったのは、やっぱり「くるくるちゃん」とのエピソード。すでにフルーツ泥棒&フルーツ語尾がヤバイのですが(その時点で既にプリパラタウン内の服みたいのを着ている)、あれは、つまらない平均的日常性に則れば、ひびきとお友達になって、ひびきが元気付けられました、というような流れになるところですよ。違う。そんなくだらない展開にはならない。ひびきは徹底してシャットアウトしつづけて、結局ヨーロッパラに旅立つ最後の最後まで、シャットアウトし続けました。そしてあじみちゃんはあじみちゃんで、一切それに、一瞬たりとも動揺することなく、くるくるちゃんとお友達になりたいダヴィンチ~と言い続け、異常な執拗さで追いかけ続けました。──素晴らしい!!と思いました。

 

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 「友達恐怖症」に陥ったひびきを少しでも助けようとして、あじみちゃんはくるくるちゃん、くるくるちゃん~~~と駆け寄っているのですけれども、その意図が全く成就していないどころか、むしろ逆に、ひびきの「友達恐怖症」を加速させているのです(そしてあじみはそのことに気づかず、また一切無頓着)。語尾嫌い、友達恐怖症、というひびきが現在苛まれている一種の精神的な問題の原因は、実はかなりの部分、あじみちゃんが作っていたのです。さすがにこれには、ほかのメインキャラ達もドン引きというか、え~~!!と、総ツッコミを入れていました。

 

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心優しいレオナちゃんも、「や、やりすぎ…」とこんな表情に。

 

 常識に支配されたカボチャ頭なら、あの話は、ひびきとあじみの幼少期の心温まるエピソードになるに違いない、と考えてしまいます。そういう安易な発想に、強烈なパンチをお見舞いするのがプリパラなのです。

 あじみちゃんの一方的な「意図」は、全く成就しておらず、むしろ逆の作用を及ぼし続けている。そしてあじみちゃんは一切そのことに気づいていないままであり、しかも、最後の最後までそのままである(少なくともシーズン2までの段階)。

 安易に和解したり、融合したりしない。このズレは放置されたままである。放置されたまま大団円を迎え、「み~んなトモダチ!」と総括される。

 

差異のポリティクス

 他者が他者として存在し続ける世界。プリパラの「み~んな友達」、というのは、こういう次元でのものなのではないか、と思わされます。差異を持った者どうしの友愛。一つのものに同化して、溶け合ってしまうような、全体主義的な「友達の友達の有機体」ではないのです。

 

 だから、プリパラは偉大なのです。

 

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 はい、改めて、あじみ先生、お誕生日おめでとう!

 

 

*1:<注:私は今『プリパラ』アニメシーズン2までを見ており、その内容に基づいている。その内容については、ネタバレが含まれる。また、ゲームのことはまだ詳しくない。>

『Aチャンネル』のなかの「故郷」──本筋と関係ない感想、けど作品と関係ある感想、BDボックスを観て

Aチャンネル。

BDボックスが出ました。

 

きららフェスタで宣伝を見てから予約して、この間届きました。やっと見ることができました。(あれは宣伝効果があるよね、ということを証明する一事例。)

 

う~む、やっぱりいい。

なんとなく直感的に、自分は今、これを、高画質で、じっくり見直したい気分に違いないという気がして購入したけど、やっぱりそうしてよかった。

 

これは原作はほとんど読んだことが、未だにないのです。

まれに『キャラット』を買うとき、掲載分を読む程度。

 

原作のカラーイラストが綺麗なようなので、原作と画集もそのうちゆっくり楽しみたいとは思っています。

 

(カラー絵のトオルを見たとき、これは確かに可愛いなと思った。何というか、名前からしても雰囲気からしても少年風だが、しかし女の子であるという子が、黒いニーハイソックスを履いている絵は、何とも言えない倒錯的な魅力があった。一種の少年愛的趣味の感情に近いが、しかしまだ少年愛的趣味そのものを直球で楽しめるほどのプロ・上級者でないというような人(私も含め)が、うっとりと眺めるのにちょうどよいと感じた。)

 

しかし、とにかくこのアニメは、アニメとして、本当にいい。

静かに、落ち着いた雰囲気の中、日常がゆっくり進む。ちょっと地味だけれども、やっぱりこういうのが「日常系」のよさでもあるよなあ、としみじみと感じた。

 

全然違うのだけど、

のんのんびより』なんかも確かに、静かに、落ち着いて進むお話なのですけれども、一方で、いわゆる田舎を故郷としない人にとっては、田舎という異世界を覗き見てまわる、ちょっとした小旅行のような気持ちで楽しむ部分がある。

 

なるほど確かに、親しんだことがないのに懐かしく感じるものというのは、時々あって、そういう側面もなくはない。だけれども、やっぱり、こういう典型的な「ふるさとの風景」は、人によっては、全然、その人の「故郷の風景」とは違っていたりして、心からくつろげる故郷の風景というよりも、やはり異世界アドベンチャー的な感覚で見る側面が大きい。

 

完全に個人的な話になるけれども(そもそも個人的な話以外を書くつもりもなければ、書くこともできないけど)、

 

もう、この作品(『Aチャンネル』アニメ)を見ていると、この作品で描かれている場所の空気とか、ちょっと雨上がりの湿った感じとか、落ち葉の散らかっている道路とか、そういうときに遠くの方で少し聞こえるバス通りの音とか(、ファーストフード店から出た直後の夕方の空気のシーンとした感じとか)、そういうもののすべてが、わーっと、伝わってくる。効果音として取り入れられていなくてもいても、勝手に聞こえてくる。

 

要するに、あんまりアニメの本筋と関係ないのですけど(といって何か大きな本筋などないのが日常系だと思いますけど)、こういう背景、空気、湿度のようなものが、本当に心に響いて、じわっとしみこんできて、気がついたらその世界の中に取り込まれて居る。そして、なにか居心地のいい、落ち着ける居場所で、くつろいでいる気持ちになる。要するに、故郷、ふるさと、ということなのだろうと思います。ホーム、と言ってもいい。そういう居心地のよさ、心地よさがある。

 

「故郷」の居心地のよさ。

 

つまりは、あのアニメの背景となっている町は、私の故郷によく似ているのですよ。よく見慣れた景色なのです。どうやら国立に取材しているようですが(アニメの背景はとても綺麗です)、もちろん国立は何度も行ったことがありますが、私の故郷と言うべき場所は、国立ではありません。けれども、国立にも比較的近い場所、東京の西側の(といって「西」すぎない)、密集した住宅街のような場所の、あの独特の居心地のよさです。

 

高級住宅街というほどでもないが、それほど殺伐としているわけでもない。住宅は割と密集しているが、ごちゃごちゃした感じでもなく、古くからある森、というより雑木林のようなものが、所々にあって、雨上がりなどには、湿った木の匂い?というようなものが、自然と漂ってくる。秋頃なら、キンモクセイの香りが、どこからともなく漂ってきたりもします。そんなに人通りがあるわけではないが、決して寂しくも感じない。基本的に静かだけれども、たまに遠くで犬が吠えているのが聞こえたり、バス通りの車の音が、遠くで少し聞こえたりする。

 

いわゆるニュータウンではない。道路は曲がりくねっていたりする。歩行者専用の細い散歩道のようなものが所々にあったりする。たまにマンションもあるが、そんなに高層ではない。一昔前の流行なのか、オレンジとか濃紺色のタイル張りの外壁の、古めのマンションがあったりする。

 

朝にはハトの独特の鳴き声が聞こえる。カラスも最近増えた。スズメは減った気がする。猫も多い(定位置なのか、餌が盛ってあることがある)。年寄りの自転車が、下り坂のブレーキで金切り声をあげている。道路にケンケンパのチョークの跡があったりする。赤色部分だけ日焼けして読めない、電話回線の権利売買の看板がある。

 

・・・これらは少し前のことだから、今でもそうとは限らないけど、そんなに大きくも変わってない気がする。

 

 

で、これらのすべてが、このアニメに登場するかどうかは、確認したわけではない。ただ、こういうもののすべてが、このアニメを見ている私のなかで一挙に想起され、押し寄せてきた、そしてその中で心地よくくつろぐことができた、という体験について記しているのです。

 

 

ストーリーとかに全然言及していないじゃないか、という感じがするかもしれないけど、それこそが今回記しておきたいことなのです。

 

今回、ブルーレイで買い、家に曲がりなりにも設置しているプロジェクターとスクリーンとで見たので、なかなかの大画面で見た。

 

だいたい、劇場公開用ではなくて、テレビ用に作られた作品を、こういう大画面で見ると、たいていの場合、不釣り合いな感じになる。大画面だからといって見やすいわけじゃなくて、むしろ見づらくなる。テレビ用の作品は、本来やはりテレビサイズで見るべきなのだろうと思う。

 

けれども他方で、テレビ用の作品をあえて不釣り合いな大画面で見ることの、特殊な体験の良さというのもある。つまり、見づらさそのものによる効果だ。大画面で見てしまうと、文字通り距離を置いて、ストーリーを抽象化して、筋を追いかけることが困難になり、作品の世界そのものの中に巻き込まれていってしまう。しかし、そもそも作品の中の人たち(登場人物たち)は、「筋」など分からないまま、先の展開の分からない日常を送っているわけだから、実はこういう見方は、作品に没入するにはいい見方である。そして、作品の「筋」よりも、背景の美しさとか、音楽や効果音の響きなどに、自然と注意が向かうことになる。実際の日常生活でも、相手の話を聞いているフリをしながら、そういう話の「筋」なんかよりも、案外、そのとき向こうの方で聞こえていた騒音とか、空気の湿度とか、かすかに流れていた音楽とかの方が、記憶に残っていたりするものだ。

 

 

エンディングも、映像・音楽ともにとてもいいですし(るんとトオルが帰り道が分岐する最後のところで、ハイタッチをして「バイバイ」と言い合う場面で終わる。アニメもここで終わりか、という少し寂しい気持ちとリンクする。また、日常には終わりがある、ということの予感も感じさせる。オープニングがMorning Archという曲で、まさに、一日の始まりと終わりに挟まれた日常を描いている)、

 

また、この作品は劇中の「挿入歌」というのが特徴的なのですけれども、それもいい。

 

そういう音楽も、ポップすぎず、キャッチーすぎず、穏やかで、さわやか。

 

こういうのをまさに日常系というべきなのかなあ、という気がしてきます。少し地味で、静かですけれども、何回でも繰り返し見たくなるような、綺麗な作品です。

 

 

 

 

 

海?外のセカイ?なんか焦る!──『ごちうさ』劇場上映チケットのイラスト&『MAX』2017年12月号掲載分・特典クリアファイル

 近頃、『ごちうさ』劇場上映スペシャルエピソードの、前売り券関連のイラストと、最新号『MAX』2017年12月号掲載のエピソード、そしてそれの付録のクリアファイル、などを眺めていて、思ったこと。

 

◆『ごちうさ』劇場上映スペシャルエピソードの、前売り券関連のイラスト

 いくつもチケットをすでに持っている。しかも、使ったらもぎ取られてしまうから使うのが惜しい、などと考え始めている。

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 つい最近、「ムビチケカード」なるものも手に入れました。この券面デザイン、そして特典のクリアファイルのイラストに、大変心惹かれたからです。

 

 

◆海のある街

 「ムビチケカード」の第2弾の、券面および特典クリアファイルのイラストです。

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 いい絵です。

 

 アニメ絵ではなくて、Koi先生画による映画ビジュアル、ということでしょうか。そういうものは、これが初なのではなかろうか(このイラストは、『MAX』最新号にも掲載されています)。

 このモカさんの遠くを見る感じとか、人物の配置とか、いかにも昔ながらの映画ポスターという感じがして(恐らくそういう雰囲気を狙っていて)、とてもいいですね。気分が盛り上がります。

 

 このチノちゃんの手の中で光ってシルエットになっているのが、マジシャンうさぎですね。魔法少女チノというより、魔法少女ココア。

 

 そして、遠くに「入り江」のようなものが描かれています。『ごちうさ』の世界で「海」というものが明確に描かれるのは珍しいことに思います。

 あんまりそういうイメージがないですが、ココアの実家の街は、海辺の町なのですね。コミックス5巻を見てみると、スクーター2人乗りの場面で、向こうに海が見えます。2人で朝食のサンドイッチをもぐもぐしている場面は、海を見ながら食べているのかもしれません(明確には描かれていない)。

 しかし、これらにおいて「海」の描写は、かなりさりげないです。

 少なくとも、『ごちうさ』の原作カラーイラストとして「海」というものが描かれるのは珍しい気がする。(コラボとかのアニメ絵では何かあった気がします。また原作絵でも、「海中都市」のイメージのイラスト[コミックス2巻扉絵・・・フィギュアにもなったチノちゃんのイラストです]とか、ココアとチノが海に潜って向かい合うイラストなどもありました。ああいったもしも設定なイラスト以外では、珍しい気がします。・・・ごちうさの原作カラーイラストは、そういう「もしも設定のイラスト」が多くていつも素敵なのですが。)

 

ごちうさ」、『きららMAX』2017年12月号

 それで、この「海」というものからの連想で、今度の劇場公開スペシャルエピソードは、既存の原作をベースにしているはずだと思っていたのだけれども、連載の最先端の部分とも、なんとなく緩やかにつながりがあるものになるのではないか、というようにも思えてくる。

 もしかして、今度の劇場公開エピソードは、単に既出の原作エピソードをつなげたという以上のものになるのかもしれない。

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 以下、最新号『きららMAX』2017年12月号掲載エピソードについて、少し見ていきます(まだ読んでいない人は注意したほうがいいかもしれません)。

 

・リゼの4コマ

 リゼが、海に行きたい、チノもボトルシップをよく作ってるじゃないか、と言う。確かに『ごちうさ』では「海」の絵が少ないと言ったけれども、チノは海に浮かぶ船を瓶の中に閉じ込めたボトルシップを作っていますね。

 ボトルシップの趣味がこんなふうにつながってくるとは思わなかったです。今回のテーマからすると、瓶の中から外へと船が出て行くということになるでしょう。ボトルは木ぐみの街で、その「外の世界」にチノたちは行こうとしている。

 かつて、ココアがボトルシップを川に浮かべて遊ぼうと言い出したのは、トンチンカンであると同時に、意味があったんですね。確かにあの日チノちゃんは、部屋の「外のセカイ」に、出て行きましたよね。今度はさらに、街の「外のセカイ」に、出て行こうとしているわけです。

 

 そういえば、「アクリルプレート付き前売り券」のアクリルプレートのイラストも、海賊風の衣装です。海賊風・マリン風の衣装は、従来からもしばしば見られましたけれども、「海」とか「外のセカイ」への航海、といったテーマとのつながりも考えられます。

 

 しかし、劇場公開スペシャルエピソードは、基本的には既存の原作をベースにしているはずだと思っていたので、こうして連載の最先端の部分ともつながりがあるようにも思えてくると、この辺りがどうなっているのか気になります。早く観たいものです。

  

・シャロの4コマ

  シャロちゃんの立ち読みしてる本『世界のカフェ』にも、「世界がカフェになっちゃった」と帯に書いてあります。

 細かいですけれども、ここでも、劇場公開作品と、連載の最先端の部分とが、繋がっています。(ただ、このような、原作の雑誌掲載時にその時々のごちうさ関連の最新の動きが少し反映されるということは、以前からありました。)

 

・メグの4コマ

 ここのメグは可愛いです。めぐ。 いろいろなことが変わっても、メグのこういうところは変わらないでいて欲しいですね。

 この、メグ・チノの、2人とも割とぼんやりしているけど(というか、2人でお話しているとそれが加速する)、たまにチノの方がちょっとだけ気がついていることが多くて、メグに柔らかくツッコミを入れる、というようなやりとりが大好きです。

 

・終盤

 なんだかドキドキする展開です。

 世界、セカイ・・・。「外のセカイ」という言い方も気になる。

 

 だいたい、ごちうさの世界観というのは、木組みの街以外はけっこう謎なんですよ。ちゃんと描かれているのは、ココア実家、キャンプに行った場所、くらいでしょうか。ココアの父と兄たちは「都会」にいるらしいので、「都会」という場所はあるらしい。(シャロちゃんの親御さんの「出稼ぎ」先もそこなのだろうか。)

 そして「木組みの街」は、「街」ではあっても、まだ「都会」じゃないということですね。地方都市という感じか。

 

◆最近の「ごちうさ」のドキドキ感と少し焦る気持ち

 それにしても、どこに「旅行」に行くんでしょう。ワクワクすると同時に、何か焦るような、少し不安なような気持ちにもなる。このお話が今後どうなってしまうのか。木組みの街の日常がどうなってしまうのか。

 つまり、もう私(たち)は「ごちうさ」の木組みの街の日常に慣れすぎて、愛着を持ちすぎていて、これが変化するのが少し怖いという気持ちになってしまっている。──最近のごちうさ連載エピソードは、本当に、そういう意味でもいつもドキドキしながら読んでいる。

 

 でも、チノちゃんはそれを乗り越えつつあるのだから、一緒についていかなければいけない。

 

 ココアの実家に行くのかなあ。(アニメ版では、ココアが「いつか連れて行ってあげる」と誘っていました。──2期11羽アバン)

 それとも全然違う場所? ・・・やはり海の見える場所かもしれません。「海の向こう」かもしれない。

 

 もっと先のことを考えるなら、チノちゃんは、いつか木組みの街を出て行くのかなあ。で、しばらくして戻ってきてから喫茶店を継ぐ、ということになるのかもしれない(「離れてこそ故郷の良さがわかる」というようなことをココアが言っていたように)。

 

 

◆(ついでに)特典クリアファイル

今回の『MAX』特典クリアファイル。美しい。

1年前の11月号~12月号の扉絵ですね。

 

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しかしこうして改めて見てみると、マヤが最近やけに色っぽいですよね・・・。

 

こんなにちっこくてあどけなくて、フサフサのお耳をつけていて可愛いのに、どこか色っぽくて・・・この気持ち、行き場がなくて胸が苦しい。

なんか、Koi先生原作イラストは、いつもこんな気持ちにさせられる。魔力のようなものを持っています。

 

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私をまっとうな道に連れ戻してくれるかもしれない爽やかさ:『NEW GAME!!』(2期)感想

 

◆爽やかさ

 

 大変よかった。とても前向きで爽やかな作品。──「さわやか」という表現が、本当にぴったり。

 

 確かに「萌え4コマ」原作ですから、フェチ的欲求を所々で満たしてくれるようにはもちろん作られているけれども(第1話の会社で起き抜けの八神さんのシーンは、しつこく股間アニメだった)、しかしきちんと見ていくうちに、そういう脂ぎったネチネチしたいやらしい目線や欲求などが、(しゃぶしゃぶのように)さっぱりと落ちていって、いつの間にやら、とても清々しい、爽やかな、非常に前向きな気持ちになっている。

 

 「涼風青葉」という名前そのもの。

 

 なんか、うまく誘導されたな、まっとうな道に連れ戻してもらったな、というように感じて、そのことについてこの作品に感謝すらしたくなる。 

 

 これは、本当に素晴らしい作品なのではなかろうか。この爽やかさ、前向きさ加減においては傑作と言えるのでは。それも全く押し付けがましくない、教訓くさくない、こんなにもナチュラルなやり方で、これほど前向きな気持ちにさせてくれる作品は滅多にない。

 

 全体を通じてとても軽やか、爽やかで、おしゃれに作られている。(エンディングも爽やかでとてもおしゃれ。2パターンありましたが、2つ目が特におしゃれ感あり。そういえば、劇伴音楽もさりげなくおしゃれ、と思っていたら、『けいおん!』の人だったんですね。サントラを聴いてみたいです。)

 

 

◆真剣さ、ある種の職業倫理

 

 「お別れ」が描かれているのだけれども、JKもののそれとは違う良さがあった。

 

 卒業したら・・・という感動要素は、『けいおん!』などがすぐに思い浮かぶように時々取り入れられるけれども、本作品のような「別れ」というのは、そういうのとも違って、さわやか。

 

 なんというか、「卒業」というものの哀しさというのは、実は、ある意味で、ちょっと誇大妄想というか、後から振り返ってよく考えてみればそんなに悲しむことでもなかったのではないかというような、そういうところがある。子供の楽園、子供としての最後の時間が終わってしまう、というようなことを、いまだ子どものままの状態で想像して、感傷に浸る、という側面がある。

 

 そして、JKものの日常系作品は、一方で、そういう失われた子供の時の感受性を思い出させてくれて、「そうそう、これくらいの年齢の時は、それが大変なことに思えるのだよね」というように、懐かしみつつ、可愛がりつつ、味わう、というようなスタイルになりがちで、それはそれで、とても良いものだ。もう大人になってしまった自分が巻き込まれている、この現実の諸々の面倒臭い事どもからほんのひととき離れ、そういうファンタジーに浸るというのは心地よく、必要なのことだろうと思う。

 

 しかしながら『NEW GAME!!』は、ちょっと違う。そういう子どもらしい過剰な感受性による、ぐーっと胸が苦しくなるような、青臭い別れの悲しみの表現はない。独立した立派な大人どうしの関係であって、プロの職業人どうしの関係という感じがする。

 

 八神さん・りんさんの関係、しばしのお別れに関するエピソードも、もちろん感動的で、ある程度の落ち着いた大人どうしのこういう百合関係というのもとてもいいものだなあ、と、心動かされるものがあったけれども、

やはりとりわけ重要なのは、青葉・八神の関係であろう。1期でも、特に最終話はこのような二人の関係が見られて大変良かったが、今回もまた最終回でのこの二人の関係がとても良かった。

 

──なんというか、浮ついた「関係」に関する、ちょっと脂ぎったような妄想が静かになって、もっと真剣な、ある種の職業倫理に基づく人間関係とでも言うべきものが、この作品の基礎にあると感じさせられた。・・・そういう真剣さが、中盤、ちょっと面倒だと感じることもなくにはなかったのだけれども、最後まで見ていて、こういうのはやっぱりいいものだと思わざるをえなかった。

 

 

◆うまいこと導かれたなあ

 

 ああ、私はこういう立派でまともな人たち、前向きな職業人の世界、切磋琢磨しあう独立した人間たちの爽やかな関係といったようなものが、嫌いだ嫌いだ、といつも口先では言っていながら、一方で、この作品のように、こういうものをストレートに、爽やかに、押し付けがましくなく、ステキに見せつけられると、あきれるほど素直に、どうしようもなく感動してしまう。

 

 本当に私という人間は、一方ではいつもアウトローなへそ曲がりを気取っていながら、他方では完全にとてつもなくチョロいところがあって、こんな最終回を見せつけられたら、「プロとして前向きに仕事に打ち込むっていいなあ、素敵だなあ」、などとすぐ思ってしまう。

 

 そんなわけだから、今日はちょっと早めに寝て、本来やりたかったはずの今の自分の仕事に、明日はもう少し改めて真面目に取り組んでみよう、というような気になる。──う〜ん、本来こういう感想を言う人のことが苦手なはずなのに、どういうわけか自分自身がこんな事を素直に思ってしまっている。自分でも気持ちが悪いが、そうなってしまった。

 

 本当に、この作品にはうまいこと導かれてしまったなあ、という気がする。

イヤダイヤダ、まだまだ連れ戻されたくないよ〜、ふわふわしてたいよ〜、って人は、だから注意して観たほうがいいかもしれませんね。チョロさに自信アリの人は、あっという間に導かれてしまうだろう。)

 

 

リゼ曲の魅力:本気のグーパンが気持ち良いときもある(?)

 

チマメ大好き人間の私ですが、今回は、リゼ曲(キャラソン等。天々座理世、種田梨沙さんの歌う)の良さをお話ししたいと思います。いつも助けられているからです。

 

ちょっと元気のないときとかにリゼの曲を聴くと、本当に元気が出る。

 

リゼの、芯があって力強くてカッコよくて、しかも可愛い歌声は、カツを入れてもらいつつ癒されるという、肉体疲労時の栄養補給にもってこいの成分で満ち溢れています。

 

だから、ちょっと疲れたときなんかは、身体が自然とリゼ曲を欲しているのがわかる。というか、そういうときになると、いつのまにか頭の中でリゼ曲が流れてきて、自然と口ずさんでいたりするので、あ、自分で歌うくらいならちゃんと聴こう、と思ってパソコンとかiPadで再生する、ということが多い。 

 

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ごちうさ』のキャラクターの中で最も好きで感情移入しているのは何と言ってもチノちゃんで、さらにマヤメグもやっぱり大好きで愛している。だから当然この子たちの歌も大好きで、よく聴くし、聴いているとそのあまりの可愛さに悶え苦しむことがしばしばある。・・・しかし、悶え苦しむというのはけっこう体力を消耗するような気がするので、肉体疲労時には必ずしもチマメの曲を聴くとは限らない。

 

喩えるなら、

元気な子供達と遊ぶのは楽しくて大好きなのだけれども、ちょっとお兄ちゃん今疲れてるから後で遊ぼうね〜、と言いたい時もある、という感じだろうか。

 

ちなみに、私の肉体疲労時に脳内自動再生されがちなのは、「ミカヅキドロップ」とかが多い。あとは「Love & Gun」とか「Dear Me:」。

(・「冷静とモフモフの国境線」は、どっちかっていうと聴いているとリゼの可愛さに悶え苦しむ系なので体力を奪う系の曲。「ヤメ、ヤメ、ヤメロ!!」 ──BD特典のこの曲をiPhoneに入れて、さ〜て、早速聞きますか〜とわくわくしながら初めて聴いたのが混雑した電車の中で、ニヤニヤが止まらず、本当に困ってしまった記憶がある。最初は家で聴けばよかったよ〜、と後悔した。ずっと下を向きながら聴いていました。)

 

・「ミカヅキドロップ」は、とにかくカッコいい。月夜に銃を構えるリゼ、というイメージが浮かぶ*1

・「Love&Gun」は、「もしや、何かおかしいか? あくまでも普通の女の子だぞ!」の所が、しばしば頭の中で流れる。「〜だからな、〜してくれ」という男っぽい話し方で語りかけてくれるような感じの歌詞が、力強くて頼もしくて、しかも可愛くて癒される。

・「Dear Me:」は、古き良きJ−POPという感じのサビメロディがいい。歌詞は内省的だけど、あくまでも毅然とした歌い方で、全体としてはリゼの芯の強さと可愛らしさとが綺麗に調和している。

 

あと、共通曲のリゼ Ver. というのもいい(「Daydream café」、「ノーポイッ!」、「WELCOME【う・さ!】」)。

他キャラのVer.と比較して聴くことになるので、際立ってリゼらしい(カッコいい)歌声を堪能できる。

特に「Daydream café 〜ご注文はリゼですか? ver.〜」は、あのふんわりぴょんぴょんした可愛い歌詞を、リゼらしくハキハキ・朗々と歌うのでとてもステキです。「ふわふわどきどき」のあたりとか。

 

(リゼ関与曲で言えば、ココアとの曲、振り回され隊の曲があるが、特にリゼ・シャロデュエット曲「Eを探す日常」は、可愛さに悶え苦しむ系の曲。二人の掛け合いみたいな部分はとりわけ体力を奪われるので注意。「なんだろう?」「なんでしょう?」とか。)

 

また少し変化球として、シャロの「麗しのShooting star」。

シャロがリゼを想って歌う曲で、シャロと一緒に、美しくカッコいいリゼ先輩に思いを馳せることができる。リゼ曲を連続して聴くときなんかに途中でこの曲を挟むと、とてもいい塩梅です。「なにをしても優しすぎ そのうえカッコいいの」

 

以上、チマメ大好き人間の私ですが、「華やかで」、優しくてカッコいいリゼ先輩の歌声は、ちょっと弱っているときなんかに本当にうってつけですので、ぜび皆様にお勧めいたします。

 

(他にもソロ曲「夢見るアプレミディ」、「鏡合わせのアンビバレット」がある。これらは(特に前者は)「ロゼ曲」とでも呼ぶべき系譜に位置付けられるだろう。これらにおいては特にたおやかな彼女の様子がみられる。)

 

◆甘えるのとは違う

それにしても、どうしてこんなにリゼ曲には元気付けられるのだろう。

頼もしくてカッコいいので、弱っているときに頼れそう、というのはあるかもしれない。

 

だけれども、頼もしいリゼに「甘える」というのともちょっと違う。

リゼさんは、そんな安易な距離感を許す人ではない。

リゼ教官はいつも毅然としていて、けっこう厳しい。

 

だけれども、彼女自身もどこか弱い部分を抱えているせいもあって、いつもここぞというときに私たちに優しいのです。

 

・・・ああ、そうか、今気がついた。

なぜチマメ大好きな私が、こんなにもリゼの歌声に元気づけられるのか、ということに。

 

それは例えば、メグがうっかりリゼを「先生」と呼んでしまったのと同じようなことなのだろう。

 

つまり、私は軟弱なロリコンであって、幼女(風のキャラ)に過度に感情移入するような人ですので、チマメになった気持ちで、リゼ先生の歌声を聴いていたのかもしれないです。

 

甘えることはできないけれども、厳しく優しく導いてくれて、元気付けてくれそうな、素敵な体育の先生なのです。

 

 

 

*1: この曲については、種田さんはチマメ曲と対比して語られています。つまり「本気のグーパンが気持ち良いときもある」ということです(?)。
「今回[「ミカヅキドロップ」について]はかなりカッコ良いを推してるなと感じた・・・。チマメ隊の可愛いパンチで気持ち良くなった皆さんに、本気のグーパンが飛んでくるみたいな(笑)。・・・ちょっと痛いけど、気持ち良いというか(笑)。」
種田梨沙さん, 『まんがタイムきららフェスタ!2015:パンフレット』, p. 27.)

抑制と緊張:佐々木千枝ちゃんの見守り方

 「シンデレラガールズ」には、素敵なお子様アイドルがたくさんいらっしゃるのだけれども、その理由というか、なるほど、この作品と「ちびっ子愛好の精神」とはよくマッチするのだな、と思ったので、少し記してみたいと思う。

 

◆恋愛禁止なアイドルのプロデューサー

恋愛禁止、という決まりは、やっぱりこのアイドルの世界でもあるようだ。

 アイドルも一人の人間として、それについて何も思わないわけでないけれども、それでもなお、アイドルの仕事の方をあえて選んでいるのだ、というような意志が、例えばきらりんの言葉から読み取れる。

「アイドルは、普通の女の子が出来ないこと いっぱいできるけど……。普通の女の子にできて、アイドルにできないこともあるよね。

/それは……恋。でも、きらりんはアイドルになったから、大切に出逢えて、人を幸せにしたいって気持ち、いっぱい知ったんだぁ。

/だから、しばらくは、恋よりもお仕事!・・・」

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(「[With Love]諸星きらり+」親愛度MAX演出)

 そして、その選択のために、Pちゃんよろしくね、ありがとう、というような言葉を述べてくれるのである。

「Pちゃんと出会って、・・・[中略、お仕事をする中で]・・・きらりん、どんどん可愛くなれてる気がするの。」

(「同上、諸星きらり」親愛度MAX演出)

 だから、当然ながら、Pちゃんもまた、きらりんと恋愛関係になってはならない。どんなに可愛くても、それは妄想の中だけに留めておかねばならない(あるいは、そんなPちゃんの眠れぬ夜の妄想を表現する同人誌の中だけに留めておかねばならない)。*1

 

シンデレラガールズにおける「抑制」の意義

 そしてこの特徴は、「ちびっ子」愛好の精神と、非常によくマッチする。

 シンデレラガールズの世界に足を踏み入れたとき、まさかこんなにたくさんの素敵なお子様アイドルがいらっしゃるとは、思いもしなかった。しかも、見た目は幼いがそれなりの年齢である、という安全性に配慮した設定なのかと思いきや、まったくの公式の設定においても、「9歳」となっていたりするのである。

これは(はっきり言えば)嬉しいけれども、しかしいいのか!?というような気にならなくもなかったが、よく考えたら、別にいいのだ。二次元だからいいのだ、ということのみならず、設定上も問題ない。というのも、Pちゃんはプロデューサーさんであって、あくまで一会社員として、業務に専念しているだけ、だからである。だいたい、もしからしたら、この会社の他の部門に行きたかったのに、アイドル部門なんていうところに回されてしまった、今はとりあえずこれを頑張るけど、いつかはあっちの部門に・・・なんて思っているかもしれない。とにかくお仕事なのだから、成績を上げるためにも、がんばって、幅広いアイドルをスカウトして、ファンを増やさないといけないのである。

ちびっ子アイドルのスカウト場面はよくネタになるけれども、あくまでも仕事だから、しょうがないんですよ。

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 (龍崎薫(9)のスカウト場面。『デレステ』「アイドルコミュ」「龍崎薫とのメモリアル1」)

・・・というような、あくまでもお仕事なので、ましてや、そのお仕事で大事なアイドルと個人的な関係を持つなどということは決してあってはならないのであって、という、「抑制」された関係の持ち方。

 

アイドルたちは、「親愛度」をときどきストレートに伝えてくれることがあるけど、あくまでも「親愛」の印であって、「性愛」の表現ではないのです。

もちろん、うっかりしていると、親愛度の表現も、「え?どういうこと?それって・・・ああ、そういうことね、アイドルのお仕事頑張るってお話ね、そうだね・・・」と勘違いしそうになってぐらつきかけるけれども(もちろんそういうセリフが巧妙に練られているのだけれども)、あくまでも、お仕事、それを支えてくれるPへの感謝、なのです。

(男なら誰でも、いや女でも、そんな風にキラキラした目で言われると、そりゃ誤解しちゃうよ、しょうがないよ・・・というような「演出」が、よく練られているなあ、と思います。)

 

とはいえもちろん、これもPの誤解、勘違い、にまったくすぎないのかといえば、そうとも限らず、当然、アイドルの側も、このPとアイドルとの「適切な関係」を分かった上で、振舞っていると見ることもできるわけです。つまりアイドルも「親愛度」表現に乗せて、何かそれ以外のことを伝えようとしている、という可能性もあります。

 

でもそれは最後まで「可能性がある」というだけであって、はっきり言葉では表現されることがない。

この、Pとアイドルとの「抑制」が程よく効いた関係を楽しむ(そしてその抑制の裏にある妄想との緊張感を楽しむ)、そういうゲームなのであると、理解しています。

   

◆ちびっ子愛好の精神における「抑制」の意義

そしてこの抑制の効いた関係を楽しむというのは、まさに、(少なくとも私の)ちびっ子愛好の精神とマッチする。

 ちびっ子(キャラ)は、本当に可愛く、ナデナデしたい。けれども、嫌がるようなことはしたくない。可哀想な目にあって欲しくない。いつまでもそのキラキラとした瞳の輝きを失わずに、純粋な心を失わずにいてほしい。頑張ったら褒めてあげたい。一方的にお話ししてくれることがあったら、隣でじっくり聞いてあげたい。一緒に、よかったね〜すごいね〜と言ってあげたい。その子が疲れて眠くなってしまったり、お話しすることに飽きてしまうまで、そうしてあげたい。 

そして、それ以上のことは、したくない。美しいものを汚したくない。・・・と言っても、その割には、男の子よりも女の子(幼女[キャラ])に興味を持っているということからしても明らかなように(でも可愛い男の子だったらいいかも・・・ *2 )、やっぱりまったくそういう感情がないかといえば、おそらく心の底にはないとは言い切れない、というか、きっとあるのでしょう。 

だけれども、そういうものをあまり前面に出してしまうと、もうあの純粋な美しい完璧な世界が壊れてしまう。薄汚れたものになってしまう。そしてありきたりな、陳腐な、あの例の動物の次元のお話になってしまう。なんとくだらない。 

だいいち、我々に常に働いている規律訓練権力によって、それは罪悪感や嫌悪感すらも呼び起こしてしまうであろう(人によるが)。そうなるとやっぱり面白くないし、つまらない。不愉快である。 

だからこそ、ちびっ子愛好の精神には、抑制が必要なのです。抑制そのものを楽しんでいるとすら言える。

 

シンデレラガールズにおけるちびっ子:佐々木千枝ちゃんの見守り方

佐々木千枝ちゃんSSRを運良くお迎えして以来、ホーム画面でいつも癒されています。

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自分のことを「ちえ」と言って、「ちえ、がんばります」なんてことを、あの頼りなさげな声で言うものだから、本当に心から応援したくなる。

「目立つのが苦手」で、自信がなかった千枝ちゃんが、素敵なステージ衣装を着て、輝いています。

大人に憧れていたちえちゃん、ちょっと大人っぽい衣装だな、と、恥ずかしいような喜んでいるようなことを言ったりもします。

 「お腹が出ている衣装だから、大人になった気分です」

(ホーム画面ボイス)

 

千枝ちゃんよかったね、これからも一緒に頑張ろうね、と、心から思えてきます。

 

そして、この気持ちは、実際、本当なのです。

 

でもそれ以上の気持ちがないかといえば、多分あるのです。だけれども、自分自身の意識の中ですらも、「たぶんあるのだろうな」という程度です。つまり、無意識、あるいは、うっすらとした意識の次元に、それは抑制しておきたい。

この「抑制」された状態で、緊張感を保ったまま、ちえちゃんを見守りたい。私にとってはこれが最も幸福な状態であって、それ以上でも、以下でも、その独特の甘い幸福感は、失われてしまうでしょう。

 

(ですから、同人誌をたしなむ際は慎重に選ばなければなりません。この緊張感を保ったまま、しかしもう一歩、いや半歩ほど踏み込んでいる、というぐらいの作品を、私はいつも探しています。)

 

 

 

◆(ついでに)ちょっと「ワガママ」になってみた千枝ちゃんについて

本来、あんまり目立つことが得意じゃないという千枝ちゃん。

それに、いつも真面目ないい子なのですが、少し真面目すぎるのかもしれません。

そういうこともあって、LIVEの前は緊張してしまいます(SSR特訓エピソード)。

そんな千枝ちゃんが、「千枝、精一杯頑張ります!」なんて言っているのを見ると、もう・・・。

 

そしてLIVE前日はこんな様子だった千枝ちゃんですが、実際にLIVEが終わると、

LIVE楽しかった、終わってしまうとちょっと寂しいような気がする、またLIVEがしたいな──というように言ってくれるのです(SSR特訓後親愛度MAX演出)。

「もっと、もっとって、ワガママになっちゃうのかもっ。」

ううっ(>_<) いいんだよ、君はむしろ、もっとワガママになっていいんだよ・・・。

今やこんなことを言ってくれて、しかも「ワガママ」なんていう言葉を素直に使っているのを見ると、なんだかホッとして、本当によかった…、としみじみ思います。

 

 

*1: 逆に言えば、そういう妄想の表現としての同人誌と、アイドルマスターの公式コンテンツとは、表裏一体の関係でもある。そういう妄想は、公式コンテンツに取り組む多数の人たちの動機の重要な部分を占めているであろう。

(もちろん、さまざまな人がさまざまな動機で、意識的・無意識的に、コンテンツに取り組んでいると思うので、一概には言えない。こういう妄想など微塵もなしで取り組んでいる人だっているだろう、それはもちろんありえることだ。

──Pちゃん不在のアイドルコンテンツたる『ラブライブ!』での例になるが、以前、ある「ラブライブ展」のような催しで、文字通りの幼女と母親がそこに来ているのを見たことがある。文字がようやく書けるかどうか、くらいの年齢の子であるが、その子が、来場者が自由に書き込んでいいノートに、「しょうらいみゅーずになれますように」と、大きな歪んだ文字で書いているのを見かけた。なるほど、「ぷりきゅあになれますように」というのと同じなわけである。──もちろん言うまでもなく、逆に、『プリキュア』にも大きなお友達がいて、しかもその大部分は、この子供とはかなり別の角度から楽しんでいるであろう。)

 

*2:CCさくら』の小狼くんは大好きでした。知世ちゃんに着目して見ていたのに、いつの間にか雪兎さん、小狼くんが気になってしまっていた。少女漫画なので、没入していけばいくほど、結局、男性キャラの方が魅力的に見えてくるのかもしれません。そういえば、『アイドルマスターSide M』というのはどういう感じなんだろう。

 

 

かおる、薫、かおる〜:龍崎薫MVスクショ

薫、かわいいよ薫。
2周年記念のスカチケで、やっぱり薫に来てもらいました。

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これで、千枝、みりあ、薫、と、ちびっ子アイドルが揃いました。幸せ。
もうこれで満足…ではあるけれども、
いつかハイファイ☆デイズがSSRで組めたらなあ。

 

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う〜、かおる〜、かわいいよ薫。

元気いっぱいで無邪気ですが、時々可憐な表情も見せます。

 

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薫らしい元気な表情。

 

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脳がフリーズする可愛さ・・・!!

 

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いっぱいいろんな曲で、ライブしてもらっちゃいました。
ちょっと疲れたね、薫。休憩しよう。

 

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DJ KAORU!

 

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う〜ん、一緒にかくれんぼとかしたい。

 

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こんなふうに、ウインクが得意なんです。

 

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こういう感じもいいですね。

 

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バシャバシャとスクショ撮りまくり。

 

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こうやってときどきこの子たちの元気に踊る姿が見られるなんて。
なんと素晴らしいゲーム・・・。

 

 

スカウトチケットというものが現れて以来、課金というものに躊躇がなくなりましたよ。──ええ、昔は、絶対に課金だけはいけない、でないと泥沼にハマるから・・・と思ってましたよ。コツコツ集めればスタージュエルはけっこう貯まるんです。でも、これはもうダメだった。・・・いえいえ、むしろですね、これだけ素晴らしいゲームで遊んでいるんだから、お金を払うのは全然変なことじゃない。ゲーム機とゲームソフトとを買ったと考えてごらんなさい。最低でもその金額までなら課金していいんです。・・・というような言い訳は、簡単に見つかりました。何もかも、スカウトチケットなるものが現れて以来のことです。それに、思っていたほど、泥沼にはまるほどお金をつぎ込むなんてことにはなっていません。心配いりませんよ、さああなたも、微課金、始めてみませんか・・・という投資信託の宣伝みたいですが、投資信託以上に利益をもたらしますよ? 素敵な衣装を身に纏った薫に、いつでも会えるんです。端末を持って出かければ、一緒にお出かけだってできますよ? もう迷うことはありません。 *1

所詮はデータ、・・・というのはよく聞かれる言い方ですが、それを言うならなんでもそうです。ブルーレイだって所詮はデータを焼いたものです。アニメも映画も、所詮は光の束です。何だって、そこに在ると思っているから在ると思えるだけのこと。ならば、薫だって「居る」と思っている人にとっては居るんです。

 

 

*1: (少しでも浪費への罪悪感を減らしたいなら、ヨドバシあたりでたまに安売りしているiTunesカードをポイントで購入しましょう。こうすれば少しは節約した気になれます。買わないこと自体が節約・・・と言うのはナシね。)